第一のお
話
鏡とそのかけらのこと

さあ、きいていらっしゃい。はじめますよ。このお
話を おしまいまできくと、だんだんなにかが はっきりしてきて、つまり、それが わるい
魔法使のお
話であったことがわかるのです。この
魔法使というのは、なかまでも いちばん いけないやつで、それこそ まがいなしの「
悪魔」でした。
さて、ある日のこと、この
悪魔は、たいそうな ごきげんでした。というわけは、それは、
鏡をいちめん
作りあげたからでしたが、その
鏡というのが、どんな けっこうな うつくしいものでも、それにうつると、ほとんど ないも どうぜんに、ちぢこまってしまうかわり、くだらない、みっともない ようすのものにかぎって、よけいはっきりと、いかにも にくにくしく【にくたらしく】 うつるという、ふしぎな せいしつを もったものでした。どんな うつくしい けしきも、この
鏡にうつすと、
煮くたらした ほうれんそう のように見え、どんなに りっぱな ひとたちも、いやな かっこうになるか、どうたいのない、あたまだけで、さかだちするかしました。
顔は
見ちがえるほど ゆがんでしまい、たった、ひとつぼっちの そばかすでも、
鼻や
口いっぱいに
大きくひろがって、うつりました。
「
こりゃ おもしろいな。」と、その
悪魔は いいました。ここに、たれかが、やさしい、つつましい
心をおこしますと、それが
鏡には、しかめっつらに うつるので、この魔法使の
悪魔は、じぶんながら、こいつはうまい
発明だわいと、つい わらいださずには、いられませんでした。
この
悪魔は、
魔法学校を ひらいていましたが、そこに かよっている
魔生徒どもは、こんど ふしぎなものが あらわれたと、ほうぼう ふれまわりました。
さて、この
鏡ができたので、はじめて
世界や
人間の ほんとうの すがたが わかるのだと、この れんじゅう【れんちゅう】は ふいちょう【
言いふらす】して あるきました。で、ほうぼうへその
鏡を もちまわった ものですから、とうとう おしまいには、どこの
国でも、どの
人でも、その
鏡に めいめいの、ゆがんだ すがたを みないものは、なくなってしまいました。こうなると、
図にのった
悪魔の でし【
先生について
教えを
受ける
人】どもは、
天までも
昇っていって、
天使たちや
神さままで、わらいぐさ【
笑い
者】に しようと おもいました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(1 / 49)
ところで、
高く
高くのぼって
行けば、
行くほど、その
鏡は よけいひどく、しかめっつらをするので、さすがの
悪魔も、おかしくて、もっていられなくなりました。でもかまわず、
高く
高くとのぼっていって、もう
神さまや
天使のお
住居に
近くなりました。すると、
鏡は あいかわらず、しかめっつらしながら、はげしく ぶるぶる ふるえだしたものですから、ついに
悪魔どもの
手から、
地の
上へおちて、
何千万、
何億万、というのではたりない、たいへんな
数に、こまかく くだけて、とんでしまいました。ところが、これがため、よけい
下界の わざわいに なったというわけは、
鏡のかけらは、せいぜい
砂つぶくらいの
大きさしかないのが、
世界じゅうに とびちって しまったからで、これが
人の
目にはいると、そのまま そこに こびりついて しまいました。すると、その
人たちは、なんでも
物をまちがってみたり、ものごとの わるいほうだけを みるようになりました。それは、そのかけらが、どんな ちいさなものでも、
鏡がもっていた ふしぎな
力を、そのまま、まだ のこして もっていたからです。なかにはまた、
人の しんぞうに はいったものがあって、その しんぞうを、
氷のかけらのように、つめたいものに してしまいました。そのうち いくまいか
大きなかけらもあって、
窓ガラスに
使われるほどでしたが、そんな
窓ガラスのうちから、お
友だちを のぞいてみようとしても、まるで だめでした。ほかのかけらで、めがねに
用いられたものもありましたが、このめがねをかけて、
物を
正しく、まちがいのないように
見ようとすると、とんだ さわぎが おこりました。
悪魔はこんなことを、たいへん おもしろがって、おなかをゆすぶって、くすぐったがって、わらいました。ところで、ほかにもまだ、こまかいかけらは、
空のなかに ただよっていました。さあ、これからがお
話なのですよ。
第二のお
話
男の
子と
女の
子

たくさんの
家がたてこんで、おおぜい
人が すんでいる
大きな
町では、たれでも、
庭にするだけの、あき
地を もつわけには いきませんでした。ですから、たいてい、
植木ばちの
花をみて、まんぞくしなければ なりませんでした。
そういう
町に、ふたりの まずしい こどもが すんでいて、
植木ばちよりも いくらか
大きな
花ぞのを もっていました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(2 / 49)
その ふたりの こどもは、にいさんでも
妹でも ありませんでしたが、まるで ほんとうの きょうだいのように、
仲よくしていました。そのこどもたちの
両親は、おむこうどうし【ともに
妻の
家に
入った
婿】で、その
住んでいる
屋根うらべやは、
二軒の
家の
屋根と
屋根とがくっついた
所に、むかいあっていました。そのしきりの
所には、
一本の
雨どいがとおっていて、
両方から、ひとつずつ、ちいさな
窓が、のぞいていました。で、とい を ひとまたぎ しさえすれば、こちらの
窓からむこうの
窓へいけました。
こどもの
親たちは、それぞれ
木の
箱を
窓の
外にだして、
台所でつかうお
野菜をうえておきました。そのほかに ちょっとした
ばら をひと
株うえておいたのが、みごとにそだって、いきおいよく のびていました。ところで
親たちの おもいつきで、その
箱を、
といをまたいで、
横にならべておいたので、
箱は
窓と
窓とのあいだで、むこうから こちらへと、つづいて、そっくり、
生きのいい
花のかべを、ふたつならべたように
見えました。えんどう
豆のつるは、
箱から
下のほうに たれさがり、
ばらの
木は、いきおいよく
長い
枝をのばして、それがまた、
両方の
窓にからみついて、おたがいに おじぎを しあっていました。まあ
花と
青葉でこしらえた、アーチのようなものでした。その
箱は、
高い
所にありましたし、こどもたちは、その
上に はいあがっては いけないのを しっていました。そこで、
窓から
屋根へ
出て、ばらの
花の
下にある、ちいさな こしかけに、こしをかける おゆるしをいただいて、そこで おもしろそうに、あそびました。
冬になると、そういう あそびも だめになりました。
窓はどうかすると、まるっきり こおりついて しまいました。そんなとき、こどもたちは、だんろの
上で
銅貨をあたためて、こおった
窓ガラスに、この
銅貨をおしつけました。すると、そこに まるい、まんまるい、きれいな のぞきあなが できあがって、この あなのむこうに、
両方の
窓からひとつずつ、それはそれは うれしそうな、やさしい
目が ぴかぴか
光ります、それがあの
男の子と、
女の子でした。
男の
子は
カイ、
女の
子は
ゲルダといいました。
夏のあいだは、ただひとまたぎで、いったりきたり したものが、
冬になると、ふたりの こどもは、いくつも、いくつも、はしごだんを、おりたり あがったり しなければ、なりませんでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(3 / 49)
外には、
雪がくるくる
舞っていました。
「
あれはね、白いみつばちが あつまって、とんでいるのだよ。」と、
おばあさんがいいました。
「
あのなかにも、女王ばちがいるの。」と、
男の子はたずねました。この
子は、ほんとうの みつばちに、そういうもののいることを、しっていたのです。
「
ああ、いるともさ。」と、
おばあさんは いいました。「
その女王ばちは、いつも たくさん なかまの あつまっているところに、とんでいるのだよ。なかまのなかでも、いちばん からだが大きくて、けっして下に じっとしてはいない。すぐと黒い雲のなかへ とんで はいってしまう。ま夜中に、いく晩も、いく晩も、女王は町の通から通へ とびまわって、窓のところをのぞくのさ。すると ふしぎと そこでこおってしまって、窓は花を ふきつけたように、見えるのだよ。」
「
ああ、それ、みたことがありますよ。」と、こどもたちは、
口をそろえて
叫びました。そして、すると、これは ほんとうの
話なのだ、と おもいました。
「
雪の女王さまは、うちのなかへも はいってこられるかしら。」と、
女の子がたずねました。
「
くるといいな。そうすれば、ぼく、それを あたたかいストーブの上にのせてやるよ。すると女王は とろけてしまうだろう。」と、
男の子がいいました。
でも、
おばあさんは、
男の子のかみの
毛をなでながら、ほかのお
話をしてくれました。
その
夕方、
カイはうちにいて、
着物を
半分ぬぎかけながら、ふと おもいついて、
窓のそばの、いすの
上にあがって、れいの ちいさな のぞきあなから、
外をながめました。おもてには、ちらちら、こな
雪が
舞っていましたが、そのなかで
大きなかたまりが ひとひら、
植木箱のはしに おちました。すると みるみるそれは
大きくなって、とうとうそれが、まがいのない【まちがいなく】、わかい、ひとりの
女の
人になりました。もう
何百万という
数の、
星のように
光るこな
雪で
織った、うすい
白い
紗の
着物を
着ていました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(4 / 49)
やさしい
女の
姿はしていましたが、
氷のからだを していました。ぎらぎらひかる
氷のからだをして、そのくせ
生きているのです。その
目は、あかるい
星を ふたつならべたようでしたが、おちつきも
休みもない
目でした。
女は、
カイのいる
窓のほうに、うなずきながら、
手まねぎしました。
カイはびっくりして、いすからとびおりて しまいました。すぐそのあとで、
大きな
鳥が、
窓の
外をとんだような、けはいが しました。
そのあくる
日は、からりとした、
霜日より【
霜が
降りたあとの、いい
天気】でした。――それからは、
日にまし、
雪どけの ようき になって、とうとう
春が、やってきました。お
日さまは あたたかに、
照りかがやいて、
緑がもえだし、
つばめは
巣をつくりはじめました。あのむかいあわせの
屋根うらべやの
窓も、また、あけひろげられて、
カイと
ゲルダとは、アパートのてっぺんの
屋根上の
雨どいの、ちいさな
花ぞので、ことしも あそびました。
この
夏は、じつにみごとに、ばらの
花が さきました。
女の
子の
ゲルダは、ばらのことの うたわれている、さんび
歌をしっていました。そして、ばらの
花というと、
ゲルダはすぐ、じぶんの
花ぞのの ばらのことを かんがえました。
ゲルダは、そのさんび
歌を、
カイにうたってきかせますと、
カイもいっしょに うたいました。
「ばらのはな さきてはちりぬ
おさなごエス やがてあおがん」
ふたりのこどもは、
手をとりあって、ばらの
花にほおずりして、
神さまの、みひかりのかがやく、お
日さまをながめて、おさなご
エスが、そこに、おいでになるかのように、うたいかけました。なんという、
楽しい
夏の
日だったでしょう。いきいきと、いつまでも さくことを やめないようにみえる、ばらの
花のにおいと、
葉のみどりにつつまれた、この
屋根の
上は、なんて いいところでしたろう。
カイと
ゲルダは、ならんで
掛けて、けものや
鳥のかいてある、
絵本をみていました。ちょうどそのとき――お
寺の、
大きな
塔の
上で、とけいが、
五つうちましたが――
カイは、ふと、
「
あッ、なにか ちくりと むねにささったよ。それから、目にも なにか とびこんだようだ。」と、いいました。
あわてて、
カイのくびを、
ゲルダがかかえると、
男の子は
目をぱちぱち やりました。でも、
目のなかには なにもみえませんでした。
「
じゃあ、とれてしまったのだろう。」と、
カイはいいましたが、それは、とれたのではありませんでした。
カイの
目にはいったのは、れいの
鏡から、とびちった かけらでした。そら、おぼえているでしょう。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(5 / 49)
あのいやな、
魔法の
鏡のかけらで、その
鏡にうつすと、
大きくて いいものも、ちいさく、いやなものに、みえるかわり、いけない わるいものほど、いっそう きわだって わるく
見え、なんによらず、
物事の
あらが、すぐめだって
見えるのです。かわいそうに、
カイは、しんぞうに、かけらがひとつ はいってしまいましたから、まもなく、それは
氷のかたまりのように、なるでしょう。それなり【そうなれば】、もう いたみはしませんけれども、たしかに、しんぞうの
中にのこりました。
「
なんだって べそをかくんだ。」と、
カイはいいました。「
そんなみっともない顔をして、ぼくは、もうどうもなってやしないんだよ。」
「
チェッ、なんだい。」こんなふうに、
カイはふいに、いいだしました。「
あのばらは虫がくっているよ。このばらも、ずいぶん へんてこなばらだ。みんな きたならしい ばら だな。植わっている箱も箱なら、花も花だ。」
こういって、
カイは、
足で
植木の
箱をけとばして、ばらの
花を ひきちぎって しまいました。
「
カイちゃん、あんた、なにをするの。」と、
ゲルダはさけびました。
カイは、
ゲルダのおどろいた
顔をみると、また ほかのばらの
花を、もぎり【ちぎりとり】だしました。それから、じぶんのうちの
窓の
中にとびこんで、やさしい
ゲルダとも、はなれてしまいました。
ゲルダが そのあとで、
絵本をもって あそびにきたとき、
カイは、そんなもの、かあさんに だっこされている、あかんぼの みるものだ、といいました。また、
おばあさまがお
話をしても、
カイは のべつに【ひっきりなしに】「
だって、だって。」とばかり いっていました。それどころか、すきをみて、
おばあさまの うしろにまわって、
目がねをかけて、
おばあさまの
口まねまで、してみせました。しかも、なかなか じょうずに やったので、みんなは おかしがって わらいました。まもなく
カイは、
町じゅうの
人たちの、
身ぶりや
口まねでも、できるようになりました。なんでも、ひとくせ かわったことや、みっともないことなら、
カイはまねすることを おぼえました。
「
あの子はきっと、いい あたまなのに ちがいない。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(6 / 49)
と、みんないいましたが、それは、
カイの
目のなかにはいった
鏡のかけらや、しんぞうの
奥ふかくささった、
鏡のかけらの させることでした。そんなわけで、
カイは まごころを ささげて、じぶんをしたってくれる
ゲルダまでも、いじめだしました。
カイのあそびも、すっかりかわって、ひどく こましゃくれた【
子供が
変に
大人ぶって
振る
舞う
生意気な
言動】ものになりました。――ある
冬の
日、こな
雪がさかんに
舞いくるっているなかで、
カイは
大きな
虫目がねをもって、そとに でました。そして
青い うわぎのすそを ひろげて、そのうえに ふってくる
雪を うけました。
「
さあ、この目がねのところから のぞいてごらん、ゲルダちゃん。」と、
カイはいいました。なるほど、
雪のひとひらが、ずっと
大きく
見えて、みごとにひらいた
花か、
六角の
星のようで、それは まったく うつくしいもので ありました。
「
ほら、ずいぶん たくみに できているだろう。ほんとうの花なんか見るよりも、ずっと おもしろいよ。かけたところなんか、ひとつだってないものね。きちんと形をくずさずにいるのだよ。ただ とけさえ しなければね。」と、
カイはいいました。
そののち まもなく、
カイは あつい
手ぶくろをはめて、
そりをかついで、やってきました。そして
ゲルダにむかって、
「
ぼく、ほかのこどもたちの あそんでいる、ひろばのほうへ いってもいいと、いわれたのだよ。」と、ささやくと、そのまま いってしまいました。
その
大きなひろばでは、こどもたちのなかでも、あつかましいのが、そりを、おひゃくしょうたちの
馬車の、うしろに いわえつけて【
結んで】、じょうずに
馬車といっしょに すべっていました。これは、なかなか おもしろいことでした。こんなことで、こどもたち たれ【だれ】も、むちゅうになって あそんでいると、そこへ、いちだい、
大きなそりが やってきました。それは、まっ
白にぬってあって、なかにたれだか、そまつな
白い
毛皮にくるまって、
白い そまつな ぼうしを かぶった
人がのっていました。そのそりは
二回ばかり、ひろばを ぐるぐるまわりました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(7 / 49)
そこで
カイは、さっそくそれに、じぶんの ちいさなそりを、しばりつけて、いっしょに すべっていきました。その
大そりは、だんだんはやくすべって、やがて、つぎの
大通を、まっすぐに、はしっていきました。そりを はしらせていた
人は、くるりとふりかえって、まるでよく
カイをしっているように、なれなれしいようすで、うなずきましたので、
カイは つい そりをとくのを やめてしまいました。こんなぐあいにして、とうとうそりは
町の
門のそとに、でてしまいました。そのとき、
雪が、ひどくふってきたので、
カイはじぶんの
手のさきも みることが できませんでした。それでもかまわず、そりは はしっていきました。
カイはあせって、しきりと つなをうごかして、その
大そりから はなれようとしましたが、
小そりは しっかりと
大そりに しばりつけられていて、どうにもなりませんでした。ただもう、
大そりにひっぱられて、
風のように とんでいきました。
カイは
大声をあげて、すくいを もとめましたが、たれの
耳にも、きこえませんでした。
雪は ぶっつけるように ふりしきりました。そりは
前へ
前へと、とんでいきました。ときどき、そりが とびあがるのは、
生がきや、おほりの
上を、とびこすのでしょうか、
カイは まったく ふるえあがって しまいました。
主の おいのりを しようと
思っても、あたまに うかんでくるのは、かけざんの
九九ばかりでした。
こな
雪のかたまりは、だんだん
大きくなって、しまいには、
大きな
白い にわとりのように なりました。ふとその
雪のにわとりが、
両がわに とびたちました。とたんに、
大そりは とまりました。そりを はしらせていた
人が、たちあがったのを
見ると、
毛皮の がいとう も ぼうし も、すっかり
雪で できていました。それはすらりと、
背の
高い、
目のくらむようにまっ
白な
女の
人でした。それが
雪の
女王だったのです。
「
ずいぶん よく はしったわね。」と、
雪の
女王はいいました。「
あら、あんた、ふるえているのね。わたしのくまの毛皮におはいり。」
こういいながら
女王は、
カイを じぶんのそりにいれて、かたわらに すわらせ、
カイのからだに、その
毛皮をかけてやりました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(8 / 49)
すると
カイは、まるで
雪のふきつもったなかに、うずめられたように感じました。
「
まださむいの。」と、
女王はたずねました。それから
カイのひたいに、ほおを つけました。まあ、それは、
氷よりももっとつめたい
感じでした。そして、もう
半分氷のかたまりに なりかけていた、
カイのしんぞうに、じいんと しみわたりました。
カイはこのまま
死んでしまうのではないかと、おもいました。――けれど、それもほんのわずかのあいだで、やがて
カイは、すっかり、きもちがよくなって、もう
身のまわりの さむさなど、いっこう
気にならなくなりました。
「
ぼくのそりは――ぼくのそりを、わすれちゃいけない。」
カイがまず
第一におもいだしたのは、じぶんの そりのことで ありました。そのそりは、
白いにわとりのうちの一わに、しっかりと むすびつけられました。このにわとりは、そりを せなかにのせて、
カイのうしろで とんでいました。
雪の
女王は、またもういちど、
カイに ほおずりしました。それで、
カイは、もう、かわいらしい
ゲルダのことも、
おばあさまのことも、うちのことも、なにもかも、すっかりわすれてしまいました。
「
さあ、もうほおずりは やめましょうね。」と、
雪の
女王はいいました。「
このうえすると、お前を死なせてしまうかもしれないからね。」
カイは
女王をみあげました。まあ その うつくしいことといったら。
カイは、これだけかしこそうな りっぱな
顔がほかにあろうとは、どうしたって おもえませんでした。いつか
窓のところにきて、
手まねきしてみせたときとちがって、もうこの
女王が、
氷でできているとは、おもえなくなりました。
カイの
目には、
女王は、
申しぶんなく かんぜんで、おそろしい などとは、
感じなくなりました。それで うちとけて、じぶんは
分数までも、あんざんで、できることや、じぶんの
国が、いく
平方マイルあって、どのくらいの
人口があるか、しっていることまで、
話しました。
女王は、しじゅう、にこにこして、それをきいていました。それが、なんだ、しっていることは、それっぱかしかと、いわれたようにおもって、あらためて、ひろいひろい
大空をあおぎました。すると、
女王は
カイをつれて、たかくとびました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(9 / 49)
高い
黒雲の
上までも、とんで
行きました。あらしは ざあざあ、ひゅうひゅう、ふきすさんで、
昔の
歌でも うたっているようでした。
女王と
カイは、
森や、
湖や、
海や、
陸の
上を、とんで
行きました。
下のほうでは、つめたい
風がごうごううなって、おおかみ の むれが ほえたり、
雪が しゃっしゃっと きしったり【きしむような音をたてたり】して、その
上に、まっくろなからすがカアカアないて とんでいました。しかし、はるか
上のほうには、お
月さまが、
大きくこうこうと、
照っていました。このお
月さまを、ながいながい
冬の
夜じゅう、
カイは ながめて あかしました。ひるになると、
カイは
女王の
足もとで ねむりました。
第三のお
話
魔法の
使える
女の
花ぞの

ところで、
カイが、あれなり【あれきり】 かえってこなかったとき、あの
女の
子の
ゲルダは、どうしたでしょう。
カイは まあ どうしたのか、たれも【だれも】 しりませんでした。なんの
手がかりも えられませんでした。こどもたちの
話でわかったのは、
カイが よその
大きなそりに、じぶんの そりを むすびつけて、
町をはしりまわって、
町の
門から そとへ でていったと いうことだけでした。さて、それから
カイが どんなことに なってしまったか、たれも【だれも】 しっているものは ありませんでした。いくにんもの
人のなみだが、この
子のために、そそがれました。そして、あの
ゲルダは、そのうちでも、ひとり、もう ながいあいだ、むねの やぶれるほどに なきました。――みんなのうわさでは、
カイは
町のすぐそばを
流れている
川におちて、おぼれて しまったのだろう と いうことでした。ああ、まったく ながいながい、いんきな
冬でした。
いま、
春はまた、あたたかいお
日さまの
光と つれだって やってきました。
「
カイちゃんは死んでしまったのよ。」と、
ゲルダはいいました。
「
わたしは そう おもわないね。」と、お
日さまが いいました。
「
カイちゃんは死んでしまったのよ。」と、
ゲルダは
つばめに いいました。
「
わたしは そうおもいません。」と、
つばめたちは こたえました。そこで、おしまいに、
ゲルダは、じぶんでも、
カイは
死んだのではないと、おもうように なりました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(10 / 49)
「
あたし、あたらしい赤いくつを おろすわ。あれはカイちゃんの まだみなかった くつよ。あれをはいて川へおりていって、カイちゃんのことを きいてみましょう。」と、
ゲルダは、ある
朝いいました。で、
朝はやかったので、
ゲルダは まだねむっていた
おばあさまに、せっぷんして、
赤いくつをはき、たったひとりぼっちで、
町の
門を
出て、
川のほうへ あるいていきました。
「
川さん、あなたが、わたしの すきな おともだちを、とっていってしまった というのは、ほんとうなの。この赤いくつをあげるわ。そのかわり、カイちゃんを かえしてね。」
すると
川の
水が、よしよし というように、みょうに
波だって みえたので、
ゲルダは じぶんの もっているもののなかで いちばんすきだった、
赤いくつを ぬいで、ふたつとも、
川のなかに なげこみました。ところが、くつは
岸の
近くに おちたので、さざ
波がすぐ、
ゲルダの
立っているところへ、くつを はこんで きてしまいました。まるで
川は、
ゲルダから、いちばん だいじなものを もらうことを のぞんで いないように
見えました。なぜなら、
川は
カイを かくしては いなかったからです。けれど、
ゲルダは、くつを もっと とおくのほうへ なげないから いけなかったのだと おもいました。そこで、あしの しげみに うかんでいた
小舟に のりました。そして
舟の いちばん はしへ いって、そこから くつを なげこみました。でも、
小舟は しっかりと
岸に もやって【
繋ぎ
止めて】なかったので、くつを なげるので
動かした ひょうしに、
岸から すべり
出して しまいました。それに
気がついて、
ゲルダは、いそいで ひっかえそうと しましたが、
小舟の こちらのはしまで こないうちに、
舟は
二三尺【60㎝~90㎝】も
岸からはなれて、そのままで、どんどんはやく
流れていきました。
そこで、
ゲルダは、たいそうびっくりして、なきだしましたが、
すずめのほかは、たれも【だれも】その
声をきくものは ありませんでした。
すずめには、
ゲルダをつれかえる
力は ありませんでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(11 / 49)
でも、
すずめたちは、
岸にそってとびながら、
ゲルダをなぐさめるように、
「
だいじょうぶ、ぼくたちがいます。」と、なきました。
小舟は、ずんずん
流れに はこばれて いきました。
ゲルダは、
足に くつしたを はいただけで、じっと
舟のなかに すわったままでいました。ちいさな
赤いくつは、うしろのほうで、ふわふわ ういていましたが、
小舟に おいつくことは できませんでした。
小舟のほうが、くつよりも、もっとはやく ながれていったからです。
岸は、うつくしい けしきでした。きれいな
花が さいていたり、
古い
木が
立っていたり、ところどころ、なだらかな
土手には、ひつじ や めうしが、あそんでいました。でも、にんげんの
姿は
見えませんでした。
『ことによると、この
川は、わたしを、
カイちゃんのところへ、つれていって くれるのかもしれないわ。』と、
ゲルダはかんがえました。
それで、だんだん げんきが でてきたので、
立ちあがって、ながいあいだ、
両方の
青あおと うつくしい
岸を ながめていました。それから
ゲルダは、
大きな さくらんぼばたけ の ところにきました。そのはたけの
中には、ふうがわりな、
青や
赤の
窓のついた、
一けんのちいさな
家がたっていました。その
家はかやぶきで、おもてには、
舟で
通りすぎる
人たちのほうにむいて、
木製の ふたりの へいたいが、
銃剣を
肩に
立っていました。
ゲルダは、それを ほんとうの へいたい かとおもって、こえを かけました。しかし、いうまでもなく そのへいたいは、なんの こたえも しませんでした。
ゲルダは すぐそのそばまできました。
波が
小舟を
岸のほうに はこんだからです。
ゲルダはもっと
大きなこえで、よびかけてみました。すると、その
家のなかから、
撞木杖【
握りがT
字形の
杖】にすがった、たいそう
年とった
おばあさんが
出てきました。
おばあさんは、
目のさめるように きれいな
花をかいた、
大きな
夏ぼうしをかぶっていました。「
やれやれ、かわいそうに。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(12 / 49)
どうしておまえさんは、そんなに大きな波のたつ上を、こんな とおいところまで流れてきたのだね。」と、
おばあさんはいいました。
それから
おばあさんは、ざぶりざぶり
水の
中にはいって、
撞木杖で
小舟をおさえて、それを
陸のほうへ ひっぱってきて、
ゲルダを だきおろしました。
ゲルダはまた
陸にあがることのできたのを うれしいと おもいました。でも、この みなれない
おばあさんは、すこし、こわいようでした。
「
さあ、おまえさん、名まえを なんというのだか、またどうして、ここへやってきたのだか、話してごらん。」と、
おばあさんは いいました。そこで
ゲルダは、なにもかも、
おばあさんに
話しました。
おばあさんは うなずきながら、「
ふん、ふん。」と、いいました。
ゲルダは、すっかり
話してしまってから、
おばあさんが
カイを みかけなかったかどうか、たずねますと、
おばあさんは、
カイは まだここを
通らないが、いずれそのうち、ここを
通るかもしれない。まあ、そう、くよくよおもわないで、
花をながめたり、さくらんぼをたべたりしておいで。
花はどんな
絵本のよりも、ずっときれいだし、その
花びらの
一まい、
一まいが、ながいお
話をしてくれるだろうからと いいました。それから
おばあさんは、
ゲルダの
手をとって、じぶんのちいさな
家へつれていって、
中から
戸に かぎをかけました。
その
家の
窓は、たいそう
高くて、
赤いのや、
青いのや、
黄いろの
窓ガラスだったので、お
日さまの
光は おもしろい
色にかわって、きれいに、へやのなかに さしこみました。つくえの
上には、とてもおいしい さくらんぼが おいてありました。そして
ゲルダは、いくらたべてもいいという、おゆるしが でたものですから、おもうぞんぶん それをたべました。
ゲルダが さくらんぼをたべているあいだに、
おばあさんが、
金の
くしで、
ゲルダのかみの
毛をすきました。そこで、
ゲルダのかみの
毛は、ばらの
花のような、まるっこくて、かわいらしい
顔のまわりで、
金色に ちりちりまいて、
光っていました。「
わたしは長いあいだ、おまえのような、かわいらしい女の子がほしいとおもっていたのだよ。さあ これから、わたしたちといっしょに、なかよく くらそうね。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(13 / 49)
と、
おばあさんは いいました。そして
おばあさんが、
ゲルダのかみの
毛に くしをいれてやっているうちに、
ゲルダはだんだん、なかよしの
カイのことなどは わすれてしまいました。というのは、この
おばあさんは
魔法が
使えるからでした。けれども、
おばあさんは、わるい
魔女ではありませんでした。
おばあさんは じぶんのたのしみに、ほんのすこし
魔法を
使うだけで、こんども、それをつかったのは、
ゲルダをじぶんの
手もとに おきたいためでした。そこで、
おばあさんは、
庭へ
出て、そこの ばらの
木にむかって、かたっぱしから
撞木杖をあてました。すると、いままで うつくしく、さきほこっていた ばらの
木も、みんな、
黒い
土の
中に しずんでしまったので、もうたれの【だれの】
目にも、どこに いままで ばらの
木があったか、わからなくなりました。
おばあさんは、
ゲルダがばらを
見て、
自分の
家の ばらのことを かんがえ、
カイのことを おもいだして、ここから にげていってしまうと いけないと おもったのです。
さて、
ゲルダは
花ぞのに あんない されました。――そこは、まあなんという、いい
香りが あふれていて、
目のさめるように、きれいな ところでしたろう。
花という
花は、こぼれるように さいていました。そこでは、
一ねんじゅう
花が さいていました。どんな
絵本の
花だって、これより うつくしく、これより にぎやかな
色に さいてはいませんでした。
ゲルダは おどりあがって よろこびました。そして
夕日が、
高い さくらの
木の むこうにはいってしまうまで、あそびました。それから
ゲルダは、
青い すみれの
花が いっぱいつまった、
赤い
絹のクッションのある、きれいなベッドの
上で、
結婚式の
日の
女王さまのような、すばらしい
夢をむすびました【
見ました】。
そのあくる日、
ゲルダは、また、あたたかいお
日さまの ひかりをあびて、
花たちと あそびました。こんなふうにして、いく
日もいく
日も たちました。
ゲルダは
花ぞのの
花を のこらずしりました。そのくせ、
花ぞのの
花は、かずこそ ずいぶんたくさん ありましたけれど、
ゲルダにとっては、どうもまだなにか、ひといろ たりないように おもわれました。でも、それが なんの
花であるか、わかりませんでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(14 / 49)
するうち【そうしているうちに】ある
日、
ゲルダは なにげなく すわって、
花をかいた
おばあさんの
夏ぼうしを、ながめていましたが、その
花のうちで、いちばんうつくしいのは、ばらの
花でした。
おばあさんは、ほかのばらの
花をみんな
見えないように、かくしたくせに、じぶんのぼうしにかいた ばらの
花を、けすことを、つい わすれていたのでした。まあ
手ぬかりということは、たれ【だれ】にでもあるものです。
「
あら、ここのお庭には、ばらがないわ。」と、
ゲルダはさけびました。
それから、
ゲルダは、
花ぞのを、いくどもいくども、さがしまわりましたけれども、ばらの
花は、ひとつも みつかりませんでした。そこで、
ゲルダは、
花ぞのにすわって なきました。ところが、なみだが、ちょうど ばらが うずめられた
場所の
上におちました。あたたかい なみだが、しっとりと
土をしめらすと、ばらの
木は、みるみる しずまない
前と おなじように、
花をいっぱいつけて、
地の
上に あらわれてきました。
ゲルダはそれをだいて、せっぷんしました。そして、じぶんのうちの ばらを おもいだし、それといっしょに、
カイのことも おもいだしました。
「
まあ、あたし、どうして、こんなところに ひきとめられていたのかしら。」と、
ゲルダはいいました。「
あたし、カイちゃんを さがさなくては ならなかったのだわ――カイちゃん、どこにいるか、しらなくって。あなたは、カイちゃんが死んだとおもって。」と、
ゲルダは、ばらにききました。
「
カイちゃんは死にはしませんよ。わたしどもは、いままで地のなかにいました。そこには 死んだ人は みないましたが、でも、カイちゃんは みえませんでしたよ。」と、ばらの
花が こたえました。
「
ありがとう。」と、
ゲルダはいって、ほかの
花のところへいって、ひとつひとつ、うてな【
花びらを
包み
支える
緑色の
部分】のなかを のぞきながら たずねました。「
カイちゃんはどこにいるか、しらなくって。」
でも、どの
花も、
日なたぼっこしながら、じぶんたちのつくったお
話や、おとぎばなしのことばかり かんがえていました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(15 / 49)
ゲルダはいろいろと
花にきいてみましたが、どの
花も
カイのことについては、いっこうに しりませんでした。
ところで、
おにゆりは、なんといったでしょう。
「
あなたには、たいこの音が、ドンドンというのが きこえますか。あれには、ふたつの音しかないのです。だからドンドンと いつでもやっているのです。女たちがうたう、とむらいの うたを おききなさい。また、坊さんのあげる、おいのりを おききなさい。――インド人のやもめ【夫をなくした女】は、火葬のたきぎのつまれた上に、ながい赤いマントをまとって立っています。焔がその女と、死んだ夫の しかばね【死体】のまわりに たちのぼります。でもインドの女は、ぐるりにあつまった人たちのなかの、生きている ひとりの男のことを かんがえているのです。その男の目は焔よりも あつく もえ、その男のやくような目つきは、やがて、女のからだを やきつくして灰にする焔などよりも、もっとはげしく、女の心の中で、もえていたのです。心の焔は、火あぶりの たきぎのなかで、もえつきるものでしょうか。」
「
なんのことだか、まるでわからないわ。」と、
ゲルダがこたえました。
「
わたしの話はそれだけさ。」と、
おにゆりは いいました。
ひるがおは、どんなお
話をしたでしょう。
「
せまい山道のむこうに、昔の さむらいのお城が ぼんやりみえます。くずれかかった、赤い石がきのうえには、つたが ふかく おいしげって、ろだい【バルコニー】のほうへ、ひと葉ひと葉、はいあがっています。ろだい【バルコニー】の上には、うつくしいおとめが、らんかん【手すり】によりかかって、おうらいを みおろしています。どんな ばらの花でも、そのおとめほど、みずみずとは枝に さきだしません。どんなりんごの花でも、こんなに かるがるとしたふうに、木から風が はこんでくることは ありません。まあ、おとめのうつくしい絹の着物の さらさらなること。
あの人はまだこないのかしら。」
「
あの人というのは、カイちゃんのことなの。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(16 / 49)
と、
ゲルダがたずねました。
「
わたしは、ただ、わたしのお話をしただけ。わたしの夢をね。」と、
ひるがおは こたえました。
かわいい、まつゆきそうは、どんなお
話をしたでしょう。
「
木と木のあいだに、つなでつるした長い板が さがっています。ぶらんこなの。雪のように白い着物を着て、ぼうしには、ながい、緑色の絹のリボンをまいた、ふたりのかわいらしい女の子が、それにのって ゆられています。この女の子たちよりも、大きい男きょうだいが、そのぶらんこに立って のっています。男の子は、かた手にちいさなお皿をもってるし、かた手には土製のパイプを にぎっているので、からだを ささえるために、つなに うでをまきつけています。男の子は シャボンだまを ふいているのです。ぶらんこがゆれて、シャボンだまは、いろんなうつくしい色にかわりながら とんで行きます。いちばんおしまいのシャボンだまは、風にゆられながら、まだパイプのところに ついています。ぶらんこは とぶように ゆれています。あら、シャボンだまのように身のかるい黒犬があと足で立って、のせてもらおうと しています。ぶらんこはゆれる、黒犬はひっくりかえって、ほえているわ。からかわれて、おこっているのね。シャボンだまは はじけます。――ゆれるぶらんこ。われて こわれる シャボンだま。――これがわたしの歌なんです。」
「
あなたのお話は、とてもおもしろそうね。けれどあなたは、かなしそうに話しているのね。それからあなたは、カイちゃんのことは、なんにも話してくれないのね。」
ヒヤシンスの
花は、どんなお
話をしたでしょう。
「
あるところに、三人の、すきとおるように うつくしい、きれいな姉いもうとが おりました。なかで いちばん上のむすめの着物は赤く、二ばん目のは水色で、三ばん目のは まっ白でした。きょうだいたちは、手をとりあって、さえた月の光の中で、静かな湖のふちにでて、おどりを おどります。三人とも妖女ではなくて、にんげん でした。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(17 / 49)
そのあたりには、なんとなく あまい、いいにおいが していました。むすめたちは 森のなかに きえました。あまい、いいにおいが、いっそう つよく なりました。すると、その三人の うつくしい むすめを いれた 三っのひつぎが、森のしげみから、すうっと あらわれてきて、湖のむこうへ わたって いきました。つちぼたるが、そのぐるりを、空に舞っている ちいさな ともしびの ように、ぴかりぴかり していました。おどりくるっていた三人のむすめたちは、ねむったのでしょうか。死んだのでしょうか。――花のにおいは いいました。あれは なきがら【亡くなった人の残された体】です。ゆうべの鐘がなくなったひとたちをとむらいます。」
「
ずいぶん かなしいお話ね。あなたの、その つよいにおいを かぐと、あたし 死んだ そのむすめさんたちのことを、おもいださずには いられませんわ。ああ、カイちゃんは、ほんとうに 死んで しまったのかしら。地のなかに はいっていた ばらの花は、カイちゃんは 死んではいないと いってるけれど。」
「
チリン、カラン。」と、ヒヤシンスの すずが なりました。「
わたしはカイちゃんのために、なっているのでは ありません。カイちゃんなんて人は、わたしたち、すこしも しりませんもの。わたしたちは、ただ自分のしっている たったひとつの歌を、うたっているだけです。」
それから、
ゲルダは、
緑の
葉のあいだから、あかるく さいている、たんぽぽのところへ いきました。
「
あなたは まるで、ちいさな、あかるい お日さまね。どこに わたしの おともだちがいるか、しっていたら おしえてくださいな。」と、
ゲルダはいいました。
そこで、たんぽぽは、よけい あかるく ひかりながら、
ゲルダのほうへ むきました。どんな
歌を、その
花が うたったでしょう。その
歌も、
カイのことでは ありませんでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(18 / 49)
「
ちいさな、なか庭には、春の いちばん はじめの日、うららかな お日さまが、あたたかに照っていました。お日さまの光は、おとなりの家の、まっ白な かべの上から下へ、すべりおちていました。そのそばに、春 いちばん はじめに さく、黄色い花が、かがやく光の中に、金のように さいていました。おばあさんは、いすを そとに だして、こしをかけていました。おばあさんの孫の、かわいそうな 女中ぼうこう【女の人が住み込みで下働きをする】をしている うつくしい女の子が、おばあさんに あうために、わずかな おひまを もらって、うちへ かえってきました。女の子は おばあさんに せっぷんしました。この めぐみおおい せっぷんには 金が、こころの金がありました。その口にも金、そのふむ土にも金、その あさの ひとときにも 金がありました。これが わたしの つまらないお話です。」と、たんぽぽが いいました。
「
まあ、わたしのおばあさまは、どうしていらっしゃるかしら。」と、
ゲルダは ためいきを つきました。「
そうよ。きっとおばあさまは、わたしに あいたがって、かなしがって いらっしゃるわ。カイちゃんの いなくなったと おなじように、しんぱいして いらっしゃるわ。けれど、わたし、じきにカイちゃんをつれて、うちに かえれるでしょう。――もう花たちに いくらたずねてみたって しかたがない。花たち、ただ、自分の歌を うたうだけで、なんにも こたえて くれないのだもの。」
そこで
ゲルダは、はやく かけられるように【
走れるように】、
着物を きりりと たくしあげました。けれど、
黄ずいせんを、
ゲルダが とびこえようとしたとき、それに
足が ひっかかりました。そこで
ゲルダは たちどまって、その
黄色い、
背の
高い
花にむかって たずねました。
「
あんた、カイちゃんのこと、なんか しっているの。」 そして
ゲルダは、こごんで【かがんで】、その
花の
話すことを ききました。その
花は なんといったでしょう。
「
わたし、じぶんが みられるのよ。じぶんが わかるのよ。」と、
黄ずいせんは いいました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(19 / 49)
「
ああ、ああ、なんて わたしは いいにおいが するんだろう。屋根うらの ちいさなへやに、半はだかの、ちいさなおどりこが立っています。おどりこは かた足で立ったり、両足で立ったりして、まるで世界中を ふみつけるように見えます。でも、これは ほんの 目の まよいです。おどりこは、ちいさな布に、湯わかしから湯をそそぎます。これはコルセットです。――そうです。そうです、せいけつが なによりです。白い上着も、くぎに かけてあります。それもまた、湯わかしの湯であらって、屋根で かわかした ものなのです。おどりこは、その上着をつけて、サフラン色のハンケチを くびに まきました。ですから、上着は よけい 白く みえました。ほら、足をあげた。どう、まるで じくの上に立って、うんと ふんばった姿は。わたし、じぶんが見えるの。じぶんが わかるの。」
「
なにも そんな話、わたしに しなくても いいじゃないの。そんなこと、どうだって、かまわないわ。」と、
ゲルダはいいました。
それで
ゲルダは、
庭の むこうの はしまで かけて【はしって】
行きました。その
戸は しまって いましたが、
ゲルダが そのさびついた とって【つまみ】を、どん と おしたので、はずれて
戸は ぱんと ひらきました。
ゲルダは ひろい
世界に、はだしのままで とびだしました。
ゲルダは、
三度も あとを ふりかえって みましたが、たれも【だれも】 おっかけてくるものは ありませんでした。とうとう
ゲルダは、もう とても はしることが できなくなったので、
大きな
石の
上に こしを おろしました。そこらを みまわしますと、
夏はすぎて、
秋が ふかくなっていました。お
日さまが
年中かがやいて、
四季の
花が たえず さいていた、あのうつくしい
花ぞのでは、そんなことは わかりませんでした。
「
ああ、どうしましょう。あたし、こんなに おくれてしまって。」と、
ゲルダはいいました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(20 / 49)
「
もう とうに秋に なっているのね。さあ、ゆっくりしては いられないわ。」
そして
ゲルダは
立ちあがって、ずんずん あるきだしました。まあ、
ゲルダのかよわい
足は、どんなにいたむし、そして、つかれていたことでしょう。どこも
冬がれて【
冬になって
草木が
枯れる】、わびしい けしきでした。ながい やなぎの
葉は、すっかり
黄ばんで、きりが
雨しずくのように
枝から たれていました。ただ、とげのある、
こけももだけは、まだ
実を むすんでいましたが、こけももは すっぱくて、くちが まがるようでした。ああ、なんて このひろびろした
世界は
灰色で、うすぐらく みえたことでしょう。
第四のお
話
王子と王女
ゲルダは、またも、やすまなければ なりませんでした。
ゲルダがやすんでいた
場所の、ちょうどむこうの
雪の
上で、
一わの
大きな
からすが、ぴょんぴょん やっていました。この
からすは、しばらく じっとしたなり
ゲルダをみつめて、あたまを ふっていましたが、やがて こういいました。
「
カア、カア、こんちは。こんちは。」
からすは、これよりよくは、なにも いうことが できませんでしたが、でも、
ゲルダを なつかしく おもっていて、このひろい
世界で、たったひとりぼっち、どこへ いくのだ といって、たずねました。この『ひとりぼっち。』ということばを、
ゲルダは よくあじわって、しみじみ そのことばに、ふかい いみの こもっていることを おもいました。
ゲルダは そこで
からすに、じぶんの
身の
上のことを すっかり
話して きかせた
上、どうかして
カイを みなかったか、たずねました。
すると
からすは、ひどく まじめに かんがえこんで、こういいました。
「
あれかもしれない。あれかもしれない。」
「
え、しってて。」と、
ゲルダは
大きな こえで いって、
からすを らんぼうに、それこそ いきのとまるほど せっぷんしました。
「
おてやわらかに、おてやわらかに。」と、
からすは いいました。「
どうも、カイちゃんを しっているような気がします。たぶん、あれがカイちゃんだろうと おもいますよ。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(21 / 49)
けれど、カイちゃんは、王女さまのところにいて、あなたのことなどは、きっと わすれていますよ。」
「
カイちゃんは、王女さまのところに いるんですって。」と、
ゲルダは ききました。
「
そうです。まあ、おききなさい。」と、
からすは いいました。「
どうも、わたしにすると、にんげんのことばで話すのは、たいそうな ほねおりです。あなたにからすのことばが わかると、ずっとうまく 話せるのだがなあ。」
「
まあ、あたし、ならったことが なかったわ。」と、
ゲルダはいいました。「
でも、うちのおばあさまは、おできになるのよ。あたし、ならっておけば よかった。」
「
かまいませんよ。」と、
からすは いいました。「
まあ、できるだけ してみますから。うまくいけばいいが。」
それから
からすは、しっていることを、
話しました。
「
わたしたちが いまいる国には、たいそう かしこい王女さまが おいでなるのです。なにしろ世界中のしんぶんを のこらず読んで、のこらず また わすれてしまいます。まあ そんなわけで、たいそう りこうな かたなのです。さて、このあいだ、王女さまは 玉座【国王が座る椅子】に おすわりに なりました。玉座というものは、せけんでいうほど たのしいものでは ありません。そこで王女さまは、くちずさみに歌を うたいだしました。その歌は『なぜに、わたしは、むことらぬ』といった歌でした。そこで、『なるほど、それも もっともだわ。』と、いうわけで、王女さまは けっこんしようと おもいたちました。でも夫にするなら、ものをたずねても、すぐと こたえるようなのが ほしいと おもいました。だって、ただそこにつっ立って、ようすぶって【気取って】いるだけでは、じきに たいくつして しまいますからね。そこで、王女さまは、女官たち、のこらず おめしになって、このもくろみを お話しになりました。女官たちは、たいそう おもしろく おもいまして、
『それは よいおもいつきで ございます。わたくしどもも、ついさきごろ、それとおなじことを かんがえついた しだいです。』などと申しました。
「わたしの いっている ことは、ごく、ほんとうの ことなのですよ。」と、
からすは いって、「
わたしには、やさしいいいなずけ【結婚の約束をした相手】があって、その王女さまのお城に、自由にとんでいける、それが わたしに すっかり話して くれたのです。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(22 / 49)
と、いいそえました。
いうまでもなく、その、いいなずけ というのは からすでした。というのは、にたものどうしで、からすは やはり、からすなかまで あつまります。
ハートと、
王女さまの かしらもじで ふちどった しんぶんが、さっそく、はっこう されました。それには、ようすのりっぱな、わかい
男は、たれ【だれ】でもお
城にきて、
王女さまと
話すことができる。そしてお
城へきても、じぶんの うちに いるように、
気やすく、じょうずに
話した
人を、
王女は
夫として えらぶであろう ということが かいてありました。
「
そうです。そうです。あなたは わたしを だいじょうぶ 信じてください。この話は、わたしが ここに こうして すわっているのと どうよう、ほんとうの話なのですから。」と、
からすは いいました。
「
わかい男の人たちは、むれをつくって、やってきました。そして たいそう町は こんざつして、たくさんの人が、あっちへいったり、こっちへきたり、いそがしそうに かけずりまわって いました。でも はじめの日も、つぎの日も、ひとりだって うまくやったものは ありません。みんなは、お城の そとでこそ、よくしゃべりましたが、いちど お城の門を はいって、銀ずくめの へいたいを みたり、かいだんを のぼって、金ぴかの せいふくをつけた お役人に出あって、あかるい大広間に はいると、とたんに ぽうっとなって しまいました。そして、いよいよ 王女さまの おいでになる玉座【国王が座る椅子】の前に出たときには、たれも【だれも】 王女さまに いわれた ことばの しりを、おうむがえしに くりかえすほか ありませんでした。王女さまとすれば、なにも じぶんのいった ことばを、もういちど いってもらっても しかたがないでしょう。ところが、だれも、ごてんの なかに はいると、かぎたばこでも のまされたように、ふらふらで、おうらい【どうろ】へ でてきて、やっと われにかえって、くちが きけるように なる。なにしろ町の門から、お城の門まで、わかい ひとたちが、れつをつくって ならんでいました。わたしは それを じぶんで 見てきましたよ。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(23 / 49)
と、
からすが、ねんをおして いいました。
「
みんなは自分のばんが、なかなか まわってこないので、おなかがすいたり、のどが かわいたり しましたが、ごてんの中では、なまぬるい水 いっぱい くれませんでした。なかで 気のきいた せんせいたちが、バタパンご持参で、やってきていましたが、それを そばの人に わけようとは しませんでした。このれんじゅうの気では――こいつら、たんと ひもじそうな顔を しているがいい。おかげで王女さまも、ごさいように なるまいから――というのでしょう。」
「
でも、カイちゃんは どうしたのです。いつカイちゃんは やってきたのです。」と、
ゲルダはたずねました。「
カイちゃんは、その人たちの なかまに いたのですか。」
「
まあまあ、おまちなさい。これから、そろそろ、カイちゃんの ことに なるのです。ところで、その三日目に、馬にも、馬車にものらない ちいさな男の子が、たのしそうに お城のほうへ、あるいていきました。その人の目は、あなたの目のように かがやいて、りっぱな、長いかみの毛を もっていましたが、着物は ぼろぼろに きれていました。」
「
それがカイちゃんなのね。ああ、それでは、とうとう、あたし、カイちゃんを みつけたわ。」と、
ゲルダは うれしそうに さけんで、
手を たたきました。
「
その子は、せなかに、ちいさなはいのう【ふくろ】を しょっていました。」と、
からすがいいました。
「
いいえ、きっと、それは、そりよ。」と、
ゲルダはいいました。「
カイちゃんは、そりといっしょに 見えなくなって しまったのですもの。」
「
なるほど、そうかもしれません。」と、
からすは いいました。「
なにしろ、ちょっと見た だけですから。しかし、それは、みんな わたしの やさしい いいなずけから きいたのです。それから、その子はお城の門をはいって、銀の軍服の へいたいを みながら、だんをのぼって、金ぴかの せいふくの お役人の前に でましたが、すこしも まごつきませんでした。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(24 / 49)
それどころか、へいきで えしゃくして、
『かいだんの上に 立っているのは、さぞ たいくつでしょうね。では ごめんこうむって【相手の許可を得る】、わたしは 広間に はいらせて もらいましょう。』と、いいました。広間には あかりが いっぱいついて、枢密顧問官【枢密院の役人】や、身分の高い人たちが、はだしで 金の器を はこんで あるいて いました。そんな中で、たれ【だれ】だって、いやでも おごそかな きもちに なるでしょう。ところへ、その子の ながぐつは、やけにやかましく ギュウ、ギュウ なるのですが、いっこうに へいきでした。」
「
きっとカイちゃんよ。」と、
ゲルダが さけびました。
「
だって、あたらしい 長ぐつを はいて いましたもの。わたし、そのくつが ギュウ、ギュウいうのを、おばあさまのへやで きいたわ。」
「
そう、ほんとうに ギュウ、ギュウって なりましたよ。」と、
からすはまた
話しはじめました。
「
さて、その子は、つかつかと、糸車ほどの 大きな しんじゅに、こしをかけている、王女さまのご前に 進みました。王女さまの ぐるりを とりまいて、女官たちが おつきを、そのおつきが またおつきを、したがえ、侍従【王女の身の回りの世話をする人】が けらいの、またそのけらいを したがえ、それがまた、めいめい小姓【身の回りの雑用をするひと】をひきつれて 立っていました。しかも、とびらの近くに立っているものほど、いばっているように 見えました。しじゅう、うわぐつで あるきまわっていた、けらいの けらいの 小姓なんか、とてもあおむいて 顔が見られない くらいでした。とにかく、戸ぐちのところで いばりかえっているふうは、ちょっと見ものでした。」
「
まあ、ずいぶん こわいこと。それでもカイちゃんは、王女さまと けっこんしたのですか。」と、
ゲルダはいいました。
「
もし、わたしがからすで なかったなら、いまの いいなずけ【結婚の約束をした相手】を すてても、王女さまと けっこんしたかも しれません。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(25 / 49)
人のうわさによりますと、その人は、わたしがからすのことばを 話すときと どうよう、じょうずに話したと いうことでした。わたしは、そのことを、わたしの いいなずけから きいたのです。どうして、なかなか ようすのいい、げんきな子でした。それも 王女さまと けっこんするために きたのではなくて、ただ、王女さまが どのくらい かしこいか 知ろうとおもって やってきたのですが、それで 王女さまが すきになり、王女さまもまた その子がすきになった というわけです。」
「
そう、いよいよ、そのひと、カイちゃんに ちがいないわ。カイちゃんは、そりゃ りこうで、分数まで あんざんで やれますもの――ああ、わたしを、そのお城へ つれていって くださらないこと。」と、
ゲルダはいいました。
「
さあ、くちでいうのは たやすいが、どうしたら、それができるか、むずかしいですよ。」と、
からすは いいました。「
ところで、まあ、それをどうするか、まあ、わたしの いいなずけに そうだん してみましょう。きっと、いいちえを かしてくれるかも しれません。なにしろ、あなたのような、ちいさな娘さんが、お城の中に はいることは、ゆるされて いないのですからね。」
「
いいえ、そのおゆるしなら もらえてよ。」と、
ゲルダが こたえました。「
カイちゃんは、わたしが きたと きけば、すぐに出てきて、わたしを いれてくれるでしょう。」
「
むこうの かきねのところで、まっていらっしゃい。」と、
からすはいって、あたまをふりふり とんでいってしまいました。
その
からすが かえってきたときには、
晩もだいぶ くらくなっていました。
「
すてき、すてき。」と、
からすは いいました。「
いいなずけが、あなたに よろしく とのことでしたよ。さあ、ここに、すこしばかり パンをもってきて あげました。さぞ、おなかが すいたでしょう。いいなずけが、だいどころから もってきたのです。そこには たくさん まだあるのです。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(26 / 49)
――どうも、お城へ はいることは、できそうも ありませんよ。なぜといって、あなたは くつを はいて いませんから、銀の軍服のへいたいや、金ぴかの せいふくの お役人たちが、ゆるして くれないでしょうからね、だがそれで 泣いては いけない。きっと、つれて行ける くふうはしますよ。わたしの いいなずけは、王女さまの ねまに通じている、ほそい、うらばしごを しっていますし、その かぎの あるところも しっているのですからね。」
そこで、
からすと
ゲルダとは、お
庭をぬけて、
木の
葉が あとからあとからと、ちってくる
並木道を
通りました。そして、お
城のあかりが、じゅんじゅんに きえてしまったとき、
からすは すこしあいている うらの
戸口へ、
ゲルダを つれていきました。
まあ、
ゲルダのむねは、こわかったり、うれしかったりで、なんて どきどき したことでしょう。まるで
ゲルダは、なにか わるいことでも しているような
気がしました。けれど、
ゲルダはその
人が、
カイちゃんで あるかどうかを しりたい、いっしん なのです。そうです。それはきっと、
カイちゃんに ちがいありません。
ゲルダは、しみじみと
カイちゃんの りこうそうな
目つきや、
長いかみの
毛を おもいだしていました。そして、ふたりが うちにいて、ばらの
花のあいだに すわってあそんだとき、
カイちゃんが わらったとおりの
笑顔が、
目にうかびました。そこで、
カイちゃんにあって、ながいながい
道中をして
自分を さがしに やってきたことをきき、あれなり【あのまま】 かえらないので、どんなに みんなが、かなしんでいるか しったなら、こうして きてくれたことを、どんなに よろこぶでしょう。まあ、そうおもうと、うれしいし、しんぱいでした。
さて、
からすと
ゲルダとは、かいだんの
上に のぼりました。ちいさなランプが、たなの
上に ついていました。そして、ゆか
板のまん
中のところには、
飼いならされた
女がらすが、じっと
ゲルダを
見て
立っていました。
ゲルダは
おばあさまから おそわったように、ていねいに おじぎしました。
「
かわいい おじょうさん。わたしの いいなずけは、あなたのことを、たいそう ほめておりました。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(27 / 49)
と、その やさしい
からすが いいました。「
あなたの、その ごけいれき とやら もうしますのは、ずいぶん おきのどく なのですね。さあ、ランプを おもちください。ごあんないしますわ。このところを まっすぐに まいりましょう。もう だれにも あいませんから。」
「
だれか、わたしたちの あとから、ついてくるような 気がすることね。」と、なにかが そばをきゅうに
通ったときに、
ゲルダは いいました。それは、たてがみを ふりみだして、ほっそりとした
足を もっている
馬だの、それから、かりうどだの、
馬にのった りっぱな
男の
人や、
女の
人だのの、それが みんな かべにうつった かげのように
見えました。
「
あれは、ほんの夢なのですわ。」と、
からすが いいました。「
あれらは、それぞれの ご主人たちの こころを、りょう【狩り】に さそいだそうと してくるのです。つごうの いいことに、あなたは、ねどこの中で あのひとたちの お休みのところが よくみられます。そこで、どうか、あなたが りっぱな身分に おなりになったのちも、せわになった おれいは、おわすれなくね。」
「
それは いうまでもない ことだろうよ。」と、
森の
からすが いいました。
さて、
からすと
ゲルダとは、
一ばん はじめの
広間に はいって いきました。そこのかべには、
花でかざった、ばら
色の
しゅす【
織物】が、
上から
下まで、はりつめられて いました。そして、ここにも りょう【
狩り】にさそう さっきの
夢は、もう とんで
来て いましたが、あまり はやく うごきすぎて、
ゲルダは えらい
殿さまや
貴婦人方を、こんどは みることが できませんでした。ひろまから、ひろまへ
行くほど、みどとに【みごとに】できていました。ただ もう あまりのうつくしさに、まごつく ばかりでしたが、そのうち、とうとう ねま【しんしつ】まで はいって いきました。そこの てんじょうは、
高価なガラスの
葉をひろげた、
大きな
しゅろの
木の かたちに なっていました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(28 / 49)
そして、へやの まんなかには、ふたつのベッドが、
木のじくにあたる
金の ふとい
柱に つりさがっていて、ふたつとも、ゆりの
花のように みえました。そのベッドは ひとつは
白くて、それには
王女が ねむっていました。もうひとつのは
赤くて、そこに ねむっている
人こそ、
ゲルダのさがす
カイちゃんで なくてはならないのです。
ゲルダは
赤い
花びらを ひとひら、そっとどけると、そこに
日やけした くびすじが
見えました。――ああ、それは
カイちゃんでした。
――
ゲルダは、
カイちゃんの
名を こえ
高く よびました。ランプを
カイちゃんのほうへ さしだしました。……
夢が また
馬にのって、さわがしく そのへやの
中へ、はいってきました。……その
人は
目をさまして、
顔を こちらにむけました。ところが、それは
カイちゃんでは なかったのです。
いまは
王子となった その
人は、ただ、くびすじのところが、
カイちゃんに にていた だけでした。でもその
王子は わかくて、うつくしい
顔を していました。
王女は
白い ゆりの
花ともみえるベッドから、
目を ぱちくりやって
見あげながら、たれが【だれが】そこにきたのかと、おたずねに なりました。そこで
ゲルダは泣いて、いままでのことや、
からすが いろいろに つくしてくれた ことなどを、のこらず
王子に
話しました。
「
それは、まあ、かわいそうに。」と、王子と王女とが いいました。そして、
からすを おほめになり、じぶんたちは けっして、
からすが したことを おこりはしないが、
二どと こんなことを してくれるな、とおっしゃいました。それでも、
からすたちは、ごほうびを いただくことに なりました。
「
おまえたちは、すきかってに、そとを とびまわって いるほうが いいかい。」と、
王女は たずねました。「
それとも、宮中おかかえのからすとして、台所のおあまりは、なんでも たべることができるし、そういうふうにして、いつまでも ごてんにいたいと おもうかい。」
そこで、二わの
からすは おじぎをして、
自分たちが、としを とってからのことを かんがえると、やはり ごてんにおいて いただきたいと、ねがいました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(29 / 49)
そして、
「
だれしも いっていますように、さきへいって こまらないように、したいもので ございます。」と、いいました。
王子はそのとき、ベッドから
出て、
ゲルダを それに ねかせ、じぶんは、それなり【そのまま】 ねようとは しませんでした。
ゲルダは ちいさな
手をくんで、「
まあ、なんという いい 人や、いいからすたち だろう。」と、おもいました。それから、
目をつぶって、すやすや ねむりました。すると、また
夢がやってきて、こんどは
天使のような
人たちが、
一だいの
そりを ひいてきました。その
上には、
カイちゃんが
手まねき していました。けれども、それはただの
夢だったので、
目をさますと、さっそく きえてしまいました。
あくる
日になると、
ゲルダは あたまから、
足のさきまで、
絹や びろうどの
着物で つつまれました。そして このまま お
城にとどまっていて、たのしく くらすように とすすめられました。でも、
ゲルダはただ、ちいさな
馬車と、それを ひく うまと、ちいさな
一そくの
長ぐつが いただきとうございますと、いいました。それで もういちど、ひろい
世界へ、
カイちゃんを さがしに
出て いきたいのです。
さて、
ゲルダは
長ぐつばかりでなく、マッフ【
手を
入れて
暖を
取るための
筒状の
防寒具】までもらって、さっぱりと
旅の したくが できました。いよいよ でかけようと いうときに、げんかんには、じゅん
金の あたらしい
馬車が
一だい とまりました。王子と王女の
紋章が、
星のように ひかって ついて いました。ぎょしゃ【ばしゃを うんてん するひと】や、べっとう【
長官】や、おさきばらい【
行列の
先頭で
道を
開けてもらう
役の
人】が――そうです、おさきばらいまでが――
金の
冠をかぶって ならんでいました。王子と王女は、ごじぶんで、
ゲルダを たすけて
馬車にのらせ、ぶじに いってくるように おっしゃいました。もう いまは けっこんを すませた
森の
からすも、
三マイルさきまで、みおくりに ついてきました。この
からすは、うしろむきに のっていられない というので、
ゲルダのそばに すわっていました。めすのほうの
からすは、
羽根を ばたばたやりながら、
門のところに とまっていました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(30 / 49)
おくっていかない わけは、あれからずっと ごてん づとめで、たくさんに たべものを いただくせいか、ひどく
頭痛が していたからです。その
馬車の うちがわは、さとうビスケットで できていて、こしをかけるところは、くだものや、くるみの はいった
しょうがパンで できていました。
「
さよなら、さよなら。」と、王子と王女がさけびました。すると
ゲルダは
泣きだしました。――
からすもまた
泣きました。――さて、
馬車が
三マイル
先のところまで きたとき、こんどは
からすが、さよならを いいました。この
上ない かなしい わかれでした。
からすは そこの
木の
上に とびあがって、
馬車が いよいよ
見えなくなるまで、
黒いつばさを、ばたばた やっていました。
馬車は お
日さまのように かがやきながら、どこまでも はしりつづけました。
第五のお
話
おいはぎのこむすめ

それから、
ゲルダの なかまは、くらい
森の
中を
通っていきました。ところが、
馬車の
光は、たいまつのように ちらちらしていました。それが、おいはぎどもの
目にとまって、がまんがならなく させました。
「
やあ、金だぞ、金だぞ。」と、おいはぎたちは さけんで、いちどに とびだして きました。
馬をおさえて、ぎょしゃ、べっとうから、おさきばらいまで ころして、
ゲルダを
馬車から ひきずり おろしました。
「
こりゃあ、たいそう ふとって、かわいらしい むすめだわい。きっと、年中くるみの実ばかり たべていたのだろう。」と、
おいはぎばばが いいました。
女のくせに、ながい、こわいひげをはやして、まゆげが、
目の
上まで たれさがった
ばあさんでした。「
なにしろ そっくり、あぶらの のった、こひつじ というところだが、さあ たべたら、どんな味がするかな。」
そういって、
ばあさんは、ぴかぴかするナイフを もちだしました。きれそうに ひかって、きみのわるいといったら ありません。
「
あッ。」
そのとたん、
ばあさんは こえを あげました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(31 / 49)
その
女の せなかに ぶらさがっていた、
こむすめが、なにしろ らんぼうな だだっ
子で、おもしろがって、いきなり、
母親の
耳を かんだのです。
「
この あまあ、なにょをする。」と、
母親はさけびました。おかげで、
ゲルダを ころす、はなさきを おられました。
「
あの子は、あたいと いっしょに あそぶのだよ。」と、おいはぎの
こむすめは、いいました。
「
あの子はマッフや、きれいな着物を あたいにくれて、晩には いっしょに ねるのだよ。」
こういって、その
女の子は、もういちど、
母親の
耳を したたかに かみました。それで、
ばあさんは とびあがって、ぐるぐるまわりしました。おいはぎどもは、みんなわらって、
「
見ろ、ばばあが、がきといっしょに おどっているからよ。」と、いいました。
「
馬車の中へ はいってみようや。」と、おいはぎの
こむすめは いいました。
この
むすめは、わんぱくに そだって、おまけに ごうじょうっぱり でしたから、なんでも したいとおもうことを しなければ、
気が すみませんでした。それで、
ゲルダとふたり
馬車に のりこんで、きりかぶや、
石のでている
上を
通って、
林のおくへ、ふかく はいって いきました。おいはぎの
こむすめは、ちょうど
ゲルダぐらいの
大きさでしたが、ずっと、きつそうで、
肩つきが がっしり していました。どす
黒い はだをして、その
目はまっ
黒で、なんだ かかなしそうに
見えました。
女の子は、
ゲルダのこしのまわりに
手をかけて、
「
あたい、おまえと けんかしないうちは、あんなやつらに、おまえを ころさせや しないことよ。おまえは どこかの王女じゃなくて。」と、いいました。「
いいえ、わたしは王女ではありません。」と、
ゲルダは こたえて、いままでにあった できごとや、じぶんが どんなに、すきな
カイちゃんのことを
思っているか、ということなぞを
話しました。
おいはぎの
むすめは、しげしげと
ゲルダを
見て、かるく うなずきながら、
「
あたいは、おまえとけんかしたって、あのやつらに、おまえを ころさせや しないよ。そんなくらいなら、あたい、じぶんで おまえを ころして しまうわ。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(32 / 49)
と、いいました。
それから
むすめは、
ゲルダの
目をふいてやり、
両手を うつくしいマッフに つけてみましたが、それはたいへん、ふっくりして、やわらかでした。
さあ、
馬車は とまりました。そこは おいはぎのこもる、お
城のひろ
庭でした。その
山塞は、
上から
下まで ひびだらけでした。その ずれたわれ
目から、
大がらす
小がらすが とびまわっていました。
大きなブルドッグが、あいてかまわず、にんげんでも くってしまいそうな ようすで、
高く とびあがりました。でも、けっして ほえませんでした。ほえることは とめられて あったからです。
大きな、
煤けた ひろまには、
煙が もうもう していて、たき
火が、
赤あかと
石だたみの ゆか
上で もえていました。
煙は てんじょうの
下に たちまよって、どこからともなく でていきました。
大きな おなべには、スープが にえたって、
大うさぎ
小うさぎが、あぶりぐし に さして、やかれて いました。
「
おまえは、こん夜は、あたいや、あたいの ちいさな どうぶつと いっしょにねるのよ。」と、おいはぎの
こむすめがいいました。
ふたりは たべものと、のみものを もらうと、わらや、しきものが しいてある、へやの すみのほうへ
行きました。その
上には、
百ぱよりも、もっと たくさんの
はとが、ねむったように、
木摺【
塗壁の
下地に
使う
小幅の
板】や、とまり
木に とまって いましたが、ふたりの
女の
子が きたときには、ちょっと こちらを むきました。
「
みんな、このはと、あたいの ものなのよ。」と、おいはぎの
こむすめは いって、てばやく、てぢかにいた
一わを つかまえて、
足を ゆすぶったので、はとは、
羽根を ばたばた やりました。
「
せっぷん しておやりよ。」と、いって、おいはぎの
こむすめは、それを、
ゲルダの
顔に なげつけました。
「
あすこに とまって いるのが、森のあばれものさ。」と、その
むすめは、かべに あけた あなに、うちこまれた とまり
木を、ゆびさしながら、また
話しつづけました。「
あれは二わとも 森のあばれものさ。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(33 / 49)
しっかり、とじこめておかないと、すぐ にげて いってしまうの。ここにいるのが、昔から おともだちのベーよ。」
こういって、
女の子は、ぴかぴかみがいた、
銅のくびわを はめたまま つながれている、
一ぴきの
となかいを、つのをもって ひきだしました。
「
これも、しっかり つないで おかないと、にげて いってしまうの。だから、あたいはね、まい晩 よくきれる ナイフで、くびのところを くすぐってやるんだよ。すると、それは びっくりするったら ありゃしない。」
そう いいながら、
女の子は かべの われめの ところから、ながいナイフを とりだして、それを
となかいの くびに あてて、そろそろ なでました。かわいそうに、その けものは、
足を どんどんやって、
苦しがりました。
むすめは、おもしろそうに わらって、それなり【そのまま】
ゲルダをつれて、ねどこに
行きました。
「
あなたは ねているあいだ、ナイフを はなさないの。」と、
ゲルダは、きみわるそうに、それを みました。
「
わたい、しょっちゅうナイフを もっているよ。」と、おいはぎの
こむすめは こたえました。
「
なにがはじまるか わからないからね。それよか、もういちどカイちゃんって子の話を してくれない、それから、どうして このひろい世界に、あてもなく でてきたのか、そのわけを 話してくれないか。」
そこで、
ゲルダは はじめから、それを くりかえしました。
森のはとが、
頭の
上の かごの
中で くうくう いっていました。ほかのはとは ねむっていました。おいはぎの
こむすめは、かた
手を
ゲルダの くびにかけて、かた
手には ナイフをもったまま、
大いびきをかいて ねてしまいました。けれども、
ゲルダは、
目をつぶることも できませんでした。
ゲルダは、いったい、じぶんは
生かしておかれるのか、ころされるのか、まるで わかりませんでした。
たき
火の ぐるりをかこんで、おいはぎたちは、お
酒をのんだり、
歌をうたったり していました。そのなかで、
ばあさんが とんぼをきりました【
宙返りしました】。ちいさな
女の子にとっては、そのありさまを
見るだけで、こわいことでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(34 / 49)
そのとき、
森のはとが、こういいました。
「
くう、くう、わたしたち、カイちゃんを 見ましたよ。一わの 白い めんどりが、カイちゃんの そりを はこんでいました。カイちゃんは 雪の女王の そりにのって、わたしたちが、巣にねていると、森の すぐ上を 通っていったのですよ。雪の女王は、わたしたち子ばとに、つめたい いきを ふきかけて、ころして しまいました。たすかったのは、わたしたち 二わだけ、くう、くう。」
「
まあ、なにを そこで いってるの。」と、
ゲルダが、つい
大きなこえを しました。「
その雪の女王さまは、どこへ いったのでしょうね。そのさきのこと、なにか しっていて。おしえてよ。」
「
たぶん、*ラップランドのほうへ いったのでしょうよ。そこには、年中、氷や雪がありますからね。まあ、つながれている、となかい に、きいて ごらんなさい。」
*ヨーロッパ洲の極北、スカンジナビア半島の北東部、四〇万平方キロ一帯の寒い土地。遊牧民のラップ人がすむ。
すると、
となかいが ひきとって、
「
そこには 年中、氷や雪があって、それは すばらしい みごとな ものですよ。」といいました。
「
そこでは大きな、きらきら光る谷まを、自由に はしりまわることが できますし、雪の女王は、そこに夏のテントを もっています。でも女王の りっぱな本城は、もっと北極のほうの、*スピッツベルゲンという島の上にあるのです。」
*ノルウェーのはるか北、北極海にちかい小島群(一名スヴァルバルド)。
「
ああ、カイちゃんは、すきなカイちゃんは。」と、
ゲルダは ためいきを つきました。
「
しずかにしなよ。しないと、ナイフを からだに つきさすよ。」と、おいはぎの
こむすめが いいました。
あさになって、
ゲルダは、
森の はとが
話したことを、すっかり おいはぎの
こむすめに
話しました。すると
むすめは、たいそう まじめになって、うなずきながら、
「
まあいいや。どっちにしても おなじことだ。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(35 / 49)
と、いいました。そして、
「
おまえ、ラップランドって、どこにあるのか しってるのかい。」と、
むすめは、
となかいに たずねました。
「
わたしほど、それを よくしっているものが ございましょうか。」と、
目を かがやかしながら、
となかいが こたえました。「
わたしは そこで生まれて、そだったのです。わたしは そこで、雪の野原を、はしりまわって いました。」
「
ごらん。みんな でかけていって しまうだろう。おっかさんだけが うちにいる。おっかさんは、ずっとうちに のこっているのよ。でも おひるちかくなると、大きなびんから お酒をのんで、すこしのあいだ、ひるねするから、そのとき、おまえに いいことを してあげようよ。」と、おいはぎの
こむすめは
ゲルダに いいました。
それから
女の子は、ぱんと、ねどこから はねおきて、
おっかさんの くびのまわりに かじりついて、
おっかさんの ひげを ひっぱりながら、こう いいました。
「
かわいい、めやぎさん、おはようございます。」
すると、
おっかさんは、
女の子のはなが 赤くなったり
紫色になったりするまで、ゆびで はじきました。
でもこれは、かわいくてたまらない
心から することでした。
おっかさんが、びんのお
酒をのんで、ねてしまったとき、おいはぎの
こむすめは、
となかいの ところへ いって、こういいました。
「
わたしは もっと、なんべんも、なんべんも、ナイフでおまえを、くすぐって やりたいのだよ。だって、ずいぶん おかしいんだもの、でも、もういいさ。あたい、おまえが ラップランドへ行けるように、つなを ほどいて にがしてやろう。けれど、おまえは せっせとはしって、この子を、この子の おともだちのいる、雪の女王のごてんへ、つれていかなければ いけないよ。おまえ、この子が あたいに話していたこと、きいていたろう。とても大きなこえで 話したし、おまえも 耳をすまして、きいて いたのだから。」
となかいは よろこんで、
高く はねあがりました。その
背中に おいはぎの
こむすめは、
ゲルダを のせて やりました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(36 / 49)
そして
用心ぶかく、
ゲルダを しっかり いわえつけて【
固定して】、その
上、くらの かわりに、ちいさな ふとんまで、しいて やりました。
「
まあ、どうでもいいや。」と、
こむすめは いいました。「
そら、おまえの 毛皮の ながぐつだよ。だんだん さむくなるからね。マッフ【手を入れて暖を取るための筒状の防寒具】は きれいだから もらっておくわ。けれど、おまえに さむいおもいは させないわ。ほら、おっかさんの 大きな まる手ぶくろが ある。おまえなら、ひじのところまで、ちょうど とどくだろう。まあ、これを はめると、おまえの手が、まるで あたいの いやなおっかさんの 手のようだよ。」と、
むすめは いいました。
ゲルダは、もう うれしくて、
涙が こぼれました。
「
泣くなんて、いやなことだね。」と、おいはぎの
こむすめは いいました。「
ほんとは、うれしい はずじゃないの。さあ、ここに ふたつ、パンの かたまりと、ハムが あるわ。これだけあれば、ひもじいおもいは しないだろう。」
これらの
品じなは、
となかいの
背中のうしろに いわえつけ【
結びつけ】られました。おいはぎの
むすめは
戸をあけて、
大きな
犬を だまして、
中に いれておいて、それから、よくきれるナイフで つなをきると、
となかい に むかって いいました。
「
さあ、はしって。そのかわり、その子に、よく気をつけてやってよ。」
そのとき、
ゲルダは、
大きな まる
手ぶくろを はめた
両手を、おいはぎの
こむすめの ほうに さしのばして、「
さようなら。」といいました。
とたんに、
となかいは かけだしました。
木の
根、
岩かどを とびこえ、
大きな
森を つきぬけて、
沼地や
草原も かまわず、いっしょうけんめい、まっしぐらに はしって いきました。おおかみが ほえ、わたりがらすが こえを たてました。ひゅッ、ひゅッ、
空で、なにか
音が しました。それは まるで
花火が あがったように。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(37 / 49)
「
あれが わたしの なつかしい 北極光です。」と、
となかいが いいました。「
ごらんなさい。なんてよく、かがやいて いるでしょう。」
それから
となかいは、ひるも
夜も、
前よりも もっとはやく はしって
行きました。
パンのかたまりも なくなりました。ハムも たべつくしました。
となかいと
ゲルダとは、ラップランドにつきました。
第六のお
話
ラップランドの女とフィンランドの女

ちいさな、そまつな こやの
前で、
となかい は とまりました。そのこやは たいそう みすぼらしくて、
屋根は
地面と すれすれのところまでも、おおいかぶさって いました。そして、
戸口が たいそう ひくく ついている ものですから、うちの
人が
出たり、はいったり するときには、はらばいになって、そこを くぐらなければ なりませんでした。その
家には、たったひとり
年とった
ラップランドの女がいて、
鯨油ランプのそばで、おさかなを やいていました。
となかいは その
おばあさんに、
ゲルダのことを すっかり
話して きかせました。でも、その
前に じぶんのことを まず
話しました。
となかいは、じぶんの
話のほうが、
ゲルダの
話より たいせつだと おもったからでした。
ゲルダは さむさに、ひどく やられていて、
口をきくことが できませんでした。
「
やれやれ、それは かわいそうに。」と、
ラップランドの女は いいました。「
おまえたちは まだまだ、ずいぶん とおく はしって行かなければ ならないよ。百マイル以上も北の *フィンマルケンの おくふかく はいらなければ ならないのだよ。雪の女王は そこにいて、まい晩、青い光を出す花火を もやしているのさ。わたしは 紙を もっていないから、干鱈のうえに、てがみを かいて あげよう。これをフィンランドの女のところへ もっておいで。その女のほうが、わたしよりも くわしく、なんでも教えて くれるだろうからね。」
*ノルウェーの北端、最低地方。
さて
ゲルダのからだも あたたまり、たべものや のみもので げんきを つけて もらったとき、
ラップランドの女は、
干鱈に、ふたこと みこと、もんくを かきつけて、それを たいせつに もっていくように、といって だしました。
ゲルダは、また
となかいに いわえつけられて【
固定されて】でかけました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(38 / 49)
ひゅッひゅッ、
空の
上で また いいました。ひと
晩中、この
上もなく うつくしい
青色をした、
極光が もえていました。――さて、こうして、
となかいと
ゲルダとは、フィンマルケンに つきました。そして、
フィンランドの女の
家の えんとつを、こつこつ たたきました。だってその
家には、
戸口も ついて いませんでした。
さて、
となかいは、まず じぶんのことを
話して、それから
ゲルダのことを
話しました。すると
フィンランドの女は、その りこうそうな
目を しばたたいた だけで、なにも いいませんでした。
「
あなたは、たいそう、かしこくて いらっしゃいますね。」と、
となかいは、いいました。「
わたしは あなたが、いっぽんの より糸で、世界中の風を つなぐことが おできになると、きいて おります。もしも舟のりが、その いちばん はじめの むすびめを ほどくなら、つごうのいい 追風が ふきます。二ばんめの むすびめ だったら、つよい風が ふきます。三ばんめと 四ばんめを ほどくなら、森ごと ふきたおすほどの あらしが ふきすさみます。どうか、このむすめさんに、十二人りきが ついて、しゅびよく 雪の女王に かてますよう、のみものを ひとつ、つくって やって いただけませんか。」
「
十二人りきかい。さぞ 役にたつ だろうよ。」と、フィンランドの
女は くりかえして いいました。
それから
女の人は、たなの ところへ いって、
大きな
毛皮の まいたものを もってきて ひろげました。それには、ふしぎな もんじ【もじ】が かいて ありましたが、
フィンランドの女は、ひたいから、あせが たれるまで、それを よみかえしました。
でも、
となかいは、かわいい
ゲルダのために、また いっしょうけんめい、その
女の人に たのみました。
ゲルダも
目に
涙を いっぱいためて、おがむように、
フィンランドの女を
見あげました。
女は また
目を しばたたき はじめました。そして、
となかいを すみのほうへ つれていって、その あたまに あたらしい
氷を のせて やりながら、こう つぶやきました。
「
カイって子は、ほんとうに 雪の女王のお城に いるのだよ。 [
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(39 / 49)
そして、そこにあるものは なんでも 気にいってしまって、世界に こんないいところはないと おもっているんだよ。けれど それというのも、あれの 目の なかには、鏡の かけらが はいっているし、しんぞうの なかにだって、ちいさな かけらが はいって いるからなのだよ。だから そんなものを、カイから とりだして しまわないうちは、あれは けっして まにんげんに なることは できないし、いつまでも 雪の女王の いうなりに なっている ことだろうよ。」
「
では、どんなものにも、うちかつことのできる力に なるようなものを、ゲルダちゃんに くださるわけには いかないでしょうか。」
「
このむすめに、うまれついて もっている力よりも、大きな力を さずけることは、わたしには できない ことなのだよ。まあ、それは おまえさんにも、あのむすめが いまもっている力が、どんなに 大きな力だか わかるだろう。ごらん、どんなにして、いろいろと 人間やどうぶつが、あのむすめ ひとりのために してやっているか、どんなにして、はだしの くせに、あのむすめが よくも こんな とおくまで やってこられたか。それだもの、あのむすめは、わたしたちから、力を えようとしても だめなのだよ。それは あのむすめの 心の なかに あるのだよ。それが かわいい むじゃきな こどもだという ところに あるのだよ。もし、あのむすめが、自分で 雪の女王のところへ、でかけていって、カイから ガラスのかけらを とりだすことが できないようなら、まして、わたしたちの力に およばないことさ。もう ここから 二マイルばかりで、雪の女王の お庭の入口になるから、おまえは そこまで、あの女の子を はこんでいって、雪の中で、赤い実をつけて しげっている、大きな 木やぶのところに、おろして くるがいい。それで、もう よけいな口を きかないで、さっさと かえっておいで。」
こういって、
フィンランドの女は、
ゲルダを、
となかいの せなかに のせました。そこで、
となかいは、ぜんそくりょくで、はしりだしました。
「
ああ、あたしは、長ぐつを おいてきたわ。手ぶくろも おいてきてしまった。」と、
ゲルダはさけびました。
とたんに、
ゲルダは
身をきるような さむさを かんじました。でも、
となかいは けっして とまろうとは しませんでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(40 / 49)
それは
赤い
実のなった
木やぶのところへ くるまで、いっさんばしり【わき
目も
振らず
夢中になって
走る】に、はしりつづけました。そして、そこで
ゲルダを おろして、くちのところに せっぷんしました。
大つぶの
涙が、
となかいの
頬を
流れました。それから、
となかいは また、いっさんばしりに、はしって いって しまいました。かわいそうに、
ゲルダは、くつも はかず、
手ぶくろも はめずに、
氷にとじられた、さびしい フィンマルケンの まっただなかに、ひとり とりのこされて
立っていました。
ゲルダは、いっしょうけんめい かけだしました。すると、
雪の
大軍が、むこうから おしよせて きました。
けれど、その
雪は、
空から ふってくるのでは ありません。
空は
極光に てらされて、きらきら かがやいて いました。
雪は
地面の
上を まっすぐに
走ってきて、ちかくに くればくるほど、
形が
大きく なりました。
ゲルダは、いつか
虫めがねで のぞいたとき、
雪の ひとひらが どんなにか
大きく みえたことを、まだ おぼえて いました。けれども、ここの
雪は ほんとうに、ずっと
大きく、ずっと おそろしく みえました。この
雪は
生きて いました。それは
雪の
女王の
前哨【
警戒のために
前方に
配置する
部隊】でした。そして、ずいぶん へんてこな
形を していました。
大きくて みにくい、やまあらし の ようなものもいれば、かまくびを もたげて、とぐろを まいている へびのような かっこうのもあり、
毛の さかさに はえた、ふとった
小ぐまに にたものも ありました。それは みんな まぶしいように、ぎらぎら
白く ひかりました。これこそ
生きた
雪の
大軍 でした。
そこで
ゲルダは、いつもの
主の
祈の 「
われらの父」を となえました。さむさは とてもひどくて、
ゲルダは じぶんの つく いきを
見ることが できました。それは、
口から けむりのように たちのぼりました。そのいきは だんだん こくなって、やがて ちいさい、きゃしゃな
天使に なりました。それが
地びた【
地べた】に つくと いっしょに【
同時に】、どんどん
大きく なりました。
天使たちは みな、かしら【
頭】には かぶとを いただき、
手には
楯と やりを もっていました。
天使の
数は だんだん ふえる ばかりでした。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(41 / 49)
そして、
ゲルダが
主の おいのりを おわった ときには、りっぱな
天使軍の
一たいが、
ゲルダのぐるりを とりまいて いました。
天使たちは やりを ふるって、おそろしい
雪の へいたいを うちたおすと、みんな ちりぢりに なって しまいました。そこで
ゲルダは、ゆうき を だして、げんきよく
進んで
行くことが できました。
天使たちは、
ゲルダの
手と
足とを さすりました。すると
ゲルダは、
前ほど さむさを
感じなくなって、
雪の
女王のお
城を めがけて いそぎました。
ところで、
カイは、あののち、どうして いたでしょう。それからまず お
話を すすめましょう。
カイは、まるで
ゲルダのことなど、おもっては いませんでした。だから、
ゲルダが、
雪の
女王の ごてんまで きているなんて、どうして、ゆめにも おもわない ことでした。
第七のお
話
雪の
女王のお
城でのできごとと そののちのお
話
雪の
女王のお
城は、はげしく ふきたまる
雪が、そのまま かべになり、
窓や
戸口は、
身をきるような
風で、できていました。そこには、
百いじょうの
広間が、じゅんに ならんで いました。それは みんな
雪の ふきたまった ものでした。いちばん
大きな
広間は なんマイルにも わたっていました。つよい
極光が この
広間をも てらしていて、それは ただもう、ばか
大きく、がらんと していて、いかにも
氷のように つめたく、ぎらぎらして
見えました。たのしみと いうものの、まるでない ところでした。あらしが
音楽を かなでて、
ほっきょくぐまが あと
足で
立ちあがって、
気どっておどる ダンスの
会も みられません。わかい
白ぎつねの
貴婦人のあいだに、ささやかなお
茶の
会が ひらかれることも ありません。
雪の
女王の
広間は、ただ もう がらんとして、だだっぴろく、そして さむい ばかりでした。
極光のもえるのは、まことに きそく
正しいので、いつが いちばん
高いか、いつが いちばん ひくいか、はっきり
見ることが できました。この はてしなく
大きな がらんとした
雪の
広間のまん
中に、なん
千万という
数の かけらに われて こおった、みずうみが ありました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(42 / 49)
われたかけらは、ひとつ ひとつ おなじ
形をして、これがあつまって、りっぱな
美術品に なっていました。この みずうみの まん
中に、お
城にいるとき、
雪の
女王は すわっていました。そして じぶんは
理性の
鏡のなかに すわっているのだ、この
鏡ほどのものは、
世界中さがしてもない、といっていました。
カイは ここにいて、さむさのため、まっ
青に、というよりは、うす
黒く なっていました。それでいて、
カイは さむさを
感じませんでした。というよりは、
雪の
女王が せっぷんして、
カイのからだから、さむさを すいとって しまったからです。そして
カイのしんぞうは、
氷のように なっていました。
カイは、たいらな、いく
枚かの うすい
氷の
板を、あっちこっちから はこんできて、いろいろに それを くみあわせて、なにか つくろうと していました。まるで わたしたちが、むずかしい
漢字を くみ
合わせる ようでした。
カイも、この
上なく
手のこんだ、みごとな
形を つくりあげました。それは
氷の ちえあそびでした。
カイの
目には、これらのものの
形は このうえなく りっぱな、この
世の
中で
一ばんたいせつな もののように みえました。それは
カイの
目にささった
鏡の かけらの せいでした。
カイは、
形で ひとつの ことばを かきあらわそうと おもって、のこらずの
氷の
板を ならべてみましたが、
自分が あらわしたいと おもうことば、すなわち、「
永遠」という ことばを、どうしても つくりだすことは できませんでした。でも、
女王は いっていました。
「
もし おまえに、その形を つくることが わかれば、からだも 自由になるよ。そうしたら、わたしは 世界ぜんたいと、あたらしいそりぐつを、いっそく あげよう。」
けれども、
カイには、それが できませんでした。
「
これから、わたしは、あたたかい国を、ざっと ひとまわり してこよう。」と、
雪の
女王は いいました。「
ついでに そこの黒なべを のぞいてくる。」
黒なべ と いうのは、*エトナとかヴェスヴィオとか、いろんな
名の、
火をはく
山のことでした。「
わたしは すこしばかり、それを白く してやろう。ぶどうやレモンを おいしくするために いいそうだから。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(43 / 49)
*エトナはイタリア半島の南シシリー島の火山。ヴェスヴィオはおなじくナポリ市の東方にある火山。
こういって、
雪の
女王は、とんでいって しまいました。そして
カイは、たったひとりぼっちで、なんマイルという ひろさのある、
氷の
大広間のなかで、
氷の
板を
見つめて、じっと
考えこんで いました。もう、こちこちになって、おなかの なかの
氷が、みしりみしり いうかと おもうほど、じっと うごかずに いました。それを みたら、たれも【だれも】、
カイは こおりついたなり【こおりついたまま】、
死んでしまったのだと おもったかも しれません。
ちょうど そのとき、
ゲルダは
大きな
門を
通って、その
大広間に はいって きました。そこには、
身をきるような
風が、ふきすさんで いましたが、
ゲルダが、ゆうべの おいのりを あげると、ねむったように、しずかになって しまいました。そして、
ゲルダは、いくつも、いくつも、さむい、がらんとした ひろまを ぬけて、――とうとう、
カイを みつけました。
ゲルダは、
カイを おぼえていました。で、いきなり
カイの くびすじに とびついて、しっかり だきしめながら、
「
カイ、すきなカイ。ああ、あたし とうとう、みつけたわ。」と、さけびました。
けれども、
カイは
身ゆるぎもしず【
微動だにせず】に、じっと しゃちほこばったなり【
動かないまま】、つめたくなって いました。そこで、
ゲルダは、あつい
涙を
流して
泣きました。それは
カイの むねの
上に おちて、しんぞうの なかにまで、しみこんで
行きました。そこに たまった
氷を とかして、しんぞうの
中の、
鏡のかけらを なくなして【なくして】 しまいました。
カイは、
ゲルダを みました。
ゲルダは うたいました。
ばらのはな さきてはちりぬ
おさな子エス やがてあおがん
すると、
カイは わっと
泣きだしました。
カイが、あまりひどく
泣いたものですから、ガラスの とげが、
目から ぽろり と ぬけて でてしまいました。すぐと
カイは、
ゲルダが わかりました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(44 / 49)
そして、
大よろこびで、こえを あげました。
「
やあ、ゲルダちゃん、すきなゲルダちゃん。――いままで どこへ いってたの、そしてまた、ぼくは どこに いたんだろう。」こういって、
カイは、そこらを みまわしました。「
ここは、ずいぶん さむいんだなあ。なんて大きくて、がらんと しているんだろうなあ。」
こういって、
カイは、
ゲルダに、ひしと とりつきました。
ゲルダは、うれしまぎれに、
泣いたり、わらったり しました。それが あまり たのしそうなので、
氷の
板きれまでが、はしゃいで おどりだしました。そして、おどりつかれて たおれて しまいました。その たおれた
形が、ひとりでに、ことばを つづっていました。それは、もし
カイに、そのことばが つづれたら、
カイは
自由になれるし、そして あたらしい そりぐつと、のこらずの
世界【この
世のすべて】をやろうと、
雪の
女王がいった、その ことばでした。
ゲルダは、
カイのほおに せっぷん しました。みるみるそれは ぽおっと
赤く なりました。それから
カイの
目にも せっぷん しました。すると、それは
ゲルダの
目のように、かがやきだしました。
カイの
手だの
足だのにも せっぷん しました。これで、しっかりして げんきに なりました。もう こうなれば、
雪の
女王が かえってきても、かまいません。だって、
女王が、それができれば ゆるしてやる と いったことばが、ぴかぴか ひかる
氷のもんじ【
文字】で、はっきりと そこに かかれて いたからです。
さて、そこで ふたりは
手を とりあって、その
大きなお
城から そとへ でました。そして、うちの
おばあさんの
話だの、
屋根の
上の ばらのことなどを、
語りあいました。ふたりが
行く さきざきには、
風もふかず、お
日さまの
光が かがやき だしました。そして、
赤い
実のなった、あの
木やぶのあるところに きたとき、そこにもう、
となかいが いて、ふたりを まっていました。その
となかいは、もう
一ぴきの わかい
となかいを つれていました。そして、この わかいほうは、ふくれた
乳ぶさから ふたりの こどもたちに、あたたかい おちちを
出して のませて くれて、その くちの
上に せっぷん しました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(45 / 49)
それから
二ひきの
となかいは、
カイと
ゲルダを のせて、まず
フィンランドの女のところへ
行きました。そこで ふたりは、あの あついへやで、じゅうぶん からだを あたためて、うちへ かえる
道を おしえて もらいました。それから こんどは、
ラップランドの女のところへ いきました。その
女は、ふたりに あたらしい
着物を つくってくれたり、そりを そろえてくれたり しました。
となかいと、もう
一ぴきの
となかいとは、それなり【そのまま】、ふたりのそりに ついて はしって、
国境まで おくってきて くれました。そこでは、はじめて
草の
緑が もえだして いました。
カイと
ゲルダとは、ここで、
二ひきの
となかいと、
ラップランドの女とに わかれました。
「
さようなら。」と、みんなは いいました。そして、はじめて、
小鳥が さえずり だしました。
森には、
緑の
草の
芽が、いっぱいに ふいていました。
その
森の
中から、うつくしい
馬にのった、わかい
むすめが、
赤い ぴかぴかする ぼうしを かぶり、くらに ピストルを
二ちょうさして、こちらに やってきました。
ゲルダは その
馬を しっていました。(それは、
ゲルダの
金の
馬車を ひっぱった
馬であったからです。)そして、この
むすめは、れいの おいはぎの
こむすめ でした。この
女の子は、もう、うちに いるのが いやになって、
北の
国のほうへ いってみたいと おもっていました。そして もし、
北の
国が
気にいらなかったら、どこかほかの
国へ いってみたいと おもっていました。この
むすめは、すぐに
ゲルダに
気がつきました。
ゲルダもまた、この
むすめを みつけました。そして、もういちど あえたことを、
心から よろこびました。
「
おまえさん、ぶらつきやの ほうでは、たいした おやぶんさんだよ。」と、その
むすめは、
カイに いいました。「
おまえさんのために、世界の はてまでも さがしに いってやるだけの ねうちが、いったい、あったのかしら。」
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(46 / 49)
けれども、
ゲルダは、その
むすめの ほおを、かるく さすりながら、王子と王女とは、あののち どうなったか と ききました。
「
あの人たちは、外国へ いって しまったのさ。」と、おいはぎの
こむすめが こたえました。
「
それで、からすは どうして。」と、
ゲルダは たずねました。
「
ああ、からすは 死んでしまったよ。」と、
むすめが いいました。「
それでさ、おかみさんがらすも、やもめになって、黒い毛糸の喪章を 足につけてね、ないて ばかりいるって いうけれど、うわさ だけだろう。さあ、こんどは、あれから どんな旅をしたか、どうしてカイちゃんを つかまえたか、話しておくれ。」
そこで、
カイと
ゲルダとは、かわりあって、のこらずの
話をしました。
「
そこで、よろしく、ちんがらもんがらか【ごちゃごちゃした感じ】、でも、まあ うまくいって、よかったわ。」と、
むすめは いいました。

そして、ふたりの
手をとって、もし ふたりの すんでいる
町を
通ることが あったら、きっと たずねようと、やくそく しました。それから、
むすめは
馬をとばして、ひろい
世界へ でて
行きました。でも、
カイと
ゲルダとは、
手をとりあって、あるいて いきました。いくほど、そこらが
春めいてきて、
花がさいて、
青葉が しげりました。お
寺の
鐘が きこえて、おなじみの
高い
塔と、
大きな
町が
見えてきました。それこそ、ふたりが すんでいた
町でした。そこで ふたりは、
おばあさまの
家の
戸口へ いって、かいだんを あがって、へやへ はいりました。そこでは なにもかも、せんと【
前と】 かわって いませんでした。
柱どけいが 「
カッチンカッチン」いって、
針が まわっていました。けれど、その
戸口を はいるとき、じぶんたちが、いつか もう おとなに なっていることに
気がつきました。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(47 / 49)
おもての
屋根の といの
上では、ばらの
花がさいて、ひらいた
窓から、うちのなかを のぞきこんでいました。そして そこには、こどもの いすが おいて ありました。
カイと
ゲルダとは、めいめいの いすに こしをかけて、
手を にぎりあいました。ふたりは もう、あの
雪の
女王のお
城の さむい、がらんとした、そうごんな けしきを、ただ ぼんやりと、おもくるしい
夢のように おもっていました。
おばあさまは、
神さまの、うららかな お
日さまの
光を あびながら、「
なんじら、もし、おさなごのごとくならずば、天国にいることをえじ【子どものように純粋で素直な心を持たなければ、神の国(天国)には入れない】。」と、
高らかに
聖書の
一せつを よんでいました。
カイと
ゲルダとは、おたがいに、
目と
目を
見あわせました。そして、
ばらのはな さきてはちりぬ
おさな子エスやがてあおがん
【この世のはかなさ(バラの花)を経て、私は信仰(イエス)に導かれていく】
という さんび
歌の いみが、にわかに はっきりと わかってきました。
こうしてふたりは、からだこそ
大きくなっても、やはり こどもで、
心だけは こどものままで、そこに こしをかけて いました。
ちょうど
夏でした。あたたかい、みめぐみ あふれる
夏でした。
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(-)
底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
※見出しの字下げは底本通りとしました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年11月22日作成
2014年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(48 / 49)
----- (以下、
シン文庫 追記) -----
関係者の皆様、大変ありがとうございました。感謝致します。
[
:
しおり] アンデルセン-雪の女王(49 / 49)