一房の葡萄
有島武郎ありしま たけお1878年(明治11年) - 1923年(大正12年)



     一

 僕は小さい時に絵を描かくことが好きでした。僕の通かよっていた学校は 横浜よこはまの山やまの手てという所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行きかえりには いつでもホテルや西洋人の会社などが ならんでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青まっさおな海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣ほばしら【帆柱】から檣へ万国旗をかけわたしたのや があって、眼がいたいように綺麗きれいでした。僕はよく岸に立ってその景色けしきを見渡して、家いえに帰ると、覚えているだけを 出来るだけ美しく絵に描かいて見ようとしました。けれどもあの透きとおるような海の藍色あいいろと、白い帆前船ほまえせん【洋式帆船】などの水際みずぎわ近くに塗ってある洋紅色ようこうしょくとは、僕の持っている絵具えのぐでは どうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても 本当の景色で見るような 色には描けませんでした。
 ふと僕は学校の友達の持っている 西洋絵具を思い出しました。その友達は矢張やはり西洋人で、しかも僕より二つ位齢としが上でしたから、身長せいは見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は 舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種いろの絵具が 小さな墨のように 四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍あいと洋紅とは喫驚びっくりするほど美しいものでした。ジムは僕より身長せいが高いくせに、絵はずっと下手へたでした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえが なんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨うらやましいと思っていました。あんな絵具さえあれば 僕だって海の景色を 本当に海に見えるように描かいて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具が ほしくって ほしくって たまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病おくびょうになって パパにもママにも 買って下さいと願う気になれないので、毎日々々 その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで 幾日か日がたちました。
 今では いつの頃ころだったか覚えてはいませんが 秋だったのでしょう。葡萄ぶどうの実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように 空の奥の奥まで見すかされそうに霽はれわたった日でした。
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僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも 僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とは うらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰たれかが気がついて見たら、顔も屹度きっと青かったかも知れません。僕はジムの絵具が ほしくって ほしくって たまらなくなって しまったのです。胸が痛むほど ほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを 知っているに ちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに座すわっている生徒と話はなしをしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて 笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように 見えれば見えるほど、僕は その絵具がほしくて ならなくなるのです。


     二

 僕はかわいい顔はしていたかも知れないが 体からだも心も弱い子でした。その上臆病者おくびょうもので、言いたいことも言わずに すますような質たちでした。だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。昼御飯がすむと 他ほかの子供達は活発かっぱつに運動場うんどうばに出て 走りまわって遊びはじめましたが、僕だけはなおさらその日は変に心が沈んで、一人だけ教場きょうじょうに入っていました。そとが明るいだけに 教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした。自分の席に座すわっていながら僕の眼は時々 ジムの卓テーブルの方に走りました。


ナイフで色々な いたずら書きが彫りつけてあって、手垢てあかで真黒まっくろになっているあの蓋ふたを揚あげると、その中に本や雑記帳や石板せきばんと一緒になって、飴あめのような木の色の絵具箱があるんだ。そしてその箱の中には 小さい墨のような形をした藍あいや洋紅の絵具が……僕は顔が赤くなったような気がして、思わずそっぽを向いてしまうのです。けれどもすぐ又また横眼でジムの卓テーブルの方を見ないでは いられませんでした。胸のところが どきどきとして苦しい程ほどでした。じっと座っていながら 夢で鬼にでも追いかけられた時のように 気ばかり せかせかしていました。
 教場に入る鐘が かんかんと鳴りました。僕は思わず ぎょっとして立上りました。
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生徒達が大きな声で笑ったり呶鳴どなったりしながら、洗面所の方に 手を洗いに出かけて行くのが 窓から見えました。僕は急に 頭の中が氷のように冷たくなるのを 気味悪く思いながら、ふらふらとジムの卓テーブルの所に行って、半分夢のようにそこの蓋を揚げて見ました。そこには僕が考えていたとおり 雑記帳や鉛筆箱とまじって 見覚えのある絵具箱がしまってありました。なんのためだか知らないが 僕はあっちこちを見回みまわしてから、誰も見ていないなと思うと、手早くその箱の蓋を開けて 藍あいと洋紅との二色ふたいろを取上げるが早いか ポッケットの中に押込みました。そして急いで いつも整列して先生を待っている所に走って行きました。
 僕達は若い女の先生に連れられて 教場に入り 銘々の席に座りました。僕はジムがどんな顔をしているか見たくって たまらなかったけれども、どうしても そっちの方をふり向くことが できませんでした。でも僕のしたことを誰も気のついた様子がないので、気味が悪いような、安心したような心持ちでいました。僕の大好きな 若い女の先生の仰おっしゃることなんかは耳に入りは入っても なんのことだか ちっともわかりませんでした。先生も時々不思議そうに僕の方を見ているようでした。
 僕は然しかし先生の眼を見るのがその日に限ってなんだか いやでした。そんな風で一時間がたちました。なんだかみんな耳こすりでも しているようだと思いながら一時間がたちました。
 教場を出る鐘が鳴ったので 僕はほっと安心して溜息ためいきをつきました。けれども先生が行ってしまうと、僕は僕の級きゅうで一番大きな、そしてよく出来る生徒に「ちょっとこっちにお出いで」と肱ひじの所を掴つかまれていました。僕の胸は 宿題をなまけたのに先生に名を指さされた時のように、思わずどきんと震えはじめました。けれども僕は出来るだけ知らない振りをして いなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場うんどうばの隅すみに連れて行かれました。
「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給たまえ。」
 そういってその生徒は僕の前に 大きく拡ひろげた手をつき出しました。そういわれると僕はかえって心が落着いて、
「そんなもの、僕持ってやしない。」と、つい でたらめをいってしまいました。
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そうすると三四人の友達と一緒に 僕の側そばに来ていたジムが、
「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失なくなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」と少し言葉を震わしながら言いかえしました。
 僕はもう駄目だめだと思うと 急に頭の中に血が流れこんで来て 顔が真赤まっかになったようでした。すると誰だったか そこに立っていた一人が いきなり僕のポッケットに 手をさし込もうとしました。僕は一生懸命に そうはさせまいと しましたけれども、多勢たぜいに無勢ぶぜいで迚とても叶かないません。僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球だま(今のビー球だまのことです)や鉛のメンコなどと一緒に 二つの絵具のかたまりが 掴み出されてしまいました。「それ見ろ」といわんばかりの顔をして 子供達は憎らしそうに僕の顔を睨にらみつけました。僕の体からだはひとりでに ぶるぶる震えて、眼の前が真暗まっくらになるようでした。いいお天気なのに、みんな休時間を面白そうに遊び回っているのに、僕だけは本当に心から しおれてしまいました。あんなことを なぜしてしまったんだろう。取りかえしのつかないことに なってしまった。もう僕は駄目だ。そんなに思うと弱虫だった僕は淋さびしく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。
「泣いておどかしたって駄目だよ。」とよく出来る大きな子が 馬鹿にするような 憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって 二階に引張って行こうとしました。僕は出来るだけ行くまいとしたけれども とうとう力まかせに引きずられて 階子段はしごだんを登らせられてしまいました。そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋へやがあるのです。
 やがてその部屋の戸をジムがノックしました。ノックするとは 入ってもいいかと 戸をたたくことなのです。中からはやさしく「お入り」という先生の声が聞えました。僕はその部屋に入る時ほど いやだと思ったことは またとありません。
 何か書きものをしていた先生は どやどやと入って来た僕達を見ると、少し驚いたようでした。
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が、女の癖に 男のように頸くびの所でぶつりと切った髪の毛を 右の手で撫なであげながら、いつものとおりのやさしい顔をこちらに向けて、一寸ちょっと首をかしげただけで 何の御用 という風をしなさいました。そうするとよく出来る大きな子が前に出て、僕がジムの絵具を取ったことを 委くわしく先生に言いつけました。先生は少し曇った顔付きをして真面目まじめにみんなの顔や、半分泣きかかっている僕の顔を見くらべて いなさいましたが、僕に「それは本当ですか。」と聞かれました。本当なんだけれども、僕がそんないやな奴やつだということを どうしても僕の好きな先生に 知られるのが つらかったのです。だから僕は答える代りに本当に泣き出してしまいました。
 先生は暫しばらく僕を見つめていましたが、やがて生徒達に向って静かに「もういってもようございます。」といって、みんなをかえして しまわれました。生徒達は少し物足らなそうに どやどやと下に降りていってしまいました。
 先生は少しの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立って来て、僕の肩かたの所を抱きすくめるようにして「絵具はもう返しましたか。」と小さな声で仰おっしゃいました。僕は返したことを しっかり先生に知ってもらいたいので 深々と頷うなずいて見せました。
「あなたは自分のしたことを いやなことだったと思っていますか。」
 もう一度そう先生が静かに仰った時には、僕はもう たまりませんでした。ぶるぶると震えてしかたがない唇くちびるを、噛かみしめても噛みしめても泣声が出て、眼からは涙がむやみに流れて来るのです。もう先生に抱かれたまま 死んでしまいたいような 心持ちになってしまいました。
「あなたはもう泣くんじゃない。よく解わかったらそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次ぎの時間には教場に出ないでもよろしいから、私わたくしのこのお部屋に入らっしゃい。静かにしてここに入らっしゃい。私が教場から帰るまでここに入らっしゃいよ。いい。」と仰りながら僕を長椅子ながいすに座すわらせて、その時また勉強の鐘がなったので、机の上の書物を取り上げて、僕の方を見ていられましたが、二階の窓まで高く這はい上あがった葡萄蔓ぶどうづるから、一房ひとふさの西洋葡萄をもぎって、しくしくと泣きつづけていた僕の膝ひざの上に それをおいて 静かに部屋を出て行きなさいました。
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     三

 一時いちじがやがやと やかましかった生徒達は みんな教場きょうじょうに入って、急にしんとするほどあたりが静かになりました。僕は淋さびしくって淋しくって しようがない程ほど悲しくなりました。あの位好きな先生を苦しめたかと思うと 僕は本当に悪いことをしてしまったと思いました。葡萄ぶどうなどは迚とても喰たべる気に なれないで いつまでも泣いていました。
 ふと僕は肩を軽くゆすぶられて眼をさましました。僕は先生の部屋へやでいつの間にか 泣寝入りをしていたと見えます。少し痩やせて身長せいの高い先生は 笑顔えがおを見せて僕を見おろしていられました。僕は眠ったために 気分がよくなって 今まであったことは忘れてしまって、少し恥しそうに笑いかえしながら、慌あわてて膝の上から辷すべり落ちそうになっていた 葡萄の房をつまみ上げましたが、すぐ悲しいことを思い出して 笑いも何も引込んでしまいました。
「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたはお帰りなさい。そして明日あすはどんなことがあっても 学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私わたくしは悲しく思いますよ。屹度きっとですよ。」
 そういって先生は僕のカバンの中に そっと葡萄の房を入れて下さいました。僕はいつものように海岸通りを、海を眺ながめたり船を眺めたりしながら つまらなく家いえに帰りました。そして葡萄をおいしく食べてしまいました。
 けれども次の日が来ると 僕は中々学校に行く気には なれませんでした。お腹なかが痛くなればいいと思ったり、頭痛がすればいいと思ったりしたけれども、その日に限って虫歯一本痛みもしないのです。仕方なしに いやいやながら家いえは出ましたが、ぶらぶらと考えながら歩きました。どうしても学校の門を入ることは 出来ないように思われたのです。けれども先生の別れの時の言葉を思い出すと、僕は先生の顔だけは なんといっても見たくて しかたがありませんでした。僕が行かなかったら先生は屹度きっと 悲しく思われるに違いない。もう一度先生のやさしい眼で見られたい。ただその一事ひとことがあるばかりで 僕は学校の門をくぐりました。
 そうしたらどうでしょう、先まず第一に待ち切っていたようにジムが飛んで来て、僕の手を握ってくれました。
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そして昨日きのうのことなんか忘れてしまったように、親切に僕の手をひいて どぎまぎしている僕を先生の部屋に連れて行くのです。僕はなんだか訳がわかりませんでした。学校に行ったらみんなが遠くの方から僕を見て「見ろ泥棒の譃うそつきの日本人が来た」とでも悪口をいうだろうと思っていたのに こんな風にされると気味が悪い程ほどでした。
 二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックしない前に、戸を開けて下さいました。二人は部屋の中に入りました。
「ジム、あなたはいい子、よく私わたくしの言ったことが わかってくれましたね。ジムはもうあなたから あやまって貰もらわなくってもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手じょうずに握手をなさい。」と先生は にこにこしながら僕達を向い合せました。僕はでもあんまり勝手過ぎるようで もじもじしていますと、ジムは いそいそとぶら下げている僕の手を引張り出して 堅く握ってくれました。僕は もうなんといって この嬉うれしさを表せばいいのか分らないで、唯ただ恥しく笑う外ほかありませんでした。ジムも気持よさそうに、笑顔をしていました。先生は にこにこしながら僕に、
「昨日きのうの葡萄ぶどうはおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真赤まっかにして「ええ」と白状するより仕方がありませんでした。
「そんなら又あげましょうね。」 そういって、先生は真白まっしろなリンネル【亜麻あま科の繊維】の着物につつまれた体からだを窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白まっしろい左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏はさみで真中まんなかからぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手ての平ひらに 紫色の葡萄の粒が重って乗っていた その美しさを僕は今でも はっきりと思い出すことが出来ます。
 僕はその時から前より少しいい子になり、少し はにかみ屋でなくなったようです。
 それにしても僕の大好きな あのいい先生は どこに行かれたでしょう。もう二度とは遇あえないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になると いつでも葡萄の房は 紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような 白い美しい手はどこにも見つかりません。




底本:「赤い鳥傑作集」
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新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年6月25日発行
   1974(昭和49)年9月10日29刷改版
   1984(昭和59)年10月10日44刷
初出:「赤い鳥 第五巻第二号」
   1920(大正9)年8月
※表題は底本では、「一房(ひとふさ)の葡萄(ぶどう)」となっています。
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2018年10月15日修正
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