黄村先生言行録
太宰治




(はじめに、黄村先生山椒魚さんしょううおって大損をした話をお知らせしましょう。逸事の多い人ですから、これからも時々、こうして御紹介したいと思います。三つ、四つと紹介をしているうちに、読者にも、黄村先生の人格の全貌ぜんぼうが自然とおわかりになるだろうと思われますから、先生に就いての抽象的な解説は、いまは避けたいと思います。)
 黄村先生が、山椒魚なんて変なものに凝りはじめた事に就いては、にも多少の責りとせざるを得ない。早春のる日、黄村先生は れいのハンチング(ばかに派手な格子縞こうしじまのハンチングであるが、先生には少しも似合わない。は見かねて、およしになったらどうですか、と失礼をもかえりみず言った事があるが、その時先生は、も前からそう思っている、と重く首肯せられたが、いまだにおよしにならない)そのハンチングを、若者らしくあみだにかぶっての家へ遊びに来て、それから、家のすぐ近くのかしら公園に一緒に出かけて、はこんな時、いつも残念に思うのだが、先生は少しも風流ではないのである。は、よほど以前からその事を看破【みやぶる】していたのであるが、
先生、梅。」は、花を指差す。
「ああ、梅。」ろくに見もせず、相槌あいづちを打つ。
「やっぱり梅は、紅梅よりもこんな白梅のほうがいいようですね。」
「いいものだ。」すたすた行き過ぎようとなさる。は追いかけて、
先生、花はおきらいですか。」
「たいへん好きだ。」
 けれども、は看破している。先生には、みじんも風流心が無いのである。公園を散歩しても、ただすたすた歩いて、梅にも柳にも振向かず、そうして時々、「美人だね。」などと、けしからぬ事をささやく。すれちがう女にだけは、ばかに目が早いのである。は、にがにがしくてたまらない。
「美人じゃありませんよ。」
「そうかね、二八にはち【にはち=16歳】と見えたが。」
 あきれるばかりである。
「疲れたね、休もうか。」
「そうですね。向うの茶店は、見はらしがよくて いいだろうと思うんですけど。」
「同じ事だよ。近いほうがいい。」
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 一ばん近くの汚い茶店に のこのこはいって行って、腰をおろす。
「何か、たべたいね。」
「そうですね。甘酒かおしるこか。」
「何か、たべたいね。」
「さあ、ほかに何も、おいしいものなんて、ないでしょう?」
「親子どんぶりのようなものが、ないだろうか。」老人の癖に大食なのである。
 は赤面するばかりである。先生は、親子どんぶり。は、おしるこ。たべ終って、
「どんぶりも大きいし、ごはんの量も多いね。」
「でも、まずかったでしょう?」
「まずいね。」
 また立ち上って、すたすた歩く。先生には、少しも落ちつきがない。中の島の水族館【2016年閉館】にはいる。
先生、見事な緋鯉ひごいでしょう?」
「見事だね。」すぐ次にうつる。
先生、これあゆ。やっぱり姿がいいですね。」
「ああ、泳いでるね。」次にうつる。少しも見ていない。
「こんどはうなぎです。面白いですね。みんな砂の上に寝そべっていやがる。先生、どこを見ているんですか?」
「うん、鰻。生きているね。」とんちんかんな事ばかり言って、どんどん先へ歩いて行く。
 突然、先生は けたたましい叫び声を上げた。
「やあ! 君、山椒魚だ!山椒魚。たしかに山椒魚だ。生きているじゃないか、君、おそるべきものだねえ。」前世の因縁とでも言うべきか、先生は、その水族館の山椒魚をひとめ見たとたんに、のぼせてしまったのである。
「はじめてだ。」先生うなるようにして言うのである。
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「はじめて見た。いや、前にも幾度か見たことがあるような気がするが、こんなに真近かに、あからさまに見たのは、はじめてだ。君、古代のにおいがするじゃないか。深山の巒気らんきが立ちのぼるようだ。ランキのランは、言うという字に糸を二つに山だ。深山の精気といってもいいだろう。おどろくべきものだ。ううむ。」やたらに唸るのである。は恥ずかしくてたまらない。
「山椒魚がお気にいったとは意外です。どこが、そんなにいいんでしょう。もっとも、僕たちの先輩で、山椒魚の小説をお書きになった方もあるには、ありますけど。」
「そうだろう。」先生は、しさいらしく【何か理由があるように】首肯しゅこうして【うなずいて】、「必ずやそれは、傑作でしょう。君たちには、まだまだ、この幽玄な、けもの、いや、魚類、いや、」ひどくあわてはじめた。顔をあからめ、ひげをこすり、「これは、なんといったものかな? 水族、つまり、おっとせいのたぐいだね、おっとせい、――」全然、だめになった。
 先生には、それがひどく残念だったらしい。動物学に於ける自分の造詣ぞうけい【知識や理解】の浅薄せんぱくさが、いかん無く暴露せられたという事が、いかにも心外でならなかったらしく、がそれから一つきほど経って阿佐ヶ谷の先生のお宅へ立寄ってみたら、先生すでに一ぱしの動物学者になりすましていた。何事に於いても負けたくない先生のことだから、あの水族館に於ける恥辱をすすごうとして、暮夜ぼやひそかに動物学の書物など、ひもどいてみた様子である。の顔を見るなり、
「なんだ、こないだの一物は、あれは両棲類りょうせいるい中の有尾類。」わかり切ったような事を、いかにも得意そうに言うのである。「わからんかな。それ、読んで字の如しじゃないか。しっぽがあるから、有尾類さ。あははは。」さすがに、てれくさくなったらしい。笑った。も笑った。
「しかし、」
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先生は、まじめになって、「あれは興味の深い動物、そうじゃ、まさしく珍動物とでも称すべきでありましょう。」いよいよ鹿爪しかつめらしく【もっともらしく】なった。は縁側に腰をかけ、しぶしぶ懐中から手帳を出した。このように先生が鹿爪らしい調子でものを言い出した時には、がすぐに手帳を出してそれを筆記しなければならぬ習慣になっていた。いちどが、よせばいいのに、先生のご機嫌をとろうと思って、先生の座談はとても面白い、ちょっと筆記させていただきます、と言って手帳を出したら、それが、いたく先生のお気に召して、それからは、ややもすれば、坐り直してゆっくりした口調でものを言いたがり、が手帳を出さないと、なんともいえない渋いまずい顔をなさって、そうしてチクリチクリと妙な皮肉めいた事を言いはじめるので、どうしてもは手帳を出さざるを得なくなるのである。はこの習慣については、実は内心大いに閉口しているのだが、しかし、これとても、のつまらぬおべっかの報いに違いないのだから、誰をも恨む事が出来ない。以下はその日の、座談筆記の全文である。括弧かっこの中は、速記者たる私のひそかな感懐【感想】である。

 さて、きょうは、何をお話いたしましょうかな。何も別にお話する程の珍らしい事もございませぬが、(こんなに気取らないと、いい先生なんだが)本当に、いつもいつも似たような話で、皆様も(誰もいやしない)うんざりしたでございましょうから、きょうは一つ、山椒魚という珍動物に就いて、浅学の一端を御披露ひろうしましょう。先日は、素直な書生にさそわれまして(いやな事を言う)井の頭公園の梅見としゃれたのでありますが、紅梅、白梅、ほつほつと咲きほころび(紅梅は咲いていなかった)つつましくえんきそい、まことに物静かな、仙境とはかくの如きかと、あなた、こなた、夢に夢みるような思いにてさまよい歩き、ほとんど俗世間に在るを忘却いたし(親子どんぶり【を食べたとき、あまりの美味に陶酔状態に入ったときと同じだと表現】、親子どんぶり)ふと眼前にあらわれたるは、幽玄なる太古の動物、深山の(言うという字に糸二つか)巒気らんきたゆとう尊いお姿、ごそりごそりとうごめいていました。いや、驚かなくともよろしい。これが、その、れいの山椒魚であったというわけなのであります。たちは、梅が香に酔いしれ、ふらふら歩いて、知らず識らずのうちに公園の水族館にはいっていたのであります。山椒魚。
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はその姿を見て直観いたしました。これだ! これこその長年さがし求めていたところの恋人だ。古代そのままのにおい。純粋の、やまと。(ちょっと、こじつけ)これは、全く日本のものだ。は、おもむろに、かの同行の書生に向い、この山椒魚の有難さを説いて聞かせようと思ったとたんに、かの書生は突如とつじょ狂人の如く笑い出しましたので、は実に不愉快になり、説明を中止して匆々そうそうに帰宅いたしたのでございます。きょうは皆様に、まずこの山椒魚の学理上の説明を少しお聞かせ致しましょう。日本の大きい山椒魚は、これは世界中でたいへん名高いものだそうでございまして、が最近、石川千代松博士の著書などで研究いたしましたところにれば、いまから二百年ばかり前に独逸ドイツの南の方で、これまで見た事も無い奇妙な形の化石が出まして、る そそっかしい学者が、これこそは人間の骨だ、人間は昔、こんな醜い姿をしてって歩いていたのだ、恥を知れ、などと言って学界の紳士たちをおどかしたので、その石は大変有名になりまして、貴婦人はこれを憎み、醜男ぶおとこ喝采かっさいし、宗教家は狼狽ろうばい【あわてふためく】し、牛太郎【遊郭の下働き】は肯定し、捨てて置かれぬ一大社会問題にさえなりかけて来ましたので、当時の学界の権威たちが打ち寄り研究の結果、安心せよ、これは人間の骨ではない、しかしなんだかわからない、亜米利加アメリカの谷川にむサンショウウオという小動物に形がよく似ているが、けれども、亜米利加にいるそのサンショウウオは、こんなに大きくはない、両者の間には、その大きさに於いて馬とうさぎくらいの相違がある。結局、なんだかわからないが、まあ、大サンショウウオとでもいうものであろう、と気のきいた ごまかしかた をして、いまはこの大サンショウウオなるものは死滅して世界中のどこにもいない、居らん! と大声で言って衆口を閉じさせ、ひとまず落ちつく事にいたしましたが、さてその後、シーボルトという人が日本にまいりまして、る偶然の機会にれいの一件が のそりのそり 歩いているのを見つけて腰を抜かした。何千年も前に、既に地球上から影を消したものとばかり思われていた古代の怪物が、生きて のそのそ 歩いている、ああ、ニッポンに大サンショウウオ生存す、と世界中の学界に打電いたしました。世界中の学者もこれには、めんくらった。
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うそだろう、シーボルトという奴は、もとから、ほら吹きであった、などと分別臭い顔をして打ち消す学者もございましたが、どうも、そのニッポンの大サンショウウオの骨格が、欧羅巴ヨーロッパで発見せられた化石とそっくりだという事が明白になってまいりましたので、知らぬ振りをしているわけにもゆかず、ここに日本の山椒魚が世界中の学者の重要な研究課目と相なりまして、いやしくも古代の動物に関心を持つほどの者は、ぜひとも一度ニッポンの大サンショウウオにお目にかからなければ話にならぬとまで言われるようになって、なんとも実に痛快無比、御同慶のいたりに堪えません【ご慶事、まことにおめでたく、心よりお祝い申し上げます】。思っても見よ(また気取りはじめた)太古の動物が太古そのままの姿で、いまもなお悠然とこの日本の谷川に棲息せいそくし繁殖し、また静かにものを思いつつある様は、これぞまさしく神ながら、万古不易【永遠に変わることがない】の豊葦原とよあしはら瑞穂国みずほのくに【豊かな自然と農耕の国・日本】、かの高志こし【越前・越中・越後】の八岐やまた遠呂智おろち【頭が八つ、尾も八つある恐ろしい怪物】、または稲羽いなばうさぎの皮をぎし和邇わに【兎の皮を剥がしてしまったワニ(和邇)】なるもの、すべてこの山椒魚ではなかったかと(脱線、脱線)思惟しいつかまつるのでありますが、反対の意見をお持ちの学者もあるかも知れません。別段、こだわるわけではありませんが、作州の津山【岡山県津山市】から九里ばかり山奥へはいったところに向湯原村【岡山県真庭市】というところがありまして、そこにハンザキ大明神という神様をまつっているやしろがあるそうです。ハンザキというのは山椒魚の方言のようなものでありまして、半分に引き裂かれても なお生きているほど 生活力が強いという意味があるのではなかろうかと思いますが、そのハンザキ大明神としてまつられてある山椒魚も、おそろしく強く荒々しいものであったそうで、さかんに人間をとって食べたという口碑こうひ【言い伝え】がありまして、それは作陽誌という書物にも出ているようでございます。あんまり人間をとって食べるので、る勇士がついにこれを退治して、あとのたたりの無いように早速、大明神として祀り込めてうまい具合におさめたという事が、その作陽誌【現在の岡山県北東部にあたる地域の地誌・風土記的文献】という書物に詳しく書かれているのでございます。いまは、ささやかなお宮ですが、その昔は非常に大きい神社だったそうで、なんだか、八岐やまた大蛇おろちの話に似ているようなところもあるではございませんか。決して、こだわるわけではありませぬが、作陽誌によりますると、そのハンザキの大きさが三丈じょう【約9m】もあったというのですが、それは学者たちにとっては疑わしい事かも知れませんが、どうもは人の話を疑う奴はまことにきらいで、三丈じょうと言ったら三丈じょうと信じたらいいではないか。(何も速記者に向って怒る必要はない)とにかく昔は、ほうぼうに山椒魚がいて、そうしてなかなか大きいのも居ったという事をは信じたいのでございます。
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いったいあの動物は、からだが扁平へんぺいで、そうして年を経ると共に、頭が異様に大きくなります。そうして口が大きくなって、いまの若い人たちなどがグロテスクとか何とかいって敬遠したがる種類の風貌ふうぼうを呈してまいりますので、昔の人がこれを、ただものでないとして畏怖いふ【恐れおののく】したろうという事も想像にかたくないのであります。実際また、いま日本の谷川に棲息している二尺か二尺五寸くらいの山椒魚でも、くらいついたり何かするとひどいそうです。鋭い歯はありませんけれども何せ力が強うございますから、人間の指の一本や二本は、わけなく食いちぎるそうで、どうも、いやになります。(失言)その点に就いてもは山椒魚に対して常に十分の敬意を怠らぬつもりでございます。割合におとなしい動物でありますけれど、あれで、怒ると非常にこわいものだそうで、稲羽いなばの兎も、あるいはこいつにやられたのではなかろうかとはにらんでいるのでございますが、これに就いてはなお研究の余地もあるようでございます。妙なもので、あのように鈍重に見えていても、ものを食う時には実に素早いそうで、静かに瞑想めいそうにふけっている時でも自分の頭の側に他の動物が来ると、パッと頭を曲げて食いつく、これがどうも実に素早いものだそうで、話に聞いてさえ興醒きょうざめがするくらいで、突如とつじょとして頭を曲げて、ぱくりとやって、また静かに瞑想にふける。日本の山椒魚は、あのヤマメという魚を食っているのですが、どうしてあんな敏捷びんしょうな魚をとって食えるか、不思議なくらいであります。それにはあの山椒魚の皮膚の色がたいへん役立っているようであります。かれが谷川の岩の下に静かに身を沈めていると、泥だか何だかさっぱりわからぬ。それでかれは、岩穴の出口のところに大きい頭を置いておきまして、深くものを思うておりますると、ヤマメがちょいとその岩の下に寄って来る、と 突如とつじょ ぱくりと大きな口をあけてそれを食べる、遠くまで追いかけて行くという事はからだが重くてとても出来ない、そのかわり自分の頭のすぐそばに来たなら決して逃がさずぱくりと食べる、それは非常に素早いものだそうであります。昼はたいてい岩の下などにもぐっているのですが、夜は のそのそ 散歩に出かける。そうしてずいぶん遠く下流にまでやって来る様子で、たいへん大きな河の河口で網を打っていたら、その網の中にはいっていたなどの話もあるようでございます。
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だいたい日本のどの辺に多くいるのか、それはあのシーボルトさんの他にも、和蘭オランダ人のハンデルホーメン独逸ドイツ人のライン、地理学者のボンなんて人も、ちょいちょい調べていましたそうで、また日本でも古くは佐々木忠次郎とかいう人、石川博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の郡上ぐじょう郡に八幡はちまんというところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端まで山椒魚はいる、という事にただいまのところではなっているようでございます。周防すおう長門ながと【山口県西部】にもいるそうですし、石州【島根県西部】あたりにもいるそうです。それから、もう一つは、琵琶湖の近所から伊勢、伊賀、大和、あの辺に山脈がありますが、あの山脈にも ちょいちょい 居るそうでございます。その他は、四国にも九州にもいまのところ見当らぬそうで、箱根サンショウウオというのが関東地方に棲息して居りますけれども、あれはまた全く違った構造を持っているもので、せいぜい蠑螈いもりくらいの大きさでありまして、それ以上は大きくなりませぬ。日本の山椒魚が、とにかく古代の化石と同じくらいに大きいというところに有難さがある訳でありまして、文句無しに世界一ばん、ここにの情熱もおのずから湧いて来て、力こぶもはいってまいります次第でございます。最近、日本で発見せられた山椒魚の中で一ばん大きいのは、四尺五寸、まず一メートル半というところで、それ以上のものは、ちょっと見当らぬそうでございます。けれども、伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村【鳥取県西部】というところに住んでいるいち老翁ろうおう【一人の老人】が、自分の庭の池に子供の時分から一匹の山椒魚を飼って置いた、それが六十年余も経って、いまでは立派に一丈じょう【約3m】以上の大山椒魚になって、時々水面に頭を出すが、その頭の幅だけでも大変なもので、幅三尺【約91cm】、荘厳ですなあ、身のたけ一丈じょう、もっとも、この老翁は、実にずるいじいさんで、池の水を必要以上に濁らせて、水面には睡蓮すいれんをいっぱい はびこらせて、その山椒魚の姿を誰にも見せないようにたくらんで、そうして自分ひとりで頭の幅三尺、身のたけ一丈じょう、と力んでいるのだそうで、それはる学者の報告書にも見えていた事でございますが、その学者は、わざわざ伯耆国ほうきのくに 淀江よどえ村まで出かけて行ってその老翁に逢い、もし本当に一丈じょうあるんだったら、よほど高い金を出して買ってもよろしい、ひとめ見せてくれ、と懇願したが、老翁は にやりと笑って、いれものを持って来たか、と言ったそうで、実に不愉快、その学者も「面妖めんよう【奇妙な顔つき】の老頭【老人】にして、いかぬ【好ましくない】老頭なり」とその報告書にしるしてありますくらいで、地団駄じだんだ踏んでくやしがった様が、その一句にっても十分に察知できるのであります。
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その山椒魚は、その後どうなったか、も実は、それほどの大きい山椒魚を一匹欲しいものだと思っているのでありますが、どうも、いれものを持って来たか、と言われると窮します。バケツぐらいでは間に合いません。けれども、は、いつの日か、一丈じょうほどの山椒魚を、わがものにしたい、そうして日夕 相親しみ、古代の雰囲気にじかに触れてみたい、深山幽谷【人里離れた奥深い山や谷】のいぶきに しびれるくらい接してみたい、頃日けいじつ、水族館にて二尺【約60cm】くらいの山椒魚を見て、それから思うところあって あれこれと山椒魚にいて諸文献を調べてみましたが、調べて行くうちに、どうにかして、日本一ばん、いや日本一ばんは即ち世界一ばんという事になりますが、一ばん大きな山椒魚をの生きて在るうちに、ひとめ見たいものだという希望に胸を焼かれて、これまた老いの物好きと、かの貧書生(ひどい)などに笑われるのは必定と存じますが、神よ、私はただ、大きい山椒魚を見たいのです、人間、大きいものを見たいというのはこれ天性にして、理屈も何もありやせん! (本音に近し)それは、どのように見事なものだろう、一丈じょう【約3m】でなくとも六尺【約180cm】でもいい、想像するだに胸がつぶれる。まず今日は、これくらいにして置きましょう。(ばかばかしい)

 その日の談話は以上の如く、はなはだ奇異なるものであった。いくら黄村先生が変人だといっても、こんな奇怪な座談をこころみた事は、あまり例が無い。日によっては速記者も、おのずからえりを正したくなるほど峻厳な【厳しい】時局【社会情勢】談、あるいは滋味【深い意味】きくす【すくい取る】べき人生論、ちょっと笑わせる懐古談【思い出】、または風刺ふうし【遠まわしに他の欠点をつく表現】、さすがに ただならぬ気質の片鱗へんりんを見せる事もあるのだが、きょうの話はまるで、どうもいけない。一つとして教えられるところが無かった。紅梅白梅がえん【美しさ】を競ったの、夢に夢みる思いをしたのといい加減な大嘘ばかり並べて、それからいよいよ山椒魚だ、巒気らんき【山特有の冷たくひんやりとした空気】たゆ【ゆらめく】とう尊いお姿が、うごめいていて、そうして夜網よあみにひっかかった【知らぬ間にかかった】の、ぱくりと素早くたべるとか何とか言って、しまいには声をふるわせて、一丈じょうの山椒魚を見たい、せめて六尺でもいい、それはどのように見事だろう、なんて言い出す始末なので、は、がっかりした。先生も山椒魚の毒気にあてられて、とうとう駄目になってしまったのでは なかろうかとは疑い、これからはもうこんなつまらぬ座談筆記は、断然おことわりしようと、心中かたく決意したのである。その日はもあまりの事にあきれて、先生のお顔が薄気味わるくさえ感じられ、筆記がすむと すぐにおいとましたのであるが、それから四、五日経っては甲州へ旅行した。
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甲府市外の湯村温泉、なんの変哲もない田圃たんぼの中の温泉であるが、東京に近いわりにはひなびて静かだし、宿も安直なので、は仕事がたまると、ちょいちょいそこへ行って、そこの天保館という古い旅館の一室に自らを閉じこめて 仕事をはじめるということにしていたのである。けれども、その時の旅行は、完全に失敗であった。それは二月の末の事で、毎日大風が吹きすさび、雨戸が振動し障子しょうじの破れがハタハタささやき、夜もよく眠れず、は落ちつかぬ気持で一日一ぱい火燵こたつにしがみついて、仕事はなんにも出来ず、腐りきっていたら、こんどは宿のすぐ前の空地に見世物小屋がかかって ドンジャンドンジャン の大騒ぎをはじめた。悪い時にはやって来たのだ。毎年、ちょうどその頃、湯村には、厄除地蔵やくよけじぞうのお祭りがあるのだ。たいへん御利益のある地蔵様だそうで、信濃しなの身延みのぶ【山梨県南巨摩郡身延町】のほうからも参詣人が昼も夜も ひっきりなしに ぞろぞろやって来るのだ。見せ物は、その参詣人に ドンジャンドンジャン 大騒ぎの呼びかけを開始したのである。は地団駄踏んだ。厄除地蔵のお祭りが二月の末に湯村にあるという事は前から聞いて知っていたのに、うっかりしていた。ばかばかしい事になったものだ。は仕事を断念した。そうして宿の丹前たんぜん羽織をひっかけ、こうなれば一つその地蔵様におまいりでもして、そうしてここを引き上げようと覚悟をきめた。宿を出ると、すぐ目の前に見世物小屋。テントは烈風にはためき、木戸番【入り口の番人】は声をからして客を呼んでいる。ふと絵看板を見ると、大きな沼で老若男女が網をいているところが かかれていて、ちょっと好奇心のそそられる絵であった。は立ちどまった。
伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村【鳥取県米子市淀江町】の百姓、太郎左衛門が、五十八年間手塩にかけて、――」木戸番は叫ぶ。
 伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村。ちょっと考えて、愕然がくぜんとした。全身の血が逆流したといっても誇張でない。あれだ! あの一件だ。
「身のたけ一丈じょう、頭の幅は三尺、――」木戸番は叫びつづける。
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の血はさらに逆流し荒れ狂う。あれだ! たしかに、あれだ。伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村。まちがいない。この絵看板の沼は、あの「いかぬ老頭【いけない老人】」の庭の池を神秘めかしてかいたのだろう。それでは、事実、あれが「いかぬ老頭」の池に棲息していたのに違いない。身のたけ一丈じょう、頭の幅三尺というのには少し誇張もあるだろうが、とにかく、あの、大――山椒魚がいたのだ! そうしていま、このの目の前の、薄汚い小屋の中にその尊いお身を横たえているのだ。なんというチャンス! 黄村先生があのように老いの胸の内を焼きこがして恋いしたっていた日本一の、いや世界一の魔物、いや魔物ではない、もったいない話だ、霊物が、思わざりき、湯村の見世物になっているとは、それこそ夢に夢みるような話だ。誰もこの霊物の真価を知るまい。これは、なんとしても黄村先生に教えてあげなければならぬ、とあの談話筆記をしている時には、あんなに先生のお話の内容を冷笑し、主題の山椒魚なる動物にも てんで無関心、声をふるわせて語る先生のお顔を薄気味わるがったりなど失礼な感情をさえ抱いていた癖に、いま眼前に、事実、その伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村の身のたけ一丈じょうが現出するに及んで、俄然がぜんてんてこ舞いをはじめてしまった。やはり先生のお言葉のとおり、人間は形の大きな珍動物に対しては、理屈もクソもありやしない、とても冷静な気持なんかで居られるものでない。
 は十銭の木戸銭を払って猛然と小屋の中に突入し勢いあまって小屋の奥の荒むしろの壁を突き破り裏の田圃たんぼへ出てしまった。また引きかえし、荒むしろをきわけて小屋へはいり、見た、小屋の中央に一つぼ【約2.14畳】ほどの水たまりがあって、その水たまりは赤く濁って、時々水がだぶりと動く。一坪くらいの小さい水たまりに一丈じょう【約3m】の霊物がいるというのは、ちょっと不審であったが、しかし霊物も身をねじ曲げて、旅の空の不自由を忍んでいるのかも知れない。正確に一丈じょうは無くとも、伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村のあの有名な山椒魚だとすると、どうしたって七尺、あるいは八尺くらいはあるであろう。とにかくあの淀江よどえ村の山椒魚は、世界の学界に於いても有名なものなのである。知る人ぞ知る、である。文献にちゃんと記載されてあるのだ。
 だぶりと水が動く。暗褐色のぬらりとしたものが、わずかに見えた。
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たしかだ。淀江よどえ村だ。いま見えたのは幅三尺の頭の一部にちがいない。は窒息せんばかりに興奮した。見世物小屋から飛び出して、寒風に吹きまくられ、よろめきながら湯村の村はずれの郵便局にたどりつく。肩で烈しく息をしながら、電文をしたためた。
 サンショウミツケタ』テンポウカン』ヨドエムラノヤツ』ユムラニテ
 何が何やらわからない電文になった。その頼信紙は引き裂いて、もう一枚、頼信紙をもらい受けて、こんどは少し考えて、まずの居所姓名をはっきり告げて、それからダイサンショウミツケタとだけ記して発信する事にした。スグコイと言わなくても、先生は足を宙にして飛んでくるはずだと考えた。果してその夜、先生は どたばた と宿の階段をあがって来ての部屋のふすまをがらりとあけて、
「山椒魚はどれ、どこに。」と言って、部屋の中を見回した。宿の部屋を のそのそ 這いまわっていたのをが見つけて、電報で知らせたとでも思っていたらしい。やっぱり先生は、などとは、けた違いの非常識人である。
「見世物になっているのです。」は事情をかいつまんで報告した。
淀江よどえ村! それならたしかだ。いくらだ。」
一丈じょうです。」
「何を言っている。ねだんだよ。」
「十銭です。」
「安いね。うそだろう。」
「いいえ、軍人と子供は半額ですけど。」
「軍人と子供? それは入場料ではないか。はその山椒魚を買うつもりなんだよ。お金も準備して来た。」先生は大きい紙いれを懐中から出して火燵こたつの上に載せてにやりと笑った。はその顔を見て、なんだかまた薄気味が悪くなって来た。
先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。
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一尺二十円として、六尺あれば百二十円、七尺あれば百四十円、一丈じょうあったら二百円【約20万円/2025年】、とは汽車の中で考えて来た。君、すまないが、見世物の大将をここへ連れて来てくれないか。それから宿の者に、お酒を言いつけて、やあ、この部屋は汚いなあ、君はよくこんな部屋で生活が出来るね、まあ我慢しよう、ここでその大将とお酒を飲みながら、ゆっくり話合ってみようじゃないか、商談には供応きょうおう【もてなし】がつきものだ。君、たのむ。」
 はしぶしぶ立って下の帳場へ行き、お酒を言いつけて、それから、
「あの、へんな事を言うようだけど、」どうもはなはだ言い出しにくかった。「前の見せ物のね、大将を、僕の部屋に連れて来てくれませんか。いや、実はね、あの見せ物の怪魚をね(見せ物の看板では、天然自然の大怪魚という事になっていた)あいつをね、ぜひとも買いたいという人があるんです。それは僕の先生なんだが、しっかりした人ですから信用してもらいたい、とにかくそう言って大将をね、連れて来て下さいませんか。お願いします。相当の高い値で買ってもいいような事も、その先生は言っておりますからね。とにかく、ちょっと、ひとつ、お願いします。」こんな妙な依頼は、さすがにも生れてこのかた、はじめての事であった。言いながら、顔が真赤になって行くのを意識した。まさに冷汗ものであったのである。宿の番頭は、妙な顔をして にこりともせず、下駄げたをつっかけて出て行った。
 は部屋で先生と黙って酒をくみかわしていた。あまりの緊張にお互い不機嫌になり、そっぽを向きたいような気持で、黙ってただお酒ばかり飲んでいたのである。襖があいて実直そうな小柄の四十男が、腰をかがめてはいって来た。木戸で声をからして叫んでいた男である。
「君、どうぞ、君、どうぞ。」先生は立って行って、その男の肩に手を掛け、むりやり火燵こたつにはいらせ、「まあ一つ飲み給え。遠慮はりません。さあ。」
「はあ。」男は苦笑して、「こんな格好かっこうで、ごめん下さい。」
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見ると、木戸にいる時と同様、こん股引ももひきにジャケツという風采ふうさいであった。
「なには? あの、店のほうは?」は気がかりになったので尋ねた。
「ちょっといま、休ませて来ました。」ドンジャンの鐘太鼓かねたいこも聞えず、物売りの声と参詣人の下駄の足音だけが風の音にまじってかすかに聞える。
「君は大将でしょうね。見せ物の大将に違いないでしょうね。」先生は、何事も意に介さぬという鷹揚おうような態度で、その大将にお酌をなされた。
「は、いや、」大将は、左手で盃を口に運びながら、右手の小指で頭を掻いた。「まかせられております。」
「うむ。」先生は深くうなずいた。
 それから先生大将との間にすこぶる珍妙な商談がはじまった。は、ただ、はらはらして聞いていた。
「ゆずってくれるでしょうね。」
「は?」
「あれは山椒魚でしょう?」
「おそれいります。」
「実は、は、あの山椒魚を長い間さがしていました。伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村。うむ。」
「失礼ですが、旦那だんながたは、学校関係の?」
「いや、どこにも関係は無い。そちらの書生さんは文士だ。未だ無名の文士だ。は、失敗者だ。小説も書いた、画もかいた、政治もやった、女にれた事もある。けれどもみんな失敗、まあ隠者【隠遁者いんとんしゃ】、そう思っていただきたい。大隠たいいん朝市ちょうしかくる【真の隠者(本当に高い境地に達した隠者)は、山奥ではなく、世の中のど真ん中(=市場)にこそ隠れている】、と。」先生は少し酔って来たようである。
「へへ、」大将はあいまいに笑った。「まあ、ご隠居で。」
「手きびしい。一つ飲み給え。」
「もうたくさん。」大将は会釈をして立ち上りかけた。「それでは、これで失礼します。」
「待った、待った。」先生は極度にあわてて大将を引きとめ、「どうしたという事だ。話は、これからです。」
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「その話が、たいていわかったもんで、失礼しようと思ったのです。旦那、が抜けて見えますぜ。」
「手きびしい。まあ坐り給え。」
には、ひまがないのです。旦那、山椒魚を酒のさかなにしようたって、それあ無理です。」
「気持の悪い事をおっしゃる。それは誤解です。山椒魚を焼いてたべる人があるという事は書物にも出ていたが、は食べない。食べて下さいと言われても、はしをつけないでしょう。山椒魚の肉を酒のさかなにするなんて、はそんな豪傑ごうけつ【粗野な人間】でない。は、山椒魚を尊敬している。出来る事なら、わが庭の池に迎え入れてそうして朝夕これと相親しみたいと思っているのですがね。」懸命の様子である。
「だから、それが気にくわないというのです。医学の為とか、あるいは学校の教育資料とか何とか、そんな事なら話はわかるが、道楽隠居が緋鯉ひごいにも飽きた、ドイツ鯉もつまらぬ、山椒魚はどうだろう、朝夕相親しみたい、まあ一つ飲め、そんなふざけたお話に、まともにつき合っておられますか。酔狂もいい加減になさい。こっちは大事な商売をほったらかして来ているんだ。唐変木とうへんぼく【物分かりの悪いヤツ】め。ばかばかしいのを通り越して腹が立ちます。」
「これは弱った。有閑階級ゆうかんかいきゅう【莫大な財産を持ち、生活のために働く必要がない人たち】に対する鬱憤うっぷん積怨せきえん【外へ出さないで心の中に抑えている怒りや恨み】というやつだ。なんとか事態をまるくおさめる工夫は無いものか。これは、どうも意外の風雲。」
「ごまかしなさんな。見えすいていますよ。落ちついた振りをしていても、火燵こたつの中の膝頭が、さっきから がくがく 震えているじゃありませんか。」
「けしからぬ。これはひどく下品になって来た。よろしい。それではこちらも、ざっくばらんにぶっつけましょう。一尺二十円、どうです。」
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「一尺二十円、なんの事です。」
「まことに伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村の百姓の池から出た山椒魚ならば、身のたけ一丈じょうある筈だ。それは書物にも出ている事です。一尺二十円、一丈じょうならば二百円。」
「はばかりながら三尺五寸だ。一丈じょうの山椒魚がこの世に在ると思い込んでいるところが、いじらしいじゃないか。」
「三尺五寸! 小さい。小さすぎる。伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村の、――」
「およしなさい。見世物の山椒魚は、どれでもこれでもみんな伯耆国ほうきのくに淀江よどえ村から出たという事になっているんだ。昔から、そういう事になっているんだ。小さすぎる? 悪かったね。あれでも、ら親子三人を感心に養ってくれているんだ。一万円【1千万円/2025年】でも手放しやしない。一尺二十円とは、笑わせやがる。旦那、間が抜けて見えますぜ。」
「すべて、だめだ。」
「口の悪いのは、の親切さ。突飛な慾は起さぬがようござんす。それでは、ごめんこうむります。」まじめに言って一礼した。
「お送りする。」
 先生は、よろよろと立ち上った。のほうを見て、悲しそうに微笑ほほえんで、
「君、手帳に書いて置いてくれ給え。趣味の古代論者、多忙の生活人に叱咤しったせらる。そもそも 南方のしたたか、北方のしたたか【それは、暑き地に生きる者したたかか、寒き地に生きるしたたかか】。」
 酒の酔いと、それから落胆のために、足もとがあぶなっかしく見えた。見世物の大将を送って部屋から出られて、たちまち、ガラガラドシンの大音響、見事に階段を踏みはずしたのである。腰部にかなりの打撲傷を作った。はそのあくる日、信州の温泉地に向って旅立ったが、先生はひとり天保館に居残り、傷養生のため三週間ほど湯治とうじをなさった。持参の金子きんす【お金】は、ほとんどその湯治代になってしまった模様であった。
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 以上は、先生の山椒魚事件の顛末てんまつであるが、こんな ばかばかしい失敗は、先生に於いてもあまり例の無い事であって、山椒魚の毒気にやられたものとは単純に解したいのであるが、「趣味の古代論者、多忙の生活人に叱咤せらる。南方の強か、北方の強か。」とかいう先生の謎のような一言を考えると、また奇妙にくすぐったくなって来るのも事実である。ご存じであろうけれども、南方の強、北方の強、という言葉は、中庸【儒教の基本経典】第十章にも見えているようであるが、それとこれとの間に於いては別段、深い意味もないように、には思われる。とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗をたちへの教訓の材料になさるお方のようでもある。




底本:「太宰治全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(昭和64)年1月31日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:しず
2000年5月2日公開
2004年3月4日修正
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----- (以下、シン文庫 追記) -----
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