黄泉よみから
久生ひさお十蘭じゅうらん


     

「九時二十分……」
 新橋のホームで、魚返おがえり光太郎が腕時計を見ながら つぶやいた。
 きょうは いそがしい日だった。十時にセザンヌの「静物」を見にくる客が二組。十一時には……夫人が名匠ルシアン・グレエヴの首飾ペンダントのコレクトを持ってくることに なっている。午後二時には……家の家具の売立。四時には……。詩も音楽もわかり、美術雑誌から美術批評の寄稿を依頼されたりする光太郎のような 一流の仲買人アジヤンにとっては、戦争【第二次世界大戦】が勝てば勝ったように、負ければまた負けたように、商談と商機にことを欠くことはない。
 こんどの欧州最後の引揚げには光太郎はうまくやった。みな危険な金剛石こんごうせき【ダイヤモンド】を買い漁って、益もない物換えに うき身をやつしている【本来の姿ではない、みじめな姿になっている】とき、光太郎モネルノアールルッソオフラゴナール、三つのフェルメールの作品を含む すばらしいコレクションをりおとし、持っていた金を安全に始末してしまった。
 仲介業者の先見と機才は、倦怠けんたいと夢想から湧きでる詩人の霊感によく似ていて、この仕事にかれると抜け目なく立ち回ることだけが 人生の味になり、それ以外のことはすべて色のせた花としか見えなくなる。
 光太郎がホームに立ってきょうの仕事の味利き【吟味】をしていると、鸚鵡オウムの冠毛のように白髪をそそけさせた 六十歳ばかりの西洋人が、西口の階段から せかせかと あがってきた。
「おや、ルダンさんだ」
 上衣はいつもの古ぼけたスモオキング【タキシード】だが、きょうは折目のついた縞のズボンをはき、パラフィン紙で包んだ、大きな花束を抱えている。ジュウル・ロマンの喜劇、「恋に狂う翰林院かんりんいん博士【権威ある学者】トルアデック氏、花束を抱えて右手から登場」といったぐあいである。
1/15

 メタクサ伯爵夫人が 早稲田大学の仏文科の講師をしていたのは 二十年も前だが、ルダンさんはそれよりもまた十年も早いのだから、もう三十年ちかく日本に住んでいるつつましい老雅儒がじゅ【知識人】で、光太郎が記憶するかぎりでは、こんなようすは まだいちども見たことがなかった。
 ルダンさんの家庭塾フオアイエには光太郎ばかりではなく、光太郎のただひとりの肉親である従妹いとこおけいも お世話になっていて、ルダンさんの指導で大学入学資格試験の準備をすすめ、この戦争がなければ ソルボンヌへ送りこんでもらっていた ところだった。
 ルダンさんは弟子たちをじぶんの息子のように待遇する。弟子のためなら知恵でも葡萄酒でも惜しげもなく だしつくしてしまう。どうやら資格も出来、いよいよフランスへ出発ときまると、貧乏なルダンさんが、アルムーズとか、シャトオ・イクェムとか、巴里の『マキシム』でも なかなかお目にかかれないような、ボルドオブルゴーニュの最上古酒を抜いて門出を祝ってくれる。
 光太郎もこうして送りだされた一人で、フランスで美術史の研究をするはずだったのが、新進のアジャン・ア・トゥフェ(万能仲買人)になって 八年ぶりで日本へ帰ってきた。
 ルダンさんの家は光太郎の家から ものの千メートルと離れていないが、さすがにばつがわるく、いちど玄関へ挨拶にまかり出たきりで、その後、それとなく ごぶさたしていた のである。
 光太郎は困ったと思ったが、隠れるところもないホームの上なので、ままよ【もう、なるようになれ】とか観念してとぼけていると、ルダンさんは光太郎を見つけて、
「おお、光太郎
 といいながら そばへやってきた。
「ごぶさたしております。きょうはどちらへ」
 ルダンさんは光太郎手提鞄セルヴィエットをじろりと見て そっぽをむくと、
「きまってるじゃないか。きょうはお盆だから、墓まいりさ」
 と、つっけんどんにいった。
2/15

 七月十三日……そういえば きょうはお盆の入りだった。それはともかく、十月二日の「死者の日」には、いつも亡くなられた夫人おくさんの写真に 菊の花を飾るが、お盆に墓まいりとは きいたこともなかった。
「失礼ですが、どなたの墓まいりですか」
 とたずねると、ルダンさんはめずらしくフランス語で、
「アンシュポルタブル! (手がつけられない!)」
 とつぶやいてから、
「この戦争で わたしの弟子が大勢 戦死をしたぐらいは 察しられそうな もんじゃないか」
 と、とがめるような眼つきで光太郎の顔を見かえした。
 ああそうだったと思って、さすがに光太郎も眼を伏せた。
「ほんとうに たいへんでしたね。何人ぐらい戦死しましたか」
「十八人……一人も残らない。これで少なすぎるということは ないだろう。日本へ来てまでこんな目にあうなんて」
 ハンカチを出して鼻をかむとそれを手に持ったまま、
「まあ、愚痴をいったって はじまらない。ともかく、よかれあしかれ、この戦争の「意味サンス」もきまった。なんのために死んだかわからずに宙に浮いていた魂も、これでようやく落着くだろう。だから、今年のお盆は、この戦争の何百万人かの犠牲者の 新盆だといってもいいわけだ。それできょうは みなに家へ来てもらって大宴会パンケエをやるんだ」
「なんですか、大宴会パンケエというのは」
「わたしはみなに約束したんだ。戦争がすんだら王朝式の大宴会をやるって。つまり、これからその招待に行くんだ……本式にやれば、提灯ちょうちんをつけて夕方お墓へ迎いに行くんだろうが、みなリーブル・パンスウル【自由思想家】だから形式にこだわったり しないだろう。もっとも、間違いのないように名刺は置いてくる」
「でも、降霊術ネクロマンシイのようなものは、カトリックでは異端なんでしょう」
「どうしてどうして、カトリックの信者ぐらい 霊魂いじりのすきな連中はない。故人がうんざりするほど呼びだして、愚問を発して悩ますんだ。
3/15
一年に一度、迎い火を焚いて霊を待つなんていう優美なもんじゃない。来ないと力ずくでも ひっぱりだし かねないんだから」
「では、わたくしもお供しましょうか」
「まあ、やめとけ。死したるものは、その死したるものに葬らせよという聖書の文句は素晴らしいね。昨日わたしはみなの墓を回ってみたんだけれども、掃除をしてあるのはただの一つもなかった。日本人は戦争で死んだ人間などに かかずらっているひまは ないとみえる。それも一つの意見だろうが、死んだやつは間抜け、では、あのひとたちも浮ばれまいと思うよ」
「それで、おけいも呼ばれているのですか」
「君はだんだんフランス人に似てきたね。それも悪いフランス人にさ。そういう質問は、冷酷というよりは無思慮【無分別】というべきものだよ。おけいさんの遺骨はまだニューギニアにある。これは遠いね。ちょっと迎いに行けないが、おけいさんはきっと来てくれるよ。君のような俗人にはわからないことだ」
「ひどいことを いわれますね」
「ひどいのは君さ。君はこの八年の間、一度もおけいさんに手紙を書かなかったそうだね」
おけいが そんなことを いいましたか。あいつだって 八年の間一度も手紙をよこしませんでしたよ」
「それはそうだろうさ。君が書けないようにしたんだよ。君がおけいさんをあまり子供扱いにするので、おけいさんは手も足も出なくなってしまったんだ。おけいさんは君が好きだったんだが、あきらめて しまったらしい。おけいさんが別れに来た晩はたいへんな大雪でね、雪だらけになって真青になってやってきた。そして君のこと いろいろいっていた。君にだれかと結婚してもらって、はやく楽になりたいといっていた」
「あの子供が?」
「あの子供がさ……そうして、君が帰ってきたら、じぶんの友達の中から いいひとをお嫁さんに推薦するんだといっていた……つまらない、もうやめよう。
4/15
おけいさんが しょっちゅう君のことばかり かんがえていた といってみたって、それがいまさら どうなるんだ。もう死んでしまった ひとなんだから……さあ、さあ、君は早く事務所へ行って取引をはじめたまえ。日本橋へ行くんだろう。ほら、電車がきた」


     

 神田で降りると、ここの市場もたいへんな雑踏で、炎天に 砂埃すなぼこりと さかんな食物の匂いをたちあげ、修羅のような さわぎをしていた。
 売るほうも買うほうも、動物的な生命力をむきだしにして すさまじいコントラストを見せ、三百万人も人が死んだ国の お盆にふさわしい 哀愁の色などは どこにもなかった。
 光太郎はふと十月二日の巴里のレ・モール(死者の日)の しめやかな ようすを思いだした。巴里中の店は鎧扉よろいどをしめ、芝居も映画も休業し、大道は清々すがすがしい菊の香を流しながら 墓地へいそぐ喪服もふくのひとの姿しか見られなくなる。
 巴里の山手、ペール・ラシューズの墓地の上に Bellevus de Tombeauバイ・デュ・トンボー という珈琲店がある。「墓地展望亭」とでもいうのであろうか。そこのテラスに掛けると、眼の下に墓地の全景を見わたすことが出来る。
 光太郎は「死者の日」によくそこへ出かけて行った。手をひきあう老人夫婦、黒い面紗ヴォアール【ベール】をつけた若い未亡人、松葉杖をついた傷痍しょうい軍人、しょんぼりした子供たち……喪服もふくを着たものしずかな人達が、いま花束を置いてきたばかりの墓に もういちど名残りをおしむために このテラスへやってくる。みなテーブルに頬杖をつき、悲しげな眼ざしを糸杉小径こみちのほうへ そよがせる。どの顔も死というものの意味を知り、それをいたむことの出来る深い顔つきばかりで、こういう国ならば死ぬことも たのしいかなと、感慨にしずんだことがあった。
「これはどうも いけなかったな」
 とつぶやいて、光太郎は汗をふいた。
5/15

 光太郎の一族はふしぎなほど つぎつぎと死につぎ、肉親というのは おけいひとりだけに なってしまったが、それが婦人軍属になってニューギニアへ行き、カイマナというところで死んだ ときいたときも かくべつなんの衝動もうけず、きょうルダンさんに逢うまでは ほとんど思いだしたことさえ なかったのである。
 光太郎は事務所へ行くと、きょうの約束をみな電話で断ってしまった。明日からまた卑俗ひぞく【低俗】な世渡りに あくせく追いたてられるので あろうが、せめてきょう一日だけは全部の時間をおけいの追憶についやそうと思った。
 光太郎の家は下町にあったので、祖母が生きているころまでは、お盆のまつりはなかなか派手なものだった。真菰まこもの畳を敷いてませ垣をつくり、小笹の薮には小さな瓢箪ひょうたん酸漿ほおずきがかかっていた。巻葉まきばを添えたハスつぼみ。葛餅にきぬた真菰まこもで編んだ馬。蓮の葉に盛った団子と茄子ナスの細切れ……祖母がさあさあ、どなたも明るいうちに おいでくださいなどといいながら 迎い火を焚いていたことが記憶に残っている。
 霊棚たまだなをつくり、苧殻おがらを焚いて、古いしきたりのようにして 迎えてやったら どんなによかろうと思うのだが、棚飾りのようすが ぼんやりと思いだせるだけで、細かい手続きは なにひとつ知っていないのが 口惜しかった。
 光太郎は椅子に沈みこんで かんがえていたが、このうえはもう自己流でやるほかはないと思って 友達に電話をかけた。
「きょうはひとつ骨を折ってもらいたいね」
「むずかしそうですな……モノはなんでしょう」
「ショコラ、キャンデイ、マロン・グラッセブリュノオ……まあそんなものだ」
「へへえ、いったい どういうことなんですか」
「それから、女の子が飲むんだから、なにか甘口のヴァン・ド・リキュウルがあったろう」
「これは恐れいりましたな。オゥ・ソーテルヌなら あてがありますが」
6/15

「ああ、それをもらおう。どうだね。夕方の五時までということに」
「かしこまりました。お届けいたします」
 夕方、届いたものを包みにし、銀座のボン・トンへ寄ってキャナッペを詰合わせてもらい、それを抱えて家へ帰ると、居間の小机へ ごたごたと ならべてみたが、どうもしっくりしない。暖炉棚マントルへ移したり、ピアノの上へ飾ってみたり いろいろやったが、形式がないというのは しょうのないもので、どうしてみても落着かない。
 写真でもと思って、さがしてみたが一枚もない。八年前、欧羅巴ヨーロッパへ発つとき、ひっかかりになっていた【忘れられずにいた】芸者の写真といっしょに 焼いてしまったような気もする。
 手も足も出なくなって ぽつねんと椅子にかけて 蟋蟀こおろぎの鳴く声をきいていると、これでもう この世にひとりの肉親もないのだという 孤独なおもいが胸にせまり、じぶんにとっておけいは、かけがえのない大切な人間だったことが つくづくとわかってきた。
 いまさら かえらぬことだが、じぶんに もうすこし やさしさがあったら、おけいを巴里へ呼びよせていたろうし、そうすればニューギニアなどで死なせることも なかったわけで、いわばじぶんの冷淡さがおけいを殺したようなものだった。
 おけいが肉体のすがたを あらわすとは思わないけれども、来たなら来たで なにかしら おとずれがあるはずで、光太郎の感覚に それがふれずに すむわけはないのだが、露台ろだい【バルコニー】からそよそよと風が吹きこむばかりで なにひとつ それらしいけはいは感じられなかった。
「どうして、どうして」
 ピアノの上にしらじらしく立っている葡萄酒の瓶や、生気のない皿のキャナッペをながめながら、光太郎はじぶんの虫のよさに思わず苦笑した。
7/15

 ルダンさんのところは どうだろうと思って露台ろだい【バルコニー】に出てみると、食堂の窓からあかあかと電灯の光が洩れ、もう宴会がはじまったのだとみえ、ルダンさんが上機嫌なときにく まずいピアノがきこえていた。
 光太郎のうちは もと銀座の一丁目にあって、おけいの家は新堀しんぼりにあった。
 おけいは父の五十五の齢に産れた はじめての女の子だったが、上の三人はみな早く死んでいたので、その よろこびかたといったら なく、一家中気がちがうのではないかと思われたほどだった。
 そのころ堀川は まだまだ さかんなもので、派手堀川といわれた先代がまだ生きていて、福井楼【料亭】へ百人も人を招んでさかんな帯夜おびやの祝いをした。芸者の数だけでもたいへんなものだ。その夜の料理は一人前四百円【約80万円/2025年】についたというので評判だった。
 たぶんおけいが六歳ぐらいのことだった。光太郎が堀川へ遊びに行っていると おけいの父の新造が、きょうおけいとお月見をしますが、あなたもと誘った。
 おけいのお守りに芸者が七人、橋光亭から船をだして綾瀬まで漕ぎのぼると、おけいの父が用意してきた銀の総箔の扇を山ほどだして、さあ、みなでこれを放っておくれといった。芸者たちが、おもて、みよし【船のいちばん先端】、艫【船尾】とわかれて おもいおもいに空へ川面へ銀扇を飛ばすと、ひらひらと千鳥のように舞いちがうのが 月の光にきらめいて夢のように うつくしい。おけいは中ノ間の座布団に座って父の膝にもたれ、ニコニコ笑いながら ながめていた。
 こんな育てられかたをしたので、鷹揚おうよう【おっとりとして上品】なことは このうえもなく、放っておけば一日でもご飯を食べずに おっとりと座っている。けっしてものを ねだったり、催促したりしない娘だった。
8/15

 昭和十年の冬、堀川が自火をだして丸焼けになり、両親は東京を遠慮するといって鵠沼くげぬま【神奈川県藤沢市の南部】へひっこんだが、間もなく死んでしまった。おけいは赤坂表町の須藤という弁護士の家へあずけられ、三崎町の仏英和女学校へ通っていたが、水曜日にはルダンさんのところへきて フランス語の勉強をしていた。いまにして思うと、光太郎がフランスへ連れて行ってくれるものときめ、その用意をしていたわけだった。
 日本を発つ前の晩、おけいは別れにきた。茄子紺の地に井桁を白く抜いた男柄の銘仙めいせん【平織りの絹織物】に、汚点しみひとつない結城の仕立おろしの足袋たびという すっきりしたようすで やってきて、おばあさまの琴爪ことづめ【弦を弾くための爪】をちょうだいといった。
 おばあさまの琴爪というのは、琴古の名人だった光太郎の祖母が死ぬとき、これはおけいに、といってのこしたものだった。
 光太郎がどうしたんだ とたずねると、あなたはもう 日本へ帰っていらっしゃらない でしょうから、きょう いただいておかないと、もう いただけなくなってしまうから といった。
「お客さまでございます」
 という声がした。おどろいて顔をあげると女中さんが立っていた。
「だれだい」
「あの、二十二三の若いお嬢さまでございますが」
 光太郎は、えっといって椅子から立ちあがった。


     

 玄関へ出てみると、眼に張りのある、はっきりした顔だちの、いかにもお嬢さんと呼ぶにふさわしいような 品のいいひとが立っている。
「失礼ですけど、こちらさま、もと銀座にいらした魚返おがえりさんでは ございませんかしら」
 とたずねた。
 光太郎がそうだとこたえると、やはりそうだったわ、とうれしそうに口の中でいった。
9/15

 居間へ通ると、千代は日本人にしては長すぎる脚を 斜に倒すようにして椅子にかけて、
「あたくし、もと銀座におりました今屋いまや【という家】の伊草【門下の】のもので、千代と申しますんですけど、こんどニューギニアから帰ってまいりましたので、おけいさんのこと、すこしお話しもうしあげたいと思って、それで、お伺いしましたのよ」
 若々しい、そのくせよくれた落着いた声でそういった。
「それはどうも、ごしんせつに ありがとうございます。おけい霊代みたましろもありませんので、こんな みょうなことを やっておりますが、お差しつかえなかったら、どうかゆっくりして いらしてください」
「ありがとうございます。じつは帰りますと すぐに おたずねしたかったのですけど、こちらさまのお住居すまいが わからなかったものですから」
今屋いまやさんの建物は、むかし銀座の名物でした。明治初年ごろの古い洋館で、油絵具をはじめて輸入なすったので、よくおぼえております。それで、おけいとはニューギニアで、いつごろ」
おけいさんはすぐカイマナへ行かれたのですけど、あたくしどもは さんざん追いつめられ逃げこんだので、おけいさんにお逢いしたのは終戦の半年ぐらい前でしたの」
「カイマナというのは どんなところですか」
「帰りましてから、ジイドの『コンゴ紀行』を読んでそう思いましたんですけど、あの中の(パンギとノラ間の大森林)という章の描写に そっくりなのよ。……見あげると眩暈めまいのするような巨木が 一列になって歩き回っている と書いてありましたけど、ちょうどそんな感じのところなんですの」


「わかるような気がしますね」
「あたしたちの仕事は、それは辛いんです。
10/15
半年の間、毎日滝のように降りつづけていた雨がやんで 雨季があけますと、急に温度があがるので、活字が膨張して レバーであがってこないのに 印字ガイドまで狂って、どうしたって ミスばかり打つんですの……ちょうどバボ作戦【バボ:旧日本軍の航空基地(バボ飛行場)が置かれた場所】の最中で、作戦関係の文書はみな暗号ばかりですから、五日がかりでしあげた大部なものでも、一字でもミスがあれば打ちなおしを命じられます。それはまるで命をけずられるような ひどい明暮れで、あたくしどもは宿舎へ帰ると、もうなにをする元気もなくて すぐ横になってしまうんですけれど、おけいさんは池凍ちとう帖【帳面】を置いてお習字をしたり、お琴をひいたり、ひとりでたのしそうに 遊んで いらっしゃいましたわ」
「琴って、十三弦のあの琴のことですか」
「ええ、そうなんですの。病室の衛生兵に秋田というひとがいて、これは京都の有名なお琴師さんだそうで、おけいさんの部屋に琴爪があるのをみつけて、そんなら琴をつくってあげようといって、あのへんのラワンやタンジェールなどという 木で琴をつくってくれましたの。甲におもしろい木目のある 本間の美しい琴でしたわ」
「そんなことも あるのですか。かんがえも しませんでした」
「あたくしたち、夜直【夜の当直】でおそくなって、月の光をたよりに帰ってきますと、ジャングルの奥から『由縁ゆかり』なんか きこえてきますと、なんともいえない気持がいたしましたわ」
 光太郎は下目に眼を伏せてきいていたが、玲瓏れいろうと月のわたる千古の密林を洩れる琴の音は、どんなに凄艶せいえん【ぞっとするほど なまめかしく美しい様子】なものだろうと思っているうちに、あの琴爪で琴をひいている おけいのようすが眼に見えるようでふと肌寒くなった。
おけいさんはあんな方ですから、なにも おっしゃらなかった のですが、そのころはもうだいぶお悪かったのです。
11/15
終戦のすこし前でしたが、雨に濡れてお帰りになってたいへん喀血かっけつなさると、ずんずん いけなくおなりになって、病室へ移すと まもなく危篤ということになりました……それで、あたくしみなさんを代表してお別れにまいりますと、枕元に『謡曲全集』なんて本が置いてありますので、こんなものお読みになるのと たずねますと、ええ、ほんとうにいいコントばかりよ、すばらしいと思うわといって、『松虫』のはなしをはじめて、枯野を友とあるいているうちに、その友がいつの間にか死んでいた というところまで きますと、だしぬけに ふっとだまりこんで、大きな眼でじっと天井を見つめて いらっしゃいますのよ。どうしたのだろうと思って顔をみていますと、ちっとも眼ばたきしないようなので、おけいさん、おけいさん、どうなすったのと大きな声をだしますと、おけいさんは 夢からさめた人のような眼つきで あたしの顔をごらんになりながら、面白かったわ、あたしいま巴里へ行って来たのよ とおっしゃるの……そう、どんな景色だって、とたずねますと、あれはマドレーヌというのでしょう、太い円柱が並んでいるお寺の前の道を、光太郎さんが煙草を吸いながら歩いていたわ、とそんなことを おっしゃいました」
「それは、いつごろのことですか」
「六月二十七日。お亡くなりになる朝のことでした……日が暮れて、いよいよご臨終が近くなると、なんともいえない美しい顔つきにおなりになって、あたし『松虫』は文章がきれいだからすきなのよ、とおっしゃって、いい声で上げ歌のところを朗読なさいました。
 そこへ部隊長がいらして、ご苦労だった。こんなところで死なせるのは ほんとうに気の毒だ。お前、なにかして もらいたいことはないか。遠慮しないでいいなさい。どんなことでもいい、といわれますと、おけいさんは、では、雪を見せていただきますと おっしゃいました。
 雪……雪って、あの降る雪のことか。
12/15
ええ、そうですわ。これは困った、神さまでないかぎり、ニューギニアに雪など降らせられるわけは なかろうじゃないか といいますと、おけいさんは笑って、冗談ですわ。内地を発つ晩、きれいな雪が降りましたので、もういちど見たいと思ったのです、とおっしゃいました。
 そのとき、軍医長が部隊長になにか耳打ちしますと、部隊長は眉をひらいたような顔つきになって、じゃ、そうしようといって おけいさんを担架に移して 下の谷間のほうへ運びだしました。
 あたくしたち、なにが はじまるのだろうと思って 担架について谷間の川のあるところまで まいりますと、空の高みからしぶきとも、粉とも、灰ともつかぬ、軽々とした雪がやみまもなく、チラチラと降りしきって、見る見るうちに林も流れも真白になって行きます。
 部隊長はおけいさんに、さあ、見てごらん。雪を降らしてやったぞと高い声でいわれますと、おけいさんはぼんやり眼をあいて、雪だわ、まあ美しいこと と うっとりと ながめていらっしゃいましたが、間もなく、それこそ眠るように眼をとじて おしまいになりました」
「その雪というのは、なんだったのですか」
「ニューギニアの雨期明けに よくある現象なんだそうですけど、河へ集まってきた 幾億幾千万とも知れないかげろうの大群だったのです」
「ありがとうございました。これを聞けなかったら なにも知らずに しまったところでした」
 といっているうちに、この家をだれから聞いたろうと ふしぎになって、
「この家は ながらくひとに貸してあったのを、つい一昨日明けさせて越してきたばかりで、どちらへもまだ移転の通知をしてありませんが、よくここが おわかりになりましたね」
 というと、伊草は光太郎の顔を見ながら、
「ええ、あたくし、きょうこの先の宋林寺へお墓まいりに まいりましたのよ。
13/15
いつも六阿弥陀ろくあみだのほうから帰るのですけど、きょうはなにげなく長明寺のほうへ曲りますと、すっかりわからなくなって、このへんを いくどもぐるぐる回っているうちに、ふと見ると お宅の表札に魚返おがえりと書いてありますでしょう。いちど おたずねしなければと思っておりました もんですから、ふらふらと玄関へ入ってしまいましたのよ。でも、かんがえてみますと、ずいぶん頓狂とんきょうな はなしね。あたしいやだわ」
 といって うっすらと顔をあからめた。
 光太郎は、おけい光太郎のお嫁さんは じぶんの友達を推薦するといっていたという、今朝のルダンさんの話を思いだし、この娘をここへ連れてきた おけいの意志をはっきりと理解した。
 急に別な眼になってそのひとを見なおすと、いままで気のつかなかった いろいろなよさが だんだんわかってきた。
 月の光を浴びたような無垢な皮膚の感じも、張りのある感覚のよくゆきとどいた深い眼の表情も、健康そうな生の唇の色も、どれもみな いつかおけいに話してきかせた光太郎の推賞する科目だった。薄い梔子くちなし色の麻のタイユウル【仕立て】の胸のひだのようなものは、よく見ると、大胆な葡萄の模様を 浮彫のように裏から打ちだしたもので、葡萄の実とも見えるガーネットの首飾と照応して、日本ではたいていの場合 みじめな失敗に終るバロック趣味を成功させていた。
 伊草の娘が帰ると、光太郎はそのまま玄関に立って腕を組んでいたが、おけいはこれからルダンさんのところへ行くだろうと思うと、せめて門まででも送って行ってやりたくなった。
提灯ちょうちんをつけてくれないか」
 女中がおどろいたような顔をした。
「さあ、提灯ちょうちんは……懐中電灯でいけませんか」
「いや、提灯ちょうちんのほうがいい」。
14/15

 光太郎提灯ちょうちんをさげて ぶらぶらルダンさんの家のほうへ歩いて行ったが、道普請みちぶしんえのあるところ【道が修理中で崩れている所】へくると、われともなく、
「おい、ここは穴ぼこだ。手をひいてやろう」
 といって闇の中へ手をのべた。






底本:「久生十蘭全集 2[#『2』はローマ数字、1-13-22]」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2010年8月24日作成
2011年4月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
----- (以下、シン文庫 追記) -----
関係者の皆様、大変ありがとうございました。

©シン文庫
15/15