野菊の墓
伊藤左千夫



 のちの月【十三夜:日本の風習】という時分【10月中旬】が来ると、どうも思わずには居られない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年過去すぎさった昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、むしろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味をむさぼって居る事が多い。そんなわけから一寸ちょっと物に書いて置こうかという気になったのである。
 の家というのは、松戸から二里【約8Km】ばかり下って、矢切やぎりわたし【江戸川】を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と言ってる所。矢切の斎藤と言えば、この界隈かいわいでの旧家で、里見【江戸時代の初期に房総半島を治めていた戦国大名 里見氏で、後に家名断絶となった】の崩れが二三人 ここへ落ちて百姓になった内の一人が 斎藤と言ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺【約4.6~4.9m】も回るようなしいの樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森いもり【暴風雨から家を守るため、屋敷の周りを囲むように作られた森】で村じゅうからうらやましがられて居る。昔から何ほど暴風あらしが吹いても、このしい森のために、の家ばかりは屋根をがれたことは ただの一度もないとの話だ。家なども随分と古い、柱が残らず椎の木だ。それがまたすすやらあかやらで 何の木か見別けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いとこでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の木目もくめも判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間らんまもあり 銅の釘隠くぎかくしなども打ってある。その釘隠が馬鹿に大きいがん【の形】であった。勿論もちろん一寸ちょっと見たのでは木か金かも知れないほど古びている。
 なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を、大へんに自慢されていた。その頃は血の道で久しくわずらって居られ、黒塗的な奥の一間がいつも病褥びょうじょく【病床】となって居た。その次の十畳の間の南隅みなみすみに、二畳の小座敷がある。が居ない時は機織場はたおりばで、が居る内はの読書室にしていた。
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手摺窓てすりまどの障子を明けて頭を出すと、椎の枝が青空をさえぎって北をおおうている。
 が永らくぶらぶらして居たから、市川の親類でには縁の従妹いとこになって居る、民子という女の児が仕事の手伝やらの看護やらに来て居った。が今忘れることが出来ないというのは、その民子との関係である。その関係と言っても、民子と下劣な関係をしたのではない。
 は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何ヶ月という頃、民子は十七だけれどそれも生れがおそいから、十五と少しにしかならない。せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味あかみをおんだ、誠に光沢つやの好い児であった。いつでも活々いきいきとして元気がよく、その癖気は弱くて憎気【嫌気】の少しもない児であった。
 勿論とは大の仲好しで、座敷を掃くと言ってはの所をのぞく、障子をはたくと言ってはの座敷へ入ってくる、私も本が読みたいの手習がしたいのと言う、たまにはハタキのの背中を突いたり、の耳を摘まんだりして逃げてゆく。民子の姿を見れば来い来いと言うて二人で遊ぶのが何より面白かった。
 からいつでも叱られる。
「またやはの所へ入ってるナ。コラァさっさと掃除をやってしまえ。これからはの読書の邪魔などしてはいけません。やは年上の癖に……」
 などとしきりに小言を言うけれど、そのじつ民子をば非常に可愛がって居るのだから、一向に小言がきかない。にも少し手習をさして……などと時々民子はだだをいう。そういう時のの小言もきまっている。
「お前は手習よか裁縫です。着物が満足に縫えなくては女一人前いちにんまえとして嫁にゆかれません」
 この頃に一点の邪念が無かったは勿論であれど、民子の方にも、いやな考えなどは少しも無かったに相違ない。しかしがよく小言を言うにもかかわらず、民子はなお朝の御飯だ昼の御飯だというてはを呼びにくる。呼びにくる度に、急いで入って来て、本を見せろの筆を借せのと言ってはしばらく遊んでいる。その間にもの薬を持ってきた帰りや、の用をした帰りには、きっとの所へ入ってくる。民子がのぞかない日は何となく淋しく物足らず思われた。今日はさんは何をしているかナと思い出すと、ふらふらッと書室を出る。
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民子を見にゆくというほどの心ではないが、一寸ちょっと民子の姿が目に触れれば気が落着くのであった。何のこったやっぱり民子を見に来たんじゃないかと、自分で自分をあざけった様なことが しばしば あったのである。
 村のある家さ瞽女ごぜ【三味線を手に縁のある村から村へ旅して歩く目の不自由な女性たち】がとまったから聴きにゆかないか、祭文さいもん【旅芸人の祭文(説経節)語り】がきたから聴きに行こうのと近所の女共が誘うても、民子は何とか断りを言うて決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾物があるからとの事で、例の向うのお浜や隣のお仙等が大騒ぎして見にゆくというに、内のものらまでさんも一所に行って見てきたらと言うても、民子の病気を言い前【理由】にして行かない。も余りそんな所へ出るはいやであったから家に居る。民子狐鼠狐鼠こそこその所へ入ってきて、小声で、は内に居るのが一番面白いわと言ってニッコリ笑う。も何となし民子をばそんな所へやりたくなかった。
 が三日置き四日置きにの薬を取りに松戸へゆく。どうかすると帰りがおそくなる。民子は三度も四度も裏坂の上まで出て渡しの方を見ていたそうで、いつでも家中のものに冷かされる。民子真面目まじめになって、おさんが心配して、見ておで見てお出でというからだと言いわけをする。家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。
 そういう次第だから、作おんな【畑や田で働く女】のお増などは、無上むしょう民子小面こづら憎がって、何かというと、
民子さんは政夫さんとこへばかり行きたがる、ひまさえあれば政夫さんにこびりついている」
 などとしきりに言いはやしたらしく、隣のお仙や向うのお浜等までかれこれ噂をする。これを聞いてかあによめに注意したらしく、或日は常になくむずかしい顔をして、二人を枕もとへ呼びつけ意味有り気な小言を言うた。
「男も女も十五六になれば もはや児供こどもではない。お前等二人が余り仲が好過ぎるとて人がかれこれ言うそうじゃ。気をつけなくてはいけない。民子が年かさの癖によくない。これからはもう決しての所へなど行くことはならぬ。吾子わがこを許すではないがは未だ児供だ。やは十七ではないか。
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つまらぬ噂をされるとお前の体にきずがつく。政夫だって気をつけろ……。来月から千葉の中学へ行くんじゃないか」
 民子は年が多いしかつは意味あっての所へゆくであろうと思われたと気がついたか、非常にじ入った様子に、顔真赤にして俯向うつむいている。常はに少し位小言言われても随分だだをいうのだけれど、この日はただ両手をついて俯向うつむいたきり一言もいわない。何のやましい所のないすこぶる不平で、
「おさん、そりゃ余り御無理です。人が何と言ったって、私等は何のわけもないのに、何か大変悪いことでもした様なお小言じゃありませんか。おさんだっていつもそう言ってたじゃありませんか。民子とお前とは兄弟も同じだ、おさんの眼からはお前も民子も少しも隔てはない、仲よくしろよといつでも言ったじゃありませんか」
 の心配も道理のあることだが、等もそんな いやらしいことを言われようとは少しも思って居なかったから、の不平もいくらかの理はある。にわかにやさしくなって、
「お前達に何のわけもないことはおさんも知ってるがネ、人の口がうるさいから、ただこれから少し気をつけてと言うのです」
 色青ざめたの顔にもいつしか等を真から可愛がる笑みがたたえて居る。やがて、
やは あのまた薬を持ってきて、それから縫掛けのあわせを今日中に仕上げてしまいなさい……。は立った次手ついでに花をって仏壇へげて下さい。菊はまだ咲かないか、そんなら紫苑しおんでも切ってくれよ」
 本人達は何の気なしであるのに、人がかれこれ言うのでかえって無邪気でいられない様にしてしまう。の小言も一日しか覚えていない。二三日たってさんはなぜ近頃は来ないのか知らんと思った位であったけれど、民子の方では、それからというものは様子がからっと変ってしもうた。
 民子はその後の所へは一切顔出ししないばかりでなく、座敷の内で行逢っても、人のいる前などでは容易に物も言わない。何となくきまりわるそうに、まぶしい様な風で急いで通り過ぎてしまう。拠処よんどころなく【仕方なく】物を言うにも、今までの無遠慮に隔てのない風はなく、いやに丁寧に改まって口をきくのである。
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時にはが余りにわかに改まったのを可笑おかしがって笑えば、民子も遂にはそでで笑いを隠して逃げてしまうという風で、とにかく一重の垣が二人の間に結ばれた様な気合になった。
 それでも或日の四時過ぎに、の言いつけでが背戸【家の裏門・裏口】の茄子畑なすばたけに茄子をもいで居ると、いつのまにか民子ざるを手に持って、の後にきていた。
政夫さん……」
 出し抜けに呼んで笑っている。
もおさんから言いつかって来たのよ。今日の縫物は肩がったろう、少し休みながら茄子をもいできてくれ。明日麹漬こうじづけをつけるからって、おさんがそう言うから、飛んできました」
 民子は非常に嬉しそうに元気一パイで、が、
「それではが先にきているのをさんは知らないで来たの」
 と言うと民子は、
「知らなくてサ」
 にこにこしながら茄子を採り始める。
 茄子畑というは、椎森の下から一重のやぶを通り抜けて、家より西北に当る裏の前栽畑せんざいばたけがけの上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一えんが見渡される。秩父から足柄箱根の山山、富士の高峯たかねも見える。東京の上野の森だと言うのもそれらしく見える。水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、等二人が立って居る茄子畑を正面に照り返して居る。あたり一体にシンとしてまた如何いかにもハッキリとした景色、吾等われら二人は真に画中の人である。
「マア何という好い景色でしょう」
 民子もしばらく手をやめて立った。
 はここで白状するが、この時のたしかに十日以前のではなかった。二人は決してこの時無邪気な友達ではなかった。いつの間にそういう心持が起って居たか、自分には少しも判らなかったが、やはりに叱られた頃から、の胸の中にも小さな恋の卵が幾個いくつか湧きそめて居ったに違いない。の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて民子を女として思ったのが、に邪念の萌芽めざしありし何よりの証拠じゃ。
 民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、今日はしみじみとその美しさが身にしみた。しなやかに光沢つやのあるびんの毛につつまれた耳たぼ、豊かな頬の白く鮮かな、あごのくくしめの愛らしさ、くびのあたり如何いかにも清げなる、藤色の半襟はんえりや花染のたすきや、それらがことごとく優美に眼にとまった。
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そうなると恐ろしいもので、物を言うにも思い切ったことは言えなくなる、はずかしくなる、極りが悪くなる、皆例の卵の作用【男性・女性ホルモン的な話】から起ることであろう。
 ここ十日ほど仲垣の隔てが出来て、ロクロク話もせなかったから、これも今までならば無論そんなこと考えもせぬにきまって居るが、今日はここで何か話さねばならぬ様な気がした。は初め無造作にさんと呼んだけれど、跡は無造作にことばが継がない。おかしくのどがつまって声が出ない。民子は茄子を一つ手に持ちながら体を起して、
政夫さん、なに……」
「何でもないけどさんは近頃へんだからさ。なんかすっかり嫌いになったようだもの」
 民子はさすがに女性にょしょうで、そういうことにはなどより遥に神経が鋭敏になっている。さも口惜くやしそうな顔して、つとの側へ寄ってきた。
政夫さんはあんまりだわ。がいつ政夫さんに隔てをしました……」
「何さ、この頃さんは、すっかり変っちまって、なんかに用はないらしいからよ。それだってさんに不足を言うわけではないよ」
 民子はせきこんで、
「そんな事いうはそりゃ政夫さんひどいわ、御無理だわ。この間は二人を並べて置いて、おさんにあんなに叱られたじゃありませんか。あなたは男ですから平気でお出でだけど、は年は多いし女ですもの、あァ言われては実に面目がないじゃありませんか。それですから、は一生懸命になってたしなんで居るんでさ。それを政夫さん隔てるの嫌になったろうのと言うんだもの、はほんとにつまらない……」
 民子は泣き出しそうな顔つきでの顔をじいッとている。もただ話の小口にそう言うたまでであるから、民子に泣きそうになられては、かわいそうに気の毒になって、
は腹を立って言ったでは無いのに、さんは腹を立ったの……はたださんがにわかに変って、逢っても口もきかず、遊びにも来ないから、いやに淋しく悲しくなっちまったのさ。それだからこれからも時時は遊びにお出でよ。おさんに叱られたらとがを背負うから……人が何と言ったってよいじゃないか」
 何というても児供だけに無茶なことをいう。無茶なことを言われて民子は心配やら嬉しいやら、嬉しいやら心配やら、心配と嬉しいとが胸の中で、ごったになって争うたけれど、とうとう嬉しい方が勝を占めて終った。なお三言四言話をするうちに、民子は鮮かな曇りのない元の元気になった。
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も勿論愉快があふれる……、宇宙間にただ二人きり居るような心持にお互になったのである。やがて二人は茄子のもぎくらをする。大きな畑だけれど、十月の半過ぎでは、茄子もちらほらしかなって居ない。二人でようやく二升ばかりずつを採り得た。
「まァさん、御覧なさい、入日の立派なこと」
 民子はいつしかざるを下へ置き、両手を鼻の先に合せて太陽を拝んでいる。西の方の空は一体に薄紫にぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の出ない太陽が今その半分を山に埋めかけた処、民子が一心入日を拝む しおらしい姿が永く眼に残ってる。
 二人が余念なく話をしながら帰ってくると、背戸口の四つ目垣の外にお増がぼんやり立って、こっちを見て居る。民子は小声で、
お増がまた何とか言いますよ」
「二人共おさんに言いつかって来たのだから、お増なんか何と言ったって、かまやしないさ」
 一事件をる度に二人が胸中に湧いた恋の卵はかさを増してくる。機に触れて交換する双方の意志は、ただちに互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。今日の日暮はたしかにその機であった。ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代できわめて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自らやましい様なこともせぬ。従ってまだまだ暢気のんきなもので、人前をつくろうと言う様な心持は極めて少なかった。民子との関係も、この位でお終いになったならば、十年忘れられないというほどにはならなかっただろうに。
 親というものはどこの親も同じで、吾子わがこをいつまでも児供のように思うている。などもその一人に漏れない。民子はその後時折の書室へやってくるけれど、よほど人目を計らって気ぼねを折ってくる様な風で、いつきても少しも落着かない。先に嫌味いやみを言われたから仕方なしにくるかとも思われたが、それは間違っていた。等二人の精神状態は二三日と言われぬほど著しき変化を遂げている。の変化は最もはなはだしい。
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三日前には、おさんが叱ればとがを背負うから遊びにきてとまで無茶を言うたが、今日はとてもそんなわけのものでない。民子が少し長居をすると、もう気がとがめて心配でならなくなった。
さん、またおいでよ、余り長く居ると人がつまらぬことを言うから」
 民子も心持は同じだけれど、にもう行けと言われると妙にすねだす。
「あレあなたは先日何と言いました。人が何と言ったッてよいから遊びに来いと言いはしませんか。はもう人に笑われてもかまいませんの」
 困った事になった。二人の関係が密接するほど、人目を恐れてくる。人目を恐れる様になっては、もはや罪悪を犯しつつあるかの如く、心もおどおどするのであった。は口でこそ、男も女も十五六になれば児供ではないと言っても、それは理屈の上のことで、心持ではまだまだ二人をまるで児供の様に思っているから、その後民子へやへきて本を見たり話をしたりしているのを、直ぐ前を通りながら一向気に留める様子もない。この間の小言も実はあによめが言うから出たまでで、ほんとうに腹から出た小言ではない。の方はそうであったけれど、兄やあによめお増などは、さかりに蔭言をいうて笑っていたらしく、村中の評判には、二つも年の多いのを嫁にする気かしらんなどともっぱらいうているとの話。それやこれやのことが薄々二人に知れたので、から言いだして当分二人は遠ざかる相談をした。
 人間の心持というものは不思議なもの。二人が少しも隔意なき得心上【心に隔たりがなく、素直に納得して】の相談であったのだけれど、の方から言い出したばかりに、民子は妙にふさぎ込んで、まるで元気がなくなり、悄然しょうぜんとしている【しょげている】のである。それを見るともまた たまらなく気の毒になる。感情の一進一退はこんな風にもつれつつ危くなるのである。とにかく二人は表面だけは立派に遠ざかって四五日を経過した。

 陰暦の九月十三日、今夜が豆の月【豆名月:主に10月13日】だという日の朝、露霜つゆじも【露が凍ってしものようになったもの】が降りたと思うほどつめたい。その代り天気はきらきらしている。十五日がこの村の祭で明日は宵祭という訣故わけゆえ、野の仕事も今日 一渡りきまりをつけねばならぬ所から、家中手分けをして野へ出ることになった。
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それで甘露的恩命が両人ふたりに下ったのである。兄夫婦とお増と外に男一人とは 中稲なかての刈残りを是非刈ってしまわねばならぬ。民子を手伝いとして山畑のわたを採ってくることになった。これはもとよりの指図で誰にも異議は言えない。
「マアあの二人を山の畑へ遣るッて、親というものよッぽどお目出たいものだ」
 奥底のないお増と意地曲りのあによめとは口を揃えてそう言ったに違いない。等二人はもとより心の底では嬉しいに相違ないけれど、この場合二人で山畑へゆくとなっては、人に顔を見られる様な気がして大いに極りが悪い。義理にも進んで行きたがる様な素振りは出来ない。は朝飯前は書室を出ない。民子も何か愚図愚図して支度もせぬ様子。もう嬉しがってと言われるのが口惜しいのである。は起きてきて、
政夫も支度しろ。やもさっさと支度して早く行け。二人でゆけば一日には楽な仕事だけれど、道が遠いのだから、早く行かないと帰りが夜になる。なるたけ日の暮れない内に帰ってくる様によ。お増は二人の弁当をこしらえてやってくれ。お菜はこれこれの物で……」
 まことに親のこころだ。民子に弁当をこしらえさせては、自分のであるから、お菜などはロクな物を持って行かないと気がついて、ちゃんとお増に命じてこしらえさせたのである。はズボン下に足袋たび裸足はだし【足袋だけで何も履かない】麦藁帽むぎわらぼうという出で立ち、民子手指てさしいて【手袋・腕カバー的なもの】股引ももひきいてゆけとが言うと、手指ばかりいて股引ももひきくのにぐずぐずしている。民子のところへきて、股引ももひきかないでもよい様におさんにそう言ってくれと言う。さんがそう言いなさいと言う。押問答をしている内に、はききつけて笑いながら、
「民やは町場者まちばものだから、股引ももひきくのは極りが悪いかい。私はまたお前が柔かい手足へ、いばらすすきで傷をつけるが可哀相だから、そう言ったんだが、いやだと言うならお前のすきにするがよいさ」
 それで子は、例のたすきに前掛姿で麻裏あさうら草履という支度。二人が一斗いっとざる一個宛ひとつずつを持ち、が別にばんニョ【対の】片籠かたかご天秤てんびんとを肩にして出掛ける。
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民子が跡から菅笠すげがさかむって出ると、が笑声で呼びかける。
や、お前が菅笠を被って歩くと、ちょうど木の子が歩くようで見っともない。編笠がよかろう。新らしいのが一つあった筈だ」
 稲刈連は出てしまって別に笑うものもなかったけれど、民子はあわてて菅笠を脱いで、顔を赤くしたらしかった。今度は編笠を被らずに手に持って、それじゃおさんいってまいりますと挨拶して走って出た。
 村のものらも かれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の降口おりくちの大きな銀杏いちょうの樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃たんぼがある。色よく黄ばんだ晩稲おくてに露をおんで【帯びて】、シットリと打伏した光景は、気のせいか殊に清々すがすがしく、胸のすくような眺めである。民子はいつの間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾っている。
さん、もうきたかい。この天気のよいことどうです。ほんとに心持のよい朝だねイ」
「ほんとに天気がよくて嬉しいわ。このまア銀杏の葉の綺麗なこと。さア出掛けましょう」
 民子の美しい手で持ってると銀杏の葉も殊に綺麗に見える。二人は坂を降りてようやく窮屈な場所から広場へ出た気になった。今日は大いそぎで棉を採り片付け、さんざん面白いことをして遊ぼうなどと相談しながら歩く。道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとにれて、いろいろの草が花を開いてる。タウコギ末枯うらがれて、水蕎麦蓼みずそばたでなど一番多く繁っている。都草みやこぐさも黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。さんこれ野菊がとは吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。一寸ちょっとわきへ物を置いて、野菊の花を一握り採った。
 民子は一町【約100m】ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け戻ってきた。
さんはそんなに戻ってきないッたってが行くものを……」
「まア政夫さんは何をしていたの。
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びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、に半分おくれッたら、ほんとうに野菊が好き」
はもとから野菊がだい好き。さんも野菊が好き……」
なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほどこのもしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやらさんは野菊のような人だ」
 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
政夫さん……野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
大好きさ」
 民子はこれからはあなたが先になってと言いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸ちょっと途切れてしまった。
 何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄ほんろうせられつつあるのであれど、野菊の様な人だと言ったことばについで、その野菊をはだい好きだと言った時すら、は既に胸に動悸どうきを起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだずうずうしくはなっていない。民子も同じこと、物に突きあたった様な心持で強くお互に感じた時に声はつまってしまったのだ。二人はしばらく無言で歩く。
 まこと民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐かれんで優しくてそうして品格もあった。嫌味とか憎気とかいう所は爪のあかほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
 しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるは なお おかしい様に思って、無理と話を考え出す。
さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」
わたし何も考えていやしません」
さんはそりゃ嘘だよ。何か考えごとでもしなくてあんな風をするわけはないさ。どんなことを考えていたのか知らないけれど、隠さないだってよいじゃないか」
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政夫さん、済まない。さっきほんとに考事かんがえごとしていました。つくづく考えて情なくなったの。わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」
さんは何のこと言うんだろう。先に生れたから年が多い、十七年育ったから十七になったのじゃないか。十七だから何で情ないのですか。だって、さ来年になれば十七歳さ。さんはほんとに妙なことを言う人だ」
 も今民子が言ったことの心を解せぬほど児供でもない。解ってはいるけど、わざと戯れの様に聞きなして、振りかえって見ると、民子は真に考え込んでいる様であったが、と顔合せて極り わるげにに わかにわきを向いた。
 こうなってくると何をいうても、直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまってしまう。二人の内でどちらか一人が、すこうし ほんの僅かにでも押が強ければ、こんなに話がゆきつまるのではない。お互に心持は奥底まで解っているのだから、吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、話の一歩を進めてお互に明放してしまうことが出来るのである。しかしながら真底からおぼこな二人は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと言う様な、はっきりした意識も勿論ないのだ。言わばだ取止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつまってしまうのである。
 お互に自分で話し出しては自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町かの道を歩いた。ことば数こそ少なけれ、そのことばの奥には二人共に無量の思いを包んで、極りがわるい感情の中には何とも言えない深き愉快をたたえて居る。それでいわゆる足も空に、いつしか田圃たんぼも通りこし、山路へ入った。今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、
政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵おおながさくへは一里に遠いッて言いましたねイ」
「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」
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わたし休まなくとも、ようございますが、早速おさんの罰があたって、すすきの葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」
 親指の中ほどできずは少しだが、血が意外に出た。は早速紙を裂いて結わえてやる。民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。こんな山の中で休むより、畑へってから休もうというので、今度は民子を先にが後になって急ぐ。八時少し過ぎと思う時分に大長柵おおながさくの畑へ着いた。
 十年ばかり前に親父おやじが未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほど ここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石こしこく【離れた所の領地】を持っていると言えば、世間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつもが言ってる畑だ。
 三方林で囲まれ、南が開いて余所よその畑とつづいている。北が高く南が低い傾斜こうばいになっている。の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉は えんでいる【ひびが入っている】。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしているとぶしい様に綺麗だ。
「まアよくえんでること。今日採りにきてよい事しました」
 民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう言った。畑の真中ほどに桐の樹が二本繁っている。葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱をしのぐには十分だ。ここへあたりの黍殻きびがらを寄せて二人が陣どる。弁当包みを枝へ釣る。天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風をふところへ入れ足をのばして休む。青ぎった空にみどりの松林、百舌もずもどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。
「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」
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 顔からくびから汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に民子の横顔を見た。
「そうですねイ、わたし何だか夢の様な気がするの。今朝うちを出る時はほんとに極りが悪くて……ねえさんには変な眼つきでられる、お増には冷かされる、はのぼせてしまいました。政夫さんは平気でいるから憎らしかったわ」
だって平気なもんですか。村の奴らに逢うのがいやだから、は一足先に出て銀杏の下でさんを待っていたんでさア。それはそうと、さん、今日はほんとに面白く遊ぼうね。は来月は学校へ行くんだし、今月とて十五日しかないし、二人でしみじみ話の出来る様なことはこれから先はむずかしい。あわれッぽいこと言うようだけど、二人の中も今日だけかしらと思うのよ。ねイさん……」
「そりゃア政夫さん、は道々そればかり考えて来ました。がさっきほんとに情なくなってと言ったら、政夫さんは笑っておしまいなしたけど……」
 面白く遊ぼう遊ぼう言うても、話を始めると直ぐにこうなってしまう。民子は涙を拭うた様であった。ちょうどよくそこへ馬が見えてきた。西側の山路から、がさがさ笹にさわる音がして、たきぎをつけた馬を引いて頬冠ほおかむりの男が出て来た。よく見ると意外にも村の常吉である。この奴はいつか向うのお浜民子を遊びに連れだしてくれとしきりに頼んだという奴だ。いやな野郎がきやがったなと思うていると、
「や政夫さん。コンチャどうも結構なお天気ですな。今日は御夫婦で棉採りかな。洒落しゃれてますね。アハハハハハ」
「オウ常さん、今日は駄賃かな。大変早く御精が出ますね」
「ハア吾々なんざア駄賃取りでもしてたま一盃いっぱいやるより外に楽しみもないんですからな。民子さん、いやに見せつけますね。あんまり罪ですぜ。アハハハハハ」
 この野郎失敬なと思ったけれど、吾々も余り威張れる身でもなし、笑いとぼけて常吉をやり過ごした。
「馬鹿野郎、実に嫌なやつだ。さアさん、始めましょう。ほんとにさん、元気をお直しよ。そんなにくよくよおしでないよ。
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は学校へ行ったて千葉だもの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」
「ほんとに済みません。泣面なきつらなどして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」
 民子たすき掛けはシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがないから弁当にしようということにして桐の蔭に戻る。はかねて用意の水筒を持って、
さん、は水をんで来ますから、留守番を頼みます。帰りに『えびづる』や『あけび』をうんと土産みやげに採って来ます」
は一人で居るのはいやだ。政夫さん、一所に連れてって下さい。さっきの様な人にでも来られたら大変ですもの」
「だってさん、向うの山を一つ越して先ですよ、清水しみずのある所は。道という様な道もなくて、それこそいばらすすきで足がきずだらけになりますよ。水がなくちゃ弁当が食べられないから、困ったなア、さん、待っていられるでしょう」
政夫さん、後生だから連れて行って下さい。あなたが歩ける道ならにも歩けます。一人でここにいるのはわたしゃどうしても……」
さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。それじゃ一所に行きましょう」
 弁当は棉の中へ隠し、着物はてんでに着てしまって出掛ける。民子しきりに、にこにこしている。はたから見たならば、馬鹿馬鹿しくも見苦しくもあろうけれど、本人同志の身にとっては、その らちもなき押問答の内にも 限りなきうれしみを感ずるのである。高くもないけど道のない所をゆくのであるから、笹原を押分け樹の根につかまり、崖をずる。しばしば民子の手を採っていてやる。
 近く二三日以来の二人の感情では、民子が求めるならばはどんなことでも拒まれない、またが求めるならやはりどんなことでも民子は決して拒みはしない。そういう間柄でありつつも、飽くまで臆病に飽くまで気の小さな両人ふたりは、かつて一度も有意味に手などを採ったことはなかった。しかるに今日は偶然の事からしばしば手を採り合うに至った。這辺このへんの一種言うべからざる愉快な感情は経験ある人にして初めて語ることが出来る。
「民さん、ここまでくれば、清水はあすこに見えます。これからが一人で行ってくるからここに待って居なさい。
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が見えて居たら居られるでしょう」
「ほんとに政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから、ここで待ちましょう。あらア野葡萄えびづるがあった」
 は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少しばかり探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆りんどうの花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で春蘭しゅんらんの大きいのを見つけた。
さん、一寸ちょっと『アックリ』を掘ってゆくから、この『あけび』と『えびづる』を持って行って下さい」
「『アックリ』てなにい。あらア春蘭じゃありませんか」
さんは町場もんですから、春蘭などと品のよいことおっしゃるのです。矢切の百姓なんぞは『アックリ』と申しましてね、あかぎれの薬に致します。ハハハハ」
「あらア口の悪いこと。政夫さんは、きょうはほんとに口が悪くなったよ」
 山の弁当と言えば、土地の者は一般に楽しみの一つとしてある。何か生理上の理由でもあるか知らんが、とにかく、山の仕事をしてやがてたべる弁当が不思議とうまいことは誰も言う所だ。今吾々二人は新らしき清水を汲み来りの心をめた弁当を分けつつたべるのである。興味の尋常でないは言うもおろかな次第だ。は『あけび』を好み民子は野葡萄をたべつつしばらく話をする。
 民子は笑いながら、
政夫さんはあかぎれの薬に『アックリ』とやらを採ってきて学校へお持ちになるの。学校であかぎれがきれたらおかしいでしょうね……」
 は真面目に、
「なアにこれはお増にやるのさ。お増はもうとうにあかぎれを切らしているでしょう。この間も湯に入る時にお増が火をきにきて非常にあかぎれを痛がっているから、その内にが山へ行ったら『アックリ』を採ってきてやると言ったのさ」
「まアあなたは親切な人ですことね……お増蔭日向かげひなたのない憎気のない女ですから、も仲好くしていたんですが、この頃は何となしに突き当る様な事ばかし言って、何でもわたしを憎んでいますよ」
「アハハハ、それはお増どんが焼餅をやくのでさ。つまらんことにもすぐ焼餅を焼くのは、女の癖さ。がそら『アックリ』を採っていってお増にやると言えば、さんがすぐに、まアあなたは親切な人とか何とか言うのと同じわけさ」
「この人はいつのまにこんなに口がわるくなったのでしょう。何を言っても政夫さんにはかないやしない。
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いくらだってお増が根も底もない焼もちだ位は承知していますよ……」
「実はお増不憫ふびんな女よ。両親があんなことになりさえせねば、奉公人とまでなるのではない。親父は戦争で死ぬ、お袋はこれを嘆いたがもとでの病死、一人の兄がはずれものというわけで、とうとうあの始末。国家のために死んだ人の娘だもの、さん、いたわってやらねばならない。あれでもさん、あなたをば大変ほめているよ。意地曲りのあによめにこきつかわれるのだから一層かわいそうでさ」
「そりゃ政夫さんもそう思って居ますさ。おさんもよくそうおっしゃいました。つまらないものですけど何とか かとか 分けてやってますが、また政夫さんの様に情深くされると……」
 民子は言いさしてまた話を詰らしたが、桐の葉に包んで置いた竜胆りんどうの花を手に採って、急に話を転じた。
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」
 花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりで にこにこ笑いだした。
さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
政夫さんはりんどうの様な人だ」
「どうして」
「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆りんどうの様な風だからさ」
 民子は言い終って顔をかくして笑った。
さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの仇討あだうちというわけですか。口真似なんか恐入りますナ。しかしさんが野菊で竜胆りんどうとは面白い対ですね。よろこんでりんどうになります。それでさんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい」
 二人はこんな らちもなき事いうてよろこんでいた。秋の日足の短さ、日はようやく傾きそめる。
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さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかや それぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。民子を先にが後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。
 半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、から影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦そばの花が薄絹をき渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。
さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休んで行きましょう」
「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何とか言われる。政夫さん、はそれが心配になるわ」
「今更心配してもおっつかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよいことは滅多めったにありません。そんなに人に申訣もうしわけのない様な悪いことはしないもの、さん、心配することはないよ」
 月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花がきわ立って白い。
「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、こんなときに面白いことが言えるでしょうね。私ら様な無筆でもこんな時には心配も何も忘れますもの。政夫さん、あなた歌をおやんなさいよ」
は実は少しやっているけど、むずかしくて容易に出来ないのさ。山畑の蕎麦の花に月がよくて、こおろぎが鳴くなどは実にえいですなア。さん、これから二人で歌をやりましょうか」
 お互に一つの心配を持つ身となった二人は、内に思うことが多くてかえって話は少ない。何となく覚束おぼつかない二人の行末、ここで少しく話をしたかったのだ。民子は勿論のこと、よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列のがんが二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。
 ようやく田圃たんぼへ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種の感情が胸に湧いた。
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それは外でもない、何となく家に入りづらいと言う心持である。入りづらいわけはないと思うても、どうしても入りづらい。躊躇ちゅうちょする暇もない、たちまち門前近く来てしまった。
政夫さん……あなた先になって下さい。きまりわるくてしょうがないわ」
「よしとそれじゃが先になろう」
 すこぶる勇気をことに平気な風を装うて門を入った。家の人達は今 夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。咳払せきばらいを一ツやって庭場へ入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先での肩をいた。も承知しているのだ、今 御膳会議で二人の噂が如何いかに盛んであったか。
 宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へそろうた時、も奥から起きてきた。は一通り二人の余り遅かったことをとがめて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小さくなって座敷なかへは出ない。は山から採ってきた、あけびや野葡萄えびづるやを沢山座敷じゅうへ並べ立てて、暗にがこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るものはない。今夜は何の話にも等二人はけものにされる始末で、もはや二人は全く罪あるものと黙決されてしまったのである。
「おさんがあんまり甘過ぎる。あアして居る二人を一所に山畑へやるとは目のないにもほどがある。はたでいくら心配してもおさんがあれでは駄目だ」
 これが台所会議の決定であったらしい。の方でもいつまで児供と思っていたが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更二人を叱って見ても仕方がない。
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なに政夫を学校へってしまいさえせば仔細しさいはないとの心はちゃんときまって居るらしく、
や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日にゆくとしろ……えいか、そのつもりで小支度して置け」
 学校へゆくはもとよりの願い、十日や二十日早くとも遅くともそれに仔細はないが、この場合しかも今夜言渡いいわたしがあって見ると、二人は既に罪を犯したものと定められての仕置であるから、民子は勿論に取ってもすこぶる心苦しい処がある。実際二人はそれほどに堕落したわけでないから、頭からそうときめられては、いささか妙な心持がする。さりとて弁解の出来ることでもなし、また強いことを言える資格も実は無いのである。これが一ヶ月前であったらば、それはおさん御無理だ、学校へ行くのは望みであるけど、とがを着せられての仕置に学校へゆけとはあんまりでしょう……などと直ぐだだを言うのであるが、今夜はそんなわがままを言えるほど無邪気ではない。全くの処、恋に陥ってしまっている。
 あれほど可愛がられた一人のに隠立てをする、何となく隔てを作って心のありたけを言い得ぬまでになっている。おのずから人前をはばかり、人前では殊更ことさらに二人が うとうとしく取りなす様になっている。かくまで私心わたくしごころが長じてきてどうして立派な口がきけよう。はただ一言いちごん
「はア……」
 と答えたきりなんにも言わず、の言いつけに盲従する外はなかった。
は学校へ往ってしまえばそれでよいけど、さんは跡でどうなるだろうか」
 不図ふとそう思って、そっと民子の方を見ると、お増が枝豆をあさってる後に、民子はうつむいて膝の上にたすきをこねくりつつ沈黙している。如何いかにも元気のない風で夜のせいか顔色も青白く見えた。民子の風を見てにわかに悲しくなって泣きたくなった。涙はまぶたを伝って眼が曇った。なぜ悲しくなったか理由は判然はっきりしない。ただ民子が可哀相でならなくなったのである。民子との楽しい関係もこの日の夜までは続かなく、十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまった。嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、憂き悲しいことについては勿論百分の一だも語りあわないで、二人の関係はやみの幕に入ってしまったのである。
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 十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。
 十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、書室へこもりとおしていた。ぼんやり机にもたれたなり何をするでもなく、また二人の関係をどうしようかという様なことすらも考えてはいない。ただ民子のことが頭に充ちているばかりで、極めて単純に民子を思うている外に考えは働いて居らぬ。この二日の間に民子と三四回は逢ったけれど、話も出来ず微笑を交換する元気もなく、うら淋しい心持を互に目に訴うるのみであった。二人の心持が今少しませて居ったならば、この二日の間にも将来の事など随分話し合うことが出来たのであろうけれど、しぶとい心持などは毛ほどもなかった二人には、その場合になかなかそんな事は出来なかった。それでもは十六日の午後になって、何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、日暮に一寸ちょっと来た民子が居なくなってから見てくれと言って渡した。
 朝からここへ入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、ただ繰返し繰返しさんの事ばかり思って居る。さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心ではさんと離れたくない。さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、はそんなことは何とも思わない。さんの思うとおりになるつもりですから、さんもそう思っていて下さい。明日は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきてさんに逢うのを楽しみにして居ります。
  十月十六日
政夫 民子
 学校へ行くとは言え、罪があって早くやられると言う境遇であるから、人の笑声話声にも一々ひがみ心が起きる。皆二人に対する嘲笑かの様に聞かれる。いっそ早く学校へ行ってしまいたくなった。決心が定まれば元気も回復かいふくしてくる。この夜は頭も少しくさえて夕飯も心持よくたべた。学校のこと何くれとなくと話をする。
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やがて寝に就いてからも、
「何だ馬鹿馬鹿しい、十五かそこらの小僧の癖に、女のことなどばかり くよくよ考えて……そうだそうだ、明朝あしたは早速学校へ行こう。民子は可哀相だけれど……もう考えまい、考えたって仕方がない、学校学校……」
 独口ひとりぐちききつつ眠りに入った様なわけであった。

 船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個ひとつにつめ込み民子お増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗するわけで もう船は来て居る。さんそれじゃ……と言うつもりでものどがつまって声が出ない。民子に包を渡してからは、自分の手のやりばに困って胸をでたりえりを撫でたりして、下ばかり向いている。眼にもつ涙をお増に見られまいとして、体を脇へそらしている、民子があわれな姿を見てはも涙が抑え切れなかった。民子は今日を別れと思ってか、髪はさっぱりとした銀杏返いちょうがえに薄く化粧をしている。煤色すすいろと紺の細かい弁慶縞べんけいじまで、羽織はおり長着も同じい米沢紬よねざわつむぎに、品のよい友禅縮緬ゆうぜんちりめんの帯をしめていた。たすきを掛けた民子もよかったけれど今日の民子はまた一層引立って見えた。
 の気のせいででもあるか、民子は十三日の夜からは一日ひとひ一日とやつれてきて、この日のいたいたしさ、は泣かずには居られなかった。虫が知らせるとでもいうのか、これが生涯の別れになろうとは、は勿論民子とて、よもやそうは思わなかったろうけれど、この時のつらさ悲しさは、とても他人に話しても信じてくれるものはないと思う位であった。
 もっと民子の思いはより深かったに相違ない。は中学校を卒業するまでにも、四五年間のある体であるのに、民子は十七で今年の内にも縁談の話があって両親からそう言われれば、無造作に拒むことの出来ない身であるから、行末ゆくすえのことをいろいろ考えて見ると心配の多いわけである。当時のはそこまでは考えなかったけれど、親しく目にみた民子のいたいたしい姿は幾年経っても昨日の事のように眼に浮んでいるのである。
 余所から見たならば、若いうちによくあるいたずらの勝手な泣面と見苦しくもあったであろうけれど、二人の身に取っては、真にあわれに悲しき別れであった。互に手を取って後来【将来】を語ることも出来ず、小雨のしょぼしょぼ降る渡場わたしばに、泣きの涙も人目をはばかり、一言のことばもかわし得ないで永久の別れをしてしまったのである。
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無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょんぼりとしおれていた不憫ふびんさんのおもかげ、どうして忘れることが出来よう。さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとてもにはさんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたら こうもしたら と思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志どうしの思慮には何らの工夫も無かったのである。八百屋お七は家を焼いたらば、再度ふたたび思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸【観音開きの戸】一枚を忍んで開けるほどの知恵ちえも出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親にじ【おそれ】兄弟にはばかり、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何いかに気の弱い同志であったろう。

 は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういうことばの尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をして居た。そういう始末でようやく年もくれ冬期休業になった。
 が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面にもみを干してあって、は前の縁側に蒲団ふとんを敷いて日向ぼっこをしていた。近頃はよほど体の工合もよい。今日は兄夫婦と男とお増とは山へ落葉くずをはきに行ったとの話である。さんはと口の先まで出たけれどついに言い切らなかった。も意地悪く何とも言わない。は帰り早々民子のことを問うのが如何いかにも極り悪く、そのまま例の書室を片づけてここに落着いた。しかし日暮までには民子も帰ってくることと思いながら、おろおろして待って居る。皆が帰っていよいよ夕飯ということになっても民子の姿は見えない、誰もまた民子のことを一言も言うものもない。はもう民子は市川へ帰ったものと察して、人に問うのも いまいましい【しゃくにさわってたまらない】から、外の話もせず、飯がすむとそれなり書室へ入ってしまった。
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 今日は必ず民子に逢われることと一方ならず楽しみにして帰って来たのに、この始末で何とも言えず力が落ちて淋しかった。さりとて誰にこの苦悶くもんを話しようもなく、民子の写真などを取出して見て居ったけれど、ちっとも気が晴れない。またあの奴民子が居ないから考え込んで居やがると思われるも口惜くやしく、ようやく心を取直し、の枕元へいって夜遅くまで学校の話をして聞かせた。
 くる日は九時頃にようやく起きた。は未だ寝ている。台所へ出て見ると外の者は皆また山へ往ったとかで、お増が一人台所片づけに残っている。は顔を洗ったなり飯も食わずに、背戸の畑へ出てしまった。この秋、民子と二人で茄子なすをとった畑が今は青々と菜がほきている【咲きはじめている】。はしばらく立って何所いずこを眺めるともなく、民子おもかげを脳中にえがきつつ思いに沈んでいる。
政夫さん、何をそんなに考えているの」
 お増が出し抜けに後からそいって、近くへ寄ってきた。がよい加減なことを一言二言いうと、お増はいきなりの手をとって、も少しこっちへきてここへ腰を掛けなさいまアと言いつつ、わらを積んである所へ自分も腰をかけてにも掛けさせた。
政夫さん……おさんはほんとに可哀相でしたよ。うちの姉さんたらほんとに意地曲りですからネ。何という根性の悪い人だか、もはアここのうちに居るのは嫌になってしまった。昨日政夫さんが来るのは解りきって居るのに、姉さんがいろんなことを言って、一昨日おさんを市川へ帰したんですよ。待つ人があるだっぺとか逢いたい人が待ちどおかっぺとか、当こすりを言っておさんを泣かせたりしてネ、おさんにも何でもいろいろなこと言ったらしい、とうとう一昨日お昼前に帰してしまったのでさ。政夫さんが一昨日きたら逢われたんですよ。政夫さん、私はおさんが可哀相で可哀相でならないだよ。何だってあなたが居なくなってからはまるで泣きの涙で日を暮らして居るんだもの、政夫さんに手紙をやりたいけれど、それがよく自分には出来ないから口惜しいと言ってネ。私の部屋へ三晩もすずりと紙を持ってきては泣いて居ました。おさんも始まりは私にも隠していたけれど、後には隠して居られなくなったのさ。
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私もおさんのためにいくら泣いたか知れない……」
 見ればお増はもう ぽろぽろ涙をこぼしている。一体お増は ごく人のよい親切な女で、民子が目の前で仲好い風をすると、嫉妬心しっとしんを起すけれど、もとより執念深い性でないから、民子が一人になれば民子と仲が好く、が一人になればを大騒ぎするのである。
 それからなおお増は、が居ない跡で民子が非常にに叱られたことなどを話した。それは概略こうである。意地悪のあによめが何を言うても、民子を愛することは少しも変らないけれど、二つも年の多い民子の嫁にすることはどうしてもいけぬと言うことになったらしく、それにはあによめもいろいろ言うて、嫁にしないとすれば、二人の仲はなるたけ裂く様な工夫をせねばならぬ。あによめもそういう心持になって居るから、民子に対する仕向けは、政夫のことを思うて居ても到底駄目であると遠回しに諷示ふうじして【ほのめかして】居た。そこへきて民子が明けてもくれても くよくよして、人の眼にも とまるほどであるから、時々は物忘れをしたり、呼んでも返辞が遅かったりして、疳癪かんしゃくにさわったことも度々あった。が居なくなってから二十日許ばかり経って十一月の月初めの頃、民子も外の者と野へ出ることとなって、民子にお前は一足跡になって、座敷のまわりを雑巾掛ぞうきんがけしてそれから庭に広げてあるむしろを倉へ片づけてから野へゆけと言いつけた。民子は雑巾がけをしてから うっかり忘れてしまって、むしろを入れずに野へ出た処、間がわるくその日雨が降ったから、そのむしろ十枚ばかりを濡らしてしまった。民子は雨が降ってから気がついたけれど、もう間に合わない。うちへ帰って早速びたけれどは平日の事が胸にあるから、
「何も十枚ばかりのむしろが惜しいではないけれど、一体私の言いつけをおろそかに聞いているから起ったことだ。もとの民子はそうでなかった。得手勝手な考えごとなどしているから、人の言うことも耳へ入らないのだ……」
 という様な随分痛い小言を言った。民子の枕元近くへいって、どうかが悪かったのですから堪忍かんにんして……と両手をついてあやまった。そうするとはまたそう何も他人らしく改まって あやまらなくともだ と叱ったそうで、民子はたまらなくなってワッと泣き伏した。
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そのまま民子が泣きやんでしまえば何のこともなく済んだであろうが、民子はとうとう一晩中泣きとおしたので翌朝は眼を赤くして居た。も夜時々眼をさましてみると、民子はいつでも、すくすく泣いている声がしていたというので、今度はが非常に立腹して、お増民子と二人呼んで顫声ふるえごえになって言うには、
相対あいたいでは私がどんな我ままなことを言うかも知れないからお増聞人ききてになってくれ。民子はゆうべ一晩中泣きとおした。定めし私に言われたことが無念でたまらなかったからでしょう」
 民子はここで私はそうでありませんと泣声でいうたけれど、は耳にもかけずに、
「なるほど私の小言も少し言い過ぎかも知れないが、民子だって何もそれほど口惜くやしがってくれなくても よさそうなものじゃないか。私はほんとに考えると情なくなってしまった。かわいがったのを恩に着せるではないが、もとを言えば他人だけれど、乳呑児ちのみごの時から、民子はしょっちゅう家へきて居て今の政夫と二つの乳房を一つずつ含ませて居た位、お増がきてからもあの通りで、二つのものは一つ宛 四つのものは二つ宛、着物をこしらえてもあれに一枚これに一枚と少しも分け隔てをせないできた。民子も真の親の様に思ってくれ私も吾子わがこと思って余所の人は誰だって二人を兄弟と思わないものはなかったほどであるのに、あとにも先にも一度の小言をあんなに悔しがって夜中泣いて呉れなくともよさそうなもの。市川の人達に聞かれたらば、斎藤のばあがどんな非度ひどいことを言ったかと思うだろう。十何年という間我子の様に思ってきたこともただ一度の小言で忘れられてしまったかと思うと私は口惜しい。人間というものはそうしたものかしら。お増、よく聞いてくれ、私が無理か民子が無理か。なアお増
 は眼に涙を一ぱいに溜めてそういった。民子は身も世もあらぬさまでいきなりにお増の膝へすがりついて泣き泣き、
お増や、おさんに申訣もうしわけをしておくれ。私はそんなだいそれた了簡りょうけんではない。ゆんべあんなに泣いたは全く私が悪かったから、全く私がとどかなかったのだから、お増や、お前がよく申訣もうしわけをそういっておくれ……」
 それからお増が、
「おさんの御立腹も御尤ごもっともですけれど、私が思うにャおさんも少し勘違いをして御いでなさいます。おさんは永年おさんをかわいがって御いでですから、おさんの気質きだては解って居りましょう。
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私もこうして一年御厄介になって居てみれば、おさんはほんと優しい温和おとなしい人です。おさんに少しばかり叱られたって、それを悔しがって泣いたりなんぞする様な人ではありますまい。私がこんなことを申してはおかしいですが、政夫さんとおさんとは、あアして仲好くして居たのを、何かの御都合で急にお別れなさったもんですから、それからというもの、おさんは可哀相なほど元気がないのです。木の葉のそよぐにも溜息ためいきをつき からすの鳴くにも涙ぐんで、さわれば泣きそうな風でいたところへ、おさんから少しきつく叱られたから留度とめどなく泣いたのでしょう。おさん、私は全くそう思いますわ。おさんは決してあなたに叱られたとて悔しがるような人ではありません。おさんの様な温和おとなしい人を、おさんの様にあアいって叱っては、あんまり可哀相ですわ」
 お増が共泣きをして言訣いいわけをいうたので、もとより民子は憎くないだから、にわかに顔色を直して、
「なるほどお増がそういえば、私も少し勘違いをしていました。よくお増そういうてくれた。私はもうすっかり心持がなおった。や、だまっておくれ、もう泣いてくれるな。やも可哀相であった。なに政夫は学校へ行ったんじゃないか、暮には帰ってくるよ。なアお増、お前は今日は仕事を休んで、うまい物でもこしらえてくれ」
 その日は三人がいく度もよりあって、いろいろな物をこしらえては茶ごとをやり、一日面白く話をした。民子はこの日はいつになく高笑いをし元気よく遊んだ。何と言ってもの方は直ぐ話が解るけれど、あによめがな すきがな 種々いろいろなことを言うので、とうとうの帰らない内に民子を市川へ帰したとの話であった。お増は長い話を終るや否やすぐ家へ帰った。
 なるほどそうであったか、姉は勿論までがそういう心になったでは、か弱い望も絶えたも同様。心細さの遣瀬やるせがなく、泣くより外にせんがなかったのだろう。そんなにに叱られたか……一晩中泣きとおした……なるほどなどと思うと、再び熱い涙がみなぎり出してとめどがない。はしばらくの間、涙の出るがままにそこにぼんやりして居った。その日はとうとう朝飯もたべず、昼過ぎまで畑のあたりをうろついてしまった。
 そうなるとにわかに家に居るのが嫌でたまらない。
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出来るならば暮の内に学校へ帰ってしまいたかったけれど、そうもならないでようやくこらえて、年を越し元日一日置いて二日の日には朝早く学校へ立ってしまった。
 今度は陸路市川へ出て、市川から汽車に乗ったから、民子の近所を通ったのであれど、は極りが悪くてどうしても民子の家へ寄れなかった。またに寄られたらば、民子が困るだろうとも思って、いくたび寄ろうと思ったけれどついに寄らなかった。
 思えば実に人の境遇は変化するものである。その一年前までは、民子の所へ来て居なければ、は日曜のたびに民子の家へ行ったのである。民子の家へ行っても外の人には用はない。いつでも、
祖母ばあさん、さんは」
 そら「さんは」が来たといわれる位で、或る時などはがゆくと、民子は庭に菊の花を摘んで居た。さん一寸ちょっと御出でと無理に背戸へ引張って行って、二間梯子にけんばしごを二人でにない出し、柿の木へ掛けたのを民子に抑えさせ、が登って柿を六個むっつばかりとる。民子に半分やれば民子は一つで沢山というから、はその五つを持ってそのまま裏から抜けて帰ってしまった。さすがにこの時は戸村の家でも家中でを悪く言ったそうだけれど、民子一人は ただ にこにこ笑って居て、決して政夫さん悪いとは言わなかったそうだ。これ位隔てなくした間柄だに、恋ということ覚えてからは、市川の町を通るすらはずかしくなったのである。
 この年の暑中休みには家に帰らなかった。暮にも帰るまいと思ったけれど、年の暮だから一日でも二日でも帰れというてから手紙がきた故、大三十日おおみそかの夜帰ってきた。お増も今年きりでさがったとの話でいよいよ話相手もないから、また元日一日で二日の日に出掛けようとすると、がお前にも言うて置くが民子は嫁にった、去年のしも月【11月】 やはり市川の内で、大変裕福な家だそうだ、と簡単にいうのであった。は はアそうですかと無造作に答えて出てしまった。
 民子は嫁に往った。この一語を聞いた時のの心持は自分ながら不思議と思うほどの平気であった。民子を思っている感情に何らの動揺を起さなかった。これには何か相当の理由があるかも知れねど、ともかくも事実はそうである。
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はただ理屈なしに民子如何いかな境涯【境遇】に入ろうとも、を思っている心は決して変らぬものと信じている。嫁にいこうがどうしようが、民子は依然民子で、民子を思う心に寸分の変りない様に民子にも決して変りない様に思われて、その観念は殆ど大石の上に坐して居る様で毛の先ほどの危惧心きぐしんもない。それであるから民子は嫁に往ったと聞いても少しも驚かなかった。しかしその頃から今までにない考えも出て来た。民子は ただただ 少しも元気がなく、やせ衰えてふさいでばかり居るだろうとのみ思われてならない。可哀相なさんという観念ばかり高まってきたのである。そういうわけであるから、学校へ往っても以前とは殆ど反対になって、以前は勉めて人中へ入って、苦悶を紛らそうとしたけれど、今度はなるべく人を避けて、一人で民子の上に思いをせて楽しんで居った。茄子畑の事や棉畑わたばたけの事や、十三日の晩の淋しい風や、また矢切の渡で別れた時の事やを、繰返し繰返し考えては独り慰めて居った。民子の事さえ考えればいつでも気分がよくなる。勿論悲しい心持になることがしばしばあるけれど、さんざん涙を出せばやはり跡は気分がよくなる。民子の事を思って居ればかえって学課の成績も悪くないのである。これらも不思議の一つで、如何いかなる理由か知らねど、は実際そうであった。

 いつしか月も経って、忘れもせぬ六月二十二日、が算術の解題に苦んで考えて居ると、小使が斎藤さん おうちから電報です、と言って机の端へ置いて去った。例のスグカエレであるから、早速舎監に話をして即日帰省した。何事が起ったかと胸に動悸をはずませて帰って見ると、宵闇よいやみの家の有様は意外に静かだ。台所で家中夕飯時であったが、ただそこにが見えないばかり、何の変った様子もない。は台所へは顔も出さず、直ぐとの寝所へきた。行灯あんどんも薄暗く、はひったり【びったり】枕に就いてせって居る。
「おさん、どうかしましたか」
「あア政夫、よく早く帰ってくれた。今 私も起きるからお前 御飯前なら御飯を済ましてしまえ」
 は何のことかしきりに気になるけれど、がそういうままに早々に飯をすまして再びの所へくる。は帯をうて蒲団の上に起きていた。が前に坐ってもただ無言でいる。見るとは雨の様な涙を落して俯向うつむいている。
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「おさん、まアどうしたんでしょう」
 ことばに励まされてはようやく涙を拭き、
政夫、堪忍してくれ……民子は死んでしまった……私が殺した様なものだ……」
「そりゃいつです。どうしてさんは死んだんです」
 が夢中になって問返すと、嗚咽むせび返って顔を抑えて居る。
「始終をきいたら、定めし非度ひどい親だと思うだろうが、こらえてくれ、政夫……お前に一言の話もせず、たっていやだと言う民子を無理に勧めて嫁にやったのが、こういうことになってしまった……たとい女の方が年上であろうとも本人同志が得心であらば、何も親だからとて余計な口出しをせなくもよいのに、このが年甲斐がいもなく親だてらにいらぬお世話を焼いて、取返しのつかぬことをしてしまった。民子は私が手を掛けて殺したも同じ。どうぞ堪忍してくれ、政夫……私は民子の跡追ってゆきたい……」
 はもう おいおいおいおい 声を立てて泣いている。民子の死ということだけは判ったけれど、何が何やら更に判らぬ。とて民子の死と聞いて、失神するほどの思いであれど、今目の前での嘆きの一通りならぬを見ては、泣くにも泣かれず、がおろおろしている所へ兄夫婦が出てきた。
「おさん、まアそう泣いたって仕方がない」
 と言えばは、かまわずに泣かしておくれ泣かしておくれと言うのである、どうしようもない。
 その間であによめわずかに話す所を聞けば、市川のそれがしという家で先の男の気性も知れているに財産も戸村の家に倍以上であり、それで向うから民子っての所望、媒妁人なこうどというのも戸村が世話になる人である、是非やりたい是非往ってくれということになった。民子はどうでもいやだと言う。民子のいやだという精神こころはよく判っているけれど、政夫さんの方は年も違い先の永いことだから、どうでもそれがしの家へやりたいとは、戸村の人達は勿論親類までの希望であった。それでいよいよ斎藤のおッさんに意見をして貰うということに相談が極り、それで家のおさんが民子に幾度意見をしても泣いてばかり承知しないから、とどのつまり、お前がそう剛情はるのも政夫の処へきたい考えからだろうけれど、それはこのが不承知でならないよ、お前はそれでも今度の縁談が不承知か。こんな風に言われたから、民子はすっかり自分をあきらめたらしく、とうとう皆様のよい様にといって承知をした。それからは何もかもひとの言うなりになって、しもなかばに祝儀をしたけれど、民子の心持がほんとうの承知でないから、向うでもいくらかいや気になり、民子は身持になったが、六月むつきでおりてしまった。跡の肥立ちが非常に悪くついに六月十九日に息を引き取った。
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病中に知らせようとの話もあったが、今更政夫に知らせる顔もないというわけから知らせなかった。家のおさんは民子が未だ口をきく時から、市川へ往って居って、民子がいけなくなると、もう泣いて泣いて泣きぬいた。一口まぜに、民子は私が殺した様なものだ、とばかりいって居て、市川へ置いたではどうなるか知れぬというわけから、昨日車で家へ送られてきたのだ。話さえすれば泣く、泣けば私が悪かった悪かったと言って居る。誰にも仕様がないから、政夫さんの所へ電報を打った。民子も可哀相だしおさんも可哀相だし、飛んだことになってしまった。政夫さん、どうしたらよいでしょう。
 あによめの話で大方は判ったけれど、もどうしてよいやら殆ど途方にくれた。はもう半気違いだ。何しろここではの心を静めるのが第一とは思ったけれど、慰めようがない。だっていっそ気違いになってしまったらと思った位だから、を慰めるほどの気力はない。そうこうしている内にようやくも少し落着いてきて、また話し出した。
政夫や、聞いてくれ。私はもう自分の悪党にあきれてしまった。何だってあんな非度ひどいことを民子に言ったっけかしら。今更なんぼ悔いても仕方がないけど、私は政夫……民子にこう言ったんだ。政夫と夫婦にすることはこのが不承知だからおまえは外へ嫁に往け。なるほど民子は私にそう言われて見れば自分の身をあきらめる外はないわけだ。どうしてあんなむごたらしいことを言ったのだろう。ああ可哀相な事をしてしまった。全く私が悪党を言うた為に民子は死んだ。お前はネ、明朝あしたは夜が明けたら直ぐに往って よオく民子の墓に参ってくれ。それでおさんの悪かったことをよく詫びてくれ。ねイ政夫
 もようやく泣くことが出来た。たといどういう都合があったにせよ、いよいよ見込がなくなった時には逢わせてくれてもよかったろうに、死んでから知らせるとは随分非度いわけだ。さんだってには逢いたかったろう。
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嫁に往ってしまっては申訣もうしわけがなく思ったろうけれど、それでもいよいよの真際まぎわになってはに逢いたかったに違いない。実に情ない事だ。考えて見ればもあんまり児供であった。その後市川を三回も通りながらたずねなかったは、今更残念でならぬ。民子が嫁にゆこうがゆくまいが、ただ民子に逢いさえせばよいのだ。今一目逢いたかった……次から次と果てしなく思いは溢れてくる。しかしにそういうことを言えば、今度はを殺す様なことになるかも知れない。きっと心を取り直した。
「おさん、ほんと民子は可哀相でありました。しかし取って返らぬことをいくら悔んでも仕方がないですから、跡の事をねんごろ【まごころをつくす】にしてやる外はない。おさんは ただただ 御自分の悪い様にばかりとっているけれど、おさんとて精神こころはただ民子のため政夫のためと一筋に思ってくれた事ですから、よしそれが思う様にならなかったとて、民子等が何とておさんを恨みましょう。おさんの精神はどこまでも情心なさけごころでしたものを、民子も決して恨んではいやしまい。何もかもこうなる運命であったのでしょう。はもう諦めました。どうぞこの上おさんも諦めて下さい。明日の朝は夜があけたら直ぐ市川へ参ります」
 はなおことばを次いで、
「なるほど何もかもこうなる運命かも知らねど 今度という今度 はよくよく後悔しました。俗に親馬鹿という事があるが、その親馬鹿が飛んでもない悪いことをした。親がいつまでも物の解ったつもりで居るが、大へんな間違いであった。自分は阿弥陀あみだ様におすがり申して救うて頂く外に助かる道はない。政夫や、お前は体を大事にしてくれ。思えば民子はなが年の間にもついぞにさからったことはなかった、おとなしい児であっただけ、自分のした事が悔いられてならない、どうしても可哀相でたまらない。民子が 今はの時の事も お前に話して聞かせたいけれどにはとてもそれが出来ない」
 などとまた声をくもらしてきた。もう話せば話すほど悲しくなるからとていて一同寝ることにした。
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 の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえてようやくこらえていたは、自分の蚊帳かやへ入り蒲団に倒れると、もうたまらなく一度にこみ上げてくる。口へは手拭を噛んで、涙を絞った。どれだけ涙が出たか、隣室のから夜が明けた様だよと声を掛けられるまで、少しも止まず涙が出た。着たままで寝ていたはそのまま起きて顔を洗うや否や、未だほのぐらいのに家を出る。夢のように二里の路を走って、太陽がようやく地平線に現われた時分に戸村の家の門前まで来た。この家のかまどのある所は庭から正面に見透して見える。朝炊あさだきに麦藁をいてパチパチ音がする。が前の縁先に立つと奥に居た祖母ばあさんが、目敏めざとく見つけて出てくる。
「かねや、かねや、とみや……政夫さんが来ました。まア政夫さんよく来てくれました。大そう早く。さアお上んなさい。起き抜きでしょう。さア……かねや……」
 民子のお父さんとお母さん、民子の姉さんも来た。
「まアよく来てくれました。あなたの来るのを待ってました。とにかくに上って御飯をたべて……」
 は上りもせず腰もかけず、しばらく無言で立っていた。ようやくと、
さんのお墓に参りにきました」
 切なる様は目に余ったと見え、四人よったりとも口がきけなくなってしまった。……やがてお父さんが、
「それでもまア一寸ちょっと御飯を済して往ったら……あアそうですか。それでは皆して参ってくるがよかろう……いや着物など着替えんでよいじゃないか」
 女達は、もう鼻啜はなすすりをしながら、それじゃアとて立ちあがる。水を持ち、線香を持ち、庭の花を沢山に採る。小田巻草 千日草 天竺牡丹てんじくぼたん各々めいめい手にとり別けて出かける。柿の木の下から背戸へ抜け槙屏まきべい【常緑樹の塀】の裏門を出ると松林である。桃畑梨畑の間をゆくと僅の田がある。その先の松林の片隅に雑木の森があって数多あまたの墓が見える。戸村家の墓地は冬青もちのき四五本を中心として六坪許ばかりを区別けしてある。そのほどよい所の新墓にいはか民子永久とわ住家すみかであった。ほうむりをしてから雨にも逢わないので、ほんの新らしいままで、力紙ちからがみ【葬列の道具の一つである力杖ちからづえに結びつける紙】なども今結んだ様である。祖母ばあさんが先に出でて、
「さア政夫さん、何もかもあなたの手でやって下さい。
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民子のためにはほんに千僧の供養にまさるあなたの香花こうげ【仏事の際に供え物として使われるしきみの別名】、どうぞ政夫さん、よオくお参りをして下さい……今日は民子も定めて草葉の蔭で嬉しかろう……なあ此人このひとにせめて一度でも、目をねむらない民子に……まアせめて一度でも逢わせてやりたかった……」
 三人は眼をこすっている様子。は香を上げ花を上げ水を注いでから、前につくばって心のゆくまで拝んだ。しんに情ないわけだ。寿命で死ぬは致方ないにしても、長くわずらって居る間に、あア見舞ってやりたかった、一目逢いたかった。さんに逢いたかったもの、さんだってに逢いたかったに違いない。無理無理にいられたとは言え、嫁に往ってはに合わせる顔がないと思ったに違いない。思えばそれが愍然あわれでならない。あんな温和おとなしいさんだもの、両親から親類中かかって強いられ、どうしてそれが拒まれよう。さんが気の強い人ならきっと自殺をしたのだけれど、温和しい人だけにそれも出来なかったのだ。さんは嫁に往ってもの心に変りはないと、せめての口から一言いって死なせたかった。世の中に情ないといってこういう情ないことがあろうか。もうも生きて居たくない……吾知らず声を出しては両ひざと両手を地べたへ突いてしまった。
 の様子を見て、後に居た人がどんなに泣いたか。も吾一人でないに気がついてようやく立ちあがった。三人の中の誰がいうのか、
「なんだって民子は、政夫さんということをば一言も言わなかったのだろう……」
「それほどに思い合ってる仲と知ったらあんなに勧めはせぬものを」
「うすうすは知れて居たのだに、この人の胸も聞いて見ず、民子もあれほどいやがったものを……いくら若いからとてあんまりであった……可哀相に……」
 三人も香花を手向たむけ水を注いだ。祖母ばあさんがまた、
政夫さん、あなた力紙を結んで下さい。沢山結んで下さい。民子はあなたが情の力を便りにあの世へゆきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 ふところにあった紙の有りたけを力杖に結ぶ。この時ふっと気がついた。さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。さんは野菊の中へ葬られたのだ。
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はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。

 は何にもほしくありません。御飯は勿論茶もほしくないです、このままお暇願います、明日はまた早く上りますからといって帰ろうとすると、家中うちじゅうで引留める。民子のお母さんはもうたまらなそうな風で、
政夫さん、あなたにそうして帰られては私等は居ても起ってもいられません。あなたが面白くないお心持は重々察しています。考えてみれば私どもの届かなかったために、民子にも不憫ふびんな死にようをさせ、政夫さんにも申訣もうしわけのないことをしたのです。私共は如何様いかようにもあなたにお詫びを致します。民子可哀相と思召おぼしめしたら、どうぞ民子が 今はの話も 聞いて行って下さいな。あなたがおでになったら、お話し申すつもりで、今日はお出でか明日はお出でかと、実は家中がお待ち申したのですからどうぞ……」
 そう言われてはも帰るわけにゆかず、もそう言ったのに気がついて座敷へ上った。茶や御飯やと出されたけれども真似ばかりで済ます。その内に人々皆奥へ集り祖母ばあさんが話し出した。
政夫さん、民子の事については、私共一同誠に申訣もうしわけがなく、あなたに合せる顔はないのです。あなたに色々御無念な処もありましょうけれど、どうぞ政夫さん、過ぎ去った事と諦めて、御勘弁を願います。あなたにお詫びをするのが何より民子の供養になるのです」
 はただもう胸一ぱいで何も言うことが出来ない。祖母ばあさんは話を続ける。
「実はと申すと、あなたのおさん始め、私また民子の両親とも、あなたと民子がそれほど深いなかであったとは知らなかったもんですから」
はここで一言いいだす。
さんと私と深い間とおっしゃっても、さんと私とはどうもしやしません」
「いイえ、あなたと民子がどうしたと申すではないのです。もとからあなたと民子は非常な仲好しでしたから、それが判らなかったんです。それに民子はあの通りの内気な児でしたから、あなたの事は一言も口に出さない。それはまるきり知らなかったとは申されません。それですからお詫びを申す様なわけ……」
 は皆さんにそんなにお詫びを言われるわけはないという。民子のお父さんはお詫びを言わしてくれという。
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「そりゃ政夫さんのいうのは御もっともです、私共が勝手なことをして、勝手なことをお前さんに言うというものですが、政夫さん聞いて下さい、理屈の上のことではないです。男親の口からこんなことをいうも如何いかがですが、民子は命に替えられない思いを捨てて両親の希望に従ったのです。親のいいつけでそむかれないと思うても、道理で感情を抑えるは無理な処もありましょう。民子の死は全くそれ故ですから、親の身になって見ると、どうも残念でありまして、どうもしやしませんと政夫さんが言う通り、お前さんたち二人に何の罪もないだけ、親の目からは不憫ふびんが一層でな。あの通り温和おとなしかった民子は、自分の死ぬのは心柄とあきらめてか、ついぞ一度不足らしい風も見せなかったです。それやこれやを思いますとな、どう考えてもちと親が無慈悲であった様で……。政夫さん、察して下さい。見る通り家中がもう、悲しみの闇にとざされて居るのです。愚かなことでしょうがこの場合お前さんに民子の話を聞いて貰うのが何よりの慰藉いしゃに思われますから、年がいもないこと申す様だが、どうぞ聞いて下さい」
 祖母ばあさんがまた話を続ける。結婚の話から いよいよ むずかしくなったまでの話はあによめが家での話と同じで、今はという日の話はこうであった。
「六月十七日の午後に医者がきて、もう一日二日の処だから、親類などに知らせるならば今日中にも知らせるがよいと言いますから、それではとて取敢とりあえずあなたのおさんに告げると十八日の朝飛んできました。その日は民子は顔色がよく、はっきりと話も致しました。あなたのおっかさんがきまして、や、決して気を弱くしてはならないよ、どうしても今一度なおる気になっておくれよ、や……民子はにっこり笑顔さえ見せて、矢切やぎりのおさん、いろいろ有難う御座います。長長可愛がって頂いた御恩は死んでも忘れません。私も、もう長いことはありますまい……。や、そんな気の弱いことを思ってはいけない。決してそんなことはないから、しっかりしなくてはいけないと、あなたのおさんが言いましたら、民子はしばらくたって、矢切のおさん、私は死ぬが本望であります、死ねばそれでよいのです……といいましてからなお口の内で何か言った様で、何でも、政夫さん、あなたの事を言ったに違いないですが、よく聞きとれませんでした。
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それきり口はきかないで、その夜の明方に息を引取りました……。それから政夫さん、こういうわけです……夜が明けてから、枕を直させます時、あれの母が見つけました、民子は左の手に紅絹もみの切れに包んだ小さな物を握ってその手を胸へ乗せているのです。それで家中の人が皆集って、それをどうしようかと相談しましたが、可哀相なような気持もするけれど、見ずに置くのも気にかかる、とにかく開いて見るがよいと、あれの父が言い出しまして、皆の居る中であけました。それが政さん、あなたの写真とあなたのお手紙でありまして……」
 祖母ばあさんが、泣き出して、そこにいた人皆涙を拭いている。は一心に畳を見つめていた。やがて祖母ばあさんが ようよう話を次ぐ。
「そのお手紙をお富が読みましたから、誰も彼も一度に声を立って泣きました。あれの父は男ながら大声して泣くのです。あなたのおさんは、気がふれはしないかと思うほど、口説くどいて泣く。お前達二人がこれほどの語らいとは知らずに、無理無体に勧めて嫁にやったは悪かった。あア悪いことをした、不憫ふびんだった。や、堪忍して、私は悪かったから堪忍してくれ。にわかの騒ぎですから、近隣の人達が、どうしましたと言って尋ねにきた位でありました。それであなたのおさんはどうしても泣き止まないです。体にさわってはと思いまして葬式が済むと車で御送り申した次第です。身を諦めた民子の心持が、こう判って見ると、誰も彼も同じことで今更の様に無理に嫁にやった事が後悔され、たまらないですよ。考えれば考えるほどあの児が可哀相で可哀相で居てもっても居られない……せめてあなたに来て頂いて、皆が悪かったことを十分あなたにおびをし、またあれの墓にも香花こうげをあなたの手から手向けて頂いたら、少しは家中の心持も休まるかと思いまして……今日のことをなんぼう待ちましたろ。政夫さん、どうぞ聞き分けて下さい。ねイ民子はあなたにはそむいては居ません。どうぞ不憫ふびんと思うてやって下さい……」
 一語一句 皆 涙で、も一時泣きふしてしまった。民子は死ぬのが本望だと言ったか、そういったか……家の母があんなに身を責めて泣かれるのも、その筈であった。は、
祖母ばあさん、よく判りました。私はさんの心持はよく知っています。
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去年の春、さんが嫁にゆかれたと聞いた時でさえ、私はさんを毛ほども疑わなかったですもの。どの様なことがあろうとも、私がさんを思う心持は変りません。家の母なども ただそればかり言って嘆いて居ますが、それも皆悪気があってのわざでないのですから、私は勿論さんだって決して恨みに思やしません。何もかも定まった縁と諦めます。私は当分毎日お墓へ参ります……」
 話しては泣き泣いては話し、甲一語乙一語【甲が一言話すと乙も一言返す】いくら泣いても果てしがない。のことも気にかかるので、もうお昼だという時分に戸村の家を辞した。戸村のお母さんは、民子の墓の前での素振りが余り痛わしかったから、途中が心配になるとて、自分で矢切の入口まで送ってきてくれた。民子愍然あわれなことはいくら思うても思いきれない。いくら泣いても泣ききれない。しかしながらまた目の前のが、悔悟の念に攻められ、自ら大罪を犯したと信じて嘆いている愍然あわれさを見ると、はどうしても今は民子を泣いては居られない。が めそめそして居ったでは、の苦しみは増すばかりと気がついた。それから一心に自分で自分を励まし、元気をよそおうてひたすらを慰める工夫をした。それでも心にない事は仕方のないもの、はいつしかそれと気がついてる様子、そうなってはが家に居ないより外はない。
 毎日七日なぬかの間市川へ通って、民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。そのくる日には十分の精神の休まる様に自分の心持を話して、決然学校へ出た。

       *      *      *

 民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、は余儀なき結婚をして長らえている。民子の写真との手紙とを胸を離さずに持って居よう。幽明はるけく隔つ【生者の世界と死者の世界は、遠く離れて隔てられている】ともの心は一日も民子の上を去らぬ。




底本:「日本文学全集別巻1 現代名作集」河出書房
   1969(昭和44)年
初出:「ホトトギス」
   1906(明治39)年1月
入力:kaku
校正:伊藤時也
1999年1月6日公開
2013年7月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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----- (以下、シン文庫 追記) -----
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