後の月【十三夜:日本の風習】という時分【10月中旬】が来ると、どうも思わずには居られない。幼い
訣とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年
余も
過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、
寧ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を
貪って居る事が多い。そんな
訣から
一寸物に書いて置こうかという気になったのである。
僕の家というのは、松戸から二里【約8Km】ばかり下って、
矢切の
渡【江戸川】を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と言ってる所。矢切の斎藤と言えば、この
界隈での旧家で、里見【江戸時代の初期に房総半島を治めていた戦国大名 里見氏で、後に家名断絶となった】の崩れが二三人 ここへ落ちて百姓になった内の一人が 斎藤と言ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺【約4.6~4.9m】も回るような
椎の樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の
忌森【暴風雨から家を守るため、屋敷の周りを囲むように作られた森】で村じゅうから
羨ましがられて居る。昔から何ほど
暴風が吹いても、この
椎森のために、
僕の家ばかりは屋根を
剥がれたことは ただの一度もないとの話だ。家なども随分と古い、柱が残らず椎の木だ。それがまた
煤やら
垢やらで 何の木か見別けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いとこでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の
木目も判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な
欄間もあり 銅の
釘隠なども打ってある。その釘隠が馬鹿に大きい
雁【の形】であった。
勿論一寸見たのでは木か金かも知れないほど古びている。
僕の
母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を、大へんに自慢されていた。その頃
母は血の道で久しく
煩って居られ、黒塗的な奥の一間がいつも
母の
病褥【病床】となって居た。その次の十畳の間の
南隅に、二畳の小座敷がある。
僕が居ない時は
機織場で、
僕が居る内は
僕の読書室にしていた。
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手摺窓の障子を明けて頭を出すと、椎の枝が青空を
遮って北を
掩うている。
母が永らくぶらぶらして居たから、市川の親類で
僕には縁の
従妹になって居る、
民子という女の児が仕事の手伝やら
母の看護やらに来て居った。
僕が今忘れることが出来ないというのは、その
民子と
僕との関係である。その関係と言っても、
僕は
民子と下劣な関係をしたのではない。
僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何ヶ月という頃、
民子は十七だけれどそれも生れが
晩いから、十五と少しにしかならない。
痩せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に
紅味をおんだ、誠に
光沢の好い児であった。いつでも
活々として元気がよく、その癖気は弱くて憎気【嫌気】の少しもない児であった。
勿論
僕とは大の仲好しで、座敷を掃くと言っては
僕の所をのぞく、障子をはたくと言っては
僕の座敷へ入ってくる、私も本が読みたいの手習がしたいのと言う、たまにはハタキの
柄で
僕の背中を突いたり、
僕の耳を摘まんだりして逃げてゆく。
僕も
民子の姿を見れば来い来いと言うて二人で遊ぶのが何より面白かった。
母からいつでも叱られる。
「また
民やは
政の所へ入ってるナ。コラァさっさと掃除をやってしまえ。これからは
政の読書の邪魔などしてはいけません。
民やは年上の癖に……」
などと
頻りに小言を言うけれど、その
実母も
民子をば非常に可愛がって居るのだから、一向に小言がきかない。
私にも少し手習をさして……などと時々
民子はだだをいう。そういう時の
母の小言もきまっている。
「お前は手習よか裁縫です。着物が満足に縫えなくては女
一人前として嫁にゆかれません」
この頃
僕に一点の邪念が無かったは勿論であれど、
民子の方にも、いやな考えなどは少しも無かったに相違ない。しかし
母がよく小言を言うにも
拘らず、
民子はなお朝の御飯だ昼の御飯だというては
僕を呼びにくる。呼びにくる度に、急いで入って来て、本を見せろの筆を借せのと言ってはしばらく遊んでいる。その間にも
母の薬を持ってきた帰りや、
母の用を
達した帰りには、きっと
僕の所へ入ってくる。
僕も
民子がのぞかない日は何となく淋しく物足らず思われた。今日は
民さんは何をしているかナと思い出すと、ふらふらッと書室を出る。
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民子を見にゆくというほどの心ではないが、
一寸民子の姿が目に触れれば気が落着くのであった。何のこったやっぱり
民子を見に来たんじゃないかと、自分で自分を
嘲った様なことが しばしば あったのである。
村の
或家さ
瞽女【三味線を手に縁のある村から村へ旅して歩く目の不自由な女性たち】がとまったから聴きにゆかないか、
祭文【旅芸人の祭文(説経節)語り】がきたから聴きに行こうのと近所の女共が誘うても、
民子は何とか断りを言うて決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾物があるからとの事で、例の向うの
お浜や隣の
お仙等が大騒ぎして見にゆくというに、内のものらまで
民さんも一所に行って見てきたらと言うても、
民子は
母の病気を言い前【理由】にして行かない。
僕も余りそんな所へ出るは
嫌であったから家に居る。
民子は
狐鼠狐鼠と
僕の所へ入ってきて、小声で、
私は内に居るのが一番面白いわと言ってニッコリ笑う。
僕も何となし
民子をばそんな所へやりたくなかった。
僕が三日置き四日置きに
母の薬を取りに松戸へゆく。どうかすると帰りが
晩くなる。
民子は三度も四度も裏坂の上まで出て渡しの方を見ていたそうで、いつでも家中のものに冷かされる。
民子は
真面目になって、お
母さんが心配して、見てお
出で見てお出でというからだと言い
訣をする。家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。
そういう次第だから、作おんな【畑や田で働く女】の
お増などは、
無上と
民子を
小面憎がって、何かというと、
「
民子さんは
政夫さんとこへ
許り行きたがる、
隙さえあれば
政夫さんにこびりついている」
などと
頻りに言いはやしたらしく、隣の
お仙や向うの
お浜等までかれこれ噂をする。これを聞いてか
嫂が
母に注意したらしく、或日
母は常になくむずかしい顔をして、二人を枕もとへ呼びつけ意味有り気な小言を言うた。
「男も女も十五六になれば もはや
児供ではない。お前等二人が余り仲が好過ぎるとて人がかれこれ言うそうじゃ。気をつけなくてはいけない。
民子が年かさの癖によくない。これからはもう決して
政の所へなど行くことはならぬ。
吾子を許すではないが
政は未だ児供だ。
民やは十七ではないか。
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つまらぬ噂をされるとお前の体に
疵がつく。
政夫だって気をつけろ……。来月から千葉の中学へ行くんじゃないか」
民子は年が多いし
且は意味あって
僕の所へゆくであろうと思われたと気がついたか、非常に
愧じ入った様子に、顔真赤にして
俯向いている。常は
母に少し位小言言われても随分だだをいうのだけれど、この日はただ両手をついて
俯向いたきり一言もいわない。何の
疚しい所のない
僕は
頗る不平で、
「お
母さん、そりゃ余り御無理です。人が何と言ったって、私等は何の
訣もないのに、何か大変悪いことでもした様なお小言じゃありませんか。お
母さんだっていつもそう言ってたじゃありませんか。
民子とお前とは兄弟も同じだ、お
母さんの眼からはお前も
民子も少しも隔てはない、仲よくしろよといつでも言ったじゃありませんか」
母の心配も道理のあることだが、
僕等もそんな いやらしいことを言われようとは少しも思って居なかったから、
僕の不平もいくらかの理はある。
母は
俄にやさしくなって、
「お前達に何の
訣もないことはお
母さんも知ってるがネ、人の口がうるさいから、ただこれから少し気をつけてと言うのです」
色青ざめた
母の顔にもいつしか
僕等を真から可愛がる笑みが
湛えて居る。やがて、
「
民やは あのまた薬を持ってきて、それから縫掛けの
袷を今日中に仕上げてしまいなさい……。
政は立った
次手に花を
剪って仏壇へ
捧げて下さい。菊はまだ咲かないか、そんなら
紫苑でも切ってくれよ」
本人達は何の気なしであるのに、人がかれこれ言うのでかえって無邪気でいられない様にしてしまう。
僕は
母の小言も一日しか覚えていない。二三日たって
民さんはなぜ近頃は来ないのか知らんと思った位であったけれど、
民子の方では、それからというものは様子がからっと変ってしもうた。
民子はその後
僕の所へは一切顔出ししないばかりでなく、座敷の内で行逢っても、人のいる前などでは容易に物も言わない。何となく
極りわるそうに、まぶしい様な風で急いで通り過ぎて
終う。
拠処なく【仕方なく】物を言うにも、今までの無遠慮に隔てのない風はなく、いやに丁寧に改まって口をきくのである。
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時には
僕が余り
俄に改まったのを
可笑しがって笑えば、
民子も遂には
袖で笑いを隠して逃げてしまうという風で、とにかく一重の垣が二人の間に結ばれた様な気合になった。
それでも或日の四時過ぎに、
母の言いつけで
僕が背戸【家の裏門・裏口】の
茄子畑に茄子をもいで居ると、いつのまにか
民子が
笊を手に持って、
僕の後にきていた。
「
政夫さん……」
出し抜けに呼んで笑っている。
「
私もお
母さんから言いつかって来たのよ。今日の縫物は肩が
凝ったろう、少し休みながら茄子をもいできてくれ。明日
麹漬をつけるからって、お
母さんがそう言うから、
私飛んできました」
民子は非常に嬉しそうに元気一パイで、
僕が、
「それでは
僕が先にきているのを
民さんは知らないで来たの」
と言うと
民子は、
「知らなくてサ」
にこにこしながら茄子を採り始める。
茄子畑というは、椎森の下から一重の
薮を通り抜けて、家より西北に当る裏の
前栽畑。
崖の上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一えんが見渡される。秩父から足柄箱根の山山、富士の
高峯も見える。東京の上野の森だと言うのもそれらしく見える。水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、
僕等二人が立って居る茄子畑を正面に照り返して居る。あたり一体にシンとしてまた
如何にもハッキリとした景色、
吾等二人は真に画中の人である。
「マア何という好い景色でしょう」
民子もしばらく手をやめて立った。
僕はここで白状するが、この時の
僕は
慥に十日以前の
僕ではなかった。二人は決してこの時無邪気な友達ではなかった。いつの間にそういう心持が起って居たか、自分には少しも判らなかったが、やはり
母に叱られた頃から、
僕の胸の中にも小さな恋の卵が
幾個か湧きそめて居ったに違いない。
僕の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて
民子を女として思ったのが、
僕に邪念の
萌芽ありし何よりの証拠じゃ。
民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように
民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、今日はしみじみとその美しさが身にしみた。しなやかに
光沢のある
鬢の毛につつまれた耳たぼ、豊かな頬の白く鮮かな、
顎のくくしめの愛らしさ、
頸のあたり
如何にも清げなる、藤色の
半襟や花染の
襷や、それらが
悉く優美に眼にとまった。
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そうなると恐ろしいもので、物を言うにも思い切った
言は言えなくなる、
羞かしくなる、極りが悪くなる、皆例の卵の作用【男性・女性ホルモン的な話】から起ることであろう。
ここ十日ほど仲垣の隔てが出来て、ロクロク話もせなかったから、これも今までならば無論そんなこと考えもせぬにきまって居るが、今日はここで何か話さねばならぬ様な気がした。
僕は初め無造作に
民さんと呼んだけれど、跡は無造作に
詞が継がない。おかしく
喉がつまって声が出ない。
民子は茄子を一つ手に持ちながら体を起して、
「
政夫さん、なに……」
「何でもないけど
民さんは近頃へんだからさ。
僕なんかすっかり嫌いになったようだもの」
民子はさすがに
女性で、そういうことには
僕などより遥に神経が鋭敏になっている。さも
口惜しそうな顔して、つと
僕の側へ寄ってきた。
「
政夫さんはあんまりだわ。
私がいつ
政夫さんに隔てをしました……」
「何さ、この頃
民さんは、すっかり変っちまって、
僕なんかに用はないらしいからよ。それだって
民さんに不足を言う
訣ではないよ」
民子はせきこんで、
「そんな事いうはそりゃ
政夫さんひどいわ、御無理だわ。この間は二人を並べて置いて、お
母さんにあんなに叱られたじゃありませんか。あなたは男ですから平気でお出でだけど、
私は年は多いし女ですもの、あァ言われては実に面目がないじゃありませんか。それですから、
私は一生懸命になってたしなんで居るんでさ。それを
政夫さん隔てるの嫌になったろうのと言うんだもの、
私はほんとにつまらない……」
民子は泣き出しそうな顔つきで
僕の顔をじいッと
視ている。
僕もただ話の小口にそう言うたまでであるから、
民子に泣きそうになられては、かわいそうに気の毒になって、
「
僕は腹を立って言ったでは無いのに、
民さんは腹を立ったの……
僕はただ
民さんが
俄に変って、逢っても口もきかず、遊びにも来ないから、いやに淋しく悲しくなっちまったのさ。それだからこれからも時時は遊びにお出でよ。お
母さんに叱られたら
僕が
咎を背負うから……人が何と言ったってよいじゃないか」
何というても児供だけに無茶なことをいう。無茶なことを言われて
民子は心配やら嬉しいやら、嬉しいやら心配やら、心配と嬉しいとが胸の中で、ごったになって争うたけれど、とうとう嬉しい方が勝を占めて終った。なお三言四言話をするうちに、
民子は鮮かな曇りのない元の元気になった。
6/39
僕も勿論愉快が
溢れる……、宇宙間にただ二人きり居るような心持にお互になったのである。やがて二人は茄子のもぎくらをする。大きな畑だけれど、十月の半過ぎでは、茄子もちらほらしかなって居ない。二人で
漸く二升ばかり
宛を採り得た。
「まァ
民さん、御覧なさい、入日の立派なこと」
民子はいつしか
笊を下へ置き、両手を鼻の先に合せて太陽を拝んでいる。西の方の空は一体に薄紫にぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の出ない太陽が今その半分を山に埋めかけた処、
僕は
民子が一心入日を拝む しおらしい姿が永く眼に残ってる。
二人が余念なく話をしながら帰ってくると、背戸口の四つ目垣の外に
お増がぼんやり立って、こっちを見て居る。
民子は小声で、
「
お増がまた何とか言いますよ」
「二人共お
母さんに言いつかって来たのだから、
お増なんか何と言ったって、かまやしないさ」
一事件を
経る度に二人が胸中に湧いた恋の卵は
層を増してくる。機に触れて交換する双方の意志は、
直に互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。今日の日暮はたしかにその機であった。ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代で
極めて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自ら
疚しい様なこともせぬ。従ってまだまだ
暢気なもので、人前を
繕うと言う様な心持は極めて少なかった。
僕と
民子との関係も、この位でお終いになったならば、十年忘れられないというほどにはならなかっただろうに。
親というものはどこの親も同じで、
吾子をいつまでも児供のように思うている。
僕の
母などもその一人に漏れない。
民子はその後時折
僕の書室へやってくるけれど、よほど人目を計らって気ぼねを折ってくる様な風で、いつきても少しも落着かない。先に
僕に
嫌味を言われたから仕方なしにくるかとも思われたが、それは間違っていた。
僕等二人の精神状態は二三日と言われぬほど著しき変化を遂げている。
僕の変化は最も
甚しい。
7/39
三日前には、お
母さんが叱れば
私が
科を背負うから遊びにきてとまで無茶を言うた
僕が、今日はとてもそんな
訣のものでない。
民子が少し長居をすると、もう気が
咎めて心配でならなくなった。
「
民さん、またお
出よ、余り長く居ると人がつまらぬことを言うから」
民子も心持は同じだけれど、
僕にもう行けと言われると妙にすねだす。
「あレあなたは先日何と言いました。人が何と言ったッてよいから遊びに来いと言いはしませんか。
私はもう人に笑われてもかまいませんの」
困った事になった。二人の関係が密接するほど、人目を恐れてくる。人目を恐れる様になっては、もはや罪悪を犯しつつあるかの如く、心もおどおどするのであった。
母は口でこそ、男も女も十五六になれば児供ではないと言っても、それは理屈の上のことで、心持ではまだまだ二人をまるで児供の様に思っているから、その後
民子が
僕の
室へきて本を見たり話をしたりしているのを、直ぐ前を通りながら一向気に留める様子もない。この間の小言も実は
嫂が言うから出たまでで、ほんとうに腹から出た小言ではない。
母の方はそうであったけれど、兄や
嫂や
お増などは、
盛に蔭言をいうて笑っていたらしく、村中の評判には、二つも年の多いのを嫁にする気かしらんなどと
専いうているとの話。それやこれやのことが薄々二人に知れたので、
僕から言いだして当分二人は遠ざかる相談をした。
人間の心持というものは不思議なもの。二人が少しも隔意なき得心上【心に隔たりがなく、素直に納得して】の相談であったのだけれど、
僕の方から言い出したばかりに、
民子は妙に
鬱ぎ込んで、まるで元気がなくなり、
悄然としている【しょげている】のである。それを見ると
僕もまた たまらなく気の毒になる。感情の一進一退はこんな風にもつれつつ危くなるのである。とにかく二人は表面だけは立派に遠ざかって四五日を経過した。
陰暦の九月十三日、今夜が豆の月【豆名月:主に10月13日】だという日の朝、
露霜【露が凍って
霜のようになったもの】が降りたと思うほどつめたい。その代り天気はきらきらしている。十五日がこの村の祭で明日は宵祭という
訣故、野の仕事も今日 一渡り
極りをつけねばならぬ所から、家中手分けをして野へ出ることになった。
8/39
それで甘露的恩命が
僕等
両人に下ったのである。兄夫婦と
お増と外に男一人とは
中稲の刈残りを是非刈って
終わねばならぬ。
民子は
僕を手伝いとして山畑の
棉を採ってくることになった。これはもとより
母の指図で誰にも異議は言えない。
「マアあの二人を山の畑へ遣るッて、親というものよッぽどお目出たいものだ」
奥底のない
お増と意地曲りの
嫂とは口を揃えてそう言ったに違いない。
僕等二人はもとより心の底では嬉しいに相違ないけれど、この場合二人で山畑へゆくとなっては、人に顔を見られる様な気がして大いに極りが悪い。義理にも進んで行きたがる様な素振りは出来ない。
僕は朝飯前は書室を出ない。
民子も何か愚図愚図して支度もせぬ様子。もう嬉しがってと言われるのが口惜しいのである。
母は起きてきて、
「
政夫も支度しろ。
民やもさっさと支度して早く行け。二人でゆけば一日には楽な仕事だけれど、道が遠いのだから、早く行かないと帰りが夜になる。なるたけ日の暮れない内に帰ってくる様によ。
お増は二人の弁当を
拵えてやってくれ。お菜はこれこれの物で……」
まことに親のこころだ。
民子に弁当を
拵えさせては、自分のであるから、お菜などはロクな物を持って行かないと気がついて、ちゃんと
お増に命じて
拵えさせたのである。
僕はズボン下に
足袋裸足【足袋だけで何も履かない】
麦藁帽という出で立ち、
民子は
手指を
佩いて【手袋・腕カバー的なもの】
股引も
佩いてゆけと
母が言うと、手指ばかり
佩いて
股引佩くのにぐずぐずしている。
民子は
僕のところへきて、
股引佩かないでもよい様にお
母さんにそう言ってくれと言う。
僕は
民さんがそう言いなさいと言う。押問答をしている内に、
母はききつけて笑いながら、
「民やは
町場者だから、
股引佩くのは極りが悪いかい。私はまたお前が柔かい手足へ、
茨や
薄で傷をつけるが可哀相だから、そう言ったんだが、いやだと言うならお前のすきにするがよいさ」
それで
民子は、例の
襷に前掛姿で
麻裏草履という支度。二人が
一斗笊一個宛を持ち、
僕が別に
番ニョ【対の】
片籠と
天秤とを肩にして出掛ける。
9/39
民子が跡から
菅笠を
被って出ると、
母が笑声で呼びかける。
「
民や、お前が菅笠を被って歩くと、ちょうど木の子が歩くようで見っともない。
編笠がよかろう。新らしいのが一つあった筈だ」
稲刈連は出てしまって別に笑うものもなかったけれど、
民子はあわてて菅笠を脱いで、顔を赤くしたらしかった。今度は編笠を被らずに手に持って、それじゃお
母さんいってまいりますと挨拶して走って出た。
村のものらも かれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、
僕は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の
降口の大きな
銀杏の樹の根で
民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの
田圃がある。色よく黄ばんだ
晩稲に露をおんで【帯びて】、シットリと打伏した光景は、気のせいか殊に
清々しく、胸のすくような眺めである。
民子はいつの間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾っている。
「
民さん、もうきたかい。この天気のよいことどうです。ほんとに心持のよい朝だねイ」
「ほんとに天気がよくて嬉しいわ。このまア銀杏の葉の綺麗なこと。さア出掛けましょう」
民子の美しい手で持ってると銀杏の葉も殊に綺麗に見える。二人は坂を降りてようやく窮屈な場所から広場へ出た気になった。今日は大いそぎで棉を採り片付け、さんざん面白いことをして遊ぼうなどと相談しながら歩く。道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとに
濡れて、いろいろの草が花を開いてる。
タウコギは
末枯れて、
水蕎麦蓼など一番多く繁っている。
都草も黄色く花が見える。
野菊がよろよろと咲いている。
民さんこれ野菊がと
僕は吾知らず足を留めたけれど、
民子は聞えないのかさっさと先へゆく。
僕は
一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。
民子は一町【約100m】ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け戻ってきた。
「
民さんはそんなに戻ってきないッたって
僕が行くものを……」
「まア
政夫さんは何をしていたの。
10/39
私びッくりして……まア綺麗な野菊、
政夫さん、
私に半分おくれッたら、
私ほんとうに野菊が好き」
「
僕はもとから野菊がだい好き。
民さんも野菊が好き……」
「
私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど
好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「
民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら
民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「
政夫さん……
私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、
民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで
政夫さんは野菊が好きだって……」
「
僕大好きさ」
民子はこれからはあなたが先になってと言いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。
民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は
一寸途切れてしまった。
何と言っても幼い両人は、今罪の神に
翻弄せられつつあるのであれど、野菊の様な人だと言った
詞についで、その野菊を
僕はだい好きだと言った時すら、
僕は既に胸に
動悸を起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだずうずうしくはなっていない。
民子も同じこと、物に突きあたった様な心持で強くお互に感じた時に声はつまってしまったのだ。二人はしばらく無言で歩く。
真に
民子は野菊の様な児であった。
民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。
可憐で優しくてそうして品格もあった。嫌味とか憎気とかいう所は爪の
垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるは なお おかしい様に思って、無理と話を考え出す。
「
民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」
「
わたし何も考えていやしません」
「
民さんはそりゃ嘘だよ。何か考えごとでもしなくてあんな風をする
訣はないさ。どんなことを考えていたのか知らないけれど、隠さないだってよいじゃないか」
11/39
「
政夫さん、済まない。
私さっきほんとに
考事していました。
私つくづく考えて情なくなったの。
わたしはどうして
政夫さんよか年が多いんでしょう。
私は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」
「
民さんは何のこと言うんだろう。先に生れたから年が多い、十七年育ったから十七になったのじゃないか。十七だから何で情ないのですか。
僕だって、さ来年になれば十七歳さ。
民さんはほんとに妙なことを言う人だ」
僕も今
民子が言ったことの心を解せぬほど児供でもない。解ってはいるけど、わざと戯れの様に聞きなして、振りかえって見ると、
民子は真に考え込んでいる様であったが、
僕と顔合せて極り わるげにに わかに
側を向いた。
こうなってくると何をいうても、直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまってしまう。二人の内でどちらか一人が、すこうし ほんの僅かにでも押が強ければ、こんなに話がゆきつまるのではない。お互に心持は奥底まで解っているのだから、吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、話の一歩を進めてお互に明放してしまうことが出来るのである。しかしながら真底から
おぼこな二人は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと言う様な、
はっきりした意識も勿論ないのだ。言わば
未だ取止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつまってしまうのである。
お互に自分で話し出しては自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町かの道を歩いた。
詞数こそ少なけれ、その
詞の奥には二人共に無量の思いを包んで、極りがわるい感情の中には何とも言えない深き愉快を
湛えて居る。それでいわゆる足も空に、いつしか
田圃も通りこし、山路へ入った。今度は
民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、
「
政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。
大長柵へは一里に遠いッて言いましたねイ」
「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」
12/39
「
わたし休まなくとも、ようございますが、早速お
母さんの罰があたって、
薄の葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」
親指の中ほどで
疵は少しだが、血が意外に出た。
僕は早速紙を裂いて結わえてやる。
民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。こんな山の中で休むより、畑へ
往ってから休もうというので、今度は
民子を先に
僕が後になって急ぐ。八時少し過ぎと思う時分に
大長柵の畑へ着いた。
十年
許り前に
親父が未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほど ここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。
越石【離れた所の領地】を持っていると言えば、世間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつも
母が言ってる畑だ。
三方林で囲まれ、南が開いて
余所の畑とつづいている。北が高く南が低い
傾斜になっている。
母の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉は えんでいる【ひびが入っている】。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると
目ぶしい様に綺麗だ。
「まアよくえんでること。今日採りにきてよい事しました」
民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう言った。畑の真中ほどに桐の樹が二本繁っている。葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱を
凌ぐには十分だ。ここへあたりの
黍殻を寄せて二人が陣どる。弁当包みを枝へ釣る。天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風を
懐へ入れ足を
展して休む。青ぎった空に
翠の松林、
百舌もどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。
「ほんとに
民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」
13/39
顔から
頸から汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に
民子の横顔を見た。
「そうですねイ、
わたし何だか夢の様な気がするの。今朝
家を出る時はほんとに極りが悪くて……
嫂さんには変な眼つきで
視られる、
お増には冷かされる、
私はのぼせてしまいました。
政夫さんは平気でいるから憎らしかったわ」
「
僕だって平気なもんですか。村の奴らに逢うのがいやだから、
僕は一足先に出て銀杏の下で
民さんを待っていたんでさア。それはそうと、
民さん、今日はほんとに面白く遊ぼうね。
僕は来月は学校へ行くんだし、今月とて十五日しかないし、二人でしみじみ話の出来る様なことはこれから先はむずかしい。あわれッぽいこと言うようだけど、二人の中も今日だけかしらと思うのよ。ねイ
民さん……」
「そりゃア
政夫さん、
私は道々そればかり考えて来ました。
私がさっきほんとに情なくなってと言ったら、
政夫さんは笑っておしまいなしたけど……」
面白く遊ぼう遊ぼう言うても、話を始めると直ぐにこうなってしまう。
民子は涙を拭うた様であった。ちょうどよくそこへ馬が見えてきた。西側の山路から、がさがさ笹にさわる音がして、
薪をつけた馬を引いて
頬冠の男が出て来た。よく見ると意外にも村の
常吉である。この奴はいつか向うの
お浜に
民子を遊びに連れだしてくれと
頻りに頼んだという奴だ。いやな野郎がきやがったなと思うていると、
「や
政夫さん。コンチャどうも結構なお天気ですな。今日は御夫婦で棉採りかな。
洒落れてますね。アハハハハハ」
「オウ
常さん、今日は駄賃かな。大変早く御精が出ますね」
「ハア吾々なんざア駄賃取りでもして
適に
一盃やるより外に楽しみもないんですからな。
民子さん、いやに見せつけますね。
余り罪ですぜ。アハハハハハ」
この野郎失敬なと思ったけれど、吾々も余り威張れる身でもなし、笑いとぼけて
常吉をやり過ごした。
「馬鹿野郎、実に嫌なやつだ。さア
民さん、始めましょう。ほんとに
民さん、元気をお直しよ。そんなにくよくよおしでないよ。
14/39
僕は学校へ行ったて千葉だもの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」
「ほんとに済みません。
泣面などして。あの
常さんて男、何といういやな人でしょう」
民子は
襷掛け
僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがないから弁当にしようということにして桐の蔭に戻る。
僕はかねて用意の水筒を持って、
「
民さん、
僕は水を
汲んで来ますから、留守番を頼みます。帰りに『
えびづる』や『あけび』をうんと
土産に採って来ます」
「
私は一人で居るのはいやだ。
政夫さん、一所に連れてって下さい。さっきの様な人にでも来られたら大変ですもの」
「だって
民さん、向うの山を一つ越して先ですよ、
清水のある所は。道という様な道もなくて、それこそ
茨や
薄で足が
疵だらけになりますよ。水がなくちゃ弁当が食べられないから、困ったなア、
民さん、待っていられるでしょう」
「
政夫さん、後生だから連れて行って下さい。あなたが歩ける道なら
私にも歩けます。一人でここにいるのは
わたしゃどうしても……」
「
民さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。それじゃ一所に行きましょう」
弁当は棉の中へ隠し、着物はてんでに着てしまって出掛ける。
民子は
頻りに、にこにこしている。
端から見たならば、馬鹿馬鹿しくも見苦しくもあろうけれど、本人同志の身にとっては、その らちもなき押問答の内にも 限りなき
嬉しみを感ずるのである。高くもないけど道のない所をゆくのであるから、笹原を押分け樹の根につかまり、崖を
攀ずる。しばしば
民子の手を採って
曳いてやる。
近く二三日以来の二人の感情では、
民子が求めるならば
僕はどんなことでも拒まれない、また
僕が求めるならやはりどんなことでも
民子は決して拒みはしない。そういう間柄でありつつも、飽くまで臆病に飽くまで気の小さな
両人は、
嘗て一度も有意味に手などを採ったことはなかった。しかるに今日は偶然の事から
屡手を採り合うに至った。
這辺の一種言うべからざる愉快な感情は経験ある人にして初めて語ることが出来る。
「民さん、ここまでくれば、清水はあすこに見えます。これから
僕が一人で行ってくるからここに待って居なさい。
15/39
僕が見えて居たら居られるでしょう」
「ほんとに
政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから、ここで待ちましょう。あらア
野葡萄があった」
僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し
許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一
もくさを採り、
竜胆の花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で
僕は
春蘭の大きいのを見つけた。
「
民さん、
僕は
一寸『アックリ』を掘ってゆくから、この『あけび』と『えびづる』を持って行って下さい」
「『アックリ』てなにい。あらア春蘭じゃありませんか」
「
民さんは町場もんですから、春蘭などと品のよいこと
仰しゃるのです。矢切の百姓なんぞは『アックリ』と申しましてね、
皸の薬に致します。ハハハハ」
「あらア口の悪いこと。
政夫さんは、きょうはほんとに口が悪くなったよ」
山の弁当と言えば、土地の者は一般に楽しみの一つとしてある。何か生理上の理由でもあるか知らんが、とにかく、山の仕事をしてやがてたべる弁当が不思議とうまいことは誰も言う所だ。今吾々二人は新らしき清水を汲み来り
母の心を
籠めた弁当を分けつつたべるのである。興味の尋常でないは言うも
愚な次第だ。
僕は『あけび』を好み
民子は野葡萄をたべつつしばらく話をする。
民子は笑いながら、
「
政夫さんは
皸の薬に『アックリ』とやらを採ってきて学校へお持ちになるの。学校で
皸がきれたらおかしいでしょうね……」
僕は真面目に、
「なアにこれは
お増にやるのさ。
お増はもうとうに
皸を切らしているでしょう。この間も湯に入る時に
お増が火を
焚きにきて非常に
皸を痛がっているから、その内に
僕が山へ行ったら『アックリ』を採ってきてやると言ったのさ」
「まアあなたは親切な人ですことね……
お増は
蔭日向のない憎気のない女ですから、
私も仲好くしていたんですが、この頃は何となし
私に突き当る様な事ばかし言って、何でも
わたしを憎んでいますよ」
「アハハハ、それは
お増どんが焼餅をやくのでさ。つまらんことにもすぐ焼餅を焼くのは、女の癖さ。
僕がそら『アックリ』を採っていって
お増にやると言えば、
民さんがすぐに、まアあなたは親切な人とか何とか言うのと同じ
訣さ」
「この人はいつのまにこんなに口がわるくなったのでしょう。何を言っても
政夫さんにはかないやしない。
16/39
いくら
私だって
お増が根も底もない焼もちだ位は承知していますよ……」
「実は
お増も
不憫な女よ。両親があんなことになりさえせねば、奉公人とまでなるのではない。親父は戦争で死ぬ、お袋はこれを嘆いたがもとでの病死、一人の兄がはずれものという
訣で、とうとうあの始末。国家のために死んだ人の娘だもの、
民さん、いたわってやらねばならない。あれでも
民さん、あなたをば大変ほめているよ。意地曲りの
嫂にこきつかわれるのだから一層かわいそうでさ」
「そりゃ
政夫さん
私もそう思って居ますさ。お
母さんもよくそうおっしゃいました。つまらないものですけど何とか かとか 分けてやってますが、また
政夫さんの様に情深くされると……」
民子は言いさしてまた話を詰らしたが、桐の葉に包んで置いた
竜胆の花を手に採って、急に話を転じた。
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。
わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。
わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」
花好きな
民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりで にこにこ笑いだした。
「
民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
「
政夫さんはりんどうの様な人だ」
「どうして」
「さアどうしてということはないけど、
政夫さんは何がなし
竜胆の様な風だからさ」
民子は言い終って顔をかくして笑った。
「
民さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの
仇討という
訣ですか。口真似なんか恐入りますナ。しかし
民さんが野菊で
僕が
竜胆とは面白い対ですね。
僕は
悦んでりんどうになります。それで
民さんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい」
二人はこんな らちもなき事いうて
悦んでいた。秋の日足の短さ、日はようやく傾きそめる。
17/39
さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかや それぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。
民子を先に
僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。
半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、
木の
間から影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、
蕎麦の花が薄絹を
曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。
「
民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休んで行きましょう」
「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何とか言われる。
政夫さん、
私はそれが心配になるわ」
「今更心配しても
追つかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよいことは
滅多にありません。そんなに人に
申訣のない様な悪いことはしないもの、
民さん、心配することはないよ」
月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花が
際立って白い。
「何というえい景色でしょう。
政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、こんなときに面白いことが言えるでしょうね。私ら様な無筆でもこんな時には心配も何も忘れますもの。
政夫さん、あなた歌をおやんなさいよ」
「
僕は実は少しやっているけど、むずかしくて容易に出来ないのさ。山畑の蕎麦の花に月がよくて、こおろぎが鳴くなどは実にえいですなア。
民さん、これから二人で歌をやりましょうか」
お互に一つの心配を持つ身となった二人は、内に思うことが多くてかえって話は少ない。何となく
覚束ない二人の行末、ここで少しく話をしたかったのだ。
民子は勿論のこと、
僕よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の
雁が二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。
ようやく
田圃へ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種の感情が胸に湧いた。
18/39
それは外でもない、何となく家に入りづらいと言う心持である。入りづらい
訣はないと思うても、どうしても入りづらい。
躊躇する暇もない、
忽門前近く来てしまった。
「
政夫さん……あなた先になって下さい。
私極りわるくてしょうがないわ」
「よしとそれじゃ
僕が先になろう」
僕は
頗る勇気を
鼓し
殊に平気な風を装うて門を入った。家の人達は今 夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。
僕が
咳払を一ツやって庭場へ入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。
民子は指の先で
僕の肩を
撞いた。
僕も承知しているのだ、今 御膳会議で二人の噂が
如何に盛んであったか。
宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ
揃うた時、
母も奥から起きてきた。
母は一通り二人の余り遅かったことを
咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。
民子はいよいよ小さくなって座敷
中へは出ない。
僕は山から採ってきた、あけびや
野葡萄やを沢山座敷
中へ並べ立てて、暗に
僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るものはない。今夜は何の話にも
僕等二人は
除けものにされる始末で、もはや二人は全く罪あるものと黙決されてしまったのである。
「お
母さんがあんまり甘過ぎる。あアして居る二人を一所に山畑へやるとは目のないにもほどがある。はたでいくら心配してもお
母さんがあれでは駄目だ」
これが台所会議の決定であったらしい。
母の方でもいつまで児供と思っていたが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更二人を叱って見ても仕方がない。
19/39
なに
政夫を学校へ
遣ってしまいさえせば
仔細はないと
母の心はちゃんときまって居るらしく、
「
政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日にゆくとしろ……えいか、そのつもりで小支度して置け」
学校へゆくは
固より
僕の願い、十日や二十日早くとも遅くともそれに仔細はないが、この場合しかも今夜
言渡があって見ると、二人は既に罪を犯したものと定められての仕置であるから、
民子は勿論
僕に取ってもすこぶる心苦しい処がある。実際二人はそれほどに堕落した
訣でないから、頭からそうときめられては、
聊か妙な心持がする。さりとて弁解の出来ることでもなし、また強いことを言える資格も実は無いのである。これが一ヶ月前であったらば、それはお
母さん御無理だ、学校へ行くのは望みであるけど、
科を着せられての仕置に学校へゆけとはあんまりでしょう……などと直ぐだだを言うのであるが、今夜はそんな
我ままを言えるほど無邪気ではない。全くの処、恋に陥ってしまっている。
あれほど可愛がられた一人の
母に隠立てをする、何となく隔てを作って心のありたけを言い得ぬまでになっている。おのずから人前を
憚り、人前では
殊更に二人が うとうとしく取りなす様になっている。かくまで
私心が長じてきてどうして立派な口がきけよう。
僕はただ
一言、
「はア……」
と答えたきりなんにも言わず、
母の言いつけに盲従する外はなかった。
「
僕は学校へ往ってしまえばそれでよいけど、
民さんは跡でどうなるだろうか」
不図そう思って、そっと
民子の方を見ると、
お増が枝豆をあさってる後に、
民子はうつむいて膝の上に
襷をこねくりつつ沈黙している。
如何にも元気のない風で夜のせいか顔色も青白く見えた。
民子の風を見て
僕も
俄に悲しくなって泣きたくなった。涙は
瞼を伝って眼が曇った。なぜ悲しくなったか理由は
判然しない。ただ
民子が可哀相でならなくなったのである。
民子と
僕との楽しい関係もこの日の夜までは続かなく、十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまった。嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、憂き悲しいことについては勿論百分の一だも語りあわないで、二人の関係は
闇の幕に入ってしまったのである。
20/39
十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。
十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、書室へ
籠りとおしていた。ぼんやり机にもたれたなり何をするでもなく、また二人の関係をどうしようかという様なことすらも考えてはいない。ただ
民子のことが頭に充ちているばかりで、極めて単純に
民子を思うている外に考えは働いて居らぬ。この二日の間に
民子と三四回は逢ったけれど、話も出来ず微笑を交換する元気もなく、うら淋しい心持を互に目に訴うるのみであった。二人の心持が今少しませて居ったならば、この二日の間にも将来の事など随分話し合うことが出来たのであろうけれど、しぶとい心持などは毛ほどもなかった二人には、その場合になかなかそんな事は出来なかった。それでも
僕は十六日の午後になって、何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、日暮に
一寸来た
民子に
僕が居なくなってから見てくれと言って渡した。
朝からここへ入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、ただ繰返し繰返し民さんの事ばかり思って居る。民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい。明日は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきて民さんに逢うのを楽しみにして居ります。
十月十六日
政夫
民子様
学校へ行くとは言え、罪があって早くやられると言う境遇であるから、人の笑声話声にも一々ひがみ心が起きる。皆二人に対する嘲笑かの様に聞かれる。いっそ早く学校へ行ってしまいたくなった。決心が定まれば元気も
回復してくる。この夜は頭も少しくさえて夕飯も心持よくたべた。学校のこと何くれとなく
母と話をする。
21/39
やがて寝に就いてからも、
「何だ馬鹿馬鹿しい、十五かそこらの小僧の癖に、女のことなどばかり くよくよ考えて……そうだそうだ、
明朝は早速学校へ行こう。
民子は可哀相だけれど……もう考えまい、考えたって仕方がない、学校学校……」
独口ききつつ眠りに入った様な
訣であった。
船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン
一個につめ込み
民子と
お増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する
訣で もう船は来て居る。
僕は
民さんそれじゃ……と言うつもりでも
咽がつまって声が出ない。
民子は
僕に包を渡してからは、自分の手のやりばに困って胸を
撫でたり
襟を撫でたりして、下ばかり向いている。眼にもつ涙を
お増に見られまいとして、体を脇へそらしている、
民子があわれな姿を見ては
僕も涙が抑え切れなかった。
民子は今日を別れと思ってか、髪はさっぱりとした
銀杏返しに薄く化粧をしている。
煤色と紺の細かい
弁慶縞で、
羽織も
長着も同じい
米沢紬に、品のよい
友禅縮緬の帯をしめていた。
襷を掛けた
民子もよかったけれど今日の
民子はまた一層引立って見えた。
僕の気のせいででもあるか、
民子は十三日の夜からは
一日一日とやつれてきて、この日のいたいたしさ、
僕は泣かずには居られなかった。虫が知らせるとでもいうのか、これが生涯の別れになろうとは、
僕は勿論
民子とて、よもやそうは思わなかったろうけれど、この時のつらさ悲しさは、とても他人に話しても信じてくれるものはないと思う位であった。
尤も
民子の思いは
僕より深かったに相違ない。
僕は中学校を卒業するまでにも、四五年間のある体であるのに、
民子は十七で今年の内にも縁談の話があって両親からそう言われれば、無造作に拒むことの出来ない身であるから、
行末のことをいろいろ考えて見ると心配の多い
訣である。当時の
僕はそこまでは考えなかったけれど、親しく目に
染みた
民子のいたいたしい姿は幾年経っても昨日の事のように眼に浮んでいるのである。
余所から見たならば、若いうちによくあるいたずらの勝手な泣面と見苦しくもあったであろうけれど、二人の身に取っては、真にあわれに悲しき別れであった。互に手を取って後来【将来】を語ることも出来ず、小雨のしょぼしょぼ降る
渡場に、泣きの涙も人目を
憚り、一言の
詞もかわし得ないで永久の別れをしてしまったのである。
22/39
無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょんぼりと
悄れていた
不憫な
民さんの
俤、どうして忘れることが出来よう。
民さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても
僕には
民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたら こうもしたら と思わぬこともなかったけれど、当時の若い
同志の思慮には何らの工夫も無かったのである。
八百屋お七は家を焼いたらば、
再度思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸【観音開きの戸】一枚を忍んで開けるほどの
知恵も出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に
怖じ【おそれ】兄弟に
憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは
如何に気の弱い同志であったろう。
僕は学校へ行ってからも、とかく
民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう
詞の尻からすぐ
民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をして居た。そういう始末でようやく年もくれ冬期休業になった。
僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に
籾を干してあって、
母は前の縁側に
蒲団を敷いて日向ぼっこをしていた。近頃はよほど体の工合もよい。今日は兄夫婦と男と
お増とは山へ
落葉をはきに行ったとの話である。
僕は
民さんはと口の先まで出たけれど
遂に言い切らなかった。
母も意地悪く何とも言わない。
僕は帰り早々
民子のことを問うのが
如何にも極り悪く、そのまま例の書室を片づけてここに落着いた。しかし日暮までには
民子も帰ってくることと思いながら、おろおろして待って居る。皆が帰っていよいよ夕飯ということになっても
民子の姿は見えない、誰もまた
民子のことを一言も言うものもない。
僕はもう
民子は市川へ帰ったものと察して、人に問うのも いまいましい【しゃくにさわってたまらない】から、外の話もせず、飯がすむとそれなり書室へ入ってしまった。
23/39
今日は必ず
民子に逢われることと一方ならず楽しみにして帰って来たのに、この始末で何とも言えず力が落ちて淋しかった。さりとて誰にこの
苦悶を話しようもなく、
民子の写真などを取出して見て居ったけれど、ちっとも気が晴れない。またあの奴
民子が居ないから考え込んで居やがると思われるも
口惜しく、ようやく心を取直し、
母の枕元へいって夜遅くまで学校の話をして聞かせた。
翌くる日は九時頃にようやく起きた。
母は未だ寝ている。台所へ出て見ると外の者は皆また山へ往ったとかで、
お増が一人台所片づけに残っている。
僕は顔を洗ったなり飯も食わずに、背戸の畑へ出てしまった。この秋、
民子と二人で
茄子をとった畑が今は青々と菜がほきている【咲きはじめている】。
僕はしばらく立って
何所を眺めるともなく、
民子の
俤を脳中にえがきつつ思いに沈んでいる。
「
政夫さん、何をそんなに考えているの」
お増が出し抜けに後からそいって、近くへ寄ってきた。
僕がよい加減なことを一言二言いうと、
お増はいきなり
僕の手をとって、も少しこっちへきてここへ腰を掛けなさいまアと言いつつ、
藁を積んである所へ自分も腰をかけて
僕にも掛けさせた。
「
政夫さん……お
民さんはほんとに可哀相でしたよ。うちの姉さんたらほんとに意地曲りですからネ。何という根性の悪い人だか、
私もはアここのうちに居るのは嫌になってしまった。昨日
政夫さんが来るのは解りきって居るのに、姉さんがいろんなことを言って、一昨日お
民さんを市川へ帰したんですよ。待つ人があるだっぺとか逢いたい人が待ちどおかっぺとか、当こすりを言ってお
民さんを泣かせたりしてネ、お
母さんにも何でもいろいろなこと言ったらしい、とうとう一昨日お昼前に帰してしまったのでさ。
政夫さんが一昨日きたら逢われたんですよ。
政夫さん、私はお
民さんが可哀相で可哀相でならないだよ。何だってあなたが居なくなってからはまるで泣きの涙で日を暮らして居るんだもの、
政夫さんに手紙をやりたいけれど、それがよく自分には出来ないから口惜しいと言ってネ。私の部屋へ三晩も
硯と紙を持ってきては泣いて居ました。お
民さんも始まりは私にも隠していたけれど、後には隠して居られなくなったのさ。
24/39
私もお
民さんのためにいくら泣いたか知れない……」
見れば
お増はもう ぽろぽろ涙をこぼしている。一体
お増は ごく人のよい親切な女で、
僕と
民子が目の前で仲好い風をすると、
嫉妬心を起すけれど、もとより執念深い性でないから、
民子が一人になれば
民子と仲が好く、
僕が一人になれば
僕を大騒ぎするのである。
それからなお
お増は、
僕が居ない跡で
民子が非常に
母に叱られたことなどを話した。それは概略こうである。意地悪の
嫂が何を言うても、
母が
民子を愛することは少しも変らないけれど、二つも年の多い
民子を
僕の嫁にすることはどうしてもいけぬと言うことになったらしく、それには
嫂もいろいろ言うて、嫁にしないとすれば、二人の仲はなるたけ裂く様な工夫をせねばならぬ。
母も
嫂もそういう心持になって居るから、
民子に対する仕向けは、
政夫のことを思うて居ても到底駄目であると遠回しに
諷示して【ほのめかして】居た。そこへきて
民子が明けてもくれても くよくよして、人の眼にも とまるほどであるから、時々は物忘れをしたり、呼んでも返辞が遅かったりして、
母の
疳癪にさわったことも度々あった。
僕が居なくなってから
二十日許り経って十一月の月初めの頃、
民子も外の者と野へ出ることとなって、
母が
民子にお前は一足跡になって、座敷のまわりを
雑巾掛してそれから庭に広げてある
蓆を倉へ片づけてから野へゆけと言いつけた。
民子は雑巾がけをしてから うっかり忘れてしまって、
蓆を入れずに野へ出た処、間がわるくその日雨が降ったから、その
蓆十枚ばかりを濡らしてしまった。
民子は雨が降ってから気がついたけれど、もう間に合わない。うちへ帰って早速
母に
詫びたけれど
母は平日の事が胸にあるから、
「何も十枚ばかりの
蓆が惜しいではないけれど、一体私の言いつけを
疎かに聞いているから起ったことだ。もとの
民子はそうでなかった。得手勝手な考えごとなどしているから、人の言うことも耳へ入らないのだ……」
という様な随分痛い小言を言った。
民子は
母の枕元近くへいって、どうか
私が悪かったのですから
堪忍して……と両手をついてあやまった。そうすると
母はまたそう何も他人らしく改まって あやまらなくともだ と叱ったそうで、
民子はたまらなくなってワッと泣き伏した。
25/39
そのまま
民子が泣きやんでしまえば何のこともなく済んだであろうが、
民子はとうとう一晩中泣きとおしたので翌朝は眼を赤くして居た。
母も夜時々眼をさましてみると、
民子はいつでも、すくすく泣いている声がしていたというので、今度は
母が非常に立腹して、
お増と
民子と二人呼んで
母が
顫声になって言うには、
「
相対では私がどんな我ままなことを言うかも知れないから
お増は
聞人になってくれ。
民子はゆうべ一晩中泣きとおした。定めし私に言われたことが無念でたまらなかったからでしょう」
民子はここで私はそうでありませんと泣声でいうたけれど、
母は耳にもかけずに、
「なるほど私の小言も少し言い過ぎかも知れないが、
民子だって何もそれほど
口惜しがってくれなくても よさそうなものじゃないか。私はほんとに考えると情なくなってしまった。かわいがったのを恩に着せるではないが、もとを言えば他人だけれど、
乳呑児の時から、
民子はしょっちゅう家へきて居て今の
政夫と二つの乳房を一つ
宛含ませて居た位、
お増がきてからもあの通りで、二つのものは一つ宛 四つのものは二つ宛、着物を
拵えてもあれに一枚これに一枚と少しも分け隔てをせないできた。
民子も真の親の様に思ってくれ私も
吾子と思って余所の人は誰だって二人を兄弟と思わないものはなかったほどであるのに、あとにも先にも一度の小言をあんなに悔しがって夜中泣いて呉れなくともよさそうなもの。市川の人達に聞かれたらば、斎藤の
婆がどんな
非度いことを言ったかと思うだろう。十何年という間我子の様に思ってきたこともただ一度の小言で忘れられてしまったかと思うと私は口惜しい。人間というものはそうしたものかしら。
お増、よく聞いてくれ、私が無理か
民子が無理か。なア
お増」
母は眼に涙を一ぱいに溜めてそういった。
民子は身も世もあらぬさまでいきなりに
お増の膝へすがりついて泣き泣き、
「
お増や、お
母さんに
申訣をしておくれ。私はそんなだいそれた
了簡ではない。ゆんべあんなに泣いたは全く私が悪かったから、全く私がとどかなかったのだから、
お増や、お前がよく
申訣をそういっておくれ……」
それから
お増が、
「お
母さんの御立腹も
御尤もですけれど、私が思うにャお
母さんも少し勘違いをして御いでなさいます。お
母さんは永年お
民さんをかわいがって御いでですから、お
民さんの
気質は解って居りましょう。
26/39
私もこうして一年御厄介になって居てみれば、お
民さんはほんと優しい
温和しい人です。お
母さんに少し
許り叱られたって、それを悔しがって泣いたりなんぞする様な人ではありますまい。私がこんなことを申してはおかしいですが、
政夫さんとお
民さんとは、あアして仲好くして居たのを、何かの御都合で急にお別れなさったもんですから、それからというもの、お
民さんは可哀相なほど元気がないのです。木の葉のそよぐにも
溜息をつき
烏の鳴くにも涙ぐんで、さわれば泣きそうな風でいたところへ、お
母さんから少しきつく叱られたから
留度なく泣いたのでしょう。お
母さん、私は全くそう思いますわ。お
民さんは決してあなたに叱られたとて悔しがるような人ではありません。お
民さんの様な
温和しい人を、お
母さんの様にあアいって叱っては、あんまり可哀相ですわ」
お増が共泣きをして
言訣をいうたので、もとより
民子は憎くない
母だから、
俄に顔色を直して、
「なるほど
お増がそういえば、私も少し勘違いをしていました。よく
お増そういうてくれた。私はもうすっかり心持がなおった。
民や、だまっておくれ、もう泣いてくれるな。
民やも可哀相であった。なに
政夫は学校へ行ったんじゃないか、暮には帰ってくるよ。なア
お増、お前は今日は仕事を休んで、うまい物でも
拵えてくれ」
その日は三人がいく度もよりあって、いろいろな物を
拵えては茶ごとをやり、一日面白く話をした。
民子はこの日はいつになく高笑いをし元気よく遊んだ。何と言っても
母の方は直ぐ話が解るけれど、
嫂が
間がな
隙がな
種々なことを言うので、とうとう
僕の帰らない内に
民子を市川へ帰したとの話であった。
お増は長い話を終るや否やすぐ家へ帰った。
なるほどそうであったか、姉は勿論
母までがそういう心になったでは、か弱い望も絶えたも同様。心細さの
遣瀬がなく、泣くより外に
詮がなかったのだろう。そんなに
母に叱られたか……一晩中泣きとおした……なるほどなどと思うと、再び熱い涙が
漲り出してとめどがない。
僕はしばらくの間、涙の出るがままにそこにぼんやりして居った。その日はとうとう朝飯もたべず、昼過ぎまで畑のあたりをうろついてしまった。
そうなると
俄に家に居るのが嫌でたまらない。
27/39
出来るならば暮の内に学校へ帰ってしまいたかったけれど、そうもならないでようやくこらえて、年を越し元日一日置いて二日の日には朝早く学校へ立ってしまった。
今度は陸路市川へ出て、市川から汽車に乗ったから、
民子の近所を通ったのであれど、
僕は極りが悪くてどうしても
民子の家へ寄れなかった。また
僕に寄られたらば、
民子が困るだろうとも思って、いくたび寄ろうと思ったけれどついに寄らなかった。
思えば実に人の境遇は変化するものである。その一年前までは、
民子が
僕の所へ来て居なければ、
僕は日曜のたびに
民子の家へ行ったのである。
僕は
民子の家へ行っても外の人には用はない。いつでも、
「
お祖母さん、
民さんは」
そら「
民さんは」が来たといわれる位で、或る時などは
僕がゆくと、
民子は庭に菊の花を摘んで居た。
僕は
民さん
一寸御出でと無理に背戸へ引張って行って、
二間梯子を二人で
荷い出し、柿の木へ掛けたのを
民子に抑えさせ、
僕が登って柿を
六個許りとる。
民子に半分やれば
民子は一つで沢山というから、
僕はその五つを持ってそのまま裏から抜けて帰ってしまった。さすがにこの時は戸村の家でも家中で
僕を悪く言ったそうだけれど、
民子一人は ただ にこにこ笑って居て、決して
政夫さん悪いとは言わなかったそうだ。これ位隔てなくした間柄だに、恋ということ覚えてからは、市川の町を通るすら
恥かしくなったのである。
この年の暑中休みには家に帰らなかった。暮にも帰るまいと思ったけれど、年の暮だから一日でも二日でも帰れというて
母から手紙がきた故、
大三十日の夜帰ってきた。
お増も今年きりで
下ったとの話でいよいよ話相手もないから、また元日一日で二日の日に出掛けようとすると、
母がお前にも言うて置くが
民子は嫁に
往った、去年の
霜月【11月】 やはり市川の内で、大変裕福な家だそうだ、と簡単にいうのであった。
僕は はアそうですかと無造作に答えて出てしまった。
民子は嫁に往った。この一語を聞いた時の
僕の心持は自分ながら不思議と思うほどの平気であった。
僕が
民子を思っている感情に何らの動揺を起さなかった。これには何か相当の理由があるかも知れねど、ともかくも事実はそうである。
28/39
僕はただ理屈なしに
民子は
如何な境涯【境遇】に入ろうとも、
僕を思っている心は決して変らぬものと信じている。嫁にいこうがどうしようが、
民子は依然
民子で、
僕が
民子を思う心に寸分の変りない様に
民子にも決して変りない様に思われて、その観念は殆ど大石の上に坐して居る様で毛の先ほどの
危惧心もない。それであるから
民子は嫁に往ったと聞いても少しも驚かなかった。しかしその頃から今までにない考えも出て来た。
民子は ただただ 少しも元気がなく、
痩衰えて
鬱いで
許り居るだろうとのみ思われてならない。可哀相な
民さんという観念ばかり高まってきたのである。そういう
訣であるから、学校へ往っても以前とは殆ど反対になって、以前は勉めて人中へ入って、苦悶を紛らそうとしたけれど、今度はなるべく人を避けて、一人で
民子の上に思いを
馳せて楽しんで居った。茄子畑の事や
棉畑の事や、十三日の晩の淋しい風や、また矢切の渡で別れた時の事やを、繰返し繰返し考えては独り慰めて居った。
民子の事さえ考えればいつでも気分がよくなる。勿論悲しい心持になることがしばしばあるけれど、さんざん涙を出せばやはり跡は気分がよくなる。
民子の事を思って居ればかえって学課の成績も悪くないのである。これらも不思議の一つで、
如何なる理由か知らねど、
僕は実際そうであった。
いつしか月も経って、忘れもせぬ六月二十二日、
僕が算術の解題に苦んで考えて居ると、小使が
斎藤さん おうちから電報です、と言って机の端へ置いて去った。例のスグカエレであるから、早速舎監に話をして即日帰省した。何事が起ったかと胸に動悸をはずませて帰って見ると、
宵闇の家の有様は意外に静かだ。台所で家中夕飯時であったが、ただそこに
母が見えない
許り、何の変った様子もない。
僕は台所へは顔も出さず、直ぐと
母の寝所へきた。
行灯の
灯も薄暗く、
母はひったり【びったり】枕に就いて
臥せって居る。
「お
母さん、どうかしましたか」
「あア
政夫、よく早く帰ってくれた。今 私も起きるからお前 御飯前なら御飯を済ましてしまえ」
僕は何のことか
頻りに気になるけれど、
母がそういうままに早々に飯をすまして再び
母の所へくる。
母は帯を
結うて蒲団の上に起きていた。
僕が前に坐ってもただ無言でいる。見ると
母は雨の様な涙を落して
俯向いている。
29/39
「お
母さん、まアどうしたんでしょう」
僕の
詞に励まされて
母はようやく涙を拭き、
「
政夫、堪忍してくれ……
民子は死んでしまった……私が殺した様なものだ……」
「そりゃいつです。どうして
民さんは死んだんです」
僕が夢中になって問返すと、
母は
嗚咽び返って顔を抑えて居る。
「始終をきいたら、定めし
非度い親だと思うだろうが、こらえてくれ、
政夫……お前に一言の話もせず、たっていやだと言う
民子を無理に勧めて嫁にやったのが、こういうことになってしまった……たとい女の方が年上であろうとも本人同志が得心であらば、何も親だからとて余計な口出しをせなくもよいのに、この
母が年
甲斐もなく親だてらにいらぬお世話を焼いて、取返しのつかぬことをしてしまった。
民子は私が手を掛けて殺したも同じ。どうぞ堪忍してくれ、
政夫……私は
民子の跡追ってゆきたい……」
母はもう おいおいおいおい 声を立てて泣いている。
民子の死ということだけは判ったけれど、何が何やら更に判らぬ。
僕とて
民子の死と聞いて、失神するほどの思いであれど、今目の前で
母の嘆きの一通りならぬを見ては、泣くにも泣かれず、
僕がおろおろしている所へ兄夫婦が出てきた。
「お
母さん、まアそう泣いたって仕方がない」
と言えば
母は、かまわずに泣かしておくれ泣かしておくれと言うのである、どうしようもない。
その間で
嫂が
僅に話す所を聞けば、市川の
某という家で先の男の気性も知れているに財産も戸村の家に倍以上であり、それで向うから
民子を
強っての所望、
媒妁人というのも戸村が世話になる人である、是非やりたい是非往ってくれということになった。
民子はどうでもいやだと言う。
民子のいやだという
精神はよく判っているけれど、
政夫さんの方は年も違い先の永いことだから、どうでも
某の家へやりたいとは、戸村の人達は勿論親類までの希望であった。それでいよいよ斎藤のおッ
母さんに意見をして貰うということに相談が極り、それで家のお
母さんが
民子に幾度意見をしても泣いてばかり承知しないから、とどのつまり、お前がそう剛情はるのも
政夫の処へきたい考えからだろうけれど、それはこの
母が不承知でならないよ、お前はそれでも今度の縁談が不承知か。こんな風に言われたから、
民子はすっかり自分をあきらめたらしく、とうとう皆様のよい様にといって承知をした。それからは何もかも
他の言うなりになって、
霜月
半に祝儀をしたけれど、
民子の心持がほんとうの承知でないから、向うでもいくらかいや気になり、
民子は身持になったが、
六月でおりてしまった。跡の肥立ちが非常に悪くついに六月十九日に息を引き取った。
30/39
病中
僕に知らせようとの話もあったが、今更
政夫に知らせる顔もないという
訣から知らせなかった。家のお
母さんは
民子が未だ口をきく時から、市川へ往って居って、
民子がいけなくなると、もう泣いて泣いて泣きぬいた。一口まぜに、
民子は私が殺した様なものだ、とばかりいって居て、市川へ置いたではどうなるか知れぬという
訣から、昨日車で家へ送られてきたのだ。話さえすれば泣く、泣けば私が悪かった悪かったと言って居る。誰にも仕様がないから、
政夫さんの所へ電報を打った。
民子も可哀相だしお
母さんも可哀相だし、飛んだことになってしまった。
政夫さん、どうしたらよいでしょう。
嫂の話で大方は判ったけれど、
僕もどうしてよいやら殆ど途方にくれた。
母はもう半気違いだ。何しろここでは
母の心を静めるのが第一とは思ったけれど、慰めようがない。
僕だっていっそ気違いになってしまったらと思った位だから、
母を慰めるほどの気力はない。そうこうしている内にようやく
母も少し落着いてきて、また話し出した。
「
政夫や、聞いてくれ。私はもう自分の悪党にあきれてしまった。何だってあんな
非度いことを
民子に言ったっけかしら。今更なんぼ悔いても仕方がないけど、私は
政夫……
民子にこう言ったんだ。
政夫と夫婦にすることはこの
母が不承知だからおまえは外へ嫁に往け。なるほど
民子は私にそう言われて見れば自分の身を
諦める外はない
訣だ。どうしてあんな
酷たらしいことを言ったのだろう。ああ可哀相な事をしてしまった。全く私が悪党を言うた為に
民子は死んだ。お前はネ、
明朝は夜が明けたら直ぐに往って よオく
民子の墓に参ってくれ。それでお
母さんの悪かったことをよく詫びてくれ。ねイ
政夫」
僕もようやく泣くことが出来た。たといどういう都合があったにせよ、いよいよ見込がなくなった時には逢わせてくれてもよかったろうに、死んでから知らせるとは随分非度い
訣だ。
民さんだって
僕には逢いたかったろう。
31/39
嫁に往ってしまっては
申訣がなく思ったろうけれど、それでもいよいよの
真際になっては
僕に逢いたかったに違いない。実に情ない事だ。考えて見れば
僕もあんまり児供であった。その後市川を三回も通りながらたずねなかったは、今更残念でならぬ。
僕は
民子が嫁にゆこうがゆくまいが、ただ
民子に逢いさえせばよいのだ。今一目逢いたかった……次から次と果てしなく思いは溢れてくる。しかし
母にそういうことを言えば、今度は
僕が
母を殺す様なことになるかも知れない。
僕は
屹と心を取り直した。
「お
母さん、
真に
民子は可哀相でありました。しかし取って返らぬことをいくら悔んでも仕方がないですから、跡の事を
懇【まごころをつくす】にしてやる外はない。お
母さんは ただただ 御自分の悪い様にばかりとっているけれど、お
母さんとて
精神はただ
民子のため
政夫のためと一筋に思ってくれた事ですから、よしそれが思う様にならなかったとて、
民子や
私等が何とてお
母さんを恨みましょう。お
母さんの精神はどこまでも
情心でしたものを、
民子も決して恨んではいやしまい。何もかもこうなる運命であったのでしょう。
私はもう諦めました。どうぞこの上お
母さんも諦めて下さい。明日の朝は夜があけたら直ぐ市川へ参ります」
母はなお
詞を次いで、
「なるほど何もかもこうなる運命かも知らねど 今度という今度
私はよくよく後悔しました。俗に親馬鹿という事があるが、その親馬鹿が飛んでもない悪いことをした。親がいつまでも物の解ったつもりで居るが、大へんな間違いであった。自分は
阿弥陀様におすがり申して救うて頂く外に助かる道はない。
政夫や、お前は体を大事にしてくれ。思えば
民子はなが年の間にもついぞ
私にさからったことはなかった、おとなしい児であっただけ、自分のした事が悔いられてならない、どうしても可哀相でたまらない。
民子が 今はの時の事も お前に話して聞かせたいけれど
私にはとてもそれが出来ない」
などとまた声をくもらしてきた。もう話せば話すほど悲しくなるからとて
強いて一同寝ることにした。
32/39
母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえてようやくこらえていた
僕は、自分の
蚊帳へ入り蒲団に倒れると、もうたまらなく一度にこみ上げてくる。口へは手拭を噛んで、涙を絞った。どれだけ涙が出たか、隣室の
母から夜が明けた様だよと声を掛けられるまで、少しも止まず涙が出た。着たままで寝ていた
僕はそのまま起きて顔を洗うや否や、未だほの
闇いのに家を出る。夢のように二里の路を走って、太陽がようやく地平線に現われた時分に戸村の家の門前まで来た。この家の
竃のある所は庭から正面に見透して見える。
朝炊きに麦藁を
焚いてパチパチ音がする。
僕が前の縁先に立つと奥に居た
お祖母さんが、
目敏く見つけて出てくる。
「かねや、かねや、とみや……
政夫さんが来ました。まア
政夫さんよく来てくれました。大そう早く。さアお上んなさい。起き抜きでしょう。さア……かねや……」
民子のお父さんとお母さん、
民子の姉さんも来た。
「まアよく来てくれました。あなたの来るのを待ってました。とにかくに上って御飯をたべて……」
僕は上りもせず腰もかけず、しばらく無言で立っていた。ようやくと、
「
民さんのお墓に参りにきました」
切なる様は目に余ったと見え、
四人とも口がきけなくなってしまった。……やがてお父さんが、
「それでもまア
一寸御飯を済して往ったら……あアそうですか。それでは皆して参ってくるがよかろう……いや着物など着替えんでよいじゃないか」
女達は、もう
鼻啜りをしながら、それじゃアとて立ちあがる。水を持ち、線香を持ち、庭の花を沢山に採る。小田巻草 千日草
天竺牡丹と
各々手にとり別けて出かける。柿の木の下から背戸へ抜け
槙屏【常緑樹の塀】の裏門を出ると松林である。桃畑梨畑の間をゆくと僅の田がある。その先の松林の片隅に雑木の森があって
数多の墓が見える。戸村家の墓地は
冬青四五本を中心として
六坪許りを区別けしてある。そのほどよい所の
新墓が
民子が
永久の
住家であった。
葬りをしてから雨にも逢わないので、ほんの新らしいままで、
力紙【葬列の道具の一つである
力杖に結びつける紙】なども今結んだ様である。
お祖母さんが先に出でて、
「さア
政夫さん、何もかもあなたの手でやって下さい。
33/39
民子のためには
真に千僧の供養にまさるあなたの
香花【仏事の際に供え物として使われる
樒の別名】、どうぞ
政夫さん、よオくお参りをして下さい……今日は
民子も定めて草葉の蔭で嬉しかろう……なあ
此人にせめて一度でも、目をねむらない
民子に……まアせめて一度でも逢わせてやりたかった……」
三人は眼をこすっている様子。
僕は香を上げ花を上げ水を注いでから、前に
蹲って心のゆくまで拝んだ。
真に情ない
訣だ。寿命で死ぬは致方ないにしても、長く
煩って居る間に、あア見舞ってやりたかった、一目逢いたかった。
僕も
民さんに逢いたかったもの、
民さんだって
僕に逢いたかったに違いない。無理無理に
強いられたとは言え、嫁に往っては
僕に合わせる顔がないと思ったに違いない。思えばそれが
愍然でならない。あんな
温和しい
民さんだもの、両親から親類中かかって強いられ、どうしてそれが拒まれよう。
民さんが気の強い人ならきっと自殺をしたのだけれど、温和しい人だけにそれも出来なかったのだ。
民さんは嫁に往っても
僕の心に変りはないと、せめて
僕の口から一言いって死なせたかった。世の中に情ないといってこういう情ないことがあろうか。もう
私も生きて居たくない……吾知らず声を出して
僕は両
膝と両手を地べたへ突いてしまった。
僕の様子を見て、後に居た人がどんなに泣いたか。
僕も吾一人でないに気がついてようやく立ちあがった。三人の中の誰がいうのか、
「なんだって
民子は、
政夫さんということをば一言も言わなかったのだろう……」
「それほどに思い合ってる仲と知ったらあんなに勧めはせぬものを」
「うすうすは知れて居たのだに、この人の胸も聞いて見ず、
民子もあれほどいやがったものを……いくら若いからとてあんまりであった……可哀相に……」
三人も香花を
手向け水を注いだ。
お祖母さんがまた、
「
政夫さん、あなた力紙を結んで下さい。沢山結んで下さい。
民子はあなたが情の力を便りにあの世へゆきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
僕は
懐にあった紙の有りたけを力杖に結ぶ。この時ふっと気がついた。
民さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。
民さんは野菊の中へ葬られたのだ。
34/39
僕はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。
僕は何にもほしくありません。御飯は勿論茶もほしくないです、このままお暇願います、明日はまた早く上りますからといって帰ろうとすると、
家中で引留める。
民子のお母さんはもうたまらなそうな風で、
「
政夫さん、あなたにそうして帰られては私等は居ても起ってもいられません。あなたが面白くないお心持は重々察しています。考えてみれば私どもの届かなかったために、
民子にも
不憫な死にようをさせ、
政夫さんにも
申訣のないことをしたのです。私共は
如何様にもあなたにお詫びを致します。
民子可哀相と
思召したら、どうぞ
民子が 今はの話も 聞いて行って下さいな。あなたがお
出でになったら、お話し申すつもりで、今日はお出でか明日はお出でかと、実は家中がお待ち申したのですからどうぞ……」
そう言われては
僕も帰る
訣にゆかず、
母もそう言ったのに気がついて座敷へ上った。茶や御飯やと出されたけれども真似ばかりで済ます。その内に人々皆奥へ集り
お祖母さんが話し出した。
「
政夫さん、
民子の事については、私共一同誠に
申訣がなく、あなたに合せる顔はないのです。あなたに色々御無念な処もありましょうけれど、どうぞ
政夫さん、過ぎ去った事と諦めて、御勘弁を願います。あなたにお詫びをするのが何より
民子の供養になるのです」
僕はただもう胸一ぱいで何も言うことが出来ない。
お祖母さんは話を続ける。
「実はと申すと、あなたのお
母さん始め、私また
民子の両親とも、あなたと
民子がそれほど深い
間であったとは知らなかったもんですから」
僕はここで一言いいだす。
「
民さんと私と深い間とおっしゃっても、
民さんと私とはどうもしやしません」
「いイえ、あなたと
民子がどうしたと申すではないのです。もとからあなたと
民子は非常な仲好しでしたから、それが判らなかったんです。それに
民子はあの通りの内気な児でしたから、あなたの事は一言も口に出さない。それはまるきり知らなかったとは申されません。それですからお詫びを申す様な
訣……」
僕は皆さんにそんなにお詫びを言われる
訣はないという。
民子のお父さんはお詫びを言わしてくれという。
35/39
「そりゃ
政夫さんのいうのは御もっともです、私共が勝手なことをして、勝手なことをお前さんに言うというものですが、
政夫さん聞いて下さい、理屈の上のことではないです。男親の口からこんなことをいうも
如何ですが、
民子は命に替えられない思いを捨てて両親の希望に従ったのです。親のいいつけで
背かれないと思うても、道理で感情を抑えるは無理な処もありましょう。
民子の死は全くそれ故ですから、親の身になって見ると、どうも残念でありまして、どうもしやしませんと
政夫さんが言う通り、お前さん
等二人に何の罪もないだけ、親の目からは
不憫が一層でな。あの通り
温和しかった
民子は、自分の死ぬのは心柄とあきらめてか、ついぞ一度不足らしい風も見せなかったです。それやこれやを思いますとな、どう考えてもちと親が無慈悲であった様で……。
政夫さん、察して下さい。見る通り家中がもう、悲しみの闇に
鎖されて居るのです。愚かなことでしょうがこの場合お前さんに
民子の話を聞いて貰うのが何よりの
慰藉に思われますから、年がいもないこと申す様だが、どうぞ聞いて下さい」
お祖母さんがまた話を続ける。結婚の話から いよいよ むずかしくなったまでの話は
嫂が家での話と同じで、今はという日の話はこうであった。
「六月十七日の午後に医者がきて、もう一日二日の処だから、親類などに知らせるならば今日中にも知らせるがよいと言いますから、それではとて
取敢ずあなたのお
母さんに告げると十八日の朝飛んできました。その日は
民子は顔色がよく、はっきりと話も致しました。あなたの
おっかさんがきまして、
民や、決して気を弱くしてはならないよ、どうしても今一度なおる気になっておくれよ、
民や……
民子はにっこり笑顔さえ見せて、
矢切のお
母さん、いろいろ有難う御座います。長長可愛がって頂いた御恩は死んでも忘れません。私も、もう長いことはありますまい……。
民や、そんな気の弱いことを思ってはいけない。決してそんなことはないから、しっかりしなくてはいけないと、あなたのお
母さんが言いましたら、
民子はしばらくたって、矢切のお
母さん、私は死ぬが本望であります、死ねばそれでよいのです……といいましてからなお口の内で何か言った様で、何でも、
政夫さん、あなたの事を言ったに違いないですが、よく聞きとれませんでした。
36/39
それきり口はきかないで、その夜の明方に息を引取りました……。それから
政夫さん、こういう
訣です……夜が明けてから、枕を直させます時、あれの母が見つけました、
民子は左の手に
紅絹の切れに包んだ小さな物を握ってその手を胸へ乗せているのです。それで家中の人が皆集って、それをどうしようかと相談しましたが、可哀相なような気持もするけれど、見ずに置くのも気にかかる、とにかく開いて見るがよいと、あれの父が言い出しまして、皆の居る中であけました。それが
政さん、あなたの写真とあなたのお手紙でありまして……」
お祖母さんが、泣き出して、そこにいた人皆涙を拭いている。
僕は一心に畳を見つめていた。やがて
お祖母さんが ようよう話を次ぐ。
「そのお手紙を
お富が読みましたから、誰も彼も一度に声を立って泣きました。あれの父は男ながら大声して泣くのです。あなたのお
母さんは、気がふれはしないかと思うほど、
口説いて泣く。お前達二人がこれほどの語らいとは知らずに、無理無体に勧めて嫁にやったは悪かった。あア悪いことをした、
不憫だった。
民や、堪忍して、私は悪かったから堪忍してくれ。
俄の騒ぎですから、近隣の人達が、どうしましたと言って尋ねにきた位でありました。それであなたのお
母さんはどうしても泣き止まないです。体に
障ってはと思いまして葬式が済むと車で御送り申した次第です。身を諦めた
民子の心持が、こう判って見ると、誰も彼も同じことで今更の様に無理に嫁にやった事が後悔され、たまらないですよ。考えれば考えるほどあの児が可哀相で可哀相で居ても
起っても居られない……せめてあなたに来て頂いて、皆が悪かったことを十分あなたにお
詫びをし、またあれの墓にも
香花をあなたの手から手向けて頂いたら、少しは家中の心持も休まるかと思いまして……今日のことをなんぼう待ちましたろ。
政夫さん、どうぞ聞き分けて下さい。ねイ
民子はあなたにはそむいては居ません。どうぞ
不憫と思うてやって下さい……」
一語一句 皆 涙で、
僕も一時泣きふしてしまった。
民子は死ぬのが本望だと言ったか、そういったか……家の母があんなに身を責めて泣かれるのも、その筈であった。
僕は、
「
お祖母さん、よく判りました。私は
民さんの心持はよく知っています。
37/39
去年の春、
民さんが嫁にゆかれたと聞いた時でさえ、私は
民さんを毛ほども疑わなかったですもの。どの様なことがあろうとも、私が
民さんを思う心持は変りません。家の母なども ただそればかり言って嘆いて居ますが、それも皆悪気があっての
業でないのですから、私は勿論
民さんだって決して恨みに思やしません。何もかも定まった縁と諦めます。私は当分毎日お墓へ参ります……」
話しては泣き泣いては話し、甲一語乙一語【甲が一言話すと乙も一言返す】いくら泣いても果てしがない。
僕は
母のことも気にかかるので、もうお昼だという時分に戸村の家を辞した。戸村のお母さんは、
民子の墓の前で
僕の素振りが余り痛わしかったから、途中が心配になるとて、自分で矢切の入口まで送ってきてくれた。
民子の
愍然なことはいくら思うても思いきれない。いくら泣いても泣ききれない。しかしながらまた目の前の
母が、悔悟の念に攻められ、自ら大罪を犯したと信じて嘆いている
愍然さを見ると、
僕はどうしても今は
民子を泣いては居られない。
僕が めそめそして居ったでは、
母の苦しみは増すばかりと気がついた。それから一心に自分で自分を励まし、元気をよそおうてひたすら
母を慰める工夫をした。それでも心にない事は仕方のないもの、
母はいつしかそれと気がついてる様子、そうなっては
僕が家に居ないより外はない。
毎日
七日の間市川へ通って、
民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。その
翌くる日に
僕は十分
母の精神の休まる様に自分の心持を話して、決然学校へ出た。
* * *
民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、
僕は余儀なき結婚をして長らえている。
民子は
僕の写真と
僕の手紙とを胸を離さずに持って居よう。幽明
遥けく隔つ【生者の世界と死者の世界は、遠く離れて隔てられている】とも
僕の心は一日も
民子の上を去らぬ。
底本:「日本文学全集別巻1 現代名作集」河出書房
1969(昭和44)年
初出:「ホトトギス」
1906(明治39)年1月
入力:kaku
校正:伊藤時也
1999年1月6日公開
2013年7月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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シン文庫 追記) -----
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