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札幌
石川啄木


 半生を放浪の間に送って来たには、折にふれてしみじみ思出される土地ところの多い中に、札幌の二週間ほど、あわただしい様な懐しい記憶をの心に残した土地ところは無い。あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風まがいの家屋うちの離ればなれに列んだ――そして甚麽どんな大きい建物も見涯みはてのつかぬ大空に圧しつけられている様な、石狩平原の中央ただなかの都の光景ありさまは、やゝもするとの目に浮んで来て、優しい伯母おばかなんぞの様に心を牽引ひきつける。一年なり、二年なり、何時かは行って住んで見たい様に思う。
 が初めて札幌に行ったのは明治四十年の秋風の立初たちそめた頃である。――それまでは函館に足をめていたのだが、人も知っているその年八月二十五日の晩の大火に会って、幸い類焼は免れたが、出ていた新聞社が丸焼になって、急には立ちそうにもない。何しろ、北海道へ渡って漸々ようよう四ヶ月、内地(と彼地あちらではいう。)から家族を呼寄せてうちを持ったばかりの事で、土地ところに深い親みは無し、も困ってしまった。其処そこへ道庁に勤めている友人の立見君が公用旁々かたがた見舞に来て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んでり、二三度手紙や電報の往復があって、は札幌の××新聞に行く事に決った。条件は余りくなかったが、此際だから腰掛の積りで入ったがよかろうと友人からも言って来た。
 は少しばかりの畳建具をひとに譲る事にして旅費を調ととのへた。その時は、函館を発つ汽車汽船が便毎に『焼出され』の人々を満載していた頃で、其等それらの者が続々入込んだ為に、札幌にも小樽にもう一軒の貸家も無いという噂もあり、且は又、先方むこうへ行って直ぐうちを持つだけの余裕も無しするから、家族の後から一先づ小樽にいたもとへ引上げる事にした。
 九月十何日かであった。降り続いた火事後の雨があがると、伝染病発生の噂と共に底冷そこびえのする秋風が立って、家を失い、職を失った何万の人は、言い難き物の哀れを一様に味っていた。市街の大半を占めている焼跡には、仮屋かりや建てののみ【大工仕事】の音が急がしく響き合って、まだ何処となく物のくすぶ臭気にほいの残っている空気に新らしい木の香が流れていた。数少い友人に送られて、は一人夜汽車に乗った。
 翌暁あくるあさ小樽に着く迄は、腰下す席もない混雑で、一夜ひとばん車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、の家で朝飯をしたため、三時間ばかりも仮寝うたたねをしてからまた車中の人となった。車輪を洗うばかりに涵々ひたひたと波の寄せている神威古潭かむいこたんの海岸を過ぎると、銭函駅に着く。汽車はそれから真直ましぐらに石狩の平原に進んだ。
 未見みちの境を旅するという感じは、犇々ひしひしの胸に迫って来た。空は低く曇っていた。
[しおり] 石川啄木-札幌(1 / 13)
目を遮ぎる物もない広野あらのの処々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木かんぼく【背の低い木】の叢生そうせい【でこぼこ】した箇処ところがある。沼地がある――其処そこには蘆荻ろてき【アシとオギ】の風に騒ぐさまが見られた。不図ふと、二町【1町は約109m】とは離れぬ小溝の縁の畔路あぜみちを、赤毛の犬をれたが行く。犬が不意に駆け出した。は膝まづいた。その前に白い煙がパッと立った――猟夫だ。蘆荻ろてきの中からシギらしい鳥が二羽、横さまに飛んで行くのが見えた。その向うには、灌木の林の前に茫然ぼんやりと立って、汽車を眺めている農夫があった。
 くして北海道の奥深く入って行くのだ。恁くして、或者あるいは自然と、或者は人間同志で、内地の人の知らぬはげしい戦いを戦っている北海道の生活の、だん/\底へと入って行くのだ――という感じが、その時の心に湧いた。――その時はまだの心も単純であった。既にそのはげしい戦いの中へ割込み、底から底と潜り抜けて、遂々とうとう敗けて帰って来たの今の心に較べると、実際その時のは、単純であった――
 小雨が音なく降り出した来た。気が付くと、同車の人々は手廻りの物などを片付けている。小娘に帯を締直して遣っている母親もあった。う札幌に着くのかと思って、時計を見ると一時を五分過ぎていた。窓から顔を出すと、行手にあたって蓊乎こんもりとした木立が見え、大きい白ペンキ塗の建物も見えた。間もなくその建物の前を過ぎて、汽車は札幌駅に着いた。
 乗客の大半は此処ここで降りた。も小形のかばん一つを下げて乗降庭プラットフォームに立つと、二歳になる女の児を抱いた、背の高い立見君の姿が直ぐ目についた。も一人の友人も迎へに来て呉れた。「君の家は近いね?
近い。どうして知ってるね?
子供を抱いて来てるじゃないか。
 改札口から広場に出ると、は一寸 立とまって見たい様に思った。道幅の莫迦ばかに広い停車場通りの、両側のアカシヤの街樾なみきは、蕭条しょうじょう【ひっそりと もの寂しい】たる秋の雨に遠く/\煙っている。その下を往来ゆききする人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いてる様に見える。
[しおり] 石川啄木-札幌(2 / 13)
蛇目の傘をさした若い女の紫のはかまが、その周匝あたりの風物としっくり調和していた。傘をさす程の雨でもなかった。
このとほりは僕等がアカシヤ街と呼ぶのだ。彼処あそこに大きい煉瓦造りが見える。あれは五号館というのだ。……奈何どうだ、気に入らないかね?
好い! 何時いつまでも住んでいたい――
 実際う思った。
 立見君の宿は北七条の西○丁目かにあった。古い洋風まがいの建物の、素人下宿を営んでいる林という寡婦やもめ【パートナーが居なくなった人】の家に室借へやがりをしていた。立見君はそのへやを『猫箱』と呼んでいた。台所の後の、以前もとは物置だったらしい四畳半で、屋根の傾斜なりに斜めに張られた天井は黒く、隅の方は頭がつかへて立てなかった。その狭い室の中に机もあれば、夜具もある、行李こうりもある。林務課の事業手という安 腰弁こしべん【下級官吏や安月給取り】の立見君は、細君と女児こどもと三人で其麽そんなへやにいながら、時々藤村調の新体詩などを作っていた。机の上には英吉利イギリス人の古い詩集が二三冊、旧新約全書、それから、今は忘れて読めなくなったと言う独逸ドイツ文の宗教史――これらは皆、何かしら立見君の一生に忘れ難い紀念があるのだろう――などが載っていた。
 もその家に下宿する事になった。もっと明間あきまは無かったから、停車場に迎へに来て呉れたも一人の方の友人――目形君――と同室する事にしたのだ。


 宿の内儀かみさんう四十位の、亡夫は道庁で可也かなりな役を勤めた人というだけに、品のある、気の確乎しっかりした、言葉に西国の訛りのある人であった。娘が二人、の方はまだ十三で、背のヒヨロ高い、愛嬌のない寂しい顔をしている癖に、思う事は何でも言うといった様な淡白きさくたちで、時々間違った事を喋ってはみんなに笑はれて、ケロリとしているであった。
 姉は真佐子と言った。その年の春、さる外国人の建てゝいる女学校を卒業したとかで、体はまだ充分発育していない様に見えた。とはても肖つかぬ丸顔の、色の白い、何処と言って美しいところはないが、少し薮睨みの気味なのと片笑靨かたえくぼのあるのとに人好きのする表情があった。
[しおり] 石川啄木-札幌(3 / 13)
女学校出とは思はれぬ様な温雅しとやかな娘で、絶えだえな声を出して賛美歌を歌っている事などがあった。学校では大分宗教的な教育をけたらしい。母親は、の方をば時々お転婆だ/\と言っていたが、には一言も小言を言わなかった。
 その外に遠い親戚だという眇目めつかち【すがめ:片方の目が小さい、または見えない】ながいた。警察の小使をした事があるとかで、夜分などは『現行警察法』という古い本をひもといている事があった。その内儀かみさんの片腕になって家事万端立働いていて、娘の真佐子はチヨイ/\手伝う位に過ぎなかった。何でも母親の心にしては、末の手頼たよりにしている娘を下宿屋の娘らしくは育てたくなかったのであろう。素人屋しろうとやによくある例で、我々も食事の時は一同茶の間に出て、食卓を囲んで食うことになっていたが、内儀はその時も成るべく娘には用をさせなかった。
 或朝、が何か捜す物があってかばんの中を調べていると、まだ使わない絵葉書が一枚出た。青草の中に罌粟けしらしい花の沢山咲き乱れている、油絵まがいの絵であった。不図ふと其処そこへ妹娘の民子が入って来て、
マァ、綺麗な……
と言ってのぞき込む、
上げましょうか?
くって?
 手にとって嬉しそうにして見ていたが、
これ、何の花?
罌粟けし
恁麽こんな花、いつかちゃんもいた事あってよ。
 すると、その日の昼飯の時だ。は例の如く茶の間に行って同宿の人と一緒に飯を食っていると、風邪の気味だといって学校を休んで、咽喉に真綿を捲いている民子が窓側で幅の広い橄欖色オリイヴいろ飾紐リボンいぢくっている。それを見付けた母親は、
民イちゃん、貴女何ですそれ、またさんの飾紐を。
貰ったの。」とケロリとしている。
嘘ですよウ。其麽そんな色はまだ貴女に似合いませんもの、何でさんが上げるものですか?
真箇ほんと。ホラ、今朝島田さんから戴いた綺麗な絵葉書ね、ちゃんがあれを取上げて奈何どうしても返さないから、代りに此を貰ったの。
そんなら可いけれど、此間こないだ真佐ァちゃんの絵具を那麽あんなにしてしまうたじゃありませんか?
 は列んでいた農科大学生と話をし出した。
 それから、飯を済まして便所に行って来ると、真佐子いつも場所ところに坐って、(其処そこの室の前、玄関から続きの八畳間で、家中の人の始終しよっちゆう通る室だが、真佐子は外に室がないので、其処そこの隅ッコに机や本箱を置いていた。
[しおり] 石川啄木-札幌(4 / 13)
)編物にきたというふうで、片肘を机に突き、編物の針で小さい硝子のびんした花を突ついていた。豌豆えんだうの花の少し大きい様な花であった。
何です、その花?」とは何気なく言った。
スイイトビイン【スイートピー】です。
 よく聞えなかったので聞直すと、
あの、遊蝶花ゆうちょうかとか言うそうで御座います。
そうですか。これですかスイイトビインと言うのは。
お好きで被入いらっしゃいますか?
そう! 可愛らしい花ですね。
 見ると、耳の根をほんのり紅くしている。其儘そのまま室に入ろうとすると、何時の間にか民子が来て立っていて、
島田さん、もう那麽あんな絵葉書無くって?
有りません。その内にまたいのを上げましょう。
マァ、お客様に其麽そんな事言うと、母さんに叱られますよ。」と、たしなめる。
ハハヽヽ。」と軽く笑って、は室に入ってしまった。
だって、切角せっかく戴いたのはちゃんが取上げたんだもの……」と、民子が不平顔をして言ってる様子。
 真佐子は、口をおさえる様にして何か言ってなだめていた。
 は毎日午後一時頃から社に行って、暗くなる頃に帰って来る。その日は帰途かへりに雨に会って来て、食事に茶の間に行くと、外の人はう済んで一人限ひとりきりだ。内儀はに少し濡れた羽織を脱がせて、真佐子切炉きいろ【部屋などの一部を掘り下げて作った炉】の火でさせながら、自分はに飯をよそって呉れていた。火にかざした羽織からは湯気が立っている。思ったよりは濡れていると見えて却々なかなか乾せない。い事にしては三十分の余も内儀相手にお喋舌しゃべりをしていた。


 その翌日、が来た。う函館からは引上げて小樽に来ているのであるが、そう何時までもの家に厄介になっても居られないので、それやこれやの打合せに来たのだ。の子供は生れてやっと九ヶ月にしかならなかったが、来ると直ぐ忘れないでいてに手を延べた。
 が、心がけては居たったが、空家、せめて二間位の空間と思っても、それすら有りそうになかった。困ってしまって宿の内儀に話をすると、
うですねえ。
[しおり] 石川啄木-札幌(5 / 13)
それではうなすっちゃ如何でしょう、貴方のお室は八畳ですから、お家の見付かるまで当分 此処ここで我慢をなさる事になすっては? そうなれば目形さんには別の室に移って頂くことに致しますから。何で御座いましょう、貴方方もお三人きり……?」
まだ年老った母があります。外にもあるんですが、それは今直ぐ来なくても可いんです。
マァうですか、阿母おっかさんも御一緒に! ……それにしても立見さんの方よりは窮屈でない訳ですわねえ、当分の事ですから。
 話はそれに決って、は二三日中に家財をまとめて来ることになった。女同志は重宝なもので、う内儀と種々生計向くらしむきの話などをしている。
 真佐子は、の来るとからの子供を抱いて、のべつに頬擦りをしながら、家の中を歩いたり、外へ行ったりしていた。泣き出しそうにならなければところれて来ない。
小便おしっこしては可けませんから。」とが言っても、
いいえ、構いませんから、も少し借して下さい。」と言って却々なかなか放さない。母親は笑っていた。
 二人限になった時、は何かのついで恁麽こんな事を言った。
真佐子さんは少し薮睨みですね。おとなしい方でしょう。
 やがて出社の時刻になった。玄関を出ると、其処そこからは見えない生垣の内側に、の子を抱いた真佐子が立っていた。を見ると、
あれ、父様ですよ、父様ですよ。」と言って子供に教える。
重くありませんか、其麽そんなに抱いていて?
いいえ、嬢ちゃん、サァ、お土産みやを買って来て下さいッて。マァ何とも仰しゃらない!
と言いながら、たまらないと言ったふうに頬擦りをする。赤児を可愛がる処女には男の心をくすぐる様なところがある。は二三歩真佐子に近づいたが、気がつくと玄関にはまだが立ってるので、其儘そのまま門外へ出てしまった。
 帰って来た時は、小樽へ帰るを停車場まで見送りに行った真佐子も、今し方帰ったばかりというところであった。その晩は、立見君は牧師の家に出かけて行ったので、は室にいて手紙などを書いた。茶の間からは女達の話声が聞える。
[しおり] 石川啄木-札幌(6 / 13)
真佐子の子供の可愛かった事をしきりにかぞへ立てゝいる、立見君の細君もそれに同じては いたが、何となく気の乗らぬ声であった。


 翌日は社に出てから初めての日曜日、休みではないが、明くる朝の新聞は四頁なので四時少し前に締切になった。後藤君はその日欠勤した。帰って来て寝ころんでいると、後藤君が相変らずの要領を得ない顔をして入って来て、
少し相談があるから、今夜七時半に僕の下宿へ来給へ。僕はよそを廻ってそれ迄に帰ってるから。
と言って出て行った。直ぐ戻って来てを玄関に呼出すから、何かと思うと、
君、秘密な話だから、一人で来てくれ給へ。
好し。一体何だね? 何か事件が起ったのかね?
君、声が高いよ。大に起った事があるさ。わが党の大事だ。」と、黄色い歯を出しかけたが、直ぐムニヤ/\と口を動かして、「かく来給へ。成るべく僕の処へ来るのを誰にも知らせない方が好いな。
 そして、右の肩を揚げ、薄い下駄を引擦る様にして出て行ってしまった。『よく秘密にしたがる男だ!』とは思った。
 はその晩の事が忘られない。
 夕飯が済むと、立見君と目形君は教会に行くと言って、にも同行を勧めた。は社長の宅へ行く用があると言って断った。そして約束の時間に後藤君の下宿へ行った。
 座には――新聞の二面記者だという男がいた。後藤君はその男に紹介ひきあはせた。は、その男が所謂いわゆる『秘密の相談』に関係があるのか、無いのか、一寸判断に困った。片目の小さい、始終しよっちゆう唇をめ廻す癖のある、鼻の先に新聞記者がブラ下ってる様な挙動ようすや物言いをする、可厭いやな男であった。
 少し経つと、後藤君はに、
君はう先に行ったのかと思っていた。よく誘って呉れたね。
 これで了解のみこめたから、いい加減にバツを合せた。そして、
まだ七時頃だろうね?
奈何どうして、奈何して、う君八時じゃないか知ら。
待ち給へ。
[しおり] 石川啄木-札幌(7 / 13)
――新聞の記者が言って、帯の間の時計を出して見た。「七時四十分。何処かへ行くのかね?
あゝ、七時半までの約束だったが――
うか。それでは僕の長居が邪魔な訳だね。近頃は方々で邪魔にしやがる。処で行先は何処だ?
ハハヽヽ。う一々ひとの行先に干渉しなくても可いじゃないか。」「かくすな! 何有なあに、解ってるよ、確乎ちゃんと解ってるよ。高が君等の行動が解らん様では、これで君、札幌はいくら狭くっても新聞記者の招牌かんばんは出されないからね。
すさまじいね。ところで今夜はマァそれにして置くから、お慈悲を以てこれで御免をこうむらして頂こうじゃないか?
好し、好し。今帰ってやるよ。僕だって没分暁漢わからずやではないからね、先刻御承知の通り。処でと――」と、腕組をして凝乎じっと考へ込むふうをする。
何を考えるのだ、大先生?
マ、マ、一寸待ってくれ。
金なら持ってないぜ。
畜生奴! ハハヽヽ、先を越しやがった。何有なあに、好し、好し、まだ二三軒心当りがある。
それは結構だ。
冷評ひやかすない。これでも△△さんでなくては夜も日も明けないッて人が待ってるんだからね。うだ、金崎の処へ行って三両 ばか踏手繰ふんだくってやるか。――奈何どうだい、出懸けるなら一緒に出懸けないか?
何有なあに、悪い処へは行かないから、安心して先に出て呉れ給へ。
莫迦ばかに僕を邪魔にする! が、マァゆるして置け。その代り儲かったら割前を寄越よこさんと承知せんぞ。左様なら。
 そして室を出しなに後を向いて、
君等ァ薄野すすきの(遊郭)に行くんじゃないのか?」と狐疑深うたぐりぶかい目付をした。
 その男を送出して室に帰ると、後藤君は落胆がっかりした様な顔をして、眉間に深いしわを寄せていた。
遂々とうとう追出してやった、ハハヽヽ。」と笑いながら坐ったが、張合の抜けた様な笑声であった。
[しおり] 石川啄木-札幌(8 / 13)
そして、
あれで君、彼奴あいつ――社中では敏腕家なんだ。
可厭いやな奴だねえ。」「君は案外人嫌いをする様だね。あれでも根は好人物おひとよしで、だませるところがある。
但し君は人を訛すことの出来ない人だ。
うか……も知れないな。」と言って、グタリとあごを襟に埋めた。そして、手で頸筋くびすじを撫でながら、
近頃 此処ここが痛くて困る。少し長い物を書いたり、今の様な奴と話をしたりすると、屹度きっと痛くなって来る。
神経痛じゃないか知ら。
うだろうと思う。神経衰弱にかかってからう三年ばかりになるからなあ
医者には?
かゝらない、外の病気と違って薬なんかマァ利かないからね。
でも君、構はずに置くよりァかないか知ら。
第一、医者にかゝるなんて、僕にァ其麽そんな暇は無い。
 う言って首をもたげたが、
暇が無いんじゃァない、実は金が無いんだ。ハハヽヽ。有るものは借金と不平ばかり。うだ、くびの痛いのも近頃は借金で首が廻らなくなったからかも知れない。
 後藤君は取ってつけた様に寂しい高笑いをした。そして、冷え切った茶碗を口元まで持って行ったが、不図ふと気が付いた様に、それを机の上に置いて、
ヤァ失敬、失敬。君にはまだ茶を出さなかった。
茶なんか奈何どうでも可いが、それより君、話ッてな何です?
マァ、マァ、男は其麽そんなに急ぐもんじゃない。まだ八時前だもの。
 う言って、薬缶やかんの蓋をとって見ると、湯はある。出からしになった急須の茶滓ちゃかすを茶碗の一つに空けて、机の下から小さい葉鉄ブリキの茶壺を取出したが、その手付がいかにもものぐそうで、の様な気の早い者が見ると、もどかしくなる位緩々のろのろしている。
 ギシ/\する茶壺の蓋を取って、中蓋の取手に手を掛けると、其儘そのまま後藤君は凝乎じっと考へ込んでしまった。左の眉の根がピクリ、ピクリと神経的に痙攣ひきつけている。
 やゝあってから、
君、
[しおり] 石川啄木-札幌(9 / 13)
と言って中蓋を取ったが、そのまま茶壺を机の端に載せて、
僕等も出掛けようじゃないか? 少し寒いけれど。
何処へ?
何処へでもい。歩きながら話すんだ。此室ここには、(と声を落して、目で壁隣りの室を指しながら、)君、――新聞の主筆の従弟いとこという奴が居るんだ。恁麽いんも処【このようなところ】で一時間も二時間も密談してると人にも怪まれるし、第一此方こっちも気がつまる。歩きながらの方が可い。
何をしてるね、隣の奴は?
其麽そんな声で言うと聞えるよ。何有なあに、道庁の学務課へ出ている小役人だがね。昔から壁に耳ありで、其麽どんな処から計画が破れるか知れないからなあ
一体マァ何の話だろう? 大層勿体をつけるじゃないか? 蓋ばかり沢山あって、中には甚麽どんな美味い饅頭が入ってるんか、一向アテが付かない。
ハハヽヽ。マァ出懸けようじゃないか?
 で、二人は戸外に出た。後藤君はう蓋を取った茶壺の事は忘れてしまった様であった。は、この煮え切らぬ顔をした三十男が、物事をうまで秘密にする心根に触れて、そして、見悄みすぼらしい鳥打帽【ハンチング帽】をかぶり、右の肩を揚げてズシリ/\と先に立って階段を降りる姿を見下しながら、異様な寒さを感じた。出かけない主義が、何も為出しでかさぬうちに活力を消耗してしまった立見君の半生を語る如く、後藤君の常に計画し常に秘密にしているのが、矢張またその半生の戦いの勝敗を語っていた。
 札幌の秋の夜はしめやかであった。其辺そこらう場末の、通り少なき広い街路まち森閑しんかんとして、空には黒雲がまだらに流れ、その間から覗いている十八九日【ほぼ丸い】 ばかりの月影に、街路に生えた丈低い芝草に露が光り、虫が鳴いていた。家々の窓の火光あかりだけが人懐かしく見えた。
あゝ、月がある!う言っては空を見上げたが、後藤君は黙って首をれて歩いた。痛むのだろう。吹くともない風に肌がしまった。
 そのまま少し歩いて行くと、区立の大きい病院の背後うしろに出た。月が雲間に隠れて四辺あたりが蔭った。
やァれ、やれやれやれ――
[しおり] 石川啄木-札幌(10 / 13)
という異様の女の叫声が病院の構内から聞えた。
何だろう?」とは言った。
狂人きちがいさ。それ、其処そこにあるのが(と構内の建物の一つを指して、)精神病患者の隔離室なんだ。夜更よふけになると僕の下宿までの声が聞える事がある。
 その狂人共が暴れてるのだろう、ドン/\と板をたたく音がする。ハチ切れた様な甲高い笑声がする。
畳たゝいて此方こちひとオ――これ、此方こちの人、此方こちの人ッたら、ホホヽヽヽヽ。
 それは鋭い女の声であった。は足を緩めた。
狂人の多くなっただけ、我々の文明が進んだのだ。ハハヽヽ。」と後藤君は言出した。「君はまだ那麽あんな声を聞こうとするだけ若い。僕なんかは其麽そんな暇はない。聞えても成るべく聞かぬ様にしてる。ひとの事よりァ此方こっちの事だもの。
 うしてズシリ/\と下駄を引擦りながら先に立って歩く。
実際だ。」とも言ったが、狂人の声が妙に心を動かした。普通の人間と狂人との距離がその時ズッと接近して来てる様な気がした。『後藤君も苦しいんだ!』其麽そんな事を考へながら、は足元に眼を落して黙って歩いた。
ところで君、徐々そろそろ話を初めようじゃないか?」と後藤君は言出した。
初めよう。僕は先刻さっきから待ってる。」と言ったが、その実う大した話でも無い様に思っていた。
実はね、マァ好い方の話なんだが、然し余程考へなくちゃ決行されない点もある――
 う言って後藤君の話した話は次の様なことであった。――今度小樽に新らしい新聞が出来る。出資者はY――氏という名の有る事業家で、創業費は二万円【約4千万円/2025年】、維持費の三万円を年に一万宛注込んで、三年後に独立経済にする計画である。そして、社長には前代議士で道会に幅を利かしているS――氏がなるというので。
主筆も定ってる。
[しおり] 石川啄木-札幌(11 / 13)
と友は言葉をいだ。「せんにH――新聞にいた山岡という人で、僕も二三度面識がある。その人が今編 輯局しゅうきょく【毎日】編成の任を帯びて札幌に来ている。実は僕にも間接に話があったので、今日行って打突ぶつかって見て来たのだ。
成程。段々面白くなって来たぞ。
無論その時君の話もした。」と、熱心な調子で言った。暗い町を肩を並べて歩きながら、稀なる往来ゆききの人に遠慮をい/\、ひそめた声も時々高くなる。後藤君は暗い中で妙な手振をしながら、「僕の事はマァ不得要領な挨拶をしたが、君の事は君さへ承知すれば直ぐきまる位に話を進めて来た。無論現在よりは条件も可さそうだ。それに君は家族が小樽に居るんだから都合が可いだろうと思うんだ。
それァァそうだ。が、無論君も行くんだろう?
其処そこだテ。奈何どう其処そこだテ――
何が?
主筆は十月一日に第一回編集へんしゅう会議を開く迄に顔触れを揃える責任を受負ったんで、大分焦心あせってる様だがね。
十月一日! あと九日しかない。
うだ。――実はね、」と言って、後藤君は急に声を高くした。「僕も大いに心を動かしてる。大いに動かしている。
 うして二度 ばかり右の拳を以て空気を切った。
それなら可いじゃないか?」とも声を高めた。
奈何どうせ天下の浪人共だ。何も顧慮こりょする処はない。
其処そこだ。君はまだ若い。僕はも少し深く考へて見たいんだ。
奈何どう考える?
詰りね、単に条件がいから行くというだけでなくね――それは無論第一の問題だが――多少君、我々の理想を少しでも実行するに都合が好い――と言った様な点を見付けたいんだ。
[しおり] 石川啄木-札幌(12 / 13)
〔生前未発表・明治四十一年八月稿〕



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底本:「石川啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房
   1978(昭和53)年10月25日初版第1刷発行
   1993(平成5年)年5月20日初版第7刷発行
※底本解説で、小田切秀雄が、1908(明治41)年8月と執筆時期を推測する、生前未発表のこの作品のテキストは、市立函館図書館所蔵啄木自筆原稿「底外三篇」によっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「漸々やうやう四ヶ月」(P.188-上-1)をのぞいて、大振りにつくっています。
※「欖の14かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「欖」で入力しました。入力:Nana ohbe
校正:川山隆
2008年5月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
----- (以下、シン文庫 追記) -----
関係者の皆様、大変ありがとうございました。感謝致します。
[しおり] 石川啄木-札幌(13 / 13)