越後の
春日【新潟上越市】を経て今津へ出る道【福井県または滋賀県の今津町へ出る道】を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。
母は三十歳を
踰えたばかりの女で、二人の子供を連れている。
姉は十四、
弟は十二である。それに四十ぐらいの
女中が一人ついて、くたびれた
同胞【兄弟姉妹】二人を、「
もうじきにお宿にお着きなさいます」と言って励まして歩かせようとする。二人の中で、
姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを
母や
弟に知らせまいとして、折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を
物詣り【参拝・訪問】にでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、
笠やら
杖やら かいがいしい【しっかりとした】
出立ちをしているのが、誰の目にも珍らしく、また気の毒に感ぜられるのである。
道は百姓家の
断えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、
秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように
踝を埋めて人を悩ますことはない。
藁葺きの家が何軒も立ち並んだ一構えが
柞【ブナ科の木】の林に囲まれて、それに夕日が かっとさしているところに通りかかった。
「
まあ あの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた
母が指さして子供に言った。
子供は
母の指さす方を見たが、なんとも言わぬので、
女中が言った。「
木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」
姉娘が突然
弟を顧みて言った。「
早くお父うさまのいらっしゃるところへ往きたいわね」
「
姉えさん。まだなかなか往かれはしないよ」
弟は
賢しげに答えた。
母が
諭すように言った。「
そうですとも。今まで越して来たような山をたくさん越して、河や海をお船でたびたび渡らなくては往かれないのだよ。毎日精出しておとなしく歩かなくては」
「
でも早く往きたいのですもの」と、
姉娘は言った。
一群れはしばらく黙って歩いた。
向うから
空桶を
担いで来る女がある。
塩浜から帰る
潮汲み女である。
それに
女中が声をかけた。「
もしもし。この辺に旅の宿をする家はありませんか」
潮汲み女は足を
駐めて、主従四人の群れを見渡した。そしてこう言った。「
まあ、お気の毒な。あいにくなところで日が暮れますね。この土地には旅の人を留めて上げる所は一軒もありません」
女中が言った。「
それは本当ですか。どうしてそんなに人気が悪いのでしょう」
二人の子供は、はずんで来る対話の調子を気にして、
潮汲み女のそばへ寄ったので、
女中と三人で女を取り巻いた形になった。
潮汲み女は言った。「
いいえ。信者が多くて人気のいい土地ですが、国守の掟だから しかたがありません。もうあそこに」と言いさして、女は今来た道を指さした。「
もうあそこに見えていますが、あの橋までおいでなさると高札が立っています。それにくわしく書いてあるそうですが、近ごろ悪い人買いがこの辺を立ち廻ります。それで旅人に宿を貸して足を留めさせたものにはお咎めがあります。あたり七軒巻添えになるそうです」
「
それは困りますね。子供衆もおいでなさるし、もうそう遠くまでは行かれません。どうにかしようはありますまいか」
「
そうですね。わたしの通う塩浜のあるあたりまで、あなた方がおいでなさると、夜になってしまいましょう。どうもそこらでいい所を見つけて、野宿をなさるよりほか、しかたがありますまい。わたしの思案では、あそこの橋の下にお休みなさるがいいでしょう。岸の石垣にぴったり寄せて、河原に大きい材木がたくさん立ててあります。荒川の上から流して来た材木です。昼間はその下で子供が遊んでいますが、奥の方には日もささず、暗くなっている所があります。そこなら風も通しますまい。わたしはこうして毎日通う塩浜の持ち主のところにいます。ついそこの柞《ははそ》の森の中です。
夜になったら、藁や薦を持って往ってあげましょう」
子供らの
母は一人離れて立って、この話を聞いていたが、このとき
潮汲み女のそばに進み寄って言った。「
よい方に出逢いましたのは、わたしどもの為合せでございます。そこへ往って休みましょう。どうぞ藁や薦をお借り申しとうございます。せめて子供たちにでも敷かせたりきせたり いたしとうございます」
潮汲み女は受け合って、
柞の林の方へ帰って行く。主従四人は橋のある方へ急いだ。
――――――――――――
荒川にかけ渡した
応化橋の
袂に一群れは来た。
潮汲み女の言った通りに、新しい高札が立っている。書いてある国守の掟も、女の
詞にたがわない。
人買いが立ち廻るなら、その人買いの
詮議をしたらよさそうなものである。旅人に足を留めさせまいとして、行き暮れたものを路頭に迷わせるような掟を、国守はなぜ定めたものか。ふつつかな世話の焼きようである。しかし昔の人の目には掟である。子供らの
母はただそういう掟のある土地に来合わせた運命を
歎くだけで、掟の
善悪は思わない。
橋の袂に、河原へ洗濯に降りるものの通う道がある。そこから一群れは河原に降りた。なるほど大層な材木が石垣に立てかけてある。一群れは石垣に沿うて材木の下へくぐってはいった。男の子は面白がって、先に立って勇んではいった。
奥深くもぐってはいると、
洞穴のようになった所がある。下には大きい材木が横になっているので、床を張ったようである。
男の子が先に立って、横になっている材木の上に乗って、一番
隅へはいって、「
姉えさん、早くおいでなさい」と呼ぶ。
姉娘はおそるおそる
弟のそばへ往った。
「
まあ、お待ち遊ばせ」と
女中が言って、背に負っていた包みをおろした。そして着換えの衣類を出して、子供を
脇へ寄らせて、隅のところに敷いた。そこへ親子をすわらせた。
母親がすわると、二人の子供が左右から すがりついた。
岩代の
信夫郡【福島県福島市付近】の
住家を出て、親子はここまで来るうちに、家の中ではあっても、この材木の蔭より外らしい所に寝たことがある。不自由にも次第に慣れて、もうさほど苦にはしない。
女中の包みから出したのは衣類ばかりではない。用心に持っている食べ物もある。
女中はそれを親子の前に出して置いて言った。「
ここでは焚火をいたすことは出来ません。もし悪い人に見つけられては ならぬからでございます。あの塩浜の持ち主とやらの家まで往って、お湯をもらってまいりましょう。そして藁や薦のことも頼んでまいりましょう」
女中は まめまめしく【ほね惜しみせずに】出て行った。子供は楽しげに
粔籹やら、
乾した
果やらを食べはじめた。
しばらくすると、この材木の蔭へ人のはいって来る足音がした。「
姥竹かい」と
母親が声をかけた。しかし心のうちには、
柞の森まで往って来たにしては、あまり早いと疑った。
姥竹というのは女中の名である。
はいって来たのは四十歳ばかりの男である。骨組みのたくましい、筋肉が一つびとつ肌の上から数えられるほど、脂肪の少い人で、
牙彫の人形のような顔に
笑みを
湛えて、手に
数珠を持っている。我が家を歩くような、慣れた歩きつきをして、親子のひそんでいるところへ進み寄った。そして親子の座席にしている材木の端に腰をかけた。
親子はただ驚いて見ている。
仇【敵対】をしそうな様子も見えぬので、恐ろしいとも思わぬのである。
男はこんなことを言う。「
わしは山岡大夫という船乗りじゃ。このごろこの土地を人買いが立ち廻るというので、国守が旅人に宿を貸すことを差し止めた。人買いをつかまえることは、国守の手に合わぬと見える。気の毒なは旅人じゃ。そこでわしは旅人を救うてやろうと思い立った。さいわい わしが家は街道を離れているので、こっそり人を留めても、誰に遠慮もいらぬ。
わしは人の野宿をしそうな森の中や橋の下を尋ね廻って、これまで大勢の人を連れて帰った。見れば子供衆が菓子を食べていなさるが、そんな物は腹の足しにはならいで、歯に障る。わしがところではさしたる供応はせぬが、芋粥でも進ぜましょう。どうぞ遠慮せずに来て下されい」男は
強いて誘うでもなく、
独語のように言ったのである。
子供の
母はつくづく聞いていたが、世間の掟にそむいてまでも人を救おうというありがたい志に感ぜずにはいられなかった。そこでこう言った。「
承われば殊勝なお心がけと存じます。貸すなという掟のある宿を借りて、ひょっと宿主に難儀をかけようかと、それが気がかりでございますが、わたくしはともかくも、子供らに温いお粥でも食べさせて、屋根の下に休ませることが出来ましたら、そのご恩はのちの世までも忘れますまい」
山岡大夫はうなずいた。「
さてさてよう物のわかるご婦人じゃ。そんならすぐに案内をして進ぜましょう」こう言って立ちそうにした。
母親は気の毒そうに言った。「
どうぞ少しお待ち下さいませ。わたくしども三人がお世話になるさえ心苦しゅうございますのに、こんなことを申すのはいかがと存じますが、実は今一人連れがございます」
山岡大夫は耳をそばだてた。「
連れがおありなさる。それは男か女子か」
「
子供たちの世話をさせに連れて出た女中でございます。湯をもらうと申して、街道を三四町あとへ引き返してまいりました。もうほどなく帰ってまいりましょう」
「
お女中かな。そんなら待って進ぜましょう」
山岡大夫の落ち着いた、底の知れぬような顔に、なぜか喜びの影が見えた。
――――――――――――
ここは直江の浦である。日はまだ
米山の
背後に隠れていて、
紺青のような海の上には薄い
靄がかかっている。
一群れの客を舟に載せて
纜を解いている船頭がある。船頭は
山岡大夫で、客はゆうべ
大夫の家に泊った主従四人の旅人である。
応化橋の下で
山岡大夫に出逢った
母親と子供二人とは、女中
姥竹が欠け損じた
瓶子に湯をもらって帰るのを待ち受けて、
大夫に連れられて宿を借りに往った。
姥竹は不安らしい顔をしながらついて行った。
大夫は街道を南へはいった松林の中の草の
家に四人を留めて、
芋粥をすすめた。そしてどこからどこへ往く旅かと問うた。くたびれた子供らをさきへ寝させて、
母は宿の
主人に身の上のおおよそを、かすかな
灯火のもとで話した。
自分は
岩代のものである。夫が
筑紫【九州北部】へ往って帰らぬので、二人の子供を連れて尋ねに往く。
姥竹は
姉娘の生まれたときから
守りをしてくれた
女中で、身寄りのないものゆえ、遠い、覚束ない旅の
伴をすることになったと話したのである。
さてここまでは来たが、筑紫の果てへ往くことを思えば、まだ家を出たばかりと言ってよい。これから
陸を行ったものであろうか。または
船路を行ったものであろうか。
主人は船乗りであってみれば、定めて遠国のことを知っているだろう。どうぞ教えてもらいたいと、子供らの
母が頼んだ。
大夫は知れきったことを問われたように、少しもためらわずに船路を行くことを勧めた。陸を行けば、じき隣の越中の国に入る
界にさえ、
親不知子不知の難所がある。削り立てたような巌石の
裾には
荒浪が打ち寄せる。旅人は横穴にはいって、波の引くのを待っていて、狭い巌石の下の道を走り抜ける。そのときは親は子を顧みることが出来ず、子も親を顧みることが出来ない。それは
海辺の難所である。また山を越えると、踏まえた石が一つ
揺げば、
千尋の谷底に落ちるような、あぶない
岨道【石がごつごつした山道】もある。西国へ往くまでには、どれほどの難所があるか知れない。それとは違って、船路は安全なものである。たしかな船頭にさえ頼めば、いながらにして百里でも千里でも行かれる。自分は西国まで往くことは出来ぬが、諸国の船頭を知っているから、船に載せて出て、西国へ往く舟に乗り換えさせることが出来る。あすの朝は早速船に載せて出ようと、
大夫は事もなげに言った。
夜が明けかかると、
大夫は主従四人をせき立てて家を出た。そのとき子供らの
母は小さい
嚢から金を出して、宿賃を払おうとした。
大夫は留めて、宿賃はもらわぬ、しかし金の入れてある大切な嚢は預かっておこうと言った。
なんでも大切な品は、宿に着けば宿の
主人に、舟に乗れば舟の
主に預けるものだというのである。
子供らの
母は最初に宿を借ることを許してから、主人の
大夫の言うことを聴かなくてはならぬような勢いになった。掟を破ってまで宿を貸してくれたのを、ありがたくは思っても、何事によらず言うがままになるほど、
大夫を信じてはいない。こういう勢いになったのは、
大夫の
詞に人を押しつける強みがあって、
母親はそれに
抗うことが出来ぬからである。その抗うことの出来ぬのは、どこか恐ろしいところがあるからである。しかし
母親は自分が
大夫を恐れているとは思っていない。自分の心がはっきりわかっていない。
母親は余儀ないことをするような心持ちで【やむを得ないと】舟に乗った。子供らは
凪いだ海の、青い
氈を敷いたような
面を見て、物珍しさに胸をおどらせて乗った。ただ
姥竹が顔には、きのう橋の下を立ち去ったときから、今舟に乗るときまで、不安の色が消え失せなかった。
山岡大夫は
纜を解いた。
㰏で岸を一押し押すと、舟は
揺めきつつ浮び出た。
――――――――――――
山岡大夫はしばらく岸に沿うて南へ、
越中境の方角へ
漕いで行く。
靄は見る見る消えて、波が日にかがやく。
人家のない岩蔭に、波が砂を洗って、
海松や
荒布を打ち上げているところがあった。そこに舟が二
艘止まっている。船頭が
大夫を見て呼びかけた。
「
どうじゃ。あるか」
大夫は右の手を挙げて、
大拇を折って見せた。そして自分もそこへ舟を
舫った【つなぎ合わせた】。大拇だけ折ったのは、四人あるという
相図である。
前からいた船頭の一人は宮崎の
三郎といって、越中宮崎【富山県の東端の地】のものである。左の手の
拳を開いて見せた。右の手が
貨の相図になるように、左の手は銭の相図になる。これは五貫文【約10万円/2025年】につけたのである。
「
気張るぞ」と今一人の船頭が言って、左の
臂をつと伸べて、一度拳を開いて見せ、ついで
示指を
竪てて見せた。この男は佐渡の
二郎で六貫文につけたのである。
「
横着者奴」
と
宮崎が叫んで立ちかかれば、「
出し抜こうとしたのはおぬしじゃ」と
佐渡が身構えをする。二艘の舟がかしい【傾いて】で、
舷【ふなべり】が水を
笞った【舟のへりが水を激しく叩いた】。
大夫は二人の船頭の顔を冷ややかに見較べた。「
あわてるな。どっちも空手では還さぬ。お客さまがご窮屈でないように、お二人ずつ分けて進ぜる。賃銭はあとでつけた値段の割じゃ」こう言っておいて、
大夫は客を顧みた。「
さあ、お二人ずつあの舟へお乗りなされ。どれも西国への便船じゃ。舟足というものは、重過ぎては走りが悪い」
二人の子供は
宮崎が舟へ、
母親と
姥竹とは
佐渡が舟へ、
大夫が手をとって乗り移らせた。移らせて引く
大夫が手に、
宮崎も
佐渡も
幾緡【1緡は100文】かの銭を握らせたのである。
「
あの、主人にお預けなされた嚢は」と、
姥竹が
主の
袖を引くとき、
山岡大夫は空舟をつと押し出した。
「
わしはこれでお暇をする。たしかな手からたしかな手へ渡すまでがわしの役じゃ。ご機嫌ようお越しなされ」
艣の音が
忙しく響いて、
山岡大夫の舟は見る見る遠ざかって行く。
母親は
佐渡に言った。「
同じ道を漕いで行って、同じ港に着くのでございましょうね」
佐渡と
宮崎とは顔を見合わせて、声を立てて笑った。そして
佐渡が言った。「
乗る舟は弘誓の舟【仏の誓願に導かれる救いの舟】、着くは同じ彼岸と、蓮華峰寺【佐渡の寺】の和尚が言うたげな」
二人の船頭はそれきり黙って舟を出した。佐渡の
二郎は北へ漕ぐ。宮崎の
三郎は南へ漕ぐ。「
あれあれ」と呼びかわす親子主従は、ただ遠ざかり行くばかりである。
母親は物狂おしげに
舷に手をかけて伸び上がった。「
もうしかたがない。これが別れだよ。安寿は守本尊の地蔵様を大切におし。厨子王はお父うさまの下さった護り刀を大切におし。どうぞ二人が離れぬように」
安寿は姉娘、
厨子王は弟の名である。
子供はただ「
お母あさま、お母あさま」
と呼ぶばかりである。
舟と舟とは次第に遠ざかる。後ろには
餌を待つ
雛のように、二人の子供があいた口が見えていて、もう声は聞えない。
姥竹は佐渡の
二郎に「
もし船頭さん、もしもし」と声をかけていたが、
佐渡は構わぬので、とうとう赤松の幹のような脚にすがった。「
船頭さん。これはどうしたことでございます。あのお嬢さま、若さまに別れて、生きてどこへ往かれましょう。奥さまも同じことでございます。これから何をたよりにお暮らしなさいましょう。どうぞあの舟の往く方へ漕いで行って下さいまし。後生でございます」
「
うるさい」と
佐渡は後ろざまに蹴った。
姥竹は
舟笭に倒れた。髪は乱れて
舷にかかった。
姥竹は身を起した。「
ええ。これまでじゃ。奥さま、ご免下さいまし」こう言ってまっさかさまに海に飛び込んだ。
「
こら」と言って船頭は
臂【腕】を差し伸ばしたが、まにあわなかった。
母親は
袿【はおっているもの】を脱いで
佐渡が前へ出した。「
これは粗末な物でございますが、お世話になったお礼に差し上げます。わたくしはもうこれでお暇を申します」こう言って
舷【ふなべり】に手をかけた。
「
たわけが」と、
佐渡は髪をつかんで引き倒した。「
うぬまで死なせてなるものか。大事な貨じゃ」
佐渡の
二郎は
牽紱【なわ】を引き出して、
母親をくるくる巻きにして転がした。そして北へ北へと漕いで行った。
――――――――――――
「
お母あさま お母あさま」と呼び続けている
姉と
弟とを載せて、宮崎の
三郎が舟は岸に沿うて南へ走って行く。「
もう呼ぶな」と
宮崎が叱った。「
水の底の鱗介【魚介】には聞えても、あの女子には聞えぬ。
女子どもは佐渡へ渡って粟の鳥でも逐わせられる【粟畑にくる鳥を追い払う仕事でもさせられる】ことじゃろう」
姉の
安寿と弟の
厨子王とは抱き合って泣いている。故郷を離れるも、遠い旅をするも
母と一しょにすることだと思っていたのに、今はからずも引き分けられて、二人はどうしていいかわからない。ただ悲しさばかりが胸にあふれて、この別れが自分たちの身の上をどれだけ変らせるか、そのほどさえ
弁えられぬのである。
午になって
宮崎は
餅を出して食った。そして
安寿と
厨子王とにも 一つずつくれた。二人は餅を手に持って食べようともせず、目を見合わせて泣いた。夜は
宮崎が かぶせた
苫【
覆い】の下で、泣きながら寝入った。
こうして二人は幾日か舟に明かし暮らした。
宮崎は越中、
能登、
越前、
若狭の津々浦々を売り歩いたのである。
しかし二人がおさないのに、体もか弱く見えるので、なかなか買おうと言うものがない。たまに買い手があっても、値段の相談が
調わない。
宮崎は次第に機嫌を損じて、「
いつまでも泣くか」と二人を打つようになった。
宮崎が舟は廻り廻って、丹後の
由良【京都府宮津市由良】の港に来た。ここには石浦というところに大きい
邸を構えて、田畑に米麦を植えさせ、山では
猟をさせ、海では
漁をさせ、
蚕飼をさせ、
機織をさせ、金物、
陶物、木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる
山椒大夫という
分限者【地方豪族】がいて、人なら幾らでも買う。
宮崎はこれまでも、よそに買い手のない
貨があると、
山椒大夫がところへ持って来ることになっていた。
港に出張っていた
大夫の
奴頭【現場の監督者】は、
安寿、
厨子王をすぐに七貫文【約80万円】に買った。
「
やれやれ、餓鬼どもを片づけて身が軽うなった」と言って、宮崎の
三郎は受け取った銭を
懐に入れた。そして波止場の酒店にはいった。
――――――――――――
一抱えに余る【腕が回らないほど太い】柱を立て並べて造った
大廈【大きな建物】の奥深い広間に一間【約1.8m】四方の炉を切らせて、炭火がおこしてある。その向うに
茵【敷物】を三枚
畳ねて敷いて、
山椒大夫は
几【つくえ】にもたれている。左右には
二郎、
三郎の二人の息子が
狛犬のように
列んでいる。
もと
大夫には三人の男子があったが、
太郎は十六歳のとき、逃亡を企てて捕えられた
奴【下人】に、
父が手ずから【みずから】
烙印をするのをじっと見ていて、一言も物を言わずに、ふいと家を出て行くえが知れなくなった。今から十九年前のことである。
奴頭が
安寿、
厨子王を連れて前へ出た。そして二人の子供に辞儀をせいと言った。
二人の子供は奴頭の
詞が耳に入らぬらしく、ただ目をみはって
大夫を見ている。今年六十歳になる
大夫の、朱を塗ったような顔は、額が広く
腭が張って、髪も
鬚も銀色に光っている。子供らは恐ろしいよりは不思議がって、じっとその顔を見ているのである。
大夫は言った。「
買うて来た子供はそれか。いつも買う奴と違うて、何に使うてよいかわからぬ、珍らしい子供じゃというから、わざわざ連れて来させてみれば、色の蒼ざめた、か細い童どもじゃ。何に使うてよいかは、わしにもわからぬ」
そばから
三郎が口を出した。末の弟ではあるが、もう三十になっている。「
いやお父っさん。さっきから見ていれば、辞儀をせいと言われても辞儀もせぬ。ほかの奴のように名のりもせぬ。弱々しゅう見えても しぶとい者どもじゃ。奉公初めは男が柴苅り、女が汐汲みときまっている。その通りにさせなされい」
「
おっしゃるとおり、名はわたくしにも申しませぬ」と、奴頭が言った。
大夫は
嘲笑った。「
愚か者と見える。名はわしがつけてやる。姉はいたつき【病弱】を垣衣、弟は我が名を萱草じゃ。垣衣は浜へ往って、日に三荷の潮を汲め。萱草は山へ往って日に三荷の柴を刈れ。弱々しい体に免じて、荷は軽うして取らせる」
三郎が言った。「
過分のいたわりようじゃ。こりゃ、奴頭。早く連れて下がって道具を渡してやれ」
奴頭は二人の子供を新参小屋に連れて往って、
安寿には
桶と
杓、
厨子王には
籠と
鎌を渡した。
どちらにも
午餉【昼食】を入れる
樏子【入れ物】が添えてある。新参小屋はほかの
奴婢【召使】の居所とは別になっているのである。
奴頭が出て行くころには、もうあたりが暗くなった。この
屋には
灯火もない。
――――――――――――
翌日の朝はひどく寒かった。ゆうべは小屋に備えてある
衾【寝るときに体を覆う夜具】があまりきたないので、
厨子王が
薦を探して来て、舟で
苫をかずいた【被った】ように、二人でかずいて寝たのである。
きのう奴頭に教えられたように、
厨子王は
樏子を持って
厨へ
餉【食事】を受け取りに往った。屋根の上、地にちらばった
藁の上には霜が降っている。厨は大きい土間で、もう大勢の
奴婢が来て待っている。男と女とは受け取る場所が違うのに、
厨子王は
姉のと自分のともらおうとするので、一度は叱られたが、あすからは めいめいがもらいに来ると誓って、ようよう
樏子のほかに、
面桶【曲げ物】に入れた
饘【ご飯】と、木の
椀【わん】に入れた湯との二人前をも受け取った。饘は塩を入れて
炊いである。
姉と
弟とは
朝餉を食べながら、もうこうした身の上になっては、運命のもとに
項を
屈める【不本意ながら流れに身をまかす】よりほかはないと、けなげにも相談した。そして
姉は浜辺へ、
弟は山路をさして行くのである。
大夫が邸の三の木戸、二の木戸、一の木戸を一しょに出て、二人は霜を
履んで、見返りがちに左右へ別れた。
厨子王が登る山は
由良が
岳【京都府舞鶴市と宮津市の境に位置する標高640mの山】の
裾で、石浦からは少し南へ行って登るのである。柴を苅る所は、
麓から遠くはない。ところどころ紫色の岩の
露われている所を通って、やや広い平地に出る。そこに雑木が茂っているのである。
厨子王は雑木林の中に立ってあたりを見回した。しかし柴はどうして苅るものかと、しばらくは手を着けかねて、朝日に霜の
融けかかる、
茵のような落ち葉の上に、ぼんやりすわって時を過した。ようよう気を取り直して、一枝二枝苅るうちに、
厨子王は指を
傷めた。そこでまた落ち葉の上にすわって、山でさえこんなに寒い、浜辺に行った
姉さまは、さぞ潮風が寒かろうと、ひとり涙をこぼしていた。
日がよほど昇ってから、柴を背負って麓へ降りる、ほかの
樵が通りかかって、「
お前も大夫のところの奴か、柴は日に何荷苅るのか」と問うた。
「
日に三荷苅るはずの柴を、まだ少しも苅りませぬ」と
厨子王は正直に言った。
「
日に三荷の柴ならば、午までに二荷苅るがいい。柴はこうして苅るものじゃ」
樵は我が荷をおろして置いて、すぐに一荷苅ってくれた。
厨子王は気を取り直して、ようよう午までに一荷苅り、午からまた一荷苅った。
浜辺に往く姉の
安寿は、川の岸を北へ行った。さて潮を汲む場所に降り立ったが、これも汐の汲みようを知らない。心で心を励まして、ようよう
杓をおろすや否や、波が杓を取って行った。
隣で汲んでいる
女子が、手早く杓を拾って戻した。そしてこう言った。「
汐はそれでは汲まれません。どれ汲みようを教えて上げよう。右手の杓でこう汲んで、左手の桶でこう受ける」とうとう一荷汲んでくれた。
「
ありがとうございます。汲みようが、あなたのお蔭で、わかったようでございます。自分で少し汲んでみましょう」
安寿は汐を汲み覚えた。
隣で汲んでいる女子に、無邪気な
安寿が気に入った。二人は
午餉を食べながら、身の上を打ち明けて、
姉妹の誓いをした。これは伊勢の
小萩といって、二見が浦【伊勢市二見町】から買われて来た女子である。
最初の日はこんな工合に、
姉が言いつけられた三荷の潮も、
弟が言いつけられた三荷の柴も、一荷ずつの勧進を受けて、日の暮れまでに首尾よく
調った。
――――――――――――
姉は潮を汲み、
弟は柴を苅って、
一日一日と暮らして行った。
姉は浜で
弟を思い、
弟は山で
姉を思い、日の暮れを待って小屋に帰れば、二人は手を取り合って、筑紫にいる
父が恋しい、
佐渡にいる
母が恋しいと、言っては泣き、泣いては言う。
とかくするうちに十日立った。そして新参小屋を明けなくてはならぬときが来た。小屋を明ければ、
奴は奴、
婢【下女】は婢の組に入るのである。
二人は死んでも別れぬと言った。奴頭が
大夫に訴えた。
大夫は言った。「
たわけた話じゃ。奴は奴の組へ引きずって往け。婢は婢の組へ引きずって往け」
奴頭が承って
起とうとしたとき、
二郎がかたわらから呼び止めた。そして
父に言った。「
おっしゃる通りに童どもを引き分けさせてもよろしゅうございますが、童どもは死んでも別れぬと申すそうでございます。愚かなものゆえ、死ぬるかも知れません。苅る柴はわずかでも、汲む潮はいささかでも、人手を耗らすのは損でございます。わたくしがいいように計らってやりましょう」
「
それもそうか。損になることはわしも嫌いじゃ。どうにでも勝手にしておけ」
大夫はこう言って脇へ向いた。
二郎は三の木戸に小屋を掛けさせて【屋敷の外れに粗末な小屋を作り】、
姉と
弟とを一しょに置いた。
ある日の暮れに二人の子供は、いつものように
父母のことを言っていた。それを
二郎が通りかかって聞いた。
二郎は邸を見回って、強い奴が弱い奴を
虐げたり、
諍いをしたり、盗みをしたりするのを取り締まっているのである。
二郎は小屋にはいって二人に言った。「
父母は恋しゅうても佐渡は遠い。筑紫はそれよりまた遠い。子供の往かれる所ではない。父母に逢いたいなら、大きゅうなる日を待つがよい」こう言って出て行った。
ほど経てまたある日の暮れに、二人の子供は
父母のことを言っていた。それを今度は
三郎が通りかかって聞いた。
三郎は寝鳥を取ることが好きで 邸のうちの木立ち木立ちを、手に弓矢を持って見回るのである。
二人は
父母のことを言うたびに、どうしようか、こうしようかと、逢いたさのあまりに、あらゆる手立てを話し合って、夢のような相談をもする。
きょうは
姉がこう言った。「
大きくなってからでなくては、遠い旅が出来ないというのは、それは当り前のことよ。わたしたちはその出来ないことがしたいのだわ。だがわたしよく思ってみると、どうしても二人一しょにここを逃げ出しては駄目なの。わたしには構わないで、お前一人で逃げなくては。そしてさきへ筑紫の方へ往って、お父うさまにお目にかかって、どうしたらいいか伺うのだね。それから佐渡へお母さまのお迎えに往くがいいわ」
三郎が立聞きをしたのは、あいにくこの
安寿の
詞であった。
三郎は弓矢を持って、つと小屋のうちにはいった。
「
こら。お主たちは逃げる談合をしておるな。逃亡の企てをしたものには烙印をする。それがこの邸の掟じゃ。赤うなった鉄は熱いぞよ。」
二人の子供は
真っ
蒼になった。
安寿は
三郎が前に進み出て言った。「
あれは譃でございます。弟が一人で逃げたって、まあ、どこまで往かれましょう。あまり親に逢いたいので、あんなことを申しました。こないだも弟と一しょに、鳥になって飛んで往こうと申したこともございます。出放題【でたらめ】でございます」
厨子王は言った。「
姉えさんの言う通りです。いつでも二人で今のような、出来ないことばかし言って、父母の恋しいのを紛らしているのです」
三郎は二人の顔を見較べて、しばらくの間 黙っていた。「
ふん。譃なら譃でもいい。お主たちが一しょにおって、なんの話をするということを、おれが たしかに聞いておいたぞ」こう言って
三郎は出て行った。
その晩は二人が気味悪く思いながら寝た。それからどれだけ寝たかわからない。二人はふと物音を聞きつけて目をさました。
今の小屋に来てからは、
灯火を置くことが許されている。そのかすかな明りで見れば、枕もとに
三郎が立っている。
三郎は、つと寄って、両手で二人の手をつかまえる。そして引き立てて戸口を出る。蒼ざめた月を仰ぎながら、二人は目見えのときに通った、広い
馬道を引かれて行く。
階を三段登る。
廊を通る。
廻り廻ってさきの日に見た広間にはいる。そこには大勢の人が黙って並んでいる。
三郎は二人を炭火の真っ赤におこった炉の前まで引きずって出る。二人は小屋で引き立てられたときから、ただ「
ご免なさいご免なさい」と言っていたが、
三郎は黙って引きずって行くので、しまいには二人も黙ってしまった。炉の向い側には
茵三枚を
畳ねて敷いて、
山椒大夫がすわっている。
大夫の赤顔が、座の右左に
焚いてある
炬火を照り反して、燃えるようである。
三郎は炭火の中から、赤く焼けている
火筯を抜き出す。それを手に持って、しばらく見ている。初め透き通るように赤くなっていた鉄が、次第に黒ずんで来る。そこで
三郎は
安寿を引き寄せて、火筯を顔に当てようとする。
厨子王はその
肘にからみつく。
三郎はそれを
蹴倒して右の
膝に敷く。とうとう火筯を
安寿の額に十文字に当てる。
安寿の悲鳴が一座の沈黙を破って響き渡る。
三郎は
安寿を衝き放して、膝の下の
厨子王を引き起し、その額にも火筯を十文字に当てる。新たに響く
厨子王の泣き声が、ややかすかになった
姉の声に交じる。
三郎は火筯を棄てて、初め二人をこの広間へ連れて来たときのように、また二人の手をつかまえる。そして一座を見渡したのち、広い
母屋を廻って、二人を三段の
階の所まで引き出し、
凍った土の上に衝き落す。二人の子供は
創の痛みと心の恐れとに気を失いそうになるのを、ようよう堪え忍んで、どこをどう歩いたともなく、三の木戸の
小家に帰る。
臥所【ねどこ】の上に倒れた二人は、しばらく
死骸のように動かずにいたが、たちまち
厨子王が「
姉えさん、早くお地蔵様を」と叫んだ。
安寿はすぐに起き直って、
肌の
守袋を取り出した。わななく手に
紐を解いて、袋から出した仏像を枕もとに
据えた。二人は右左にぬかずいた。そのとき歯をくいしばっても こらえられぬ額の痛みが、掻き消すように失せた。
掌で額を
撫でてみれば、創は痕もなくなった。はっと思って、二人は目をさました。
二人の子供は起き直って夢の話をした。同じ夢を同じときに見たのである。
安寿は守本尊を取り出して、夢で据えたと同じように、枕もとに据えた。二人はそれを伏し拝んで、かすかな
灯火の明りにすかして、地蔵尊の額を見た。
白毫の右左に、
鏨で彫ったような十文字の
疵があざやかに見えた。
――――――――――――
二人の子供が話を
三郎に立聞きせられて、その晩恐ろしい夢を見たときから、
安寿の様子がひどく変って来た。顔には引き締まったような表情があって、
眉の根には
皺が寄り、目ははるかに遠いところを見つめている。そして物を言わない。日の暮れに浜から帰ると、これまでは
弟の山から帰るのを待ち受けて、長い話をしたのに、今はこんなときにも
詞少なにしている。
厨子王が心配して、「
姉えさんどうしたのです」と言うと「
どうもしないの、大丈夫よ」と言って、わざとらしく笑う。
安寿の前と変ったのは ただこれだけで、言うことが間違ってもおらず、することも
平生の通りである。しかし
厨子王は互いに慰めもし、慰められもした一人の
姉が、変った様子をするのを見て、際限なくつらく思う心を、誰に打ち明けて話すことも出来ない。二人の子供の
境界は、前より一層寂しくなったのである。
雪が降ったり
歇んだりして、年が暮れかかった。
奴も
婢も外に出る
為事を止めて、家の中で働くことになった。
安寿は糸を
紡ぐ。
厨子王は
藁を
擣つ。藁を擣つのは修行はいらぬが、糸を紡ぐのはむずかしい。それを夜になると伊勢の
小萩が来て、手伝ったり教えたりする。
安寿は
弟に対する様子が変ったばかりでなく、
小萩に対しても
詞少なになって、ややもすると不愛想をする。しかし
小萩は機嫌を損せずに、いたわるようにしてつきあっている。
山椒大夫が邸の木戸にも松が立てられた。しかしここの年のはじめは何の晴れがましいこともなく、また
族【みうち】の
女子たちは奥深く住んでいて、出入りすることがまれなので、
賑わしいこともない。ただ
上も
下も酒を飲んで、奴の小屋には
諍いが起るだけである。常は諍いをすると、きびしく罰せられるのに、こういうときは奴頭が大目に見る。血を流しても知らぬ顔をしていることがある。どうかすると、殺されたものがあっても構わぬのである。
寂しい三の木戸の小屋へは、折り折り
小萩が遊びに来た。
婢の小屋の賑わしさを持って来たかと思うように、
小萩が話している間は、陰気な小屋も春めいて、このごろ様子の変っている
安寿の顔にさえ、めったに見えぬ
微笑みの影が浮ぶ。
三日立つと、また家の中の
為事が始まった。
安寿は糸を紡ぐ。
厨子王は
藁を
擣つ。もう夜になって
小萩が来ても、手伝うにおよばぬほど、
安寿は
紡錘【糸を紡ぐ際に使われる道具】を廻すことに慣れた。様子は変っていても、こんな静かな、同じことを繰り返すような
為事をするには
差支えなく、また
為事がかえって
一向きになった心を散らし、落ち着きを与えるらしく見えた。
姉と前のように話をすることの出来ぬ
厨子王は、紡いでいる
姉に、
小萩がいて物を言ってくれるのが、何よりも心強く思われた。
――――――――――――
水が
温み、草が
萌えるころになった。あすからは外の
為事が始まるという日に、
二郎が邸を見回るついでに、三の木戸の小屋に来た。「
どうじゃな。あす為事に出られるかな。
大勢の人のうちには病気でおるものもある。奴頭の話を聞いたばかりでは わからぬから、きょうは小屋小屋を皆 見て廻ったのじゃ」
藁を
擣っていた
厨子王が返事をしようとして、まだ
詞を出さぬ間に、このごろの様子にも似ず、
安寿が糸を紡ぐ手を止めて、つと
二郎の前に進み出た。「
それについてお願いがございます。わたくしは弟と同じ所で為事がいたしとうございます。どうか一しょに山へやって下さるように、お取り計らいなすって下さいまし」蒼ざめた顔に
紅がさして、目がかがやいている。
厨子王は
姉の様子が二度目に変ったらしく見えるのに驚き、また自分になんの相談もせずにいて、突然柴苅りに往きたいと言うのをも
訝しがって、ただ目をみはって
姉をまもっている。
二郎は物を言わずに、
安寿の様子をじっと見ている。
安寿は「
ほかにない、ただ一つのお願いでございます、どうぞ山へおやりなすって」と繰り返して言っている。
しばらくして
二郎は口を開いた「
この邸では奴婢のなにがしになんの為事をさせるということは、重いことにしてあって、父がみずからきめる。しかし垣衣、お前の願いはよくよく思い込んでのことと見える。わしが受け合って取りなして、きっと山へ往かれるようにしてやる。安心しているがいい。まあ、二人のおさないものが無事に冬を過してよかった」こう言って小屋を出た。
厨子王は
杵を置いて
姉のそばに寄った。「
姉えさん。どうしたのです。それはあなたが一しょに山へ来て下さるのは、わたしも嬉しいが、なぜ出し抜けに頼んだのです。なぜわたしに相談しません」
姉の顔は喜びにかがやいている。「
ほんに そうお思いのはもっともだが、わたしだってあの人の顔を見るまで、頼もうとは思っていなかったの。ふいと思いついたのだもの」
「
そうですか。変ですなあ」
厨子王は珍らしい物を見るように
姉の顔を眺めている。
奴頭が籠と鎌とを持ってはいって来た。
「
垣衣さん。お前に汐汲みをよさせて、柴を苅りにやるのだそうで、わしは道具を持って来た。代りに桶と杓をもらって往こう」
「
これはどうもお手数でございました」
安寿は身軽に立って、桶と杓とを出して返した。
奴頭はそれを受け取ったが、まだ帰りそうにはしない。顔には一種の
苦笑いのような表情が現われている。この男は
山椒大夫一家のものの言いつけを、神の託宣を聴くように聴く。そこで随分情けない、
苛酷なことをもためらわずにする。しかし
生得、人の
悶え苦しんだり、泣き叫んだりするのを見たがりはしない。物事がおだやかに運んで、そんなことを見ずに済めば、その方が勝手である。今の苦笑いのような表情は人に難儀をかけずには済まぬとあきらめて、何か言ったり、したりするときに、この男の顔に現われるのである。
奴頭は
安寿に向いて言った。「
さて今一つ用事があるて。実はお前さんを柴苅りにやることは、二郎様が大夫様に申し上げて拵えなさったのじゃ。するとその座に三郎様がおられて、そんなら垣衣を大童にして山へやれとおっしゃった。大夫様は、よい思いつきじゃとお笑いなされた。そこでわしはお前さんの髪をもろうて往かねばならぬ」
そばで聞いている
厨子王は、この
詞を胸を刺されるような思いをして聞いた。そして目に涙を浮べて
姉を見た。
意外にも
安寿の顔からは喜びの色が消えなかった。「
ほんにそうじゃ。柴苅りに往くからは、わたしも男じゃ。どうぞこの鎌で切って下さいまし」
安寿は奴頭の前に
項を伸ばした。
光沢のある、長い
安寿の髪が、鋭い鎌の
一掻きにさっくり切れた。
――――――――――――
あくる朝、二人の子供は背に籠を負い腰に鎌を
揷して、手を引き合って木戸を出た。
山椒大夫のところに来てから、二人一しょに歩くのはこれがはじめである。
厨子王は
姉の心を
忖りかねて、寂しいような、悲しいような思いに胸が一ぱいになっている。きのうも奴頭の帰ったあとで、いろいろに
詞を設けて尋ねたが、
姉はひとりで何事をか考えているらしく、それをあからさまには打ち明けずにしまった。
山の麓に来たとき、
厨子王はこらえかねて言った。「
姉えさん。わたしはこうして久しぶりで一しょに歩くのだから、嬉しがらなくてはならないのですが、どうも悲しくてなりません。わたしはこうして手を引いていながら、あなたの方へ向いて、その禿になったお頭を見ることが出来ません。姉えさん。あなたはわたしに隠して、何か考えていますね。なぜそれをわたしに言って聞かせてくれないのです」
安寿はけさも
毫光【仏の
白毫から発する光】のさすような喜びを額にたたえて、大きい目をかがやかしている。しかし
弟の
詞には答えない。ただ引き合っている手に力を入れただけである。
山に登ろうとする所に沼がある。
汀【波打ち際】には去年見たときのように、枯れ
葦が縦横に乱れているが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の
畔から右に折れて登ると、そこに岩の
隙間から清水の
湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くのである。
ちょうど岩の
面に朝日が一面にさしている。
安寿は
畳なり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さい
菫の咲いているのを見つけた。そしてそれを指さして
厨子王に見せて言った。「
ごらん。もう春になるのね」
厨子王は黙ってうなずいた。
姉は胸に秘密を
蓄え、
弟は憂えばかりを抱いているので、とかく受け応えが出来ずに、話は水が砂に
沁み込むようにとぎれてしまう。
去年柴を苅った木立ちのほとりに来たので、
厨子王は足を
駐めた。「
ねえさん。ここらで苅るのです」
「
まあ、もっと高い所へ登ってみましょうね」
安寿は先に立ってずんずん登って行く。
厨子王は
訝りながらついて行く。しばらくして雑木林よりはよほど高い、
外山の頂とも言うべき所に来た。
安寿はそこに立って、南の方をじっと見ている。
目は、石浦を経て由良の港に注ぐ
大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の
尖の見える中山に止まった。そして「
厨子王や」と
弟を呼びかけた。「
わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものように話をしないのを、変だと思っていたでしょうね。もうきょうは柴なんぞは苅らなくてもいいから、わたしの言うことをよくお聞き。小萩は伊勢から売られて来たので、故郷からこの土地までの道を、わたしに話して聞かせたがね、あの中山を越して往けば、都がもう近いのだよ。筑紫へ往くのはむずかしいし、引き返して佐渡へ渡るのも、たやすいことではないけれど、都へはきっと往かれます。お母あさまとご一しょに岩代を出てから、わたしどもは恐ろしい人にばかり出逢ったが、人の運が開けるものなら、よい人に出逢わぬにも限りません。お前はこれから思いきって、この土地を逃げ延びて、どうぞ都へ登っておくれ。神仏のお導きで、よい人にさえ出逢ったら、筑紫へお下りになったお父うさまのお身の上も知れよう。佐渡へお母あさまのお迎えに往くことも出来よう。籠や鎌は棄てておいて、樏子だけ持って往くのだよ」
厨子王は黙って聞いていたが、涙が
頬を伝って流れて来た。「
そして、姉えさん、あなたはどうしようというのです」
「
わたしのことは構わないで、お前一人ですることを、わたしと一しょにするつもりで しておくれ。お父うさまにもお目にかかり、お母あさまをも島からお連れ申した上で、わたしをたすけに来ておくれ」
「
でもわたしがいなくなったら、あなたをひどい目に逢わせましょう」
厨子王が心には
烙印をせられた、恐ろしい夢が浮ぶ。
「
それはいじめるかも知れないがね、わたしは我慢して見せます。金で買った婢をあの人たちは殺しはしません。多分お前がいなくなったら、わたしを二人前働かせようとするでしょう。お前の教えてくれた木立ちの所で、わたしは柴をたくさん苅ります。六荷までは苅れないでも、四荷でも五荷でも苅りましょう。さあ、あそこまで降りて行って、籠や鎌をあそこに置いて、お前を麓へ送って上げよう」こう言って
安寿は先に立って降りて行く。
厨子王はなんとも思い定めかねて、ぼんやりしてついて降りる。
姉は今年十五になり、
弟は十三になっているが、女は早くおとなびて、その上 物に
憑かれたように、
聡く
賢しくなっているので、
厨子王は
姉の
詞にそむくことが出来ぬのである。
木立ちの所まで降りて、二人は籠と鎌とを落ち葉の上に置いた。
姉は守本尊を取り出して、それを
弟の手に渡した。「
これは大事なお守だが、こんど逢うまでお前に預けます。この地蔵様をわたしだと思って、護り刀と一しょにして、大事に持っていておくれ」
「
でも姉えさんにお守がなくては」
「
いいえ。わたしよりはあぶない目に逢うお前にお守を預けます。晩にお前が帰らないと、きっと討手がかかります。お前がいくら急いでも、あたり前に逃げて行っては、追いつかれるにきまっています。さっき見た川の上手を和江という所まで往って、首尾よく人に見つけられずに、向う河岸へ越してしまえば、中山までもう近い。そこへ往ったら、あの塔の見えていたお寺にはいって隠しておもらい。しばらくあそこに隠れていて、討手が帰って来たあとで、寺を逃げておいで」
「
でもお寺の坊さんが隠しておいてくれるでしょうか」
「
さあ、それが運験しだよ。開ける運なら坊さんがお前を隠してくれましょう」
「
そうですね。姉えさんのきょうおっしゃることは、まるで神様か仏様がおっしゃるようです。わたしは考えをきめました。なんでも姉えさんのおっしゃる通りにします」
「
おう、よく聴いておくれだ。坊さんはよい人で、きっとお前を隠してくれます」
「
そうです。わたしにもそうらしく思われて来ました。逃げて都へも往かれます。お父うさまやお母あさまにも逢われます。姉えさんのお迎えにも来られます」
厨子王の目が
姉と同じようにかがやいて来た。
「
さあ、麓まで一しょに行くから、早くおいで」
二人は急いで山を降りた。足の運びも前とは違って、
姉の熱した心持ちが、暗示のように
弟に移って行ったかと思われる。
泉の
湧く所へ来た。
姉は
樏子に添えてある木の
椀を出して、清水を汲んだ。「
これがお前の門出を祝うお酒だよ」こう言って一口飲んで
弟にさした。
弟は
椀を飲み干した。「
そんなら姉えさん、ご機嫌よう。きっと人に見つからずに、中山まで参ります」
厨子王は十歩ばかり残っていた坂道を、一走りに駆け降りて、沼に沿うて街道に出た。そして大雲川の岸を上手へ向かって急ぐのである。
安寿は泉の
畔に立って、並木の松に隠れてはまた現われる後ろ影を小さくなるまで見送った。そして日はようやく
午に近づくのに、山に登ろうともしない。幸いにきょうはこの方角の山で木を
樵る人がないと見えて、坂道に立って時を過す
安寿を見とがめるものもなかった。
のちに
同胞を捜しに出た、
山椒大夫一家の討手が、この坂の下の沼の
端で、小さい
藁履を一
足拾った。それは
安寿の
履であった。
――――――――――――
中山の
国分寺の三門に、
松明の火影が乱れて、大勢の人が
籠み入って来る。先に立ったのは、
白柄の
薙刀を
手挟んだ、
山椒大夫の息子
三郎である。
三郎は堂の前に立って大声に言った。「
これへ参ったのは、石浦の山椒大夫が族のものじゃ。大夫が使う奴の一人が、この山に逃げ込んだのを、たしかに認めたものがある。隠れ場は寺内よりほかにはない。すぐにここへ出してもらおう」ついて来た大勢が、「
さあ、出してもらおう、出してもらおう」と叫んだ。
本堂の前から門の外まで、広い石畳が続いている。その石の上には、今手に手に松明を持った、
三郎が手のものが押し合っている。また石畳の両側には、境内に住んでいる限りの僧俗が、ほとんど一人も残らず
簇っている。これは討手の群れが門外で騒いだとき、内陣からも、
庫裡からも、何事が起ったかと、怪しんで出て来たのである。
初め討手が門外から門をあけいと叫んだとき、あけて入れたら、乱暴をせられはすまいかと心配して、あけまいとした僧侶が多かった。それを住持
曇猛律師があけさせた。しかし今
三郎が大声で、逃げた奴を出せと言うのに、本堂は戸を閉じたまま、しばらくの間ひっそりとしている。
三郎は足踏みをして、同じことを二三度繰り返した。手のもののうちから「
和尚さん、どうしたのだ」と呼ぶものがある。それに短い笑い声が交じる。
ようようのことで本堂の戸が静かにあいた。
曇猛律師が自分であけたのである。
律師は
偏衫一つ身にまとって、なんの威儀【いかめしい挙動】をも
繕わず、常灯明の薄明りを背にして本堂の
階の上に立った。
丈の高い
巌畳な体と、眉のまだ黒い
廉張った顔とが、
揺めく火に照らし出された。
律師はまだ五十歳を越したばかりである。
律師はしずかに口を開いた。騒がしい討手のものも、
律師の姿を見ただけで黙ったので、声は隅々まで聞えた。「
逃げた下人を捜しに来られたのじゃな。当山では住持のわしに言わずに人は留めぬ。わしが知らぬから、そのものは当山にいぬ。それはそれとして、夜陰に剣戟を執って、多人数押し寄せて参られ、三門を開けと言われた。さては国に大乱でも起ったか、公の反逆人でも出来たかと思うて、三門をあけさせた。それになんじゃ。御身が家の下人の詮議か。当山は勅願【天皇の祈願】の寺院で、三門には勅額をかけ、七重の塔には宸翰金字【天子の自筆の文書】の経文が蔵めてある。ここで狼藉を働かれると、国守は検校の責めを問われるのじゃ。また総本山東大寺に訴えたら、都からどのような御沙汰があろうも知れぬ。そこをよう思うてみて、早う引き取られたがよかろう。悪いことは言わぬ。お身たちのためじゃ」こう言って
律師はしずかに戸を締めた。
三郎は本堂の戸を
睨んで
歯咬みをした。しかし戸を打ち破って踏み込むだけの勇気もなかった。手のものどもはただ風に木の葉のざわつくように ささやきかわしている。
このとき大声で叫ぶものがあった。「
その逃げたというのは十二三の小わっぱじゃろう。それならわしが知っておる」
三郎は驚いて声の
主を見た。父の
山椒大夫に見まごうような
親爺で、この寺の
鐘楼守である。親爺は
詞を
続いで言った。「
そのわっぱはな、わしが午ごろ鐘楼から見ておると、築泥の外を通って南へ急いだ。かよわい代りには身が軽い。もう大分の道を行ったじゃろ」
「
それじゃ。半日に童の行く道は知れたものじゃ。続け」と言って
三郎は取って返した。
松明の行列が寺の門を出て、
築泥の外を南へ行くのを、鐘楼守は鐘楼から見て、大声で笑った。近い木立ちの中で、ようよう落ち着いて寝ようとした
鴉が二三羽また驚いて飛び立った。
――――――――――――
あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、
安寿の
入水のことを聞いて来た。南の方へ往ったものは、
三郎の率いた討手が田辺まで往って引き返したことを聞いて来た。
中二日おいて、
曇猛律師が田辺の方へ向いて寺を出た。
盥ほどある鉄の受糧器【
托鉢用の器】を持って、腕の太さの
錫杖を衝いている。あとからは頭を剃りこくって三
衣を着た
厨子王がついて行く。
二人は真昼に街道を歩いて、夜は所々の寺に泊った。山城の
朱雀野に来て、
律師は権現堂に休んで、
厨子王に別れた。「
守本尊を大切にして往け。父母の消息はきっと知れる」と言い聞かせて、
律師は
踵を
旋した。亡くなった
姉と同じことを言う坊様だと、
厨子王は思った。
都に上った
厨子王は、
僧形になっているので、東山の
清水寺に泊った。
籠堂に寝て、あくる朝 目がさめると、
直衣【公卿の平常服】に
烏帽子を着て
指貫【指貫の袴】をはいた老人が、枕もとに立っていて言った。「
お前は誰の子じゃ。何か大切な物を持っているなら、どうぞおれに見せてくれい。おれは娘の病気の平癒を祈るために、ゆうべここに参籠した。すると夢にお告げがあった。左の格子に寝ている童がよい守本尊を持っている。それを借りて拝ませいということじゃ。けさ左の格子に来てみれば、お前がいる。
どうぞおれに身の上を明かして、守本尊を貸してくれい。おれは関白師実じゃ」
厨子王は言った。「
わたくしは陸奥掾正氏というものの子でございます。父は十二年前に筑紫の安楽寺へ往ったきり、帰らぬそうでございます。母はその年に生まれたわたくしと、三つになる姉とを連れて、岩代の信夫郡に住むことになりました。そのうち わたくしが大ぶ大きくなったので、姉とわたくしとを連れて、父を尋ねに旅立ちました。越後まで出ますと、恐ろしい人買いに取られて、母は佐渡へ、姉とわたくしとは丹後の由良へ売られました。姉は由良で亡くなりました。わたくしの持っている守本尊はこの地蔵様でございます」こう言って守本尊を出して見せた。
師実は仏像を手に取って、まず額に当てるようにして礼をした。それから
面背を打ち返し打ち返し【表裏をひっくり返し ひっくり返し】、丁寧に見て言った。「
これはかねて聞きおよんだ、尊い放光王地蔵菩薩の金像じゃ。百済国から渡ったのを、高見王【桓武平氏(武家平氏)の祖とされる人物】が持仏にしておいでなされた。これを持ち伝えておるからは、お前の家柄に紛れはない。仙洞【上皇の尊称】がまだ御位におらせられた永保の初めに、国守の違格に連座して、筑紫へ左遷せられた平正氏が嫡子に相違あるまい。もし還俗【僧侶や尼僧が仏門を出て、再び俗人となる】の望みがあるなら、追っては受領の御沙汰もあろう。まず当分はおれの家の客にする。おれと一しょに館へ来い」
――――――――――――
関白
師実の娘といったのは、仙洞にかしずいている【
仕える】養女で、実は妻の
姪である。この
后は久しい間病気でいられたのに、
厨子王の守本尊を借りて拝むと、すぐに
拭うように
本復【全快】せられた。
師実は
厨子王に還俗【俗人に戻る】させて、自分で
冠を加えた。同時に
正氏が
謫所へ、
赦免状を持たせて、安否を問いに使いをやった。しかしこの使いが往ったとき、
正氏はもう死んでいた。元服して正道と名のっている
厨子王は、身のやつれるほど
歎いた。
その年の秋の
除目【諸官職の任命】に
正道は丹後【自身が人身売買された所】の国守にせられた。これは
遥授の官で、任国には自分で往かずに、
掾【部下】をおいて治めさせるのである。
しかし国守は最初の
政として、丹後一国で人の売り買いを禁じた。そこで
山椒大夫もことごとく
奴婢を解放して、給料を払うことにした。
大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、このときから農作も
工匠の
業も前に増して盛んになって、一族はいよいよ富み栄えた。国守の恩人
曇猛律師は
僧都【僧侶の偉い人】にせられ、国守の
姉をいたわった
小萩は故郷へ
還された。
安寿が亡きあとは ねんごろ【丁寧】に
弔われ、また入水した沼の
畔には尼寺が立つことになった。
正道は任国のために これだけのことをしておいて、特に
仮寧を申し請うて【休むことを頼んで】、微行して【こっそりと】
佐渡へ渡った。
佐渡の
国府は
雑太という所にある。
正道はそこへ往って、役人の手で国中を調べてもらったが、
母の行くえは容易に知れなかった。
ある日
正道は思案にくれながら、一人旅館を出て市中を歩いた。そのうち いつか人家の立ち並んだ所を離れて、畑中の道にかかった。空はよく晴れて日が あかあかと照っている。
正道は心のうちに、「
どうしてお母あさまの行くえが知れないのだろう、もし役人なんぞに任せて調べさせて、自分が捜し歩かぬのを神仏が憎んで逢わせて下さらないのではあるまいか」などと思いながら歩いている。ふと見れば、大ぶ大きい百姓家がある。家の南側のまばらな
生垣のうちが、土をたたき固めた広場になっていて、その上に一面に
蓆が敷いてある。
蓆には刈り取った
粟の穂が干してある。その真ん中に、
襤褸を着た女がすわって、手に長い
竿を持って、雀の来て
啄むのを
逐っている。女は何やら歌のような調子でつぶやく。
正道はなぜか知らず、この女に心が
牽かれて、立ち止まってのぞいた。女の乱れた髪は
塵に
塗れている。顔を見れば
盲【めくら】である。
正道はひどく哀れに思った。そのうち 女のつぶやいている
詞が、次第に耳に慣れて聞き分けられて来た。それと同時に
正道は
瘧病【マラリア病】のように身うちが
震って、目には涙が湧いて来た。女はこういう
詞を繰り返して つぶやいていたのである。
安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生あるものなれば、
疾う疾う逃げよ、逐わずとも。
正道はうっとりとなって、この
詞に聞き
惚れた。そのうち
臓腑が煮え返るようになって、
獣めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。たちまち
正道は縛られた縄が解けたように垣のうちへ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に
俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏したときに、それを額に押し当てていた。
女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの
詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水に ほとびるように、両方の目に
潤いが出た。女は目があいた。
「
厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。
大正四年一月
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底本:「日本の文学 3 森鴎外(二)」中央公論社
1972(昭和47)年10月20日発行
入力:真先芳秋
校正:野口英司
1998年7月21日公開
2006年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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----- (以下、
シン文庫 追記) -----
関係者の皆様、大変ありがとうございました。感謝致します。