名人伝
中島 敦あつし1909年(明治42年) - 1942年(昭和17年)



 趙ちょうの邯鄲かんたん【河北省邯鄲市】の都に住む紀昌きしょうという男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己おのれの師と頼たのむべき人物を物色するに、当今とうこん弓矢をとっては、名手・飛衞ひえいに及およぶ者があろうとは思われぬ。百歩ひゃくぶ【約144メートル】を隔へだてて柳葉りゅうようを射るに 百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々はるばる飛衞をたずねてその門に入った。
 飛衞は新入の門人に、まず瞬またたきせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台はたおりだいの下に潜もぐり込こんで、そこに仰向あおむけにひっくり返った。眼めとすれすれに機躡まねき【機織り機の上下に動く部分】が忙しく上下往来するのを じっと瞬かずに見詰みつめていようという工夫くふうである。理由を知らない妻は大いに驚おどろいた。第一、妙みょうな姿勢を妙な角度から良人おっとに覗のぞかれては困るという。嫌いやがる妻を紀昌は叱しかりつけて、無理に機はたを織り続けさせた。来る日も来る日も彼かれはこの可笑おかしな格好かっこうで、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後のちには、遽あわただしく往返する牽挺まねきが睫毛まつげを掠かすめても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出はいだす。もはや、鋭利えいりな錐きりの先をもって瞼まぶたを突つかれても、まばたきを せぬまでになっていた。不意に火ひの粉こが目に飛入ろうとも、目の前に突然とつぜん灰神楽はいかぐら【灰にお湯がこぼれて立ち上がる煙】が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはや それを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡じゅくすいしている時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に 小さな一匹ぴきの蜘蛛くもが巣すをかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衞にこれを告げた。
 それを聞いて飛衞がいう。瞬かざるのみでは まだ射しゃを授けるに足りぬ。次には、視みることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微びを見ること著ちょのごとくなったならば、来きたって我に告げるがよいと。
 紀昌は再び家に戻もどり、肌着はだぎの縫目ぬいめから虱しらみを一匹探し出して、これを己おのが髪かみの毛をもって繋つないだ。そうして、それを南向きの窓に懸かけ、終日睨にらみ暮くらすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。
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初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然いぜんとして虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら 大きく見えて来たように思われる。三月目みつきめの終りには、明らかに蚕かいこほどの大きさに見えて来た。虱を吊つるした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々きき【なごやか】として照っていた春の陽ひはいつか烈はげしい夏の光に変り、澄すんだ秋空を高く雁がんが渡わたって行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙みぞれが落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪もうはつの先にぶら下った有吻類ゆうふんるい【口が突出している類】・催痒性さいようせい【痒みを催す性質】の小節足動物を見続けた。その虱も何十匹となく取換とりかえられて行く中うちに、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えていた。占しめたと、紀昌は膝ひざを打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔こうとう【高い塔に見え】であった。馬は山【馬が山のように大きく見え】であった。豚ぶたは丘おかのごとく、雞は城楼じょうろう【城のやぐら】と見える。雀躍じゃくやく【こおどり】して家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角えんかくの弧ゆみ【強力な弓】に朔蓬さくほうの簳やがら【強力な矢】をつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓を貫つらぬいて、しかも虱を繋いだ毛さえ断きれぬ。
 紀昌は早速さっそく師の許もとに赴おもむいてこれを報ずる。飛衞は高蹈こうとう【高揚】して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒ほめた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝おうぎひでんを 剰あますところなく紀昌に授け始めた。
 目の基礎訓練に 五年もかけた甲斐かいがあって紀昌の腕前うでまえの上達は、驚くほど速い。
 奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに紀昌が百歩ひゃくぶ【約144メートル】を隔てて柳葉を射るに、既すでに百発百中である。二十日の後、いっぱいに水を湛たたえた盃さかずきを 右肱ひじの上に載のせて剛弓ごうきゅうを引くに、狙ねらいに狂くるいの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。
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一月ひとつきの後、百本の矢をもって速射を試みたところ、第一矢が的まとに中あたれば、続いて飛来はなった第二矢は誤あやまたず第一矢の括やはず【弦を受ける所】に中あたって突き刺ささり、更さらに間髪を入れず 第三矢の鏃やじりが第二矢の括にガッシと喰くい込む。矢矢しし相属し、発発はつはつ相及んで、後矢の鏃やじりは必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜おちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いた その最後の括はなお弦げんを銜ふくむがごとくに見える。傍そばで見ていた師の飛衞も思わず「善よし!」と言った。
 二月ふたつきの後、たまたま家に帰って妻といさかいをした紀昌が これを威おどそうとて 烏号うごうの弓に綦衛きえいの矢をつがえ きりりと引絞ひきしぼって妻の目を射た。矢は妻の睫毛まつげ三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主ていしゅを罵ののしり続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。

 もはや師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
 彼がその時 独りつくづくと考えるには、今や弓をもって己に敵すべき者は、師の飛衞をおいて外ほかに無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衞を除かねばならぬと。秘ひそかにその機会を窺うかがっている中に、一日たまたま郊野こうやにおいて、向うからただ一人歩み来る飛衞に出遇であった。とっさに意を決した紀昌が矢を取って狙いをつければ、その気配を察して飛衞もまた弓を執とって相応ずる。二人互たがいに射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた矢が軽塵けいじんをも揚あげなかったのは、両人の技がいずれも神しんに入っていたからであろう。さて、飛衞の矢が尽つきた時、紀昌の方はなお一矢を余していた。得たりと勢込んで紀昌がその矢を放てば、飛衞はとっさに、傍そばなる野茨のいばらの枝えだを折り取り、その棘とげの先端せんたんをもってハッシと鏃やじりを叩たたき落した。ついに非望の遂とげられないことを悟さとった紀昌の心に、成功したならば 決して生じなかったに違ちがいない道義的慚愧ざんきの念が、この時 忽焉こつえんとして湧起わきおこった。飛衞の方では、また、危機を脱だっし得た安堵あんどと己が伎倆ぎりょうについての満足とが、敵に対する憎にくしみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄かけよると、野原の真中まんなかに相抱あいいだいて、しばし美しい師弟愛の涙なみだにかきくれた。
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(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。美食家の斉せいの桓公かんこう【斉の第16代君主】が己のいまだ味わったことのない珍味ちんみを求めた時、厨宰ちゅうさい【厨房をつかさどる人】の易牙えきが【桓公に仕えた料理人】は 己が息子むすこを蒸焼むしやきにしてこれをすすめた。十六歳さいの少年、秦しんの始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾あいしょうを三度襲おそうた。すべてそのような時代の話である。)
 涙にくれて相擁あいようしながらも、再び弟子でしが かかる企たくらみを抱くようなことがあっては 甚はなはだ危いと思った飛衞は、紀昌に新たな目標を与あたえてその気を転ずるにしくはない【するしかない】と考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことは ことごとく伝えた。儞なんじが もしこれ以上 この道の蘊奥うんのう【深み】を極めたいと望むならば、ゆいて 西の方かた 大行たいこう【中国にある険しい山脈】の嶮けんに攀よじ【すがりついて登る】、霍山かくざん【山西省にある高峰】の頂を極めよ。そこには甘蠅かんよう老師とて古今ここんを曠むなしゅう【さしおく者がいない】する斯道しどう【この方面】の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときは ほとんど児戯じぎに類する。儞なんじの師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。

 紀昌はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては 我々の技のごとき児戯にひとしい と言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途ぜんと 程遠ほどとおい訳である。己が業わざが児戯に類するかどうか、とにもかくにも 早くその人に会って 腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。足裏を破り脛すねを傷つけ、危巌きがん【危岩】を攀よじ桟道さんどうを渡って、一月の後に彼はようやく目指す山顛さんてん【山頂】に辿たどりつく。
 気負い立つ紀昌を迎むかえたのは、羊のような柔和にゅうわな目をした、しかし酷ひどく よぼよぼの爺じいさんである。年齢は百歳をも超こえていよう。腰こしの曲っているせいもあって、白髯はくぜんは歩く時も地に曳ひきずっている。
 相手が聾ろうかも知れぬと、大声に遽あわただしく紀昌は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり背に負うた楊幹麻筋ようかんまきん【柳の幹に麻の弦】の弓を外して手に執とった。
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そうして、石碣せきけつ【石の矢じり】の矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く 渡り鳥の群に向って 狙いを定める。弦に応じて、一箭いっせんたちまち 五羽わの大鳥が鮮あざやかに碧空へきくうを切って落ちて来た。
 一通り出来るようじゃな、と老人が穏おだやかな微笑を含ふくんで言う。だが、それは所詮しょせん射之射しゃのしゃというもの、好漢こうかん【血気にはやるだけの男】 いまだ不射之射ふしゃのしゃ【撃たずに落とす】を知らぬと見える。
 ムッとした紀昌を導いて、老隠者ろういんじゃは、そこから二百歩ひゃくぶ【約144メートル】ばかり離はなれた絶壁ぜっぺきの上まで連れて来る。脚下きゃっかは文字通りの屏風びょうぶのごとき壁立千仭へきりつせんじん【ものすごく深い】、遥か真下に 糸のような細さに見える渓流けいりゅうを ちょっと覗いただけで たちまち眩暈めまいを感ずるほどの高さである。その断崖だんがいから半なかば宙に乗出のりだした危石の上に つかつかと老人は駈上かけあがり、振返ふりかえって紀昌に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込ひっこみもならぬ。老人と入代りに紀昌がその石を履ふんだ時、石は微かすかにグラリと揺ゆらいだ。強しいて気を励はげまして矢をつがえようとすると、ちょうど崖がけの端はしから小石が一つ転がり落ちた。その行方ゆくえを目で追うた時、覚えず紀昌は石上に伏ふした。脚あしはワナワナと顫ふるえ、汗あせは流れて踵かかとにまで至った。老人が笑いながら手を差し伸のべて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射というものをお目にかけようかな、と言った。まだ動悸どうきがおさまらず蒼あおざめた顔をしてはいたが、紀昌はすぐに気が付いて言った。しかし、弓はどうなさる? 弓は? 老人は素手すでだったのである。弓? と老人は笑う。弓矢の要いる中うちは まだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆うしつ【うるし塗り】の弓も粛慎しゅくしん【中国の狩猟民族】の矢もいらぬ。
 ちょうど彼等らの真上、空の極めて高い所を一羽の鳶とびが悠々ゆうゆうと輪を画えがいていた。その胡麻粒ごまつぶほどに小さく見える姿を しばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ひきしぼっってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず 中空から石のごとくに 落ちて来るではないか。
 紀昌は慄然りつぜん【ぞっと】とした。
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今にして始めて芸道の深淵しんえん【深いふち】を覗き得た心地であった。
 九年の間、紀昌はこの老名人の許に留とどまった。その間いかなる修業を積んだものやら それは誰だれにも判わからぬ。
 九年たって山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌ぎらいな精悍せいかんな面魂つらだましいはどこかに影かげをひそめ、なんの表情も無い、木偶でく【木ぼりの人形】のごとく愚者ぐしゃのごとき容貌ようぼうに変っている。久しぶりに旧師の飛衞を訪ねた時、しかし、飛衞はこの顔付を一見すると感嘆かんたんして叫さけんだ。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕われらのごとき、足下あしもとにも及ぶものでない と。
 邯鄲かんたん【河北省邯鄲市】の都は、天下一の名人となって戻って来た紀昌を迎むかえて、やがて眼前に示されるに違いない その妙技への期待に湧返った。
 ところが紀昌は一向にその要望に応こたえようとしない。いや、弓さえ絶たえて手に取ろうとしない。山に入る時に携たずさえて行った 楊幹麻筋の弓も どこかへ棄すてて来た様子である。そのわけを訊たずねた一人に答えて、紀昌は懶ものうげに言った。至為しいは為なす無く、至言は言を去り、至射は射ることなし【射るを追求すれば、射る超える段階に達し、言葉を追求すれば言葉を超える段階に達し、弓を極めれば弓を射ないという段階にまで至る】と。なるほどと、至極しごく物分ものわかりのいい邯鄲の都人士はすぐに合点がてんした。弓を執らざる弓の名人は彼等の誇ほこりとなった。紀昌が弓に触ふれなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝けんでんされた。
 様々な噂うわさが人々の口から口へと伝わる。毎夜三更さんこうを過ぎる頃ころ【真夜中】、紀昌の家の屋上おくじょうで 何者の立てるとも知れぬ 弓弦の音がする。名人の内に宿る 射道の神が 主人公の睡ねむっている間に体内を脱ぬけ出し、妖魔ようまを払はらうべく徹宵てっしょう【夜どおし】守護しゅごに当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜紀昌の家の上空で、雲に乗った紀昌が珍めずらしくも弓を手にして、古いにしえの名人・羿げいと養由基の二人を相手に 腕比べをしているのを 確かに見たと言い出した。その時 三名人の放った矢は それぞれ夜空に青白い光芒こうぼうを曳ひきつつ参宿さんしゅく【オリオン座のあたり】と天狼星てんろうせい【シリウス】との間に消去ったと。紀昌の家に忍しのび入ろうとしたところ、塀へいに足を掛かけた途端とたんに 一道の殺気が森閑しんかんとした家の中から奔はしり出て まともに額ひたいを打ったので、覚えず外に顛落てんらくしたと白状した盗賊とうぞくもある。
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爾来じらい【それ以来】、邪心じゃしんを抱く者共は 彼の住居の十町四方は避さけて回まわり道をし、賢かしこい渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
 雲と立罩たちこめる名声のただ中に、名人紀昌は次第に老いて行く。既に早く射を離れた彼の心は、ますます枯淡虚静こたんきょせい【仙人】の域にはいって行ったようである。木偶でくのごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀まれとなり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐じゅっかいである。
 甘蠅師の許を辞してから四十年の後、紀昌は静かに、誠に煙けむりのごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、弓矢を執とっての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話ぐうわ作者としてはここで老名人に掉尾ちょうび【最後】の大活躍だいかつやくをさせて、名人の真に名人たるゆえんを 明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には 何一つ伝わっていないのだから。
 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶みおぼえのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途ようとも思い当らない。老人はその家の主人に尋たずねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談じょうだんを言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は真剣しんけんになって再び尋ねる。それでも相手は曖昧あいまいな笑を浮うかべて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目まじめな顔をして同じ問を繰返くりかえした時、始めて主人の顔に驚愕きょうがくの色が現れた。彼は客の眼を凝乎じっと見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしている のでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖きょうふに近い狼狽ろうばいを示して、吃どもりながら叫んだ。
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「ああ、夫子ふうし【昔の中国で長者・賢者・先生などを敬っていう語】が、‥‥古今無双ここんむそうの射の名人たる夫子が、弓を忘れ果はてられたとや? ああ、弓という名も、その使い途みちも!」
 その後当分の間、邯鄲かんたん【河北省邯鄲市】の都では、画家は絵筆を隠かくし、楽人【演奏者】は瑟しつ【弦楽器】の絃げんを断ち、工匠こうしょうは規矩きく【さしがね】を手にするのを恥はじたということである。
(昭和十七年十二月)




底本:「中島敦全集 第4巻」文治堂書店
   1967(昭和42)年6月末第3版刊行
※「蝿」と「蠅」の混在は底本通りにしました。
入力:Hitoshi Nagano
校正:j.utiyama
1998年10月26日公開
2008年6月22日修正
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