
かくれんぼで、倉の
隅にもぐりこんだ
東一君がランプを持って出て来た。
それは珍らしい形のランプであった。八十
糎ぐらいの太い竹の
筒が台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そして ほや は、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。
そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。
「何だア、鉄砲かア」と鬼の
宗八君はいった。
東一君の
おじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。
眼鏡越しにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。
ランプであることがわかると、東一君の
おじいさんはこういって子供たちを
叱りはじめた。
「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっと
猫のようなものだ。こらこら、それはここへ持って来て、お前たちは外へ行って遊んで来い。外に行けば、
電信柱でも何でも遊ぶものはいくらでもあるに」
こうして叱られると子供ははじめて、自分がよくない行いをしたことがわかるのである。そこで、ランプを持出した
東一君はもちろんのこと、何も持出さなかった近所の子供たちも、自分たちみんなで悪いことをしたような顔をして、すごすごと外の道へ出ていった。
外には、春の昼の風が、ときおり道のほこりを吹立ててすぎ、のろのろと牛車が通ったあとを、白い
蝶がいそがしそうに通ってゆくこともあった。なるほど電信柱があっちこっちに立っている。しかし子供たちは電信柱なんかで遊びはしなかった。
大人が、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となく ばかげているように子供には思えるのである。
そこで子供たちは、ポケットの中のラムネ玉をカチカチいわせながら、広場の方へとんでいった。そしてまもなく自分たちの遊びで、さっきのランプのことは忘れてしまった。
日ぐれに
東一君は家へ帰って来た。奥の
居間のすみに、あのランプがおいてあった。
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しかし、ランプのことを何かいうと、また
おじいさんに がみがみいわれるかも知れないので、黙っていた。
夕御飯のあとの退屈な時間が来た。
東一君はたんすにもたれて、ひき出しの
かんをカタンカタンといわせていたり、店に出てひげを
生やした農学校の先生が『
大根栽培の理論と実際』というような、むつかしい名前の本を番頭に注文するところを、じっと見ていたりした。
そういうことにも飽くと、また奥の居間にもどって来て、
おじいさんがいないのを見すまして、ランプのそばへにじりより、その ほや をはずしてみたり、
五銭白銅貨ほどの
ねじをまわして、ランプの
芯を出したりひっこめたりしていた。
すこし いっしょうけんめい になっていじくっていると、また
おじいさんにみつかってしまった。けれどこんどは
おじいさんは叱らなかった。ねえやにお茶をいいつけておいて、すっぽんと
煙管筒をぬきながら、こういった。
「
東坊、このランプはな、
おじいさんには とてもなつかしいものだ。長いあいだ忘れておったが、きょう
東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こう
おじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても
嬉しいもんだ」
東一君はぽかんとして
おじいさんの顔を見ていた。
おじいさんは がみがみと叱りつけたから、
怒っていたのかと思ったら、昔のランプに
逢うことができて喜んでいたのである。
「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て
坐れ」
と
おじいさんがいった。
東一君は話が好きだから、いわれるままに
おじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話を きくときに とる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる
芸当をしたのである。
おじいさんの話というのは次のようであった。
今から五十年ぐらいまえ、ちょうど日露戦争のじぶんのことである。
岩滑新田【作者の生家がある所】の村に
巳之助という十三の少年がいた。
巳之助は、父母も兄弟もなく、
親戚のものとて一人もない、まったくの みなしご であった。そこで
巳之助は、よその家の走り使いをしたり、女の子のように
子守をしたり、米を
搗いてあげたり、そのほか、
巳之助のような少年にできることなら何でもして、村に置いてもらっていた。
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けれども
巳之助は、こうして村の人々の御世話で生きてゆくことは、ほんとうをいえばいやであった。子守をしたり、米を
搗いたりして一生を送るとするなら、男とうまれた
甲斐がないと、つねづね思っていた。
男子は身を立てねばならない。しかしどうして身を立てるか。
巳之助は毎日、ご飯を
喰べてゆくのがやっとのことであった。本一冊買うお金もなかったし、また たといお金があって本を買ったとしても、読むひまがなかった。
身を立てるのに よいきっかけがないものかと、
巳之助はこころひそかに待っていた。
すると
或る夏の日のひるさがり、
巳之助は
人力車の
先綱を頼まれた。
その
頃 岩滑新田には、いつも二、三人の
人力曳がいた。
潮湯治(海水浴のこと)に名古屋から来る客は、たいてい汽車で
半田まで来て、半田から
知多半島西海岸の大野や新舞子まで人力車でゆられていったもので、
岩滑新田はちょうどその道すじにあたっていたからである。
人力車は人が曳くのだからあまり速くは走らない。それに、
岩滑新田と大野の間には
峠が一つあるから、よけい時間がかかる。おまけにその頃の人力車の輪は、ガラガラと鳴る重い
鉄輪だったのである。そこで、急ぎの客は、賃銀を
倍出して、二人の
人力曳にひいてもらうのであった。
巳之助に先綱曳を頼んだのも、急ぎの避暑客であった。
巳之助は人力車の
ながえ【人力車の前に突き出た長い棒】につながれた
綱を肩にかついで、夏の
入陽のじりじり照りつける道を、えいやえいやと走った。
馴れないこととて たいそう苦しかった。しかし
巳之助は苦しさなど気にしなかった。好奇心でいっぱいだった。なぜなら
巳之助は、物ごころがついてから、村を一歩も出たことがなく、峠の向こうにどんな町があり、どんな人々が住んでいるか知らなかったからである。
日が暮れて青い
夕闇の中を人々がほの白く あちこち する頃、人力車は大野の町にはいった。
巳之助はその町でいろいろな物をはじめて見た。
軒をならべて続いている大きい商店が、第一、
巳之助には珍らしかった。
巳之助の村には あきないや とては一軒しかなかった。
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駄菓子、
草鞋、
糸繰りの道具、
膏薬、
貝殻にはいった目薬、そのほか村で使うたいていの物を売っている小さな店が一軒きりしかなかったのである。
しかし
巳之助をいちばんおどろかしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。
巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は盲のように手でさぐりながら、
水甕や、
石臼や
大黒柱をさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが
嫁入りのとき持って来た
行灯を使うのであった。行灯は紙を四方に張りめぐらした中に、油のはいった
皿があって、その皿のふちにのぞいている
灯心に、桜の
莟ぐらいの小さい ほのお がともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。しかしどんな行灯にしろ、
巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。
それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。
煤けたり、破れたりしやすい紙でできている行灯より、これだけでも
巳之助には いいもの のように思われた。
このランプのために、大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明かるく感じられた。もう
巳之助は自分の村へ帰りたくないとさえ思った。人間は誰でも明かるいところから暗いところに帰るのを好まないのである。
巳之助は
駄賃の十五銭を
貰うと、人力車とも別れてしまって、お酒にでも酔ったように、波の音のたえまないこの海辺の町を、珍らしい商店をのぞき、美しく明かるいランプに見とれて、さまよっていた。
呉服屋では、番頭さんが、
椿の花を大きく染め出した
反物を、ランプの光の下にひろげて客に見せていた。
穀屋では、小僧さんがランプの下で
小豆のわるいのを一粒ずつ拾い出していた。また或る家では女の子が、ランプの光の下に白くひかる貝殻を散らしておはじきをしていた。また或る店ではこまかい
珠に糸を通して
数珠をつくっていた。ランプの青やかな光のもとでは、人々のこうした生活も、物語か
幻灯の世界でのように美しくなつかしく見えた。
巳之助は今までなんども、「文明開化で世の中がひらけた」ということをきいていたが、今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。
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歩いているうちに、
巳之助は、様々なランプをたくさん
吊してある店のまえに来た。これはランプを売っている店にちがいない。
巳之助はしばらくその店のまえで十五銭を握りしめながらためらっていたが、やがて決心してつかつかとはいっていった。
「ああいうものを売っとくれや」
と
巳之助はランプをゆびさしていった。まだランプという言葉を知らなかったのである。
店の人は、
巳之助がゆびさした大きい
吊ランプをはずして来たが、それは十五銭では買えなかった。
「負けとくれや」
と
巳之助はいった。
「そうは負からん」
と店の人は答えた。
「
卸値で売っとくれや」
巳之助は村の雑貨屋へ、作った
草鞋を買ってもらいによく行ったので、物には卸値と
小売値があって、卸値は安いということを知っていた。たとえば、村の雑貨屋は、
巳之助の作った
瓢箪型の
草鞋を卸値の一銭五
厘で買いとって、
人力曳たちに小売値の二銭五厘で売っていたのである。
ランプ屋の主人は、見も知らぬどこかの小僧がそんなことをいったので、びっくりしてまじまじと
巳之助の顔を見た。そしていった。
「卸値で売れって、そりゃ相手がランプを売る家なら卸値で売ってあげてもいいが、一人一人のお客に卸値で売るわけにはいかんな」
「ランプ屋なら卸値で売ってくれるだのイ?」
「ああ」
「そんなら、おれ、ランプ屋だ。卸値で売ってくれ」
店の人はランプを持ったまま笑い出した。
「おめえがランプ屋? はッはッはッはッ」
「ほんとうだよ、おッつあん。おれ、ほんとうにこれからランプ屋になるんだ。な、だから頼むに、
今日は一つだけンど卸値で売ってくれや。こんど来るときゃ、たくさん、いっぺんに買うで」
店の人ははじめ笑っていたが、
巳之助の真剣なようすに動かされて、いろいろ
巳之助の身の上をきいたうえ、
「よし、そんなら卸値でこいつを売ってやろう。ほんとは卸値でもこのランプは十五銭じゃ売れないけど、おめえの熱心なのに感心した。負けてやろう。そのかわり しっかり しょうばいをやれよ。うちのランプをどんどん持ってって売ってくれ」
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といって、ランプを
巳之助に渡した。
巳之助はランプのあつかい方を一通り教えてもらい、ついでに
提灯がわりにそのランプをともして、村へむかった。
薮や松林の うちつづく 暗い峠道でも、
巳之助はもう
恐くはなかった。花のように明かるいランプをさげていたからである。
巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが――
巳之助の新しい しょうばいは、はじめのうちまるではやらなかった。百姓たちは何でも新しいものを信用しないからである。
そこで
巳之助はいろいろ考えたあげく、村で一軒きりの あきないや へそのランプを持っていって、ただで貸してあげるからしばらくこれを使って下さいと頼んだ。
雑貨屋の
婆さんは、しぶしぶ承知して、店の天井に
釘を打ってランプを吊し、その晩からともした。
五日ほどたって、
巳之助が
草鞋を買ってもらいに行くと、
雑貨屋の婆さんは にこにこしながら、こりゃたいへん便利で明かるうて、夜でもお客がよう来てくれるし、
釣銭をまちがえることもないので、気に入ったから買いましょう、といった。その上、ランプのよいことがはじめてわかった村人から、もう三つも注文のあったことを
巳之助にきかしてくれた。
巳之助はとびたつように喜んだ。
そこで
雑貨屋の婆さんからランプの代と
草鞋の代を受けとると、すぐその足で、走るようにして大野へいった。そして
ランプ屋の主人にわけを話して、足りないところは貸してもらい、三つのランプを買って来て、注文した人に売った。
これから
巳之助の しょうばいは はやって来た。
はじめは注文をうけただけ大野へ買いにいっていたが、少し金がたまると、注文はなくてもたくさん買いこんで来た。
そして今はもう、よその家の走り使いや子守をすることはやめて、ただランプを売るしょうばいだけにうちこんだ。
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物干台のような
わくのついた車をしたてて、それにランプや ほや などをいっぱい吊し、ガラスの触れあう涼しい音をさせながら、
巳之助は自分の村や附近の村々へ売りにいった。
巳之助はお金も
儲かったが、それとは別に、このしょうばいがたのしかった。今まで暗かった家に、だんだん
巳之助の売ったランプがともってゆくのである。暗い家に、
巳之助は文明開化の明かるい火を一つ一つ ともしてゆくような気がした。
巳之助はもう青年になっていた。それまでは自分の家とてはなく、
区長さんのところの軒のかたむいた
納屋に住ませてもらっていたのだが、小金がたまったので、自分の家もつくった。すると世話してくれる人があったのでお
嫁さんももらった。
或るとき、よその村でランプの宣伝をしておって、「ランプの下なら
畳の上に新聞をおいて読むことが出来るのイ」と
区長さんに以前きいていたことをいうと、お客さんの一人が「ほんとかン?」とききかえしたので、
嘘のきらいな
巳之助は、自分でためして見る気になり、
区長さんのところから古新聞をもらって来て、ランプの下にひろげた。
やはり
区長さんの いわれたことは ほんとうであった。新聞のこまかい字がランプの光で一つ一つはっきり見えた。「わしは嘘をいって しょうばいをしたことには ならない」と
巳之助はひとりごとをいった。しかし
巳之助は、字がランプの光ではっきり見えても何にもならなかった。字を読むことができなかったからである。
「ランプで物はよく見えるようになったが、字が読めないじゃ、まだほんとうの文明開化じゃねえ」
そういって
巳之助は、それから毎晩
区長さんのところへ字を教えてもらいにいった。
熱心だったので一年もすると、
巳之助は
尋常科を卒業した村人の誰にも負けないくらい読めるようになった。
そして
巳之助は
書物を読むことをおぼえた。
巳之助はもう、男ざかりの
大人であった。家には子供が二人あった。「自分もこれでどうやらひとり立ちができたわけだ。まだ身を立てるというところまでは いっていないけれども」と、ときどき思って見て、そのつど心に満足を覚えるのであった。
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さて或る日、
巳之助がランプの
芯を仕入れに大野の町へやって来ると、五、六人の
人夫が道のはたに穴を堀り、太い長い柱を立てているのを見た。その柱の上の方には腕のような木が二本ついていて、その腕木には白い瀬戸物のだるまさんのようなものが いくつかのっていた。こんな奇妙なものを道のわきに立てて何にするのだろう、と思いながら少し先にゆくと、また道ばたに同じような高い柱が立っていて、それには
雀が腕木にとまって鳴いていた。
この奇妙な高い柱は五十
米ぐらい間をおいては、道のわきに立っていた。
巳之助はついに、ひなたでうどんを
乾している人にきいてみた。すると、うどんやは「電気とやらいうもんが今度ひけるだげな。そいでもう、ランプはいらんようになるだげな」と答えた。
巳之助にはよく のみこめなかった。電気のことなどまるで知らなかったからだ。ランプの代りになるものらしいのだが、そうとすれば、電気というものは
あかりにちがいあるまい。
あかりなら、家の中にともせばいいわけで、何もあんなとてつもない柱を道のくろに何本もおっ立てることはないじゃないかと、
巳之助は思ったのである。
それから
一月ほどたって、
巳之助がまた大野へ行くと、この間立てられた道のはたの太い柱には、黒い
綱のようなものが数本わたされてあった。黒い
綱は、柱の腕木にのっているだるまさんの頭を一まきして次の柱へわたされ、そこでまただるまさんの頭を一まきして次の柱にわたされ、こうしてどこまでもつづいていた。
注意してよく見ると、ところどころの柱から黒い
綱が二本ずつだるまさんの頭のところで別れて、家の
軒端につながれているのであった。
「へへえ、電気とやらいうもんは
あかりがともるもんかと思ったら、これはまるで
綱じゃねえか。雀や
燕のええ休み場というもんよ」
と
巳之助が一人であざわらいながら、知合いの甘酒屋にはいってゆくと、いつも
土間のまん中の飯台の上に吊してあった大きなランプが、横の壁の辺に取りかたづけられて、あとにはそのランプをずっと小さくしたような、石油入れのついていない、変なかっこうのランプが、
丈夫そうな
綱で天井からぶらさげられてあった。
「何だやい、変なものを吊したじゃねえか。あのランプはどこか悪くでもなったかやい」
と
巳之助はきいた。
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すると
甘酒屋が、
「ありゃ、こんどひけた電気というもんだ。火事の心配がのうて、明かるうて、マッチはいらぬし、なかなか便利なもんだ」
と答えた。
「ヘッ、
へんてこれんなものをぶらさげたもんよ。これじゃ甘酒屋の店も何だか間がぬけてしまった。客もへるだろうよ」
甘酒屋は、相手がランプ売であることに気がついたので、電灯の便利なことはもういわなかった。
「なア、甘酒屋のとッつあん。見なよ、あの天井のとこを。ながねんのランプの
煤であそこだけ真黒になっとるに。ランプはもうあそこに いついてしまったんだ。今になって電気たらいう便利なもんができたからとて、あそこからはずされて、あんな壁のすみっこにひっかけられるのは、ランプがかわいそうよ」
こんなふうに
巳之助はランプの肩をもって、電灯のよいことはみとめなかった。
ところでまもなく晩になって、誰もマッチ一本すらなかったのに、とつぜん甘酒屋の店が真昼のように明かるくなったので、
巳之助はびっくりした。あまり明かるいので、
巳之助は思わずうしろをふりむいて見たほどだった。
「巳之さん、これが電気だよ」
巳之助は歯をくいしばって、ながいあいだ電灯を見つめていた。
敵でも
睨んでいるようなかおつきであった。あまり見つめていて眼のたまが痛くなったほどだった。
「巳之さん、そういっちゃ何だが、とてもランプで
太刀うちはできないよ。ちょっと外へくびを出して町通りを見てごらんよ」
巳之助はむっつりと入口の
障子をあけて、通りをながめた。どこの家どこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電灯がともっていた。光は家の中にあまって、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた
巳之助には まぶしすぎるほどのあかりだった。
巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。
ランプの、てごわいかたきが出て来たわい、と思った。いぜんには文明開化ということをよく言っていた
巳之助だったけれど、電灯がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということは分らなかった。
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りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
その日から
巳之助は、電灯が自分の村にもひかれるようになることを、心ひそかにおそれていた。電灯がともるようになれば、村人たちはみんなランプを、あの
甘酒屋のしたように壁の隅につるすか、倉の二階にでもしまいこんでしまうだろう。ランプ屋のしょうばいは いらなくなるだろう。
だが、ランプでさえ村へはいって来るには かなりめんどうだったから、電灯となっては村人たちはこわがって、なかなか寄せつけることではあるまい、と
巳之助は、一方では安心もしていた。
しかし間もなく、「こんどの村会で、村に電灯を引くかどうかを決めるだげな」という
噂をきいたときには、
巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。強敵いよいよござんなれ、と思った。
そこで
巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電灯反対の意見をまくしたてた。
「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に
狐や
狸がつたって来て、この
近ぺんの
田畠を荒らすことはうけあいだね」
こういう ばかばかしいことを
巳之助は、自分の
馴れたしょうばいを守るためにいうのであった。それをいうとき何か うしろめたい気がしたけれども。
村会がすんで、いよいよ
岩滑新田の村にも電灯をひくことにきまったと聞かされたときにも、
巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。こう たびたび 一撃をくらってはたまらない、頭がどうかなってしまう、と思った。
その通りであった。頭がどうかなってしまった。村会のあとで三日間、
巳之助は昼間もふとんをひっかぶって寝ていた。その間に頭の調子が狂ってしまったのだ。
巳之助は誰かを
怨みたくてたまらなかった。そこで村会で議長の役をした
区長さんを怨むことにした。そして
区長さんを怨まねばならぬわけを いろいろ 考えた。へいぜいは頭のよい人でも、しょうばいを失うかどうかというような せとぎわでは、正しい判断をうしなうものである。とんでもない怨みを
抱くようになるものである。
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菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の
支度に打つ太鼓が とほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を
鼬のように身をかがめて走ったり、
薮の中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは
藁屋根の牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋はもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているか めざめているか わかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていても しずかなものだから。もっとも牛が
眼をさましていたって、火をつけるには いっこうさしつかえない わけだけれども。
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた
火打の道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを
探したが、どうしたわけか なかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。
巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、
ほくちがしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。
巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである。
「ちえッ」と
巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
そういってしまって
巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。
「
古くせえもなア、
いざというとき間にあわねえ、……
古くせえもなア間にあわねえ……」
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、
巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ランプはもはや古い道具になったのである。電灯という新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。
11/14
文明開化が進んだのである。
巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは
棄てて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――
巳之助はすぐ家へとってかえした。
そしてそれからどうしたか。
寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのランプに石油をつがせた。
おかみさんは、こんな
夜更けに何をするつもりか
巳之助にきいたが、
巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
ランプは大小さまざまのが みなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのランプをつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
道が西の
峠にさしかかるあたりに、
半田池という大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のように けぶり光っていた。池の岸には
はんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
巳之助は
人気のないここを選んで来た。
さて
巳之助はどうするというのだろう。
巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとう みんなのランプを三本の木に吊した。
風のない夜で、ランプは一つ一つが しずかに まじろがず【ジッと 】、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と
巳之助は一人でいった。
12/14
しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を
垂れたままランプの鈴なりになった木を見つめていた。
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんで来たランプ。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
それから
巳之助は池のこちら側の
往還に来た。まだランプは、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのランプがともっていた。立ちどまって
巳之助は、そこでもながく見つめていた。
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。
やがて
巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているランプに
狙いをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの
時世はすぎた。世の中は進んだ」
と
巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったランプが、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
三番目のランプを割ったとき、
巳之助はなぜか涙がうかんで来て、もうランプに
狙いを定めることができなかった。
こうして
巳之助は今までのしょうばいをやめた。それから町に出て、新しいしょうばいをはじめた。本屋になったのである。
*
「
巳之助さんは今でもまだ本屋をしている。もっとも今じゃだいぶ年とったので、
息子が店はやっているがね」
と東一君の
おじいさんは話をむすんで、
冷めたお茶をすすった。
巳之助さんというのは
東一君の
おじいさんのことなので、
東一君はまじまじと
おじいさんの顔を見た。いつの間にか
東一君は
おじいさんのまえに坐りなおして、
おじいさんのひざに手をおいたりしていたのである。
「そいじゃ、残りの四十七のランプはどうした?」
と
東一君はきいた。
「知らん。次の日、旅の人が見つけて持ってったかも知れない」
「そいじゃ、家にはもう一つもランプなしになっちゃった?」
「うん、ひとつもなし。この台ランプだけが残っていた」
13/14
と
おじいさんは、ひるま
東一君が持出したランプを見ていった。
「損しちゃったね。四十七も誰かに持ってかれちゃって」
と
東一君がいった。
「うん損しちゃった。今から考えると、何もあんなことをせんでもよかったとわしも思う。
岩滑新田に電灯がひけてからでも、まだ五十ぐらいのランプはけっこう売れたんだからな。
岩滑新田の南にある
深谷なんという小さい村じゃ、まだ今でもランプを使っているし、ほかにも、ずいぶんおそくまでランプを使っていた村は、あったのさ。しかし何しろわしもあの頃は元気がよかったんでな。思いついたら、深くも考えず、ぱっぱっとやってしまったんだ」
「馬鹿しちゃったね」
と
東一君は孫だからえんりょなしにいった。
「うん、馬鹿しちゃった。しかしね、
東坊――」
と
おじいさんは、きせるを
膝の上でぎゅッと握りしめていった。
「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな
意気地のねえことは決してしないということだ」
東一君は黙って、ながい間
おじいさんの、小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。やがて、いった。
「
おじいさんはえらかったんだねえ」
そしてなつかしむように、かたわらの古いランプを見た。
底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
1996(平成8)年7月16日発行第1刷
入力:浜野智
校正:浜野智
1999年4月20日公開
2011年4月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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----- (以下、
シン文庫 追記) -----
関係者の皆様、大変ありがとうございました。感謝致します。
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