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イワンの馬鹿
SKAZKA O IVANE-DURAKE
トルストイ Tolstoi
菊池寛訳


        一

 むかし ある国の田舎いなかに お金持の百姓ひゃくしょうが 住んでいました。百姓には 兵隊のシモン肥満ふとっちょタラス馬鹿ばかイワンという三人の息子と、つんぼ【耳が聞こえない人】でおし【口がきけない人】のマルタという娘がありました。兵隊のシモンは 王様の家来けらいになって 戦争に行きました。肥満ふとっちょタラスは 町へ出て商人になりました。馬鹿のイワンと妹のマルタは、うちに残って 背中がまがるほどせい出して働きました。兵隊のシモンは 高いくらいと広い領地を得て、王様のお姫様を お嫁さんもらいいました。お給金きゅうきんもたくさんだし 領地からあが収入みいりも大したものでしたが、彼はそれを、うまくしめくくって【管理して】いくことが出来ませんでした。おまけに 主人がもうけたものを お嫁さん滅茶めちゃに【非常にたくさん】使ってしまうので、いつも貧乏びんぼうしていなければなりませんでした。
 そこで兵隊のシモンは 自分の領地へ出かけて行って 収入みいりをあつめようとしました。すると執事しつじは言いました。
収入みいりどころか、牛も馬もすきくわもありません。何よりも先に それを手に入れなくちゃいけません。そうすりゃ、やがてお金も入って来るでしょう。
 そこでシモン親のところへ行って言いました。
さん、あなたはお金持なのに 私にはまだ何もくれませんでした。あなたの持ちものを分けて その三分の一を私に下さい。そうすりゃ私の領地の手入をすることが出来ますから。
 すると年寄としよった【年老いた】親は言いました。
お前は うちのためになることを 何もしたことはない。それにどうして三分の一やることが出来よう。第一イワンマルタにすまない。
 と、シモンは、
イワンは馬鹿です。それにマルタは お嫁に行く年は とっくに過ぎていて、おまけにつんぼおしです。あれに財産を持たしたって それが何になるでしょう。
と言いました。おじいさんは、
じゃ、イワンが何というか聞いてみよう。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(1 / 38)
と言いました。
 イワンは、
兄さんの欲しいだけげなさい。
と言いました。
 そこで 兵隊のシモン親から分前わけまえもらって ほくほくもので自分の領地へうつし また王様のところへ行ってつかええました。
 肥満のタラスも たくさんのお金をもうけて ある商人のうちへ おむこさんに行きましたが、それでもまだ お金が欲しいと思いました。そこで やはり親のところへ出かけて行き、
私にも私のまえを下さい。
と言いました。
 しかし親は タラスにも分けてやりたくなかったので、
お前は、何一つうちへは持って来なかった。このうちにあるものは、みんなイワンが かせぎ上げたのだから、どうして あれやによくないことが出来よう。
と言いました。が、しかしタラスは言いました。
イワンに何がるものですか、あいつは馬鹿ばかです、誰だって 嫁に来るものはありません。またあのおしだって なんにもいりはしませんよ。
 そしてイワンに向って、
おいイワン。おれに穀物こくもつを半分おくれよ。おれは道具なんかもらおうとは思わない。あの葦毛あしげの馬を 一匹貰おう。あれは お前の畑仕事には ちっと不向ふむきのようだから。
と言いました。イワンは笑って、
何でもるだけ持って行くがいい。私は またかせいで手に入れるよ。
と言いました。
 そこでタラスにも 分前わけまえだけやりました。で、タラス荷車にぐるまで穀物を町へ運び、種馬たねうま【繁殖のために飼う馬】を つれて行きました。こうしてイワンは よぼよぼの牝馬めうまを一匹だけ残され、以前まえ通り百姓ひゃくしょうをして両親やしなって行きました。


        二

 ところが、それを年よった悪魔が見ていました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(2 / 38)
悪魔は、兄弟たちが 財産の分け方で けんかをするだろうと思っていたのに、べつに いさかいもなく、仲良く別れて行ったので 大へん腹を立てて、早速さっそく三人の小悪魔しょうあくまを呼び集めました。そして言いました。
ここに兵隊のシモン肥満ふとっちょタラス、馬鹿のイワンと言う三人の兄弟がいる。こいつらは 当然けんかをしなくてはならないのに 仲良くくらし合っている。あの馬鹿ばかイワンやつが すっかりおれの仕事を だいなしにしてしまったのだ。ところでお前たち三人は 兄弟三人にとりついて 奴等やつらが お互いに目玉を引っこぬくようにしてやるのだ。どうだ、出来るかな。
はい、一つやってみましょう。
と三人の小悪魔は言いました。
じゃ、どんなふうにはじめる。
わけはありません。
小悪魔は言いました。
まず第一に あいつ一文無いちもんなししにしてしまいます。そして 一片ひときれのパンも無くなった時分に みんなを おち合わせることにします。そうすりゃけんかするにきまっています。
なるほど、そいつは いい思いつきだ。お前たちも だいぶ仕事がうまくなったようだ。じゃ、行って来い。そしてあいつ等を仲たがいさせるまでは 決して帰って来るな。でないと お前たちの生皮なまかわひんむいでしまうぞ。
 小悪魔たちは 早速さっそくある沼地ぬまちへ行って 仕事について打合せをしはじめました。そして めいめいが 一番割りのいい役を取ろうとして ぎろんしました。が、とうとうくじ引で 役割を決めることにしました。そして もし一人が先に片づいたら ほかへ手伝いに行くことにしました。そこでくじ引をし、また日を決めて、だれがうまくやりとげたか、だれが手伝がほしいかを、知らせあうことにしました。
 やがて約束の日が来ましたので、小悪魔たちは、沼地へ集まりました。すると兵隊シモンのところへ行った小悪魔が、
おれの仕事は うまくすすんで行っている。明日シモン親爺おやじのところへ帰るだろう。
と口を切りました。
どうしてそう うまくやったのだ。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(3 / 38)
と仲間が聞きました。すると第一の小悪魔は、
まず第一に おれはシモンたいへんな向う見ずにしてやった。すると あいつは だいたんになって、王様に、全世界を攻め取ってやると言ったのだ。ところが 王様が それをほんとにして、あいつを大将たいしょうにして 印度王いんどおう征伐せいばつにやった。両軍は向い合ってじんをとった。ところがおれは その前の晩 シモンの陣にある火薬かやくを すっかりしめらせておき、また印度王の方には かぞえ切れないほどのわらの兵隊を こしらえてやった。するとシモンの兵隊は、その大ぜいのわら兵にとりかこまれて、すっかり おそれてしまった。シモンは 打てといつけた。ところが 鉄砲てっぽう大砲たいほう弾丸たまが出なかった。そこでシモンの兵隊は おびえてひつじのように逃げ出し、印度王はそれを、すっかりち取った。シモンは さんざんだ。王様はたいそうおこって、シモンの領地を取り上げてしまうし みなは 明日やつを死刑しけいにしようとしている。それで おれの仕事はあと一日だけ、あいつを あいつの田舎いなかへ逃してやるために 牢屋ろうやから出してやればいいのだ。明日になりゃ、お前たちに手をかして どんなことでもしてやるよ。
 すると 今度はタラスのところへ行った 第二の小悪魔が、
おれの方は手伝ってもらわなくてもいい、うまく運んでいる。
と言いながら、話し出しました。
タラスは もう一週間と持ちこたえないだろう。おれはまず第一に あれをいっそう よくばりにし、肥満ふとっちょになるようにした。あいつのよくは いよいよひどくなって行って、何でも見るものごとに 買いたくなるように仕向しむけてやった。それであいつは ありがねを すっかりつかってしまい、なお さかんに買い込んでいる。もうたいへん借金しゃっきんして買っている。一週間たつと かんじょうの日が来るが、その前に、おれは あいつの買い込んだ品物を、すっかり だいなしに してやるんだ。すると あいつは支払が出来なくなって、親爺のところへくるだろう。
ところで、お前の方はどうだ。
と二人の悪魔は第三の悪魔イワンの係)に聞きました。
そうだな。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(4 / 38)
と第三の悪魔は 元気なく言いました。「おれの方は どうもうまく行かない。まず おれは あいつに、腹痛はらいたおこさせてやろうと思って あいつのお茶の中に、つばんでやった。それから あいつの畑を、石のように かんかんに固めて き返し【土を掘り返す】が出来ないようにしておいた。そして、あいつは とてもきに出て来やしないだろうと思っていた。ところが あいつは とてつもない馬鹿ばかすきを持って来てきはじめた。あいつは腹が痛いので、うんうんうなりながら、それでも仕事はめない。そこでおれは あいつのすきこわしてやった。ところが あいつは うちへ行って 別のを持って来てまたきはじめた。おれは地面へもぐり込んで その鋤先すきさきとらえた。が、鋤先には いい捉えどころがない。あいつは一生いっしょうけんめいすきへ寄っかかる。おまけに鋤先すきさきするどく切れる。とうとうおれは手を切った。あいつは その畑を ほとんどいてしまって、あと小さいうね一つ残しただけだ。兄弟たち、一つ手を貸しに来てくれ。あいつの始末しまつをつけないと、折角せっかく骨折ほねおりも だいなしになってしまう。もしあの馬鹿ばかが ああして畑の仕事をつづけて行くと、あいつらは 困るということを知らないだろう。あいつが二人の兄をやしなって行くだろうからね。
 兵隊のシモン係の小悪魔は 明日から手伝いに行くと約束しました。こうして彼等かれらは別れました。


        三

 イワンは 畑をたった一畝ひとうね残したきり、き返しました。それで まだ腹は痛みましたが、残りの一畝を片づけるつもりで、またやって来ました。そして例の牝馬めうますきを取りつけて、仕事にかかりました。ところが、一畝ひとうねきおわって また後へ鋤き返そうとすると、何か すきが木の根にでも引っかかったように、動かなくなってしまいました。それは例の小悪魔が、両脚りょうあし鋤先すきさきにからみつけて、引き戻しにかかっているのでした。
これあみょうだ。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(5 / 38)
イワンは考えました。
木の根っこなんて 一つもなかったのに、さてはやはり あったんだな。
 イワンは片手をうねへ突っ込んで、さぐりました。すると、何かやわらかいものにふれたので、それを引っつかんで出しました。見るとそれは 木の根のようにまっ黒で、しかも、のたくりまわって【苦しみもがく】いるのでした。それはまぎれもなく、例の小悪魔でした。
なんてきたねえもんだ。
 イワンはそう言って、すきにぶっつけようとして、それをふり上げました。すると小悪魔は 苦しがって声をたてながら、言いました。
どうか ひどくしないで下さい。そのかわり 何でもあなたの言いなり次第しだい【言うがまま】にいたします。
手前てめえ何が出来る。
あなたの言いなりに何でも。
 イワンは 頭をかいて考えました。そして言いました。
おりゃ腹が痛い。どうだ、なおせるか。
はい、なおせますとも。
よし、じゃなおしてくれ。
 小悪魔は すぐうねの中へい込んで、しばらく爪で引っかいて さがしまわっていましたが、やがて、三本根の出た木の根を引っこぬいて来て、イワンに渡しました。そして、
この根を一本だけおあがりなさい。これを召し上がれば どんな病気びょうきだって なおらないことはありません。
と言いました。
 イワンはそれを受取ると、根を一本むしり取って飲みました。腹痛はらいたは それですぐなおりました。小悪魔は また はなして下さいとたのみました。
私は すぐさまこの地の下へ 飛込とびこんでしまいます。そして二度と再び 出てはまいりません。
と言いました。
よろしい。
イワンは言いました。
じゃ行け、神様かみさまがお前をお守り下さるように。
 イワン神様の名を口にするかしないかに、小悪魔は水に落ちた石のように地面へはまり込みました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(6 / 38)
そして後には小さい穴が一つ残りました。
 イワンは 残りの木の根二本を 帽子ぼうしの中へしまって、また仕事をつづけました。そしてすっかりきおえると、うちへ帰りました。彼は馬をときはなして うちへ入りました。するとそこには、兄の兵隊のシモンと そのおよめさんが、夕飯ゆうめしっていました。シモンは その領地を すっかり取り上げられてしまい、命からがら牢屋ろうやをぬけ出して親のうちで暮すつもりで帰って来たのでした。
 シモンイワンを見ると、こう言いました。
おれは お前と一しょに暮すつもりでやって来たんだが、おれの主人が見つかるまで おれと家内をやしなってくれ。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。
どうぞ いなさるがいい。
 ところが イワン長椅子ながいすこしを下そうとすると、シモンお嫁さんが その着物のくさいのをきらって、シモンに、
私は こんなきたない百姓と一しょに 御飯ごはんをたべるのはいやです。
と言いました。
 そこでシモンは、
お前の着物がたいへん臭いので 家内がいやだというのだよ。お前 外へ行って めしを食ったらいいだろう。
と言いました。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。
どうせ私は馬の飼葉かいば【餌の牧草】の世話をせにゃならんから、外へ行こう。
 そうしてイワンは少しのパンと外套がいとうを持って牝馬めうまをつれて野原へ行きました。


        四

 シモン係の小悪魔は、その晩すっかり自分の仕事をおえて、約束通り イワン係の小悪魔をたすけて、馬鹿ばかをへこましてやるつもりで 畑へやって来ました。彼は そこらあたりをさがしまわりましたが、仲間のすがたはみえないで、ただ一つ小さな穴を見つけました。
こりゃきっと 仲間の上によくないことが起ったわい。すると おれが あいつのかわりをしなくちゃならない。この畑はすっかりき返されてしまったから、あの馬鹿をとっちめるには どうしてもあの牧場まきばだな。
 そこで小悪魔は 牧場へ出かけて行って、イワン秣場まぐさば【まぐさを刈り取る草地】に水をまき、草を泥だらけにしておきました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(7 / 38)
 イワンは 野原から夜明け方に帰って来て、かまをといで、秣場まぐさばへ草刈りに出かけました。が、どうしたものか鎌を一二度ふったばかりで【だけで】 ひどく刃がまがって、ちっとも切れなくなって、また とがねばなりませんでした。イワンは しばらく刈っていましたが、やがて、
こりゃいけねえ。鎌とぎ道具を持って来なくちゃ。そしてパンも持って来ることにしよう。たとえ一週間かかったって、草を刈ってしまわずにおくものか。
とひとりごちました。
 小悪魔は それを聞いて考え込みました。
こいつは なかなか手にえないぞ。こんな手じゃ とても馬鹿を取っちめることは出来ない。何か他の手でやってみなくちゃ。
 イワンうちへ帰って鎌をといで また草を刈りはじめました。小悪魔は 草の中へもぐり込んで、その鎌の先きを捉えて、切尖きっさきを 地へ突っ込むようにしはじめました。イワンは、仕事がたいへん骨折れると思いましたが、それでも秣場をすっかり刈りおえて、沼地に入っているところだけ 少し残しました。小悪魔はその沼地へ入り込んで、
たとえ両手を切り取られたって、刈らせるこっちゃない。
と考えました。
 イワンは やがてその沼地へ来ました。草はそうしげってはいませんでした。が、かまは思うように動きませんでした。イワンはすっかりおこってしまって ある限りの力をこめて、鎌をふりはじめました。小悪魔力負ちからまけして、もう とても持ちこたえることが出来なくなりました。いよいよだめだと思った小悪魔は、くさむらの中へ よろけこんでしまいました。イワンは 鎌をふって そのくさむらを引っつかんで りましたので、小悪魔は そのしっぽを 半分切り取られました。イワンは 刈り取った草を にかき寄せるように言いつけて、今度は ライむぎを刈りに行きました。イワンが鎌を持って行ってみると、れいの しっぽを切られた小悪魔は 先にまわって麦を滅茶苦茶めちゃくちゃに乱しておいたので、また鎌がつかえなくなりました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(8 / 38)
それでイワンうちへ行って、別の鎌を持って来て、それで刈りはじめ、すっかりライ麦を取り入れてしまいました。
さて、今後は燕麦からすむぎにかかることにしよう。
イワンは言いました。
 すると、しっぽを切られた小悪魔は、考えました。
ライ麦では あいつをうまくやっつけることが出来なかったが、燕麦からすむぎではきっとやるから、明日になったらどうするか見てろ。
 小悪魔あくる朝 急いで燕麦の畑へ行きました。ところが燕麦は すっかり刈り倒してありました。イワン麦粒ばくりゅうのこぼれるのを 少くするために、夜どおし刈ってしまったのでした。
 小悪魔はひどく怒りました。
あの馬鹿ばかめ、おれのからだ中 傷だらけにしやがるし、うんざりさせやがった。これじゃ まるで戦争よりも悪いや。畜生ちくしょうめ、ちっともねむらないんだ。あんなやつにあっちゃ とてもかなわない。ひとつ今度は 麦束むぎたばの中へ入って くさらしてやれ。
 そこで小悪魔は ライ麦の畑へ行って、麦束の中に入り込みました。麦束は腐りはじめました。小悪魔は、麦束をあたためましたが、やがて 自分のからだもぽかぽかとあたたかくなって、ぐっすり寝込ねこんでしまいました。
 イワンは馬に草をやると、用意してと一しょに、ライ麦を運びに やって来ました。やがて麦束を積みはじめました。二束ほど車に投げ込んで、三束目を上げようとして熊手くまでをつき込むと、そのさきが、小悪魔の背中へ、突き刺さりました。熊手をふり上げてみると、その尖には しっぽの切れた小悪魔が、のがれようとして、しきりに身をもがいて、のたくっています。
おやおや、また出て来やがった。
いや、ちがうんです。先来さききたのは私の兄弟です。私は あなたの兄さんの シモンについていたんです。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(9 / 38)
小悪魔は言いました。
ふん、どいつだってかまやしない。お前も 同じ目にあわしてやるのだ。
 イワン小悪魔荷車にぐるまへ たたきつけようとしました。小悪魔さけびました。
ま、待って下さい。二度とあなたの邪魔じゃまは いたしません。あなたの言いなりに 何でもいたします。
じゃ、何が出来る。
何でもあなたのお好きなものから 兵隊をこしらえることが出来ます。
兵隊は一たい何の役に立つのだ。
何の役にだってたちます。あなたが命令を下しさえすれば どんなことでもします。
じゃうたがうたえるかい。
ええ出来ますとも、あなたが命令なさりさえすれば。
よしよし、じゃ一つこしらえてくれ。
 すると小悪魔は、
じゃ、その麦束を一束取って 地べたにつきたてて、こうおっしゃればいいのです。

麦束よ麦束よ
おれの家来けらいいつける
一本一本の麦藁むぎわらから
兵隊が一人ずつ飛び出して来い。

 イワンは 麦束を取り上げて 地べたへたたきつけると、小悪魔の言った通りやりました。麦束がバラバラにけて落ちたかと思うと、わらが のこらず兵隊になって、ラッパ吹きや、太鼓たいこ打ちまでそろっていました。こうして一隊すっかり出来上りました。
 イワン面白おもしろがって笑いながら、
こりゃ面白い。立派りっぱだ。娘っ子がさぞ喜ぶこったろう。
と言いました。
じゃ私をはなして下さい。
小悪魔は言いました。
そりゃいけない。
イワンは言いました。
おれは兵隊を 打殻うちがら【脱穀して中身を取った後】の藁で こさえるのでなくちゃいやだ。でないと 折角せっかくのいい麦が だめになってしまう。これを もとの麦束むぎたばに返す方法を教えてくれ。おれは これから 麦を落そうと思っているんだ。
 そこで小悪魔は言いました。
それはこうです。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(10 / 38)
私の家来けらいいつける
兵隊よ兵隊よ、
元の藁に飛んでかえれ。

 イワンがこう言うと また麦の束になりました。そこで小悪魔は たのみ出しました。
どうぞ、はなして下さいよ。
 イワンは、
いいとも、いいとも。
と言って、小悪魔荷車にぐるまの横へ押しあてると、片手でおさえながら 熊手くまでから引っこぬいてやりました。
神様が お前をお守り下さるように。
イワンは言いました。
 イワン神様の名を口にするかしないかに、小悪魔は 水に落ちた石のように 地べたへ消えてしまいました。そして後には小さな穴が一つだけ残りました。
 イワンうちに帰りました。うちに帰ってみると、次の兄のタラスと、そのおかみさんが来ていて、晩飯ばんめしを食っていました。
 肥満ふとっちょタラス借金しゃっきんで首がまわらなくなって、親のところへ にげ帰って来たのでした。
 タラスイワンを見て言いました。
おい、もう一度 商売が出来るまで おれと家内を 養ってくれ。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。
よかったら、いつまでも いなさるがいい。
 イワン上着うわぎをぬいで、椅子いすに腰を下そうとしました。すると タラスおかみさんが言いました。
私は こんな土百姓どびゃくしょう【農民をいやしめる言葉】と一しょに 御飯ごはんはいただけません。この汗のにおいったら がまんが出来ません。
 そこで肥満ふとっちょタラスは言いました。
どうもお前のにおいはひどすぎる。外でめしを食ってくれないか。
するとイワンは言いました。
いいとも、いいとも。どのみち私は 馬の世話をしなくちゃならん。飼葉かいば【餌の牧草】を刈る時刻だからね。


        五

 タラスの係の小悪魔も、その晩 手がいたので、約束どおりイワンの馬鹿を取っちめるために、仲間へ手をかすつもりでやって来ました。彼は畑へ行って さんざん仲間をさがしましたが、一人もいませんでした。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(11 / 38)
ただ一つの穴を見つけただけでした。彼は 今度は牧場へ行って 沼地で小悪魔のしっぽ一つ見つけました。そしてライ麦の刈あとでも、一つの穴を見つけました。
こりゃきっと 仲間によくないことがあったにちがいない。
小悪魔は考えました。
一つおれがかわって あの馬鹿を取っちめなくちゃならないぞ。
 そこで小悪魔は、イワンをさがしに出かけました。イワンはとうに麦のしまつをして、森で木をっていました。二人の兄たちは、急に人数がふえて、狭苦せまくるしくなったので、新しいうちを たててもらおうと思って、木をれと イワンいつけたところでした。
 小悪魔は 森へ出かけて行って、木の枝へい上って またじんどって、イワンの仕事のじゃまを しはじめました。イワンは 一本の木の根元をりました。ところが、木はバッサリたおれるはずなのに、倒れぎわに 急にまがりくねって、他の枝へ引っかかりました。そこでイワンは、それをこねはずす【ほどいて外す】ために、一本の木をってぼうをつくると、やっとのことで 地べたに倒すことが出来ました。イワンは また他の木を伐り倒しにかかりました。するとまた、前と同じようなことが起りました。イワンは汗びしょになりました。そしてようやく倒すことが出来ました。イワンは三本目の木に取りかかりました。が、今度もやはり同じ目にあいました。
 イワンは、その日のうちに 百本くらいは伐り倒すつもりでしたが、まだ十本も伐り倒さないうちに 日もれかかり、疲れて すっかりへとへとに なりました。イワン身体からだからは、汗が湯気ゆげのように 立ちのぼりましたが、それでも休まないで、働きつづけました。そしてまた 他の木を伐りにかかりましたが、急に背中が痛んで来て、立っていることも出来なくなりました。そこでイワンは、おのをその木の根元に打ち込むと、どっかり腰を下して休みました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(12 / 38)
 小悪魔イワンが仕事をやめたのを見て、たいへん喜びました。
あいつめ とうとうくたびれやがったな。あれで もう やめるにちがいない。どれ、おれの方も これで一休み休むことにするかな。
小悪魔は考えました。
 小悪魔は 木の枝にまたがって、クスクス笑いました。そのときイワンは 急に立ち上がって、おのを引っこぬき、別のがわから うんと一打ちわせましたので、木は一たまりもなくどっと倒れました。小悪魔まったくふいを打たれて、足をはずす間もなく たおれた木に手をはさまれました。イワンは枝をおろしにかかりました。ところが小悪魔が その枝にひっかかって、もがいているのを見つけました。イワンはびっくりしました。
おやおや、きたないやつめ また出て来やがったな。
イワンは言いました。
いや、ちがうんです。私はあなたの兄さんのタラスについてたんです。
小悪魔は言いました。
だれであろうが かれであろうが、もうだめだぞ。
イワンは言って、斧をふり上げて打ち下そうとしました。小悪魔は、
助けて下さい。打たないで下さい。あなたのおっしゃることなら なんでもいたします。
とたのみました。
じゃ何が出来る。
あなたの欲しいだけ お金をこさえることが出来ます。
よしよし、じゃこさえてくれ。
 そこで小悪魔は、イワンにそのやりかたを教えました。
かしを取って、手の中でおもみなさい。そうすりゃ 金貨きんかが地べたに落ちて来ます。
 イワンは何枚かの葉を取って手の中でもみました。すると、金貨が手からこぼれ落ちました。
これやおまつりに 若い者に見せるにゃもって来いだ。
イワンは言いました。
じゃ はなして下さい。
小悪魔は言いました。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(13 / 38)
そして、棒で木の枝をこじて【こじあけて】、小悪魔を はなしてやって、
じゃ行け、神様が お前をお守り下さるように。
と言いました。
 イワン神様の名を口にするかしないかに、小悪魔は 水に落した石のように、べたへ消えてしまいました。そして後には、一つだけ小さい穴が残りました。


        六

 こうして二人の兄たちのうちをたてて、べつべつのくらしを はじめました。そしてイワンは 秋のとり入れをすまし、ビールをつくると、おまつりをするから 一しょにいわってくれといって、兄たちをびました。兄たちは どうしても来ませんでした。
百姓のお祭なんて ちっとも面白おもしろくない。
と兄たちは言いました。
 そこでイワンは、百姓やおかみさんたちをんで、御馳走ごちそうを食べて っぱらうまでに飲みました。それからとおりへ出て、村の若者や娘たちがおどっている広場へやって行きました。そして踊りの仲間に入り、女たちに、
一つ私のために うたを唄ってくれ、そうすりゃ皆が 生まれてまだ見たこともないものをやる。
と言いました。
 女たちは大笑いして イワンをほめたたえる唄を 歌いました。そして唄がすむと、
さあ、約束のものをおくれ。
と言いました。
今すぐ持って来るよ。
イワンは言いました。そしてたねを入れるかごを持って 森へ走って行きました。女たちは大笑いしました。
あいつは馬鹿ばかだ。
と言いました。そして もう他のことを話しこんでいました。
 ところがまもなく、イワンは何か重いものを 籠いっぱいに入れて、帰って来ました。
これをやろうか。
ああ、おくれよ。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(14 / 38)
イワンは、金貨きんかを一つかみつかんで、女たちに まいてやりました。すると大へんなさわぎになって、女たちは おしあいへしあい、ころげまわってそれをひろいました。ぐるりの男まで拾おうとして、おし合い、引ったくりました。あるおばあさんは、人の下になって、つぶされそうになりました。イワンは大笑いしました。
おやおや、お前たちは馬鹿だなあ。
イワンは言いました。
何だって そうおばあさんを 押すんだ。静かにしろ、そしたらもっとやる。
と言いました。そして また まきました。人々は イワンのぐるりを取りまいて 拾いました。イワンは 持っているだけ 金貨を すっかりまいてやりました。人々は もっとまけと 言いました。それでイワンは言いました。
もう何もないよ。今度またまいてやる。さあ踊ろう。唄を歌っとくれ。
 女たちは歌い出しました。
お前たちの唄はだめだ。
イワンは言いました。
じゃ、これより上手じょうずがどこにいる。
と女たちは言いました。
すぐ見せてやる。
イワンは言いました。
 イワン納屋なやへ行って 麦束を取り出すと、をたたいて 地べたへ とん とたてました。そして、
さあ、やるぜ

麦束よ麦束よ
おれの家来けらいいつける
一本一本の麦藁から
兵隊一人ずつ飛び出して来い。

と言いました。
 すると藁束わらたばはバラバラに倒れて、数だけの兵隊になりました。太鼓たいこやラッパを 鳴らしはじめました。イワンは兵隊たちに、音楽をそうし【かなで】 うたを歌うように言いつけました。兵隊たちは音楽を奏し、唄を歌いました。イワンは兵隊に 村中をり歩かせました。村の人々はきもをつぶしてしまいました。
 やがてイワンは(だれにも来てはいけないといって)兵隊を麦打ち場へつれて行きました。そしてまたもとの藁束にかえて、納屋なやの中へ入れておきました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(15 / 38)
 それからイワンうちへ帰って、うまや【馬小屋】の中へころがってねてしまいました。


        七

 あくる朝、兵隊のシモンはそれを聞いて、イワンのところへ出かけました。
おい、お前はあの兵隊をどこからつれて来て、どこへつれて行ったんだ。
とたずねました。
それを聞いてどうするんだね。
イワンは言いました。
どうするってお前、兵隊さえありゃ 何でも出来るよ。国一つでも自分のものになる。
 イワンはびっくりしました。
ほう? じゃ何だって早くそう言わなかったのだね。私は いくらでも 好きなだけ こさえることが出来たのに。まあよかった。と わしとで たくさん麦を打っといて。
 イワンは兄を 納屋なやへつれて行って言いました。
だがいいかね、わしが兵隊をこさえたら お前さんはすぐつれて行かなきゃいけないよ。兵隊をこっちでやしなうことになると、一日で村中 食いつぶされてしまうからな。
 シモンは、その兵隊を みんなつれて行くことを 約束しました。そこでイワンは、こさえにかかりました。イワンが一束の麦藁を麦打場むぎうちばへほうり出すと、ぽんと一隊の兵隊が あらわれました。また一束ほうり出すと、別の一隊があらわれました。こうしてたくさん作ったので、畑中はたけじゅう 一ぱいになってしまいました。
もういいかね。
イワンは聞きました。
 シモンは大へん喜んで、
いいとも、いいとも。イワンまったくありがとう。
と言いました。
なあに。
イワンは言いました。
もっとるようなら、また来なさるがいい。今年は 麦藁むぎわらは たくさんあるし、いくらでもこさえてあげるから。
 兵隊のシモン早速さっそくその兵隊を指揮しきをして、隊伍たいご【兵士の組織された集団】をととのえると、いくさに出かけました。
 兵隊のシモンが出かけてまもなく、肥満ふとっちょタラスがやって来ました。タラス昨日きのうのことを聞いたのです。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(16 / 38)
タラスイワンに、こう言いました。
お前は どこから金貨を手に入れたのだね。資本もとでさえありゃ、おれは世界中のかねを みんな手に入れることが出来るんだがな。
 イワンは おどろきました。そして言いました。
そりゃ本当かね。なら、もっと早くわしに言ってくれればよかった。わしは お前さんの 好きなだけ こさえてあげることが出来たに。
 タラスは喜びました。
じゃ、手桶ておけに三ばいだけおくれ。
いいとも、いいとも。じゃ森の中へ来なさるがいい。いや、待ちなさい、いいことがある。馬をつれて行こう。とてもお前さんだけじゃ持って来られそうにもないからな。
 そこで二人は馬をつれて森へ行きました。イワンかしの葉をもんで、たくさん金貨をこさえました。
さあ、これでいいかね。
 タラスは すっかり喜びました。
さしあたって それだけありゃ たくさんだ。イワンよ、ありがとう。
タラスは言いました。
なあに また入るときには来なさるがいい。葉っぱはどっさり残っているからな。
イワンは言いました。
 タラスは馬車一台に金貨をつみ込んで、商売をしに出かけました。
 こうして二人の兄は 出て行きました。シモンいくさに、タラスは商売に。そして、シモン一国いっこくたいらげて自分のものにし、タラスは商売で、たくさんお金をもうけました。
 ところで 二人の兄弟はったとき、どうして兵隊を手に入れたか、どうして金を手に入れたかを話し合いました。兵隊のシモンタラスにこう言いました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(17 / 38)
おれは国一つをたいらげて 大へん立派な暮しをしている。がしかし、部下の兵隊に食わして行くだけの金がない。
 すると肥満ふとっちょタラスはこう言いました。
おれはまた金はどっさりもうけたが それをばんする【見張る】ものがない。」 すると 兵隊のシモンは言いました。
じゃ 二人でイワンのところへ行こうじゃないか。あれに言って おれはもっと兵隊をこさえさせて、それにお前のお金のばんをさせる。また お前は もっとあれに金をこさえさせてもらって それでおれの部下に食べさせればいい。
 そこで二人は、イワンのところへ行きました。そして兵隊のシモンは、イワンにこう言いました。
ねえイワン、おれのところには 兵隊がもっとたりない。もう二三ぶんこさえておくれ。
 イワンは頭をふりました。
いいや、わしはもう兵隊はこさえない。
イワンは言いました。
でもお前はこさえてやると約束したじゃないか。
約束したのは知っているが、わしはもうこさえない。
なぜこさえない、馬鹿!
お前さんの兵隊は 人殺しをした。わしがこの間 道傍みちばたの畑で仕事をしていたら、一人の女が 泣きながら棺桶かんおけを運んで行くのを見た。わしは だれが死んだかたずねてみた。するとその女は、シモンの兵隊が わしの主人を殺したのだと言った。わしは 兵隊はうたを歌って楽隊がくたいをやるとばかり考えていた。だのにあいつらは 人を殺した。もう一人だって こさえてはやらない。
 こう言って いつまでもがんばって、イワンは兵隊をこさえませんでした。
 肥満ふとっちょタラスも、もっとお金をこしらえてくれとイワンにたのみました。しかしイワンは頭をふって、
いいや、もうこさえない。
と言いました。
お前はこさえると約束したじゃないか。
そりゃした。だがもうこさえない。
なぜこさえない、馬鹿!
お前さんのお金が ミカエルの娘の牝牛めうしうばって行ったからだ。
どうして。
ただ持って行ってしまったんだ。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(18 / 38)
ミカエルの娘は牝牛を一匹もっていた。そのうちの子供たちは いつもそのちちを飲んでいた。ところがこの間 その子供たちがわしのうちへやって来て、乳をくれと言った。で、わしは『お前んとの牝牛はどうしたんだ』とたずねた。すると『肥満ふとっちょタラスうち支配人しはいにんがやって来て金貨を三枚出した。するとおっかあ牝牛めうしをその男にくれてしまったので、おれたちの飲むものがなくなった。』と言った。わしは あの金貨を持って 遊ぶんだとばかり考えていた。ところがお前さんは あの子供たちの牝牛をうばって行った。わしはもうお金をこさえてはやらない。」
 イワンはこう言って、もう金をこさえようとはしませんでした。それで兄たちは出て行きました。そして二人は 道々みちみちどうしたらいいか 相談しました。そのうちに兵隊のシモンがこう言いました。
じゃ、こうしようじゃないか。お前は おれにおれの兵隊をやしなうだけ 金をくれるんだ。するとおれは お前におれの国を半分と、お前の金をばんするのにたるだけの兵隊をやる。
 タラスはすぐ承知しょうちしました。そこで二人は 自分たちの持ち物を分けて二人とも王様になり、お金持になりました。


        八

 イワンうちにいて両親やしない、おし【口がきけない人】のを相手に ら仕事をしてくらしました。さて、あるときのこと、イワンうち飼犬かいいぬが、病気にかかって からだ中おできだらけになり、今にも死にそうになりました。イワンはそれをかわいそうに思って、からパンをもらって、それを帽子ぼうしに入れて持って行き、犬に投げてやりました。ところが、その帽子がやぶれていたので、れいの小悪魔からもらった小さな木の根が、一つ地べたに落ちました。としよった犬はパンと一しょに その根を食べていました。そしてそれをのみくだしたと思うと、急に、はねまわり、え、尾をふりはじめました。――つまり元通もとどおり元気になったのでした。
 親も母親もそれを見て すっかりおどろきました。
どうして犬をなおしたのだ。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(19 / 38)
と親たちはたずねました。
わしは どんな病気でもなおすことの出来る根っこを 二本持っていた。それを一つこの犬がのんだのだ。
イワンは答えました。
 ところが、ちょうどその頃、王様のお様が病気にかかりました。王様は町々村々へおふれを出して、をなおした者には 望み次第しだいのほうを与える、もし そのなおした者に およめさんがなかったら、をおよめさんにやると つたえさせました。このおふれはイワンの村にもまわって来ました。
 イワン親と母親は、イワンを呼んで言いました。
お前 王様のおふれを聞いたかね。お前の話と、どんな病気でもなおせる木の根っ子を 持っているそうだが、これから一つ出かけて なおしてあげないかな。そうすりゃお前、これから一生幸福しあわせに暮せるわけだがね。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。
 そこでイワンは、出かける仕度したくをしました。イワン両親は、イワンに一番いい着物きものを着せました。ところが イワン戸口とぐちを出るとすぐ、手萎てなえ【手や腕の自由がきかない】の乞食こじきばあさんに、出あいました。
人の話で聞いて来たが、お前様は 人の病気をなおしなさるそうだが、どうかこの手をなおしておくんなさい。わしゃ一人じゃくつもはけないからな。
とそのばあさんは言いました。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。そして、例の木の根っ子をくれてやって、それをのめと おばあさんに言いました。乞食こじきばあさんは、それをのんで、なおりました。手は わけなく動かすことが出来るようになりました。
 親と母親は、イワンについて 王様のところまで行くつもりで、やって来ましたが、イワンがその根っ子をやってしまって、お様をなおすのが 一本もなくなったと聞いて、イワンしかりました。
お前は乞食女こじきおんなをあわれんで、王様のお様を お気のどくとは思わないのだ。
と言いました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(20 / 38)
しかし、イワンは、王様のお様も やはり気の毒だと思っていました。それで、馬の仕度したくをすると、荷車にぐるまの中にわらをしいて その上にすわり、馬にひとむちくれて出かけようとしました。
どこへ行くんだ、馬鹿ばか」「王様のお様をなおしに。
だがお前は もう一本もなおせるものを もっていないじゃないか。
ううん、大丈夫。
イワンは言いました。そして馬を出しました。
 イワンは王様の御殿ごてんへ馬を走らせました。ところが、イワンがその御殿のしきいをまたぐかまたがないうちに、お様はなおりました。
 王様は大そう喜んで、イワンをおそば近く呼んで、大へん立派な衣しょうを着せました。
わしの婿むこになれ。
と王様はおっしゃいました。
いいとも、いいとも。
イワンは言いました。
 そこでイワンは、お様とこんれいしました。そのうち王様は まもなく おかくれになった【亡くなった】ので、イワンは王様になりました。こうして三人の兄弟は 一人のこらず王様になりました。


        九

 三人の兄弟は こうして、それぞれ王様になって国をおさめました。長男の兵隊のシモンは 大へんゆたかになりました。シモンは藁の兵隊で ほんとの兵隊を集めました。かれは国中にふれを出して、家 十軒じゅっけんごとに兵隊一人ずつ出させました。ところがその兵隊は みんな背が高くて、かおかたちの 立派なものでなくてはならないのでした。シモンは そんな兵隊をたくさん集めて、うまくならしておきました。そして もし自分にさからう者があると、すぐさまこの兵隊をさし向けて、思い通りにしまつをしたので、誰もがシモンこわがり出すようになりました。がしかし、シモンの暮しは 大へんゆかいなものでした。眼について 欲しいなと思ったものは 何でもシモン所有ものでした。シモンが兵隊をさし向けると、兵隊はシモンの欲しいものを 立ちどころに持って来ました。
 肥満ふとっちょタラスもまた ゆかいに暮していました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(21 / 38)
タラスイワンからもらった金を 少しもむだに使いませんでした。使わないばかりか、ますますそれをやしました。タラスは自分の国中に おきて や さだめ を作りました。金はみんな金庫へしまい、人民には税金をかけました。人頭税じんとうぜい【人数に応じて一律に課される税金】や、人や馬車には通行税、靴、靴下くつした税、衣しょう税などをかけました。それからなお、自分で欲しいと思ったものは、何でも手に入れました。金のためには 人民じんみんは何でも持って来るし、また どんな働きでもしました。――と言うのは、人民たち誰もかれもが 金がったからでした。
 イワンの馬鹿も やはり悪い暮しはしませんでした。亡くなった王様のおとむらいをすますとすぐ、王様の服をぬいで 箪笥たんすへしまわせました。そしてまた 元の粗末そまつな麻のシャツや股引ももひき【股から足首までを覆う下着や作業着の一種】、百姓靴ひゃくしょうぐつをつけて、百姓仕事にかえりました。
あれじゃ とてもやりきれない。退屈たいくつで、おまけにからだが ぶくぶくにふとって来るし、食物たべものはまずく、りゃからだがいたい。
イワンは言いました。そして両親おしをつれて来て 元のように働きはじめました。
あなたは 王様でいらせられます。
と人民の者が言いました。
そりゃ それにちがいない。だが王様だって 食わなけりゃならん。
イワンは言いました。
 そこへ大臣だいじんの一人がやって来て言いました。
金がないので 役人たちに払うことが出来ません。
いいとも、いいとも。なけりゃ払わんでいい。
イワンは言いました。
でも払わないと、役についてくれません。
いいとも、いいとも。役につかないがいい。そうすりゃ、働く時間がたくさんになる。役人たちに肥料こやしを運ばせるがいい。それにごみは たくさんたまっている。
 そこへ人民たちが、裁判さいばんしてもらいにやって来ました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(22 / 38)
そして中の一人が、言いました。
こいつが 私の金をぬすみました。
 するとイワンは言いました。
いいとも、いいとも。そりゃ この男に金がったからじゃ。」 そこで人民たちは イワン馬鹿ばかだと言うことに 気がつきました。そこでイワンにこう言いました。
人民どもは みなあなたのことを馬鹿だと申しております。
 するとイワンは言いました。
いいとも、いいとも。
 は それでいろいろ考えてみました。しかしもやはり馬鹿でした。
夫にさからっては いいものかしら、はりの行くところへは糸もしたがって行くんだもの。
と思いました。
 そこでは 着ていたの服をぬいで 箪笥たんすにしまい、唖娘おしむすめのところへ行って 百姓仕事を教わりました。そして ぼつぼつ仕事をおぼえると、夫の手だすけをしはじめました。
 そこでかしこい人は みんなイワンの国から出て行き、馬鹿ばかり残りました。
 だれも金を持っていませんでした。みんなたっしゃで働きました。お互いに働いて食べ、また他の人をもやしないました。


        一〇

 年よった悪魔は、三人の兄弟を取っちめたと言うたよりが 来るか来るかと待っていました。が待っても待っても来ませんでした。そこで自分で出かけて行って、調しらべはじめました。かれは さんざん さがしまわりました。ところが三人の小悪魔にはあえないで、三つの小さな穴を見つけただけでした。
てっきり【きっと】 やりしくじった【うまく行かなかった】にちがいない。そうとすりゃ おれがやりゃよかった。
 そこで 三人の兄弟を さがしに出かけましたが、かれらは元のところには住んでいないで、めいめい ちがった国にいるのがわかりました。三人が三人とも、いい身分になって、立派に国を治めていました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(23 / 38)
それが、年よった悪魔をひどくこまらせました。
ようし。じゃ おれの腕でやらなくちゃなるまい。
と年よった悪魔は言いました。
 年よった悪魔は、まず一番にシモン王のところへ、出かけました。しかし自分のほんとの姿ではなく、将軍しょうぐんの姿にばけて、シモン御殿ごてんへ のり込みました。
シモン王様。
と年寄りの悪魔は言いました。
かねて おいさましい御名前おなまえは よくうけたまわっております。つきまして、わたくしも兵のことについては いろいろと心得こころえております。ぜひ あなたに御奉公ごほうこう申し上げたいと存じます。
と言いました。
 シモン王は、いろいろたずねてみました。そして、かれが役にたつことがわかったので、そば近く置いて 使うことにしました。
 この新しい司令官しれいかんは、シモン王に 強い軍隊の作りかたを教えはじめました。
まず第一に もっと兵隊を集めましょう。国には まだうんと遊んでいるものがおります。若い者は一人残らず兵隊にしなくちゃいけません。すると 今の五倍だけの兵隊を 得ることになります。次には 新しいじゅう大砲たいほうを 手に入れなくちゃなりません。わたくし一時いっときに五百発の弾丸たまを打ち出す銃を お目にかけることにいたしましょう。それは 弾丸たまが豆のように飛び出します。さて それから大砲も備えましょう。この大砲は あたれば人でも馬でも城でも焼いてしまいます。何でもみんな燃えてしまう大砲です。
 シモン王はこの新しい司令官の言うことに耳をかたむけて、国中の若者 残らずを兵隊にしてしまい、また新式の銃や大砲をつくるために、新しくたくさんの工場をたてて、それらのものを こさえさせました。やがて、シモン王は、となりの国の王にいくさをしかけました。そして敵の軍隊に出あうやいなや、シモン王は兵隊たちに命令して 新しい銃や大砲を 雨霰あめあられのように打ちかけて、またたく間に 敵の軍隊の半分を 打ち倒してしまいました。そこで隣の国の王はふるえ上って降参こうさんし、その領地のすべてを 引きわたしました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(24 / 38)
シモン王は大喜びでした。
今度は印度王を うちたいらげてやろう。
シモン王は言いました。
 ところが印度王シモン王のことを聞いて、すっかりその考えを まねてしまいました。そしてそればかりでなく、自分の方でいろいろと工夫しました。印度王の兵隊は、若い者ばかりでなく、よめ入前いりまえの娘まで加えて、シモン王の兵隊よりも ずっとたくさんの兵隊を集めました。その上シモン王の銃や大砲とそっくり、同じものを作り、なお空を飛んで爆弾ばくだんを投げおろす方法まで考えつきました。
 シモン王は、隣の国の王を打ち負かしたと同じように 印度王を負かしてやろうと考えて、いよいよ戦をはじめました。けれども、そんなに切れ味のよかったかまも、今では すっかり刃が かけてしまっていました。印度王シモンの兵隊が 弾丸たまのあたる場所まで行かないうちに、娘たちを空へ出して 爆弾を投げ下させました。娘たちは、まるで油虫あぶらむしに砂でもまくように、シモンの兵隊の上に、爆弾を投げ下しました。そこで、シモン王の兵隊は逃げ出し、シモン王一人だけ、とり残されてしまいました。印度王シモンの領地を取り上げてしまい、兵隊のシモンは命からがら逃げ出しました。
 さて、年よった悪魔は こちらを片づけたので 今度はタラス王の方へ向いました。かれは商人けて タラスの国に足をとめ、店を出して、金を使いはじめました。かれは 何を買っても 大へん高くお金を払うので、誰もかも お金欲しさに、どしどし この新しい商人のところへ 集まって来ました。そこで 大したお金が人々のふところに入って、人民たちは とどこおりなく税金を払うことが出来ました。
タラス王は ほくほくもので喜びました。
今度来たあの商人は 気に入った。これでおれは よりたくさんの金を 残すことが出来た。したがって おれの暮しは ますますゆかいになるというものだ。
タラス王は思いました。
 そこでタラス王は、新しい御殿ごてんを たてることにしました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(25 / 38)
かれは掲示けいじを出して、材木や石材などを買入れることから、人夫にんぷを使うことをふれさせ、何によらず 高いを払うことにしました。タラス王は こうしておけば、今までのように 人民たちが先を争って来るだろう、と考えていました。ところが、驚いたことには、材木も石材も人夫も すっかり れいの商人のところへ取られてしまいました。タラス王はを引き上げました。すると商人は、それよりもずっと上につけました。タラス王は たくさんの金がありましたが、れいの商人は もっとたくさん持っています。で、商人は 何から何までタラス王の上に出ました。
 タラス王の御殿ごてんはそのままで、普請ふしん【建設工事】は ちっともはかどりませんでした。
 タラス王は 庭をこさえようと考えました。秋になったので、その庭へ木を植えさせるつもりで、人民たちを呼びましたが、誰一人だれひとりやって来ませんでした。みんな、れいの商人うちの池をりに 行っていました。冬が来て、タラス王は、新しい外套がいとうにつける 黒貂くろてん【黒いテン】の皮が欲しくなったので、使つかいの者に買わせにやりました。すると 使のものは帰って来て、言いました。
黒貂くろてんの皮は 一枚もございません。あの商人が すっかり高価たかねで買いしめてしまって、敷物しきものを こさえてしまいました。
 タラス王は 今度は馬を買おうと思って、使をやりました。すると使の者が帰って来て言いました。
あの商人が、残らず買ってしまいました。池に満たす水を運ばすためでございます。
 タラス王のすることは、何もかも、すっかり止まってしまいました。人民たちは 誰一人 タラス王の仕事をしようとはしませんでした。毎日せっせと働いて、例の商人からもらった金を、王のところへ持って来て おさめるだけでした。こうして、タラス王は しまい切れないほどの金を集めることは出来ましたが、その暮しといったら、それはみじめになりました。王は もういろんなくわだてをやめて、ただ生きて行けるだけで がまんするようになりましたが、やがてそれも 出来なくなりました。すべてに不自由しました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(26 / 38)
料理人も、御者ぎょしゃも、召使も、家来けらいも、一人々々ひとりひとり王を置き去りにして、れいの商人のところへ 行ってしまいました。まもなく 食物たべものにも さしつかえるようになりました。市場いちばへ人をやってみると、何も買うものがありませんでした。――つまり例の商人が 何もかも買いめてしまって、人民たちは ただ税金だけ 王のところへおさめに来るだけでした。
 タラス王は 大へん腹を立てて、例の商人を 国より外へ追い出してしまいました。ところが商人は、国ざかいのすぐ近くへ住まって、やはり前と同じようにやっています。人民たちは 金欲しさに 王をのけ者にしてしまって、何でもすべて 商人のところへ持って行ってしまいました。
 タラスは いよいよ困ってしまいました。何日もの間、食べるものがありませんでした。そしてうわさに聞くと、例の商人は 今度はタラス王を買うと言って、いばっていると言うことでした。タラス王は すっかりきもをつぶして、どうしていいか わからなくなってしまいました。
 ちょうどこの時 兵隊のシモンがやって来て、
助けてくれ、印度王にすっかりやられてしまった。
と言いました。
 しかし、タラス王自身も 動きのとれないくらい 苦しい立場になっていましたので、
おれも もう二日間というもの 何一つ食べるものがないのだ。
と言いました。


        一一

 二人の兄たちを 取っちめてしまった 年よった悪魔は、今度は イワンの方に向いました。かれは将軍しょうぐんの姿にけて、イワンのところへ行って、軍隊をこさえなければいけない と すすめました。
軍隊がなくては王様らしくありません。一つ私に命令して下されば 私は人民たちから兵隊を集めて、こさえて御覧ごらんに入れます。
と言いました。
 イワンは かれのいうことを じっと聞いていましたが、
いいとも、いいとも。じゃ一つ軍隊をこさえて うたを上手に歌えるように しこんでくれ。私は 兵隊が歌うのを聞くのは好きだ。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(27 / 38)
と言いました。
 そこで年よった悪魔は、イワンの国中をめぐって 兵隊を集めにかかりました。かれは人々に、軍隊に入れば酒は飲めるし、赤いきれいな帽子ぼうしを一つもらえる、と話しました。
 人々は笑って
酒は おれたちでつくるんで どっさりある。それに帽子は すじの入ったふさつきのでも 女たちがこさえてくれる。
と言いました。
 そして誰一人 兵隊になるものがありませんでした。
 年よった悪魔イワンのところへ帰って来て、言いました。
どうも馬鹿共ばかどもは、自分で進んでやろうとはしません。あれじゃ いやでもはいらせなくちゃ なりませんでしょう。
いいとも、いいとも。やってみるがいい。
イワンは言いました。
 そこで年よった悪魔は、人民たちは すべて兵隊に入らなくてはならない。これをこばむものは イワン王が死刑にしてしまわれるだろう、というおふれを出しました。
 人民たちは 将軍のところへやって来て、言いました。
兵隊にならなければ イワン王が死刑にしてしまうと言っているが、兵隊になったら どんなことをするのか まだ話を聞かせてもらわない。兵隊は殺されると聞いているがほんとかい。
うん、そりゃ時には殺される。
 これを聞いて 人民たちはどうしても きかなくなりました。
じゃ、兵隊に行かないことにしよう。それよっかうちで死んだ方がましだ。どうせ人間は死ぬもんだからな。
と人民たちは言いました。
馬鹿!お前たちは まったく馬鹿だ!兵隊に行きゃ 必ず殺されるときまってやしない。だが行かなきゃ イワン王に殺されてしまうんだぞ。
 人民たちは まったく途方とほうにくれてしまいました。そしてイワンの馬鹿のところへ 相談に行きました。
将軍さまが、わしらに兵隊になれとおっしゃる。兵隊になりゃ 殺されることがある。しかし ならなきゃ、イワン王が わしらをみんな殺される、と言う話ですが ほんとですか。
 イワンは大笑いして言いました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(28 / 38)
さあ、わしにもわからん。わし一人で お前さん方を みんな殺すことは出来ないしな。わしが馬鹿でなかったら、そのわけを話すことも出来るが、馬鹿なんで さっぱりわからんのじゃ。」「それじゃ わしらは兵隊にゃなりません。
と人民たちはいいました。
いいとも、いいとも。ならんでいい。
イワンは答えました。
 そこで人民たちは、将軍のところへ行って、兵隊になることを ことわりました。年よった悪魔は このくわだての駄目だめなことを 見て取りました。そこで イワンの国を出て、タラカン王のところへ行って言いました。
イワン王といくさをして あの国を取ってしまってはいかがでしょう。あの国には 金はちっともありませんが、穀物こくもつでも牛馬うしうまでも、その他 何でもどっさりあります。
 そこでタラカン王は 戦のしたくに取りかかり、大へんな軍隊を集めて、銃や大砲を よういすると、イワンの国へおしよせました。
 人民たちは、イワンのところへかけつけてこう言いました。
タラカン王が 大軍をつれて攻めよせて来ました。
あ、いいとも、いいとも。来さしてやれ。
イワンは言いました。
 タラカン王は、国ざかいをえると、すぐ斥候せっこう【偵察兵】を出して、イワンの軍隊のようすを さぐらせました。ところが、おどろいたことに さぐってもさぐっても 軍隊のかげさえも見えません。今にどこからかあらわれて来るだろうと、待ちに待っていましたが、やはり軍隊らしいものは出て来ません。また、だれ一人 タラカン王の軍隊を相手にして 戦するものもありませんでした。そこでタラカン王は、村々を占領せんりょうするために 兵隊をつかわしました。兵隊たちが村に入ると、村の者たちは男も女も、びっくりしてうちを飛び出し、ものめずらしそうに見ています。兵隊たちが 穀物こくもつや牛馬などを取りにかかると、るだけ取らせて、ちっとも抵抗てむかいしませんでした。次の村へ行くと、やはり同じことが起りました。そうして兵隊たちは一日二日と進みましたが、どの村へ行っても同じ有様ありさまでした。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(29 / 38)
人民たちは 何でもかでも 兵隊たちの欲しいものは みんな持たせてやって、ちっとも抵抗てむかいしないばかりか、攻めに来た兵隊たちを引きとめて、一しょに暮そうとするのでした。
かわいそうな人たちだな。お前さんたちの国で暮しが出来なけりゃ、どうしておれたちの国へ 来なさらないんだ。」と村の者たちは言うのでした。
 兵隊たちは どんどん進みました。けれども どこまで行っても軍隊には あいませんでした。ただ働いて食べ、また人をも食べさせてやって、面白く暮していて、抵抗てむかいどころか、かえって兵隊たちに この村に来て一しょに暮せという者ばかりでした。
 兵隊たちは がっかりしてしまいました。そして、タラカン王のところへ行って言いました。
この国では 戦が出来ません。どこか他の国へ つれて行って下さい。戦はしますが こりゃ一たい何ごとです。まるで豆のスープを切るようなものです。私たちは もうこの国で戦をするのは まっぴらです。
 タラカン王は、かんかんに怒りました。そして兵隊たちに、国中を荒しまわって、村をこわし、穀物や家を焼き、牛馬をみんな殺してしまえと命令しました。そして、
もしも この命令にしたがわない者は 残らず死刑にしてしまうぞ。
と言いました。
 兵隊たちはふるえ上って、王の命令通りに しはじめました。かれらは、家や穀物などを焼き、牛馬などを殺しはじめました。しかし、それでも馬鹿たちは抵抗てむかわないで、ただ泣くだけでした。おじいさんが泣き、おばあさんが泣き、若い者たちも泣くのでした。
何だってお前さん方あ、わしらを痛めなさるだあ、何だって役に立つものを駄目だめにしなさるだあ。欲しけりゃ なぜそれを持って行きなさらねえ。
と人民たちは言うのでした。
 兵隊たちは とうとうがまんが出来なくなりました。この上 進むことが出来なくなりました。それで、もういうことをきかず、思い思いに逃げ出して行ってしまいました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(30 / 38)
        一二

 年よった悪魔は この手段をほかありませんでした。兵隊を使ったんじゃ、とてもイワンを取っちめることは出来ませんでした。そこで今度は姿を>かえて、立派な紳士けて、イワンの国に住みこみました。かれは肥満ふとっちょタラスをやっつけたように、金の力で イワンをやっつけてやろうと考えたのです。「一つ私は あなた様に いいことをしたいと思います。よい知恵ちえを おかししたいと存じます。で、まず お国に家を一軒いっけんたてて、商売をはじめましょう。
と年よった悪魔は言いました。
いいとも、いいとも。気に入ったら この国へ来てくらしてくれ。
イワンは言いました。
 くる朝 この立派な紳士は、金貨の入った大きなふくろと 一枚の紙片かみきれを持って 広小路ひろこうじ【幅の広い道路】へ出て、こう演説えんぜつしました。
お前たちは まるでぶたのような生活をしている。私は お前たちに もっといい暮し方を教えてやる。お前たちは この図面ずめんを見て 一つ家をこさえてくれ。お前たちは ただ働けばよろしい。そのやり方は私が教え、おれいは金貨で払ってやる。
 そう言って かれは金貨をみんなに見せました。馬鹿ばかな人民たちは びっくりしました。かれらの間には、これまでかねと言うものがありませんでした。かれらは 品物と品物を取かえ合ったり、仕事は仕事で かんじょうし合っていたのでした。そこでみんなは、金貨を見ておどろきました。
まあ、何て重宝ちょうほう【便利】なもんだろう。
と言いました。
 それで、かれらは品物をやったり仕事をしたりして、紳士しんしの金貨と 取っかえはじめました。年よった悪魔は、タラスの国でやったと同じように、金貨をどしどし使い、人民たちは何でもかでも、また どんな仕事でも 金貨と取っかえるために やってのけました。
 年よった悪魔は ほくほくもので喜びました。そして、
今度はなかなかはこびがいい。これじゃ あの馬鹿も そのうちにタラス同様、身体からだからたましいまで おれのものにしてしまえるぞ。
とひとりで考えました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(31 / 38)
 しかし馬鹿どもは、金貨を手に入れるとすぐ、それを女たちにやって 首飾くびかざりにしてしまいました。娘たちは それを おさげの中につけてかざりました。そして後には子供たちが、往来おうらいのまん中で、玩具おもちゃにして 遊びはじめました。誰もかも 金貨をたくさんもらって持っていました。そこで もう貰おうとするものは なくなりました。けれども 立派な紳士の家は、半分も出来てはいないし、その年入用いりよう穀物こくもつや牛などの用意も 出来ていませんでした。そこで働きに来てもらいたいことだの、穀物や牛などを買いたいことだのを知らせて、もっとたくさんの金貨をやることにしました。
 しかし、働く人も、品物を持って来る人も ありませんでした。時たま男の子や女の子たちが走って来て、卵と金貨を取っかえてもらうくらいでした。他には誰も来なかったので、紳士は食物たべもの一つありませんでした。そこで れいの紳士は、空腹すきはらかかえて 何か食べるものを買おうと村へ行って、あるうちに入りました。そして、鳥を一羽いちわ売ってもらおうと思って 金貨を一枚出しましたが、そこのおかみさんは、どうしてもそれを受取りませんでした。
私ゃ たくさん持っています。
と言いました。
 今度はにしんを買おうと思って、寡婦ごけさんのところへ行って金貨を出すと、
もうたくさんです。
と言いました、。
私のうちにゃ それを持って遊ぶような子供はいないし、それに いいもんだと思って もう三枚もしまってありますからな。
と言ってことわりました。
 かれは今度は百姓家ひゃくしょうやへ行って、パンと取っかえようとしました。けれども やはり受取ろうとはしません。
そりゃいらない。だが、お前さんが『キリスト様の御名みなによって』とおっしゃるなら、ちょっと待ちなされ、家内かないに話して一片ひときれもらって上げましょうから。
と言いました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(32 / 38)
(『キリスト様の御名みなによって』という言葉は露西亜ろしや乞食こじき巡礼じゅうれい【聖地を訪れる人】たちが、物を下さい と 言う前に必ず言う言葉で、『御生ごしょうですから』とか、『どうかお願いですから』といった意味の言葉です。)
 それを聞くと 悪魔つばいて 逃げ出しました。キリストの名をとなえたり聞いたりすることは、小刀ナイフたおされるよりも 痛くこたえるからでした。
 こうして とうとうパンも手に入れることが 出来ませんでした。誰もかも 金貨を持っていたので、年よった悪魔は どこへ行っても、金で 何一つ買うことは 出来ませんでした。みんなたれ【誰】もが、
何かほかの品物を持って来るか、でなけりゃ ここへ来て働くか、または キリスト様の御名みなによって いるものをもらうがいい。
と言います。
 しかし、年よった悪魔は、金より他には何一つ持っていませんでした。働くことは かれ大へんきらいなことだし、『キリスト様の御名によって』物を貰うことなど かれには どうしたって出来ないことでした。年よった悪魔は ひどく腹をたててしまいました。
おれが金をやると言うのに、それより他の何が欲しいと言うんだ。金さえありゃ 何だって買えるし、どんな人夫にんぷだってやとえるんだ。
悪魔は言いました。しかし、馬鹿ばかたちは それに耳をかそうとはしませんでした。
いいや、わしらには金はらない。わしらにゃ別に払いがあるわけじゃなし、税金も要らないから、貰ったところで使い道がないからな。
と言うのでした。
 年よった悪魔はひもじい腹をかかえて、ゴロリと横になりました。
 すると、このことが、イワンの耳に入りました。人民たちは、イワンのところへ来て、こうたずねました。
どうしたもんでしょう、立派な紳士が倒れています。あの人は、食い飲みもするし 着飾きかざることもすきだが、働くことがきらいで、『キリスト様の御名みなによって』物をもらうことをしません。ただ誰にでも金貨をくれます。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(33 / 38)
世間せけんじゃ はじめのうちは あの人の欲しがるものをくれてやったが、金貨がたくさんになったので、今じゃ 誰もあの人に くれてやるものがありません。どうしたもんでしょう、あのままじゃ え死んでしまいます。」
 イワンはじっと聞いていました。そして、
いいとも、いいとも。そりゃ、みんなでやしなってやるがいい。牧羊者ひつじかいのように 一軒一軒いっけんいっけんかわり番こに養ってやるがいい。」 これよりほか仕方しかたがありませんでした。年よった悪魔は、かわり番こに家々をまわって 食事をさせてもらうようになりました。
 そのうちに番が来て、イワンうちへ行くことになったので 年よった悪魔御馳走ごちそうになりに やって来ました。すると、れいのおしが食事の仕度したくをしているところでした。
 唖娘おしむすめは今までに、たびたびなまけ者に だまされていました。そんな者に限って、ろくすっぽ受持うけもちの仕事はしないで、誰よりも食事に早くやって来て、おまけに人の分までたいらげてしまうのでした。そこでは手を見て、なまけ者を見分けることにしました。ごつごつしたかたい手の人は すぐテイブル【テーブル】につかせましたが、そうでない人は、食べ残しのものしか くれてやりませんでした。
 年よった悪魔は テイブルにつきました。すると唖娘は、早速さっそくその手をとらえて、調べにかかりました。ところが手には ちっとも硬いところがありません。すべすべしていて、つめが長くびていました。唖娘うなりながら、悪魔を テイブルから引きはなしました。するとイワンおよめさんが 言いました。
悪く思わないで下さい。あれは ごつごつした手を持った人でないと、テイブルにはつかせないんです。でもちょっとお待ちなさい。みんなが食べてしまったら、後でその残りをあげますから。
 年よった悪魔は ひどく気を悪くしてしまいました。王様のうちで 自分を豚同様にあつかっているのです。かれは イワンに言いました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(34 / 38)
誰もかも 手を使って働かなきゃならないなんて、お前の国でも もっとも馬鹿気ばかげ律法おきてだ。こんなことを考えるのも 言わばお前が馬鹿だからだ。かしこい人は なにで働くか知っているか?
 するとイワンは言いました。
わしらのような馬鹿に どうしてそんなことがわかるもんか。わしらは 大抵たいていの仕事は 手や背中を使ってやるんだ。
だから馬鹿と言うんだ。ところがおれは 頭で働く方法を一つ教えてやろう。そうすりゃ 手で働くより頭を使った方が どんなにとくだかわかるだろう。
 イワンはびっくりしました。そして、
そうだとすりゃ、なるほど 私らを馬鹿だと言うのももっともだ。
と言いました。
 そこで年よった悪魔は言葉をつづけて、
しかし ただ頭で働くのはようい【簡単】じゃない。おれの手に硬いところがないと言って お前たちはおれに食物たべものをあてがわないが、頭で働くことは それよりも百倍もむずかしいと言うことを ちっとも知らない。時としちゃ、全く頭がさけてしまうこともある。
 イワンは深く考え込みました。
ほう? じゃ、お前さん、お前さん自分自身で どうしてそんなに自分を苦めているんだね。頭が悪い時ゃ、気持はよくないだろうしね。それよりゃ手や背中を使って もっとらくな仕事したらよさそうなもんだがね。
 しかし悪魔は言いました。
おれがそんなことをするのも、みんなお前たち馬鹿どもが かわいそうだからだ。もしおれがそうしないと、お前たちゃ いつまでたっても馬鹿だ。だが、おれは頭で仕事をしたおかげで、お前たちに それを教えてやることが出来るんだ。
 イワンはびっくりしました。
じゃ、わしらを教えてくれ。わしらの手がえ【弱って】しびれた時に、そのかわりに 頭で仕事をするようにね。
イワンは言いました。
 悪魔は 人民たちに教えることを 約束しました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(35 / 38)
そこでイワンは、あらゆる人たちに 頭で働くことを教えることの出来る 立派な先生が来たこと、その先生は 手よりも頭でやる方が ずっと仕事が出来ること、人民たちは 残らずこの立派な先生に教わりに来て よくならわなければならないことだのを、ふれさせました。
 イワンの国には 一つの高いとうがありました。その塔には、てっぺんにまで登ることの出来る階段が ついていました。イワンは すべての人民たちが 顔をよく見ることが出来るように、その立派な紳士を 塔の上へ つれて行きました。
 そこで、れいの紳士は、塔のてっペンに立って 演説えんぜつをしはじめ、人民たちは かれを見ようとして 集まりました。人民たちは この紳士が 手を使わないで 頭で働く方法を見せてくれるものと 思っていました。しかし、かれは どうしたら働かないで 生活くらしを立てて行けるかということを、くりかえしくりかえし 話しただけでした。人民たちは何が何だか、ちっともわかりませんでした。人民たちは紳士を見、考え、また見ましたが、とうとうおしまいには めいめいの仕事をするために 立ち去りました。
 年よった悪魔は 塔のてっペンに一日中いちにちじゅう立っていました。それから二日目も やはり たてつづけにしゃべりました。しかし あまり長くそこに立っていたために すっかりお腹をすかしてしまいました。しかし、たれもが塔の上へ 食物たべものを持って行くことなど 考えもしませんでした。手で働くよりも もっとよく頭で働くことが出来るとしたら パンのよういくらいは もちろんのことだと思ったからでした。
 その次の日も、年よった悪魔は 塔のてっペンに立ってしゃべりました。人民たちは集まって来て、ちょっとの間 立って見ていましたが、すぐ去って行きました。
 イワンは人民たちに聞きました。
どうだな。少しゃ頭で仕事をしはじめたかな。
 すると人民たちは言いました。
いいや、まだはじめません。先生あいかわらず しゃべりつづけています。
 年よった悪魔は また次の日も一日塔の上に立っていましたが、そろそろ弱って来て、前へつんのめったかと思うと、あかり取りの窓のそばの、一本の柱へ頭を打っつけました。それを人民の一人が見つけて、イワンおよめさんに知らせました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(36 / 38)
するとイワンおよめさんは、野良のらに出ているイワンのところへ、かけつけました。
来てごらんなさい。あの紳士が 頭で仕事をやりはじめたそうですから。
イワンおよめさんは言いました。
ほう? そりゃほんとかな。
イワンは言って、馬を向け直して、塔へ行きました。ところがイワンが塔へ行きつくまでに、年よった悪魔は お腹が空いたので すっかり元気はなくなり、ひょろひょろしながら、頭を柱に打ちつけていました。そしてイワンが塔へちょうどついた時、年よった悪魔はつまずいてころぶと、ごろごろと階段かいだんをころんで、その一つ一つに頭をゴツンゴツンと打ちつけながら、地べたへ落ちて来ました。「ほう? やっぱりほんとだったな、人間の頭がさけると言ったのは。でも、こりゃ水腫みずぶくれどころじゃない。こんな仕事じゃ、頭はコブだらけになってしまうだろう。
イワンは言いました。
 年よった悪魔は 階段の一ばん下のところで 一つとんぼがえりをして、そのまま地べたへ頭を突っ込みました。イワンは かれがどのくらい仕事をしたか 見に行こうとしました。――その時 急に地面がぱっとわれて 紳士は中へ落っこっちてしまいました。そしてそのあとには ただ一つの穴が残りました。
 イワンは頭をかきました。
まあ 何ていやな奴だろう。また悪魔だ。大きなことばかり言ってやがって、きっとあいつらの親爺おやじに違いない。
イワンは言いました。
 イワンは 今でもまだ生きています。人々はその国へ たくさん集まって来ます。かれの二人の兄たちも 養ってもらうつもりで、かれのところへ やって来ました。イワンはそれらのものを 養ってやりました。
どうか食物たべものを下さい。
と言って来る人には、誰にでもイワンは、
いいとも、いいとも。一しょに暮すがいい。わしらにゃ何でもどっさりある。
と言いました。
 ただイワンの国には 一つ特別な ならわしがありました。
[] トルストイ-イワンの馬鹿(37 / 38)
それは どんな人でも手のゴツゴツした人は 食事のテイブルへつけるが、そうでない人は どんな人でも 他の人の食べ残りを食べなければならないことです。



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底本:「小学生全集第十七巻 外国文芸童話集上巻」興文社、文芸春秋社
   1928(昭和3)年12月25日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。「一層→いっそう か知ら→かしら 位→くらい 毎→ごと 此の→この 凡て→すべて 大分→だいぶ 一寸→ちょっと て置→てお て見→てみ て貰→てもら 何処→どこ どの道→どのみち 中々→なかなか 殆ど→ほとんど 先づ→まず 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 若し→もし や否や→やいなや 私→わし」
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年5月18日作成
2005年12月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
大変ありがとうございました。感謝致します。(シン文庫追記)
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