もう何年前になるか思い出せぬが 日は覚えている。暮れもおし詰まった二十六日の晩、
妻は
下女を連れて
下谷摩利支天【上野にある仏教寺院】の縁日へ出かけた。十時過ぎに帰って来て、
袂からおみやげの
金鍔と焼き
栗を出して
余のノートを読んでいる机のすみへそっとのせて、便所へはいったが やがて出て来て青い顔をして机のそばへすわると同時に 急に
咳をして血を吐いた。驚いたのは当人ばかりではない、その時
余の顔に全く血のけがなくなったのを見て、いっそう気を落としたとこれはあとで話した。
あくる日
下女が薬取りから帰ると 急に暇をくれと言い出した。このへんは物騒で、お使いに出ると きっといやないたずらをされますので、どうも恐ろしくて 不気味で勤まりませぬと妙な事を言う。しかし見るとおりの病人をかかえて今 急におまえに帰られては途方にくれる。せめて代わりの人のあるまで辛抱してくれと、よしや【たとえ】まだ一介の書生にしろ、とにかく一家の主人が泣かぬばかりに頼んだので、その日はどうやら思い止まったらしかったが、翌日は国元の親が大病とかいうわけで とうとう帰ってしまう。掛け取り【代金を回収】に来た車屋【人力車業者:町の情報通】のばあさんに頼んで、なんでもよいからと
桂庵から連れて来てもらったのが
美代という女であった。仕合わせと これが気立てのやさしい正直もので、もっとも少しぼんやりしていて、たぬきは人に化けるものだというような事を信じていたが、とにかく忠実に病人の看護もし、しかられても腹も立てず、そして時にしくじりもやった。
手水鉢を座敷のまん中で取り落として
洪水を起こしたり、
火燵のお下がり【あんか】を入れて寝て
蒲団から畳まで径一尺ほどの焼け穴をこしらえた事もあった。それにもかかわらず
余は今に至るまでこの
美代に対する感謝の念は薄らがぬ。
病人の容体はよいとも悪いともつかぬうちに 年は容捨なく暮れてしまう。新年を迎える用意もしなければならぬが、何を買ってどうするものやらわからぬ。それでも
美代が病人のさしずを聞いて それに自分の意見を交ぜて一日忙しそうに働いていた。
大晦日の夜の十二時過ぎ、障子のあんまりひどく破れているのに気がついて、
外套の
頭巾をひっかぶり、
皿一枚をさげて
森川町へ 五厘【約50円】の
糊を買いに行ったりした。
美代はこの夜三時過ぎまで結びごんにゃくをこしらえていた。
世間は めでたいお正月になって、暖かい天気が続く。
病人も少しずつよくなる。風のない日は縁側の
日向へ出て来て、紙の折り
鶴をいくつとなく こしらえてみたり、秘蔵の人形の着物を縫うてやったり、曇った寒い日は床の中で「
黒髪」をひく くらいになった。そして時々心細い愚痴っぽい事を言っては
余と
美代を困らせる。
妻はそのころもう身重になっていたので、この五月には
初産という 女の大難をひかえている。おまけに十九の
大厄だと言う。
美代が宿入り【この家に来た日】の夜など、木枯らしの音にまじる 隣室のさびしい寝息を聞きながら 机の前にすわって、ランプを見つめたまま、長い息をすることもあった。
妻は医者の間に合いの 気休めをすっかり信じて、全く一時的な気管の出血であったと思っていたらしい。そうでないと信じたくなかったのであろう。それでも どこにか不安な念が潜んでいると見えて、時々「
ほんとうの肺病だって、なおらないときまった事はないのでしょうね」と こんな事をきいた事もある。またある時は「
あなた、かくしているでしょう、きっとそうだ、あなたそうでしょう」とうるさく聞きながら、
余の顔色を読もうとする、その祈るような 気づかわしげな目づかいを見るのが苦しいから「
ばかな、そんな事は ないと言ったら ない」と
邪慳な返事で打ち消してやる。それでも一時は満足する事ができたようであった。
病気は少しずつよい。二月の初めには
風呂にも入る、髪も結うようになった。車屋のばあさんなどは「
もうスッカリ御全快だそうで」と、ひとりで きめてしまって、そっとふところから勘定書きを出して「
どうもたいへんに、お早く御全快で」と言う。医者の所へ行って聞くと、よいとも悪いとも言わず、「
なにしろ ちょうど御姙娠中ですからね、この五月が よほどお大事ですよ」と心細い事を言う。
それにもかかわらず 少しずつよい。月の十何日【中旬ごろ】、風のない暖かい日、医者の許可を得たから植物園へ連れて行ってやると言うと たいへんに喜んだ。出かけるとなって庭へおりると、髪があんまりひどいから ちょっとなでつけるまで 待ってちょうだいと言う。ふところ手をして縁へ腰かけて さびしい小庭を見回す。
去年の枯れ菊が引かれたままで、あわれに朽ちている、それに千代紙の切れか何かが引っ掛かって風のないのに、寒そうにふるえている。
手水鉢の向かいの梅の枝に 二輪ばかり満開したのがある。近づいてよく見ると 作り花がくっつけてあった。おおかた病人のいたずららしい。茶の間の障子のガラス越しにのぞいて見ると、
妻は鏡台の前へすわって解かした髪を握ってぱらりと下げ、
櫛をつかっている。ちょっとなでつけるのかと思ったら 自分で新たに巻き直すと見える。よせばよいのに、早くしないかとせき立てておいて、座敷のほうへもどって、横になってけさ見た新聞をのぞく。早くしないかと大声で促す。そんなにせき立てると、なお できやしないわと言う。黙って台所の横をまわって門へ出て見た。往来の人が じろじろ見て通るから しかたなしに歩き出す。半町ばかりぶらぶら歩いて振り返っても まだ出て来ぬから、また引っ返してもと来たとおり台所の横から縁側へまわって のぞいて見ると、
妻が年がいもなく泣き伏しているのを
美代がなだめている。あんまりだと言う。一人でどこへでも いらっしゃいと言う。まあ ともかくもと
美代が すかしなだめて、やっと出かける事になる。実にいい天気だ。「
人間の心が蒸発して霞になりそうな日だね」と言ったら、一
間ばかりあとを
雪駄を引きずりながら、大儀そうについて来た
妻は、エヽと気のない返事をして無理に
笑顔をこしらえる。この時始めて気がついたが、なるほど腹の帯の所が人並みよりだいぶ大きい。あるき方がよほど変だ。それでも当人は平気でくっついて来る。
美代と二人で よこせばよかったと思いながら、無言で歩調を早める。植物園の門を はいってまっすぐに広い たらたら坂を上って左に折れる。穏やかな日光が広い園にいっぱいになって、花も緑もない地盤は さながら眠ったようである。温室の白塗りがキラキラするようで その前に二三人ふところ手をして窓から中をのぞく人影が見えるばかり、噴水も出ていぬ。
睡蓮も まだつめたい
泥の底に 真夏の雲の影を待っている。温室の中からガタガタと
下駄の音を立てて、
田舎の ばあさんたちが四五人、きつねにつままれたような顔をして出て来る。
余らは これと入れちがってはいる。活力の満ちた、しめっぽい熱帯の空気が鼻のあなから脳を襲う。
椰子の木や
琉球の
芭蕉などが、今少し延びたら、この屋根をどうするつもりだろうと いつも思うのであるが、きょうもそう思う。ハワイという国には肺病が皆無だと だれかの言った事を思い出す。
妻は濃緑に朱の
斑点のはいった草の葉をいじっているから「
オイよせ、毒かもしれない」と言ったら、あわてて放して、いやな顔をして指先を見つめて ちょっとかいでみる。左右の回廊には ところどころ赤い花が咲いて、その中から のんきそうな人の顔もあちこちに見える。
妻はなんだか気分が悪くなったと言う。顔色はたいして悪くもない。急になま暖かい所へ はいったためだろう。早く外へ出たほうがよい、おれはも少し見て行くからと言ったら、ちょっとためらったが、おとなしく出て行った。あかい花だけ見てすぐ出るつもりでいたら、人と人との間へ はさまって、ちょっと出そこなって、やっと出て見ると
妻はそこにはいぬ。どこへ行ったかと見回すと、はるか向こうの
東屋のベンチへ 力なさそうにもたれたまま、こっちを見て笑っていた。
園の静けさは前に変わらぬ。日光の目に 見えぬ力で地上のすべての活動を そっとおさえつけてあるように見える。気分はすっかりよくなったと言うから、もうそろそろ帰ろうかと言うと、少し驚いたように
余の顔を見つめていたが、せっかく来たから、もう少し、池のほうへでも行ってみましょうと言う。それもそうだと そっちへ向く。
崖をおりかかると下から大学生が二三人、黄色い声でアリストートル【アリストテレス】がどうしたとか いうような事を議論しながら上って来る。池の小島の東屋に、三十ぐらいの めがねをかけた品のいい細君が、海軍服の男の子と小さい女の子を遊ばせている。海軍服は小石を拾っては氷の上をすべらせて快い音を立てている。
ベンチの上には しわくちゃの半紙が広げられて、その上にカステラの大きな切れがのっている。「
あんな女の子がほしいわねえ」と
妻がいつにない事を言う。
出口のほうへと崖の下をあるく。なんの見るものもない。後ろで
妻が「
おや、どんぐりが」と不意に大きな声をして、道わきの落ち葉の中へはいって行く。なるほど、落ち葉に交じって無数のどんぐりが、
凍てた
崖下の土にころがっている。
妻はそこへしゃがんで熱心に拾いはじめる。見るまに左の手のひらにいっぱいになる。
余も一つ二つ拾って向こうの便所の屋根へ投げると、カラカラところがって向こう側へ落ちる。
妻は帯の間からハンケチを取り出して膝の上へ広げ、熱心に拾い集める。「
もう大概にしないか、ばかだな」と言ってみたが、なかなか やめそうもないから便所へはいる。出て見るとまだ拾っている。「
いったい そんなに拾って、どうしようと言うのだ」と聞くと、おもしろそうに笑いながら、「
だって拾うのが おもしろいじゃありませんか」と言う。ハンケチにいっぱい拾って包んで だいじそうに縛っているから、もうよすかと思うと、今度は「
あなたのハンケチも貸してちょうだい」と言う。とうとう
余のハンケチにも
何合かの どんぐりを満たして「
もうよしてよ、帰りましょう」と どこまでもいい気な事をいう。
どんぐりを拾って喜んだ
妻も今はない。お墓の土には
苔の花が なんべんか咲いた。山にはどんぐりも落ちれば、
鵯の鳴く音に落ち葉が降る。ことしの二月、あけて六つになる忘れ形身の
みつ坊をつれて、この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。こんな
些細な事にまで、遺伝というようなものがあるものだか、
みつ坊は非常におもしろがった。五つ六つ拾うごとに、息をはずませて
余のそばへ飛んで来て、
余の帽子の中へひろげたハンケチへ投げ込む。だんだん得物の増して行くのを のぞき込んで、
頬を赤くして うれしそうな溶けそうな顔をする。争われぬ母の面影がこの無邪気な顔の どこかのすみからチラリとのぞいて、うすれかかった昔の記憶を呼び返す。「
おとうさん、大きなどんぐり、こいも/\/\/\/\みんな大きなどんぐり」
と小さい
泥だらけの指先で帽子の中に累々とした どんぐりの頭を一つ一つ突っつく。「
大きいどんぐり、ちいちゃいどんぐり、みいんな利口な どんぐりちゃん」と出たらめの唱歌のようなものを歌って 飛び飛びしながら また拾い始める。
余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡
妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り
鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝して さしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。(明治三十八年四月、ホトトギス)
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底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:田中敬三
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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大変ありがとうございました。感謝致します。(
シン文庫追記)