日本婦道記
糸車
山本周五郎1903年(明治36年) - 1967年(昭和42年)


     

かじかやあ、鰍を買いなさらんか、鰍やあ」
 うしろからそう呼んで来るのを聞いてたかはたちどまった。十三四歳の少年が担ぎ魚籠びくを背負っていそぎ足に来る、お高は、
「見せてお呉れ」
 とよびとめた。籠の中には つぶのそろった五寸あまりある みごとなかじかが、まだ水からあげたばかりであろう、ぬれぬれとうろこを光らせて うち重なっている、思いだしたように はげしく口を動かすのもあり、とつぜん ぴしぴしと跳ねあがるのもあって、千曲川ちくまがわのみずの匂いが 面をうつような感じだった、
「五十ばかり貰いましょう」
 そう言ってかられ物のないことに気がついた、どうしようとあたりを見やると、つい向うに荒物屋の店のあるのをみつけ、このあいだから 目笊めざるが一つ ほしかったのを思いだした。
「あの店で容れ物を求めますから いっしょに来てお呉れな」
「近くならお宅まで持ってゆきますよ」
 少年はさかしげな眼でこちらを見た、お高は頬笑みながら、それには及ばない、と言ってあるきだした。
 新らしい目笊めざるかじかを入れて帰るみちみち、お高はなんと言いようもなく仕合せで 心ゆたかに浮き浮きしてくるのを 抑えきれなかった。どうして こんなに嬉しいのかしら、なぜこんなに 心が はずむのかしら、なんどもそう自分に問いかけてみた。会所では褒めて頂いたし、久しぶりで父上のご好物のかじかがあったし、空はこのように春めいて 浅みどりに晴れあがっているし、それでこんなに たのしい気持になるのだろうか。そんな理由を色いろ集めてみたくなるほどだった。そして通りすがりの人の眼にも 浮き浮きして みえるのではないか、そう考えると 恥ずかしくて顔が赤くなるようにさえ 思った。……父は依田啓七郎よだけいしちろうといって、信濃しなののくに松代藩まつしろはんにつかえる五石二人扶持ぶちの軽いさむらいだった、実直いっぽうの、荒いこえもたてない温厚なひとだったが、二年まえに卒中を病んで勤めをひき、今でも殆んど 寝たり起きたりの状態がつづいている。十歳になる弟の松之助が、名義だけ家督を継いでいたが、まだ元服もしていないので お扶持ぶちは半分ほどしか さがらない、母親は松之助が三つの年に亡くなって、家族は三人だけであるが、病気の父と 幼ない弟をかかえての家計は かなり苦しかった。お高はことし十九になるが、父に倒れられて以来 その看護や弟のせわや、こまごました家事のいとまをぬすんで、せっせと木綿糸をっては 生計の足しにしていた。
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松代藩では種油と綿糸は たいせつな産物だったので、身分の軽い家庭には 糸りを内職にすすめ、器具を貸したり指導したり、製品を買い上げたりするための 会所が設けてある、十日ごとに出来た品を届けるのだが、今日もお高った糸束を持ってゆくと、いつも係になっている白髪のきつい眼をした老人が、めがね越しに こちらを見ながら 糸の出来を褒めて呉れた。
わずかなあいだに たいそう上手になられたな、こなたの糸は 問屋でも評判になっているそうだ、ひとつには孝行の徳かも知れぬが」
 少しでも よい仕事をしようと つとめている者にとって、その仕事を褒められるほど 嬉しいことはない、ことに それがあたりまえの内職ではなく、藩にとって たいせつな産物になるのだから、その意味でもお高のよろこびは大きかった。……もっともっとよい糸をろう、そう思いながら帰る途中でかじかが買えた。卒中をわずらってから いちどやめたが、医者のすすめで 三日にいちど 五しゃく【0.5合】ずつ飲むようになった父の酒には、なにより好物のさかなだった。会所でうけとって来た手間賃のなかから、焼干しにしてもよいからと思って 少したくさん買ったのである、貧しくつましい暮しをしている者には、小さなよろこびが どんなにも幸福に感じられるのだ、お高はおかしいくらい足も軽く、組長屋の住居に帰った。
「ただ今もどりました」
 とっつきの【入り口付近にある】二じょうで、素読そどくをさらっていた【声に出して読んでいた】弟に そうこえをかけてあがったが、松之助は顔を隠すようにして なんとも答えなかった。そのときは べつになんの気もつかず、目笊めざるを持ったまま父の居間へいった。
「帰りにかじかを売っておりましたので 少し求めてまいりました」
 挨拶をすると すぐそう言って父に見せた、
「ごらん下さいまし、まだこんなに生きております」
「ほうこれは珍らしい みごとなものだな、もうこんなにかじかふとる季節になったのだな」
 啓七郎は少しふるえのある手をさしのべて、目笊めざるの中の魚を 好ましそうに つついてみた。
「ずいぶん数があるではないか、まだ高価であろうに」
「いいえ それほどでも ございませんでした、今晩のお酒に甘露煮と魚田ぎょでんをお作り申しまして、余ったぶんは 焼干しにしてもよいと思いましたから」
「こんな心配ばかりさせて、どうも……」
 つぶやくようにそう言いかけるのを、お高は聞えぬ風に立ちながら、
「さあ早くおしたく致しましょう」とくりやのほうへさがっていった。
 父の口ぶりや態度が いつもとは違っている、お高はそれを感ずると同時に、弟のようすも ふだんとは まるで変っていたことに気づいた。
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どうしたのだろう、なにか留守に悪いことでもあったのかしら、お高はにわかに不安になった、そしてそれをうち消したいために 弟を呼んでみた、
松之助さん来てごらんなさい、みごとな生きたかじかですよ」
 しか松之助の返辞は つきはなすようなものだった、
「いま勉強していますから あとで」
 それだけだった。お高はつい今しがたまでの 浮き浮きした気持が、かなしいほど重たく沈んでゆくのを感じながら、包丁ほうちょうを取って魚を作りはじめた。


     

 夕食のあと片づけを済ませてから、お高が糸りの仕事をひろげると間もなく 父に呼ばれた。
「少し肩をでて貰いたいのだが」
 父は床の上に起きなおって こちらへ背を向けていた。脇に置いてある行灯あんどんの光が、せた父の高頬を いたいたしく うつしだしていた、お高はすぐその背へつかまった、
「お寒くはございませんですか」
「まだ酒がきいているとみえて ほかほかといい心もちだ、力をいれなくともよい、そうやって 撫でていて呉れれば よいから」
「はい、このくらいでございますね」
 お高は父の背から肩へかけて しずかに撫ではじめた。松之助は少しまえに寝てしまい、ひっそりと静かになった組長屋のかなたから、なにか祝い事でもあるのだろう、小謡こうたいのさびたこえが聞えて来た。
「おまえあした、松本へゆくのだがな」
 父がふと思いだしたように こう言った、
「松本ではかじどのが ご病気だそうで、おまえにひとめ会いたいから 四五日のつもりで 来て呉れるようにと、お使いの者が来られたのだ」
「父上さま」
 お高は思わずそう言った、
「手をやすめては困るな」
 父は笑いながら肩を揺りあげた、どうにも かたい笑いだった、
「ご病気ということだし、せめて四五日、ながい滞在ではないのだから、こんどはおとなしく いってくるがいい、留守のことはもう石原のご内儀に頼んであるから」
 少しは おまえの骨やすめにも なるであろう、そう言う父の言葉を聞きながら、お高は 弟のつきはなすような さっきの返辞を 思いだしていた。やっぱり そういうことが あったのだ、松之助はそれを聞いて、幼ない頭でどれほどか 悲しがったに違いない、お高はそう思いやると するどく胸が痛みだした。
 お高には実の親があった。信濃のくに松本藩に仕えて西村金太夫きんだゆうという、はじめ身分も軽くたいへん困窮していた じぶんに、妻のお梶とのあいだに つぎつぎと子が生れ、養育することにも こと欠くありさまだったので、しるべのせわで 松代藩の依田啓七郎にお高ったのである。それからのち、金太夫はふしぎなほどの幸運に恵まれ、しだいに重くもちいられて、数年まえには勘定方頭取で 五百五十石の身分にまで出世をした。
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このように立身して一家が幸福になると、親の情として よそへ遣った者が ふびんになるのは当然のことである、それもその子が仕合せであればべつだが、人をやって尋ねさせてみると依田啓七郎は妻にさきだたれ、お高を貰ったあとで生れた幼弱な子をかかえて、かなり貧しい暮しをしている とのことだった。夫妻は幾たびも相談をしたうえ、それまでの養育料を払って ひきとることにきめ、しかるべき人を間に立てて依田と交渉した。……そのとき初めてお高は自分の身の上を知ったのである、啓七郎はありのままに なにもかも語った、そして「松本の家へ戻るほうが おまえの ゆくすえのためだから」そう言って帰ることをすすめた。お高は考えてみようともせずにいやだと言いとおした、ついには部屋の隅に隠れて泣きだしたまま、なにを言っても返辞をしなかった。肝心のお高がそんなありさまだったので、間に立った人もどうしようもなく、そのときのはなしは 結局まとまらず じまい だったのである。
お梶どののご病気は、かなり重いようすなのだ」
 と、父は暫くして言葉を継いだ、
「ひとめ会いたいという気持も おいたわしいし、おまえも実の子として いちどぐらいは ご看病がしたいだろうと思う、意地を張らずにいって来るがよい、ほんのわずかな日数のことだから」
 お高は殆んど聞きとれぬほどのこえで「はい」と答えた。そこまでことをわけて言われるのを むげにもできなかったし、重い病にしている生みの母の、ひとめ会いたいという言葉にも つよく心をうたれた。乳ばなれをすると すぐ松代へ貰われて来たそうで、西村の父母の顔は まったく記憶にはない、もしものことがあれば、生みの母の顔も知らずに 終らなければならない、いちどだけお顔を見せて頂こう、そう考えて承知したのであった。
 同じ組長屋でも ごく近しくしている石原という家の妻女に あとの事をこまごまと頼んで、その明くる朝はやく、松本から迎えに来たという 下婢かひ【下女】と老僕に みちびかれながら、あとにも ゆくさきにも おちつかぬ気持でお高は松代を立った。季節はすっかり春めいていた。遠いかなたの山なみには まだ雪がみえるけれど、うちひらけた丘や野づらは やわらかな土の膚を ぬくぬくと日に暖められ、雪解ゆきげの水の とくとくとあふれている小川や田のほとりには、もうかすかに 草の芽ぶきが感じられた。二十里そこそこの道だったが、ひどくぬかるので馬や駕籠かごに乗りながら三日もかかり、また冬がもどったかと思えるほど ひどく冷える日の午後、ようやく松本の城下へ着いた。


     

 西村の家は和泉いずみというところにあった。
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長屋門をめぐらせたかなり広い屋敷で、門をはいると前庭があり、枝ぶりのよいむろの木が六七本、高雅な配置で植わっていた。お高依田の家と あまりに違う家がまえに 眼をみはりながら、老僕の案内で脇玄関へまわった。するとこちらの声を待ちかねていたように、五十あまりとみえる婦人があらわれ、泣くような笑顔で出迎えた。
「まあまあ遠いところを ようおいでになった、お疲れだったろうね、今すぐ すすぎをとりますよ」
 心もここにないというようすで、お高には ものを言う隙も与えず、手をとらぬばかりにして 奥へ導いていった。お高は初め茫然としたが、これがお梶という方だと思い、ご病気だというのがこしらえごとだ ということをすぐに悟った。お梶という方、……彼女の頭にうかんだのは そういう呼びかたで、母という表現は どうしても出てこなかった。そして、このこしらえごとのなかには 単純でないものが隠されていること、しかも それがかなり決定的であるということは 直感しつつ、その婦人のするままになっていた。
 どんなたいせつな客ででもあるかのように、梶じょは めしつかいをせきたててお高に風呂をすすめた、風呂にはいっていると 二度も湯かげんをききに来たし、あがると仕立ておろしの 高価な衣装がそろえてあった。
「お好みが わからないものだから 年ごろをたよりに わたしが選んだのだけれど」
 梶女は着付けをたすけながら そう言った、
「どうやらあなたには 少しじみすぎるようですね、あちらの小紋のほうが よかったかもしれない、でも今日はこれにしておきましょう」
 独り言のようにそんなことを言いながら、撫でまわすような眼でお高の姿を と見こう見して【あちこちと見回して】飽きなかった。お高はやはり黙って されるとおりになっていた、問いかけられると「ええ」とか「はい」とか答えるが、自分のほうからは なにも言わず、梶女の どこかしら熱をもったような まなざしにも、できるだけ気づかぬ風を装っていた。
 西村の父や兄弟たちは 夕食のとき ひきあわせられた。父は思いのほか若かった。いちばん上の兄は結婚してもう男の子があり、二兄はまもなく分家するとか、むっつりしている三兄は顔もよく見なかったし、四番めの兄は江戸詰めで留守、弟はまだ前髪だちで 名を保之丞やすのじょうといい、背丈のめだって高いからだつきと、まだ子供こどもした日に やけた赤い頬とに 特徴があった。彼はその年ごろの者らしく、ほかの兄たちよりもお高の来ることに 興味をもっていたようで、横からしげしげと眺めたり、必要もないのに しきりと話しかけたりした。
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席は広間に設けられた、かけつらねた燭台しょくだいは まばゆいほど明るく、大和絵やまとえを描いた屏風びょうぶ丹青たんせいも 浮くばかり美しかった。幾つもの火桶ひおけでうっとりするほど暖まった部屋、贅沢ぜいたくといってもよいくらい 品数の多い色とりどりの食膳しょくぜん、そしてなんの苦労もなく 憂いも悲しみも知らない 親子兄弟の、なごやかに団欒だんらんをたのしむありさま、‥‥これが自分の ほんとうの家なのだ、ここにいる人たちが 自分の生みの親であり、血肉をわけた兄弟たちだ、いま座っているこの席は 誰のものでもなく 正しく自分の席なのだ。お高はそう思いながら、できるだけ すなおな気持で その室の空気に順応しようとした。けれども燭台は明るすぎ、絵屏風はあまりに美しく絢爛けんらんで、いかにもおちつきにくくまぶしかった、数かずの料理もいずれは高価な材料と 念いりな割烹かっぽうによるものであろうが、お高には なにやら よそよそしくて、美味おいしいという気持はおこらない、そしてその一つ一つが松代の家のことに思い比べられ、しめつけられるように胸が痛んだ。
 切りりをした障子、古びたふすま、茶色になってへりの擦れている畳や、み割れのあるゆがんだ柱、すすけた行灯あんどんの光にうつしだされる あの狭い、貧しい部屋のありさまが まざまざとみえる、乏しい炭をまるでいたわるように使う あの火桶ひとつでは、冷えのきびしい今宵は どんなにか寒いことだろう、依田の父と松之助は、いま二人きりで あの貧しい部屋の つつましい食膳に 向かっているじぶんだ。菜の皿はひとつ、汁椀の着くことさえまれで、漬物の鉢だけが変らない色どりである。いま眼の前にある ゆたかな膳部からみれば かなしいほど貧しいものだ、しかし そのひと皿の菜を どんなに心こめて作るだろう、また父や松之助がどんなによろこんでべて呉れることだろう。頼んで来た石原の妻女は よく気のまわる 親切なひとだった、父の好物も あらまし告げて来たが、今宵はどんなしたくが出来たであろうか、父の気にいるものだろうか、もしかして酒をあがりすぎはしないかしらん。……お高のあたまは こういう考えでいっぱいだった、なにを食べたかも覚えず、どういう会話がとり交わされたかも知らなかった。そして終るとすぐ 自分のために用意されたという部屋へ ひきこもり、なにか話しかけたそうな梶女にも「疲れているから」と断わって、まだ宵のうちから 夜具のなかに はいってしまった。


     

 明くる朝、起きてきたお高の眼が いたいたしいほど赤くれぼったくなっているので、梶女がびっくりして、
「どう おしだ」
 と訊ねた。お高はさびしげに頬笑んだ、
「寝つかれたのでございましょう、少しやすみ すごしましたから」
「それならいいけれど……」
 梶女は たしかめるように こちらを見ていたが、すぐ思いかえしたようすで、今日は山辺やまべ温泉いでゆへゆくから したくするようにと言った。
6/12

「ここから一里あまり山のほうへいったところで、湯もきれいだし 美しい眺めもあり、疲れたときなどには よい保養になります」
「有難うございますけれど」
 お高は眼を伏せながら そっとこう言った、
「わたくし、今日はできますことなら御菩提寺おぼだいじへまいりたいと存じますが」
「ああそれなら山辺へゆく途中ですよ、少し まわりみちを するだけですから参詣さんけいしてまいりましょう」
「いいえ」
 お高はかぶりを振った、
「わたくし今日は おまいりだけに致しとうございます、初めてのことでございますから」
 初めて祖先の墓へまいるのに 遊山を兼ねるのは 不作法だと思う、そういう意がはっきり表われていた。梶女はさすがに おもはゆそう【きまり悪そう】だった。
「それなら山辺は明日のことにしましょう」
 こう言ってその日は墓参ということにきめた。
 菩提寺から帰るみちで、お高は自分の生れた家が見たいと言った。梶女は すすまない ようすだったが、いっしょにいった弟の保之丞がさきに立って案内した。深志ふかしというところの端に近く、身分の軽いさむらい屋敷が ひとかたまりになっている、そのなかでも貧しげな古びた幾棟かのなかに、その家はあった。目隠しというばかりのへいを とりまわした中に ささやかな庭があり、枝ぶりのいじけた勢いのない松が 門の脇に立っていた。板葺いたぶきの屋根は朽ち乾いて松毬まつかさのようにはぜ、小さな玄関の柱や はめ板は 雨かぜにさらされて、洗いだしたように木目が高くあらわれていた。軒は傾きひさしは なみをうっている、まわりにゆとりがあるのと、部屋の数が少し多いかと思えるだけで、そのほかは松代の家とは大差のない住居だった。
「私はこの家に五つまでいたのですよ」
 保之丞はそう言ってなんの屈託もなく笑った。
「あの窓の下の地面に蟻地獄ありじごくがいましたっけ、それを捕って手のひらをわせるんです、するとそいつは手の皮の中へもぐり込もうとする、むずむずしてくすぐったいんですが、その格好が おもしろいので よくやったものです、ご存じですか」
 そんなことを興ありげに言った。お高はふと、この弟もいまの屋敷よりは この貧しい家のほうに 心ひかれている のではないか、そんなことを考えながら間もなくくびすをかえした。
 翌日は梶女につれられて山辺の温泉へいった。それは城からひがし北に当る山ふところにあり、清らかな流れと、谷峡たにあいの眺めの美しい場所だった。母娘おやこはいっしょに湯につかったり、香りたかい草木の芽をあしらった ひなびた午食をたべたりしたのち、まだ珍らしい山独活やまうどをみやげに 屋敷へ帰った。三日めは家にいて、兄弟たちと話したり自慢の道具を見たりして暮した。
7/12

その夜のことである。自分にあてられた部屋で梶女とあい対したとき、お高は 明日松代へ帰らせて頂くと言いだした。梶女はそう言われるのを 予期していたらしい、そっと部屋を出ていったが、すぐに一通の封書を持って戻って来た。
依田どのから あなたにあてた手紙です、とにかくこれを読んでごらんなさい」
 こう言って それをわたした。うけとってみると正しく依田の父から彼女にあてたものだった。‥‥こんど松本へおまえを帰すに当っては 色いろ考えたが、西村から これまでの養育料として かなり多額な だいもつを呉れる はなしがあり、それだけあれば自分は田地でも買って、松之助とふたり 安穏にくらしてゆけるし、おまえも西村のむすめとして 仕合せな生涯に はいれるであろう、自分のためにも おまえのためにも こうするのが いちばんよいと思う、じかに このゆくたてを話したうえ、こころよく別れを惜しみたかったが、顔をみていては おまえの気持がきまるまいと考え、むじひなようだが いつわりを言って立たせた、どうかこんどは わがままを言わずに 承知してもらいたい、西村へいったら両親に孝行をつくすよう、兄弟と仲よう 仕合せなゆくすえを祈っている。そういう意味のことが、依田の父らしく 篤実とくじつな筆つきで書いてあった。
「よくわかったでしょう」
 梶女お高の読み終るのを待って しみじみとこう言った。
「いまになって おまえをとり戻そうというのは 勝手かもしれない、けれど父上や この母の気持も察してお呉れ、おまえの生れたじぶんは父上のご身分も軽く、子供を多くかかえて、恥ずかしい はなしだけれど その日のものにも さしつかえるような ことさえある、貧しく苦しい暮しでした。人の親として、乳ばなれしたばかりの子を よそへ遣らなければ ならない、それがどんなに辛い悲しいことか、やがておまえが子をもったら わかって呉れることでしょう、身を切られるようなと言う、そんな言葉では言いあらわせない、辛い悲しいおもいでした」


     

「それほどのおもいをしても、おまえを遣らなければ ならなかった、もう耐えきれない、一家が飢え死をしてもいいから とり戻しにゆこう、なんどそう思ったかしれません、暑さ寒さ、朝に晩に、泣いていはしないか 病気ではないかと、心に かからぬときは ありませんでしたよ」
 梶女は袖口で眼を押えながら 暫く声をとぎらせていた、
「父上のご運がひらけて、どうやら不自由のない明けれを迎えるようになってから、父上とわたしは おまえをひきとる相談ばかり していました。
8/12

松代へ人をやってたずねさせると、ながく病んでいる依田どのと幼ない弟のめんどうをみながら、おまえが糸りをして家計をたてているという、貧にせまられて遣ったおまえが、いまは自分でその貧とたたかっている、それを思うとわたしたちは とても安閑と暮しては いられなかった、これまでの苦労を 幾らかでも償ってあげなければ 生みの親として どうしても心が済まないのです、依田どのには決して悪いようにはしません、高さん、こちらへ帰ってお呉れ、この西村のむすめになってお呉れ、ねえ」
 ひざの上にそろえた両の手を かたく握りしめながら、お高は硬ばった顔を じっと俯向うつむけていたが、梶女の言葉が終ると しずかに眼をあげて、
「おぼしめしは よくわかりました、ほんとうに有難う存じますけれど、わたくし やはり松代へ帰らせて頂きます」
 抑揚のない声でそう言った。梶女の頬のあたりがかすかにひきつった、
「でも依田どのとは もうはなしが ついているのです、どちらのためにも これがいちばんよいと依田どのも 言っておいでなのですよ」
「それをご本心だと おぼしめしますか」
 お高は そっとかぶりを振り梶女の眼を見あげた、
依田の父がそうおっしゃるのは こちらへの情義じょうぎからだとは お考えになれませぬか、あなたはいま人の親として 子をよそへ遣ることが どんなに辛いものか ということを 仰しゃいました、乳ばなれをするまでの親子でも それほどなのに、十八年もいっしょに暮してきた親子は そうではないと おぼしめしですか」
 お高はそう言いながら、松本へゆけと言われた夜のことを 思いうかべた。あのとき依田の父は こちらへ背を向けて、お高に肩をませながら あの話をきりだした。父はお高の顔を見ることが できなかった、自分の辛い顔も みせたくなかったのだ、それがいまお高には痛いほど じかに思い当る、ああ、どんなにお辛い気持で松本へゆけと 仰しゃったろう、お高は胸を刺されるように感じながら しずかに続けた、
依田の家は貧しゅうございます、わたくしが糸りをして かつかつの暮しを たてているのも ほんとうです、けれどもそれは あなたがお考えなさるほどの 苦労ではございません、こう申上げては 言葉がすぎるかもしれませんけれど、こんどのことさえなければ、わたくし仕合せ者だとさえ思っておりました、依田の父は もったいないくらい よい父でございます、弟もしん身に よくなついていて 母のように たよっていて呉れます、わたくしにはあの家を忘れることはできません、いまになって 父や弟と別れることは わたくしにはできません」
「それだけの深いおもいやりを、わたしたちには してお呉れでないの」
 梶女は すがりつくような口ぶりでこう言った、
「ここをおまえのお部屋にと思って、襖を張りかえたり、調度を飾ったり、新らしく窓を切ったりした、着物や帯を織らせたり 染めさせたりして、こんどこそ 親子きょうだい揃って暮せると たのしみにしていた、これでこそ 父上もご出世の甲斐かいがあると よろこんでいたのですよ、それを考えてお呉れではないのかえ」
 それは 哀願ともいうべき 響きをもっていた。心をひき裂かれるようなおもいで、これが親の愛情だと思いつつお高は聞いた。
9/12

子のためには、子を愛する情のためには なにも押し切ろうとする、それが親というものの心であろう、かなしいほどまっすぐな愛、お高はよろよろとなり、母の温かい愛のなかへ崩れかかりそうになった。自分のために模様がえをしたというその部屋、新らしい調度や衣装、どの一つにもまことの親の温かい愛情がこもっている。その一つ一つが手をひろげて迎えているのだ。けれども、お高はけんめいに 崩れかかる心を支えた、自分はその愛を受けてはならない、依田の家を出て その愛を受けることは 人の道にはずれるのだ。こう自分を叱りつけながら、お高はやはり松代へ帰るとり返した、
「みなさまの お仕合せなごようすも 拝見しました、もう一生 おめにかかれなくとも こころ残りはございません、どうぞお高はこの世にない者だとおぼしめして、これかぎり忘れて頂きとうございます」
 梶女はしずかに立っていった。すぐに弟の保之丞が来、あとから金太夫と長兄とが来た、みんな言葉をつくして ここにとどまるようにと くどいた。お高はもう なにも答えなかった。喪心そうしん【放心】したように眼をつむり、肩つきの堅い姿勢で しんと座っていた。それはまさしく問罪のように苦しい瞬間であった。


     

 明くる朝 まだほの暗いうちにお高は松本を立った。来るときの老僕と下婢かひが供について、梶女保之丞とが城下から一里あまりの 中原というつじまで送って来た、そしてそこの掛け茶屋で いっしょに茶をすすり、暫く別れを惜しんでからたもとをわかった、二人はお高の姿が道を曲ってゆくまで 見おくっていたが、お高はいちどもふり返らず、まっすぐに並木の松のかなたへ去っていった。
 道をいそいだので 松代へは三日めのひるまえに着いた。城下町が見えだすと もう胸がいっぱいになり、いくら拭いても あとからあとから 涙がこみあげてきた、ほんのわずかな留守だったが、山やまの姿も千曲川のながれも なつかしく、眼につくほどの樹立や丘や段畑、路上の石ころまで 呼びかけたいような 懐かしさが感じられて、くにへ帰ったという気持がした。……松之助は稽古からまだ帰らず、家には啓七郎ひとり、ちょうど薬湯をせんじていたところだった、老僕のおとずれる声を聞いて 玄関へ出て来たが、はいって来るお高を見ると あっという表情をした。
「ただいま戻りました」
 お高は簡単にそう挨拶をすると、すぐ裏へまわって自分のすすぎをし、供の二人にもあがって ひと晩泊ってゆくようにと言った。
10/12

しかし かれらは玄関で西村からの口上を述べ、手みやげなどを置いて あがらずにたち去った。
「どういうわけで帰った」
 さし向いになって座ると、啓七郎は煎じていた薬湯を 湯のみに つぎながら そう言った、
「持たせてやった手紙は読まなかったのか」
「拝見いたしました」
「それなら事情はわかっているはずだ、おれも安穏な余生がおくれるし、おまえの一生も仕合せになる、そう考えてしたことなのに、眼さきの情におぼれて なにもかも うちこわしてしまうつもりか」
「おゆるし下さいまし、父上さま」
 お高はひしと父を見あげ、そこへ手をついた、
「わたくし もっと働きます、お薬にもご不自由はかけません、お好きなものは どんなにしても調ととのえます、もっとお身まわりもきれいにして、お住みごこちのよいように致します、ですからどうぞお高をこの家に置いて下さいまし」
「おまえには おれの気持がわからないのか、おれがそんなことを 不足に思っているようにみえるか、おれがおまえを西村へかえす決心をしたのは」
「わかっております、わたくしには わかっておりますの、父上さま」
 お高は 父にそのあとを続けさせまいとして さえぎった、
「わかっておりますけれど、お高は いちどよそへ遣られた子でございます、乳ばなれをしたばかりで、母のふところから よそへ遣られたお高を、父上さまは可哀かわいそうだと思っては 下さいませんか、もし可哀そうだとお思い下さいましたら、ここでまた よそへ遣るようなことは なさらないで下さいまし」
「だが西村は おまえにとって実の親だ、西村へもどれば おまえは仕合せになれるのだ」
「いいえ仕合せとは 親と子がそろって、たとえ貧しくて一椀のかゆすすりあっても、親と子がそろって暮してゆく、それがなによりの仕合せだと思います、お高には あなたが真実の たったひとりの父上です、亡くなった母上がお高にとって ほんとうの母上です、この家のほかに わたくしには家はございません、どうぞお高をおそばに置いて下さいまし、よそへはお遣りにならないで下さいまし、父上さま、このとおりおねがい申します」
「父上」
 と、叫びながら松之助せいって来た。稽古から帰って、表で二人のはなすのを聞いていたのだろう、眼にいっぱい涙をめながら はいって来ると、姉とならんでそこへ座り、なかばむせびあげながら こう言った、
「どうぞ姉上を家に置いてあげて下さい、父上、こんなに仰しゃっているのですもの、どうかよそへは遣らないで下さい、おねがいです」
 啓七郎は眼をつむり、あおざめた面を伏せ、両手を膝に置いてじっと黙っていた。それは 大きなするどい苦痛に耐える人 のような姿勢だった。そしてながいこと、お高松之助とのむせびあげるこえだけが、貧しい部屋の壁や襖へ しみいるように聞えていた。
「……では家にいるがよい」
 啓七郎が やがてうめくようなこえで そう言った、
西村どのへは父から手紙を書く、もう松本へは遣らぬから」
 松之助は姉の膝へとびつき、涙に濡れた頬をすりつけながら 声をあげて泣きだすのだった。
11/12

 爽やかな朝の日光が、明り障子いっぱいに さしつけている、いかにも春らしく、心を温められるような明るさだ。お高る糸車の音が、ぶんぶんと、そのうららかな朝の空気をふるわせて聞えてくる、はち翅音はおとにも似たしずかな、心のおちつく柔らかい音である。啓七郎はそれを聞きながら、
「おまえ成人したら 姉上をずいぶん仕合せにして あげなければ いけないぞ」
 と、松之助に言うのだった。
「大きくなれば わかるだろうが、姉上は この父やおまえのために せっかく仕合せになれる運を 捨てて呉れたのだ、自分のためではない、父とおまえのためにだ、……忘れては済まないぞ」
 松之助は父の眼を見あげて、少年らしくはっきりとうなずいた。糸車の音はぶんぶんと、歌うようにしずかなうなりをつづけていた。




底本:「山本周五郎全集第二巻 日本婦道記・柳橋物語」新潮社
   1981(昭和56)年9月15日発行
   1981(昭和56)年10月25日2刷
初出:「婦人倶楽部」大日本雄弁会講談社
   1944(昭和19)年2月
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2019年2月22日作成
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