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能登屋(銀山温泉)

/ f)銀山温泉・尾花沢・村山の宿 / 山形県

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山形県尾花沢市大字銀山新畑446 TEL.0237-28-2327
「登文」で、裏山に露天風呂があり、また洞窟風呂もある。レトロ

コメント :投稿数 (3)

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([3] 投稿者 Anonymous さん : 2022年06月01日)

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 能登屋の創業は1892(明治25)年。創業時の館主の木戸佐左エ門は、当主が佐左エ門を襲名する木戸家の何代目かにあたる。初代の木戸佐左エ門は江戸時代前期の1667(寛文7)年に、現在の石川県七尾市から銀山川沿いの延沢銀山へ銀を採掘に来た山師だった。すでに温泉は、銀山採掘でにぎわう中で発見されていた。1689(元禄2)年に銀山が閉山された後も木戸家はこの地にとどまり、今では17代目佐左エ門を名乗っている。旅館名の能登屋は、初代の出身地から命名した。

http://www.ryoko-net.co.jp/?p=52460

([2] 投稿者 Anonymous さん : 2019年04月07日)

[cid:19632]このurl

 創業は1892(明治25)年。現在の建物は、1921(大正10)年頃建てられたもの。大正時代の雰囲気あふれる銀山温泉の中でも象徴的存在である。建物は木造3階建で、入母屋、金属板茸(ぶき)の屋根、その上部の塔屋が印象的でレトロな外観を醸し出す。和風を基調とした中に、玄関上部のバルコニー、玄関柱の柱飾り、半円形の欄間のファンライトなど洋風建築の要素を垣間見ることができる。

 ひときわ目につく向かって右手の大きな看板は、地元大石田町出身の左官職人・後藤市蔵によって製作されたもの。寛文年間、銀山開発に尽力した当館初代「木戸佐左エ門」の名が大きな文字で装飾されている。

 同旅館は97年、「国土の歴史的景観に寄与したもの」として、国登録有形文化財にも登録された。文人墨客からも愛されている宿で、45(昭和20)年8月には山形出身の歌人・斉藤茂吉も湯治に訪れている。

 この宿自慢の温泉は、源泉温度63・8度の泉質ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉。神経痛・創傷・皮膚病・婦人科疾患などに効能あり。浴場は、別館1階にある男女別の木を基調とした大浴場と、そのすぐ外側にある眺望のいい露天風呂、旅館から高台へと続く長い階段を上がると開放感いっぱいの展望露天風呂(冬は積雪のため使用不可)、そして開業当時から元湯として利用され、本館地下にある貸切洞窟風呂がある。

([1] 投稿者 Anonymous さん : 2018年01月21日)

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