石割桜
/ 岩手県の名物お土産岩手県盛岡市大通2丁目7-28
「石割桜」もう食べられない 盛岡の丸藤、生産を停止
盛岡市を代表する銘菓が姿を消す。約60年の歴史がある菓子「石割桜」を製造する同市大通の丸藤(資本金2千万円、佐藤英男社長、従業員11人)が自社工場を閉鎖し、菓子の生産を停止したことが分かった。昔ながらの味やパッケージを守ってきたが、土産物の競争激化による売り上げ減などが要因とみられる。テレビCMでもなじみ深かった銘菓が「もう食べられない」とファンは惜しむ。
石割桜の漢詩、50年越しに名乗り 福島の男性
盛岡市内丸の盛岡地裁にある石割桜。そこに作者不明の漢詩の短冊が人知れずつるされていたことが、本紙の1965年5月8日付「紙風船」で紹介された。それから半世紀余り経た今春、福島市の元福島県職員、矢野正さん(83)は、自らが作者だったと名乗り出た。東日本大震災のため、故郷の浪江町を離れざるをえず、創作した漢詩などの大半を失った矢野さん。「事実上ふるさとがなくなった今、かけがえのない石割桜の存在が胸に迫る」と痛切な思いを語る。
農学が専門の矢野さんは、福島県の農業改良普及員として65年4月から1年間、岩手大農学部に研究留学。その際、5月まで咲いていた石割桜に心を打たれて七言絶句を詠み、その短冊を近くの柵につるした。